episode 0 「灰色の悪意」 第一話
序章
悪魔と龍が、世界を懸けて戦に明け暮れていた。
それは6969年の間、繰り返し、繰り返し続く。
森は焼け、血に濡れる大地。
風には凡ゆる生命、種の断末魔。
終わりの見えない、悪夢の歴史。
その戦火の中、予言者ヌエは言った。
「龍は滅びる」
それを聞いたのは、悪魔王タラウラ、龍王プーリン。
ヌエの予言を「音の天使」テリウが歌に紡いだ。
龍王の血が染みる大陸に青き血脈の王子産まれ、龍の滅亡を子守唄に聞く。
青の王子が剣を手にした時、やがて悪魔の王も贄になる。
それは、大陸の永き平安への供物として。
【第一話】
時はかの「龍魔戦」より約千年後。
レイ暦666年。
世界八大大陸の一つ、ヤウ大陸の最西端に位置するセイラガイス国。
大陸の西側から南東へと広大に伸びるユプラ河沿岸地帯を目指して渡来してきた幾つかの民族が、そのルーツとみられている。
農耕民族プルレや、狩猟民族セイールといった、農耕狩猟を活かし土地に根付いた者達や、北方のバイル山脈から流れ着いた「レラ人」と呼ばれる鍛治民族。
それらが文化的に複雑化、多様化していき、様々な小国が生まれ、民族紛争、宗教紛争の歴史を経て「龍魔戦」までには初代国王が、大陸西部をセイラガイスとして統一したとされる。
法政を整え、国を4つの州に分割。
更に法と言語を統一し、土地の恵みとユプラ河で結ばれた他国との交易も盛んであった。
悪魔王と龍王の諍いによって、一時は大陸全土に及ぶ大戦争が起こり、人間という種族も種の存続を懸けて戦った。
当時国を挙げて結成されたセイラガイス王国騎士団と魔法僧兵団も、歴史に名を残している。
戦が終わりを告げ、悪魔王が「青の王子」によって倒され、平和が訪れた数百年後の今。
セイラガイス王国首都セイル。
王宮騎士団練兵鍛場。
「やあ!…っ…あれ?!」
渾身の力を込めて、横薙ぎに振るった木剣が盛大に空振った。
「きゃっ…!」
その勢いで、これまた盛大に尻餅をつく。
「あいたたた…」
木剣を持っていたのは…兵士…ではなく、少女。
きりっとした眉毛と眼差し。可愛らしい顔付きであるが、その表情は真剣そのものだ。
長い赤茶の髪の毛を一つに束ね、細くしなやかな四肢が力強く跳ねる。
「はい、一本」
少女の背後から、同じ形の木剣の切先が彼女の脳天をこんこんとつつく。人の良さそうな柔和な顔付きの青年だ(着ている道着から、王国の正規騎士である様だ)。
「っ…!くそー!」
真っ赤に頬を膨らませて、少女は「今度こそ!」と、青年に向かっていく。
「おっ…と」
少女の動きは同年代の女性のそれと比べると、遥かに鋭く速いものである。
「ええい!」
次々と繰り出される木剣の斬撃。
「うん、いいね…」
青年が、それらをあるいは避け、あるいは木剣で受けながら満足そうに微笑んだ。
※
数十分後。
「っ…もう!今日も駄目だった!」
少女の名は、ロイアス・タチュエラ・セルドトゥリスン・セルディテューラ・セイラガイス。
現セイラガイス国王の、第四王女である。
彼女の剣を受けていたのは、カルトローサ・ファーニン・カーロ。セイラガイス王国軍第一騎士団長である。
「そんな事はありませんよ、ロイアス様。日に日に上達していらっしゃる」
カルトローサが、にっこりと笑う。優雅にウェーブを引く薄茶色の髪の毛。優しい物腰と柔らかい表情。この美青年が、一度戦になると最前線で剣を振るう騎士団長とは、想像のつかない者は多いだろう、とロイアスは思う。
「でも、何年もやってるのにカルトローサからは一本も取れない」
膨れたままで、タオルで顔を吹きながらロイアスが零すと、カルトローサは思わず苦笑した。
「私から一本取れるならば、ロイアス様はこの城で5本の指に入る剣士という事になりますね」
その言葉に反応したのは、ロイアスではなく、同じ鍛場を使っていた少年と、壮年の男性。
「あのなあ…カルト兄から一本なんて俺でも無理なのに、姫様に出来る訳なんて無いだろ?」
少年…アスドガリス・ブルーツェ・カーロはロイアスと同じ木剣をくるくると器用に指で回しながら呆れる様に言った。
「いやいや、わからんぞ。最近の姫様は、実に良い剣を振るわれる」
少年…アスドガリスを鍛えていたらしき壮年の男性…テルヴィントレス・シュースィン・カーロが笑う。
「あはは、父上がそう仰るなら、わかりませんね。姫様、王国軍の総騎士団長のお墨付ですよ」
「うー…テルヴィントレスも、カルトローサも、冗談みたいに言うからなあ…信用出来ないったら!」
タオルを首に掛け、場を立ち去ろうとするロイアスに、テルヴィントレスが「あ、そうそう。忘れていました。姫様、お伝えする事が」と引き留めた。
「来月の大練武闘大会…出場してみますか?」
その言葉に、ロイアスの表情が一気に明るくなった。
「ほっ、本当に!?」
「ええ。但し、アスドガリスと同じ14歳以下の部で。それと、魔法僧の誰かに変身の魔法をかけてもらう事。姫様が相手となれば、どうしても…ね。そこはご理解ください。それと、もし入賞してもその功は正規に取り扱えません」
テルヴィントレスが口にする事の全てを「うんうん!いいよ!」と肯定し、ロイアスは両手を握り締めた。
大練武闘大会。
龍魔戦…とまではいかなくても、まだまだ大陸に点在する様々な国同士での戦はあった。
西の覇者と呼ばれるこの国では、毎年国中の猛者が集いその武芸を競う大会が一つの催しとして定着している。
一種のお祭みたいなものでもあり、開催期間中は様々な商人達の出店で賑わうのも見所である。
一月通して行なわれるその武芸大会に出場する事は、ロイアスにとって一つの目標であり、夢だった。
「絶対に優勝してやる…!」
気合いを込めて、呟く。
「おい…姫様…俺が居るのにそれ、言うかい?」
「私が勝つよ!」
アスドガリスが、右の眉をくいと上げて挑発的になる。
短髪で真っ黒い髪の毛。直線的な眼差し。ロイアスと同じ13歳の少年は「俺しかいねえよ」と自信満々に言った。
「ふふ…楽しみにしてますよ、二人共」
カルトローサが、静かに微笑んだ。
※
セイラガイス魔法僧兵団。
「龍魔戦」でも、人間という種が使役する魔法という術は活躍した。
癒し、守り、攻撃、戦略、戦術の全てをカバーし、国を、兵士を守護してきたのである。
元々はセイラガイス国教として定められた、西方主神ラノピナユプナを崇めるユプナ教の「ヤノメ派」という宗派が、時の魔法戦闘術に特化しており、彼等が主となり「龍魔戦」に対して当時のセイラガイス国軍が編成したものだ。
「やれやれ、騎士団の皆さんのお祭となると、途端に公に出番が無くなりますね我々は」
セイラガイス魔法僧兵団総僧兵長、マイエ・ヌイキアがくすりと笑った。細面の初老の男性で、白髪と銀髪が混じった短い髪の毛、左の額から頬にかけて大きくついた斬傷跡が目立つ。濃紺の僧服には、僧兵団長の証である銀色の刺繍が施されている。
「やー、そんな事は無いですよ。原則武芸者なら誰でも出場可能なんですから。うちらからも何人か出るって聞いてますよ?」
マイエが本を閉じる。
国城内にある、彼の書斎である其処で、マイエの部下、第一僧兵団長キルン・エターヴィト・ポルティアが軽い調子で言った。
狐の様な細長く釣り上がった目は髪と同じ金色で、透き通るばかりに白い肌。細身であるがしっかりと筋肉はついている。マイエの様な僧服は着ていないが、羽織っているシャツの左胸には同様の紋様の刺繍がある。
「まあ、たまの楽しみとしてなら良いでしょう。…それで?あちらの方は、何か解りましたか?」
マイエが、指で鼻を掻きながら報告を聞く。
「テルヴィントレス殿の私兵と俺の私兵で15日間がかりで…やっとってとこですね。流石にすぐにどうこうって事は無さそうですが…魔力濃度も基準値のそれよりはまだ低いですし…ただ…」
キルンが言葉を切る様子に、マイエは怪訝な面持ちで「どうしました?」と尋ねた。
「これは予想の範囲でしか無い事なのですが…。人為的な気は、しますね…特に…」
「リ・ユプナ派とユスーマン帝国…ですか」
察したマイエにキルンは「その通りです」と頷いた。
「同じ神を崇め、同じ平和を愛してきた筈が…何とも悲しい事です…」
マイエの呟きにキルンは「予測ではあと二ヶ月先と報告が。ただ、やはり今の時点でのはっきりとした魔術的根拠のある証拠にはなりません」と返した。
「総騎士団長との合議を得て、国王陛下に報告の準備を。そして…キルン」
キルンが、マイエの前に跪いた。
「…は」
「国内のユプナ教リ・ユプナ派大総僧リィルナル・アペリィーシュが南のユスーマン帝国と通じ、国王陛下への反乱を企てている事…その確たる証拠、必ずや見つけ出して来なさい」
「…は」
夜の風が、静かに…そして冷たく流れていった。