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カミサマと一緒

カミサマといっしょ その3 オンナノコは、海水浴の前に何を必死に頑張るか?

作者: シベリウスP

幕前 基本的に幕前は面白くないから読み飛ばしてもいいが後悔するぞ【第3巻用】


 時は近未来――世界は一国家となり、なんと全世界を日本が統一していた。日本の世界統一はその精神性にあった。曰く……武士道。

 しかし、その実は、世界的大企業であるマウント・フィフス社と手を握り、その『企業傘下の国政運営』によってもたらされた、パックス・ジャポニカであった。

 その日本では、西暦2080年を過ぎたころから、内乱に勝利を収め、国政の実権を手中にした官僚派が、荒れ果てた『東京』を捨てて、『新東京』に首都を移転し、そこで日本の政治をほしいままにしているのである。

 一方、敗れたサムライ派は、『東京』や地方都市で細々と活動を続け、政権奪取を狙っている。

 官僚派は警察機構や軍隊を牛耳っているが、一方のサムライ派も大きな幹をいくつか持ちながら、私設武闘集団を組織してゲリラ活動やテロ活動(「官僚派」の言い分。「サムライ派」は「聖戦」と呼んでいる)を行っていた。

 この物語は、そのような激動の時代を熱く生きた人間たちの物語である――――。

 え? 時代背景がイマイチわからない? 2巻にも載せてたんですけどぉ~?

 じゃあ、年表をもう一回掲載しとくから、きちっと読んで理解してくれたまえ。

 なお、4巻には年表は載せないから、最後のチャンスと思ってきちんと予習・復習しておくように。いや、予讐・復讐じゃなくてね……。

 (略年表)

 2063年(永生元年)…「官僚派」が日本国首相として永山鉄山(42)を擁立。永山は世界的経済界の雄・マウント・フィフス社の日本支局長だったため、日本の社会的機構に大改革を行った。その『聖域なき規制緩和』により、日本の経済界(と言ってもほぼ中小企業だけだったが……)は大打撃を受ける。

 2064年(永生2年)…「サムライ派」の重鎮・宮辺貞蔵(44)が「新精神政策論」を発表し、政権を非難する。永山政権は宮辺を弾圧。宮辺は郷里の肥後に逃れる。

 2065年(永生3年)…肥後の「サムライ派」の雄・宮﨑八郎眞郷(30)が、「岱山郷塾」を開講する。

 2070年(永生8年)…永山鉄山首相が暗殺される(享年49。この暗殺は、永山に利用価値を見いだせなくなったマウント・フィフス社の陰謀であった)。マウント・フィフス社と組んだ軍需相の小田信名(27)がクーデターを起こし、軍事政権樹立。信名は永山首相暗殺実行犯として宮﨑眞郷を投獄、処刑する(眞郷の享年35)。

 2071年(永生9年=明示元年)…4月6日、宮﨑眞郷門下生が小田政権に反旗を翻す(永生・明示の乱勃発)。サムライ派の主な人物として、武田春信(31)、上杉剣心(25)、毛利元成(33)、伊達正昌(22)、西郷大盛(35)らがいる。12月改元。

 2077年(明示7年)…3月、八神主税(20)を局長、鳴神雹(20)を副長、犬神主計(20)を参謀として、200人の兵力で『協同隊』が旗揚げする。『協同隊』は、当初、武田春信の甲州軍に属して東京の制圧を狙い、新政府軍と戦う。

 2078年(明示8年)…5月、武田春信戦死(享年38)。10月、毛利元成病死(享年41)。

 2079年(明示9年)…8月、後世に残る『サムライ派』最後の大勝利である『利根川の合戦』が起こる。サムライ派は上杉剣心(33)を大将とした約3万人、官僚派は陸軍中将・第1師団長である佐久間信守を大将とする約2万人。この戦いに『協同隊』(隊士300人)も参加し、特に副長・鳴神雹(22)はその鉄の軍紀から“鬼の副長”、その華麗で凄絶な戦いぶりから “双刀鬼”の異名をとり、一躍サムライ派の伝説となる。

 2080年(明示10年)…3月、上杉剣心死去(享年34)。5月、最大の決戦である『東京の戦い』でサムライ派が完膚なきまでの敗北を喫する。サムライ派は西郷大盛(44)を大将に、中村半太郎(34)、篠原主幹(33)、村田新吾(32)、別府晋作(30)、永山一郎(31)、池上弥四郎(30)の6個連隊・約2万人。これに鳴神雹(23)たちが属した『協同隊』(隊長・八神主税、参謀・犬神主計、副長・鳴神雹=“双刀鬼”)500人などを含めて2万5000人。官僚派は陸軍中将・第1師団長である柴田束家を大将とし、第2師団長・明智光正、第3師団長・橋場秀吉、第4師団長・庭秀長、第5師団長・竹川一益、第6師団長・前田俊英の計14万人。西郷は自刃、中村と篠原、永山、池上は戦死。村田と別府は行方不明。

『協同隊』も、八神主税はじめ雹の親しい友人たちが戦死する(八神の戦死は未確認)。

2083年(明示13年)…この物語のスタートです。


【主な登場人物紹介】

鳴神雹なるかみ・ひょう…東京都十二支町龍崩区2丁目15番地にある『鳴神神社』の神主にして、何でも屋である『頼まれ屋』を経営している。金髪赤眼でいつもはずぼらでダメ男だが、やる時はやる男。天才的な二天一流を使う『真のサムライ』である。

佐藤清正さとう・きよまさ…肥後から新政府の官吏になるために上京してきた16歳の少年。龍崩区1丁目に姉とともに二人暮らしをしている。二天一流の免許保持者で『頼まれ屋』の従業員。ツッコミ役とナレーターを勤める、“気配り草食系少年”。レギュラーの座は守れるか?

雨宮霙あまみや・みぞれ…風魔忍群の末裔で、一家離散の憂き目にあった14歳の少女。茶髪碧眼のツインテールに、大阪弁でしゃべる可愛い子。身が軽く、忍術の腕も確かな『頼まれ屋』の従業員。KY気味で食い意地が張っているが、雹を兄と慕い、現在『頼まれ屋』に同居中。

佐藤誾さとう・ぎん…清正の姉で、文武両道、家事万端お任せのエキセントリックな性格の美人。肩までの黒髪で清楚な雰囲気を持っている。今年20歳だが嫁に行かずに弟の面倒を見ている。現在、寺子屋の訓導として勤めている。心に決めた人がいるが、それは雹のことなのか?

中西琴なかにし・こと…陸軍大尉で武装警察『真徴組』の紅一点。剣の腕は大したものだが、酒癖が悪いのが珠にきず。雹に惚れてしまったかもしれないドM娘。


 では、第9幕から、張り切って行ってみよう!


第9幕 チョコレートを食べすぎると鼻血が出ると言うけど、出たとこ見たことない


 ここは、東京十二支町子の日区13番地13号、泣く子も黙る武装警察・真徴組の屯所である。その総括室で、何人かの幹部たちが難しい顔で協議をしていた。

 「で、その『鳴神雹』とかいう男は?」

 真徴組のトップである総括・松平権兵衛陸軍准将が厳しい顔で聞く。副長格の頭取・俣野藤弥陸軍大佐は、渋い顔で答えた。

 「権兵衛さん、あの時ゃ、俺も、山下さんも、そして織部でさえ足を斬られて動けなかったんだ。来島とかいう似非『双刀鬼』を斬ったそいつを逮捕なんてできる状況じゃなかった」

 俣野がそう言うと、一緒にいた1番組肝煎・山下官司陸軍中佐と5番組肝煎・玉城織部陸軍少佐がそろってうなずく。玉城はそれに付け加えた。彼だけ、両足に包帯を巻いて車椅子に座っている。

 「総括、確かに雹の兄ぃが『双刀鬼』かも知れねェが、兄ぃ自身が言ってやした。『双刀鬼ってェ奴ぁ、もういねェンだ』とね。おいらぁ、兄ぃはそういった過去を一切捨てて、『頼まれ屋』なんてェ商売をしているじゃねェかと思うんでさぁ」

 その言葉に続いて、来島又野助と最初に出会って斬られ、雹の友人である佐藤誾や『頼まれ屋』の従業員である佐藤清正、雨宮霙などの手厚い看護を受けていた6番組肝煎・中西琴陸軍大尉が言う。

 「ボクは、雹さんが昔、『双刀鬼』であったとしても、今は関係ないと思います。彼は、新政府に対する敵意を持っていません。それに、彼が牙をむくのは、ボクたちも敵としている奴らばかりです。総括、雹さんを見逃すわけにはいきませんか? ボクが今回のことを調べに彼のもとを訪れた時、彼は必死で神職の勉強をしていました。彼には新政府に敵対する意思などないと思うのです」

 「しかし、俺たち3人がかかって倒せなかった来島を、あっという間に、それも木刀で倒した男だ。さすがに『双刀鬼』と音を打った男だけはあると背筋が寒くなる思いだった。あんな男が、もし八神や犬神への友情にほだされて敵になったら、真徴組が全員でかかっても倒せるとは思えん。禍は芽のうちに摘みとるべきだ」

 これは、山下中佐の意見である。

 「拙者も、かの者の剣を見て、敵に回せば恐るべき男との思いを強くしている。昔、4番組を率いていた松岡万市を凌ぐ二天一流であった」

 軍監であり、当夜は俣野の命により6番組を指揮していた千葉一郎陸軍中佐も、そう言って山下中佐の意見に賛同する。

 「権兵衛さん、酒井閣下の命令もある。まず鳴神をとっ捕まえよう。今ならあの男は、呼び出しゃ素直に屯所にやって来る。そこで話を聞いて、ダメとなりゃ斬りゃいい」

 俣野大佐が言うが、

 「……」

 松平准将は腕を組んで考え込んでいる。やがて松平は目を開けて言う。

 「藤、お前の意見はもっともだ。官司の意見も分かる。しかしな、俺たちが三鷹区の爆弾テロ事件で市民の信頼をなくしかけていた時に、イメージアップができたのも、あの男のおかげであり、そもそも今日こうして藤や官司や織部と話ができるのも、その男が似非『双刀鬼』を倒してくれたおかげだ。今はその男の動向を見ていよう」

 そして、松平は、部屋にいたもう一人の男に言う。

 「山本! 監察班でその男をマークしとけ。もし、犬神とその男が接触したら、すぐ知らせろ」

 松平からそう言われた監察の山本壮馬少佐が訊く。

 「八神との接触が確認された場合は、どうすりゃいいんですか?」

 「犬神は政治的な動きでこの国を転覆しようとしている。ある意味では合法的活動による革命を狙っているヤツだ。しかし、八神はおそらく今回の来島のような奴や、その昔の『協同隊』のようなテロリストや武装勢力を使った革命を考えているヤツ、こちらの方が危険度は高い。八神との接触が確認された場合は、その場で殺せ」

 その言葉に、少し顔色を変えた山本少佐であったが、

 「分かりました」

 少し沈んだ声でそう言った。

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「お~い、清正ぁ~、霙ェ~」

 一方こちらは十二支町の龍崩区2丁目にある『鳴神神社』である。神社の境内を掃除していた僕、佐藤清正と雨宮霙ちゃんは、社務所から聞こえてくる雹さんの声に、掃除の手を止めた。

 「なんだろう?」

 雹さんが怒っているような声で僕たちを呼んでいる。僕は、今朝から今まで、何をやって雹さんを怒らせたのかなと自分の行動を反芻してみる。しかし、思い当たるフシがない。

 「なんやねん雹ちゃん? でかい声出さんでも聞こえるがな」

 霙ちゃんも掃除の手を止めて、社務所から出てきた雹さんに言っている。雹さんは、白い着物に水色の袴姿という神職の格好で、ずかずかと僕たちの方に歩いてきた。うわっ!? やっぱり何故だか知らないけど雹さん、怒っている?

 「お前たち、雹さんが3時のおやつの楽しみにとっておいたガブリコチョコ食べたろう? どっちが食べたんだ? 霙か? キヨマサか? 霙か? それとも両方か? 正~直に言いなさい。今なら半殺しではなくて4分の1殺しくらいでまけておいてあげるから?」

 ……ガブリコチョコ? 雹さん、ちょっとそれは大人げないんじゃないですか?

 僕はそう思ったが、それを言ったら僕が疑われるし、何より雹さんからガブリコチョコの素晴らしさや美味しさについての愛のこもった話を延々と聞かされることが分かっていたため、そのことについては触れなかった。

 「ちょっと雹ちゃん! 何やねんその言い方!? 『霙か? キヨマサか? 霙か?』って、何でうちが一回多いねん? 雹ちゃん、うちのこと疑ってるやろ?」

 霙ちゃんがそう言って雹さんにかみついている……って、霙ちゃん!? 口の周りになんかピンクっぽいものがついてるよ!?

 すると雹さんもそのことに気が付いたのだろう、一瞬呆れたような顔をした雹さんがニヤリと笑うと、霙ちゃんの頬を優しくなでながら言った。

 「そうかぁ? それは気が付かなかったなぁ~、ゴメン、霙。別にお前や清正を疑っているんじゃなくて、一応聞いてみたんだよ。なんせ、雹さん、ガブリコチョコ好きだしぃ~、3日に1度は甘いもん食わないとイライラするしぃ~。あれ? ミゾレッチ、なんだこれ? このピンクいの?」

 雹さんがそう言うと霙ちゃんの口元を指でなぞって自分の口にくわえた。霙ちゃんははっとして巫女服の袖で口の周りをごしごしとする。雹さんは「あれ? 甘い」と言った後、にこ~っと霙ちゃんに笑いかけた。

 「霙? お前、その口元のチョコレート、どうした?」

 雹さんが訊くと、霙ちゃんはたらたらと汗を流し、ひきつった笑顔でぎこちなく言う。

 「な、何?……うち、ガブリコいちご味なんて知らへんで? けぷっ」

 「お前が食ったんか~い!!」

 雹さんの怒りの右ストレートが炸裂し、霙ちゃんは5メートルくらいすっ飛ばされた。

 「何やねん! 雹ちゃんのケチ! ガブリコチョコの1個や2個、ええやん!? いたいけな14歳の美少女をぶっ飛ばすなんて、それでも雹ちゃんは主人公け!?」

 思わず逆切れする霙ちゃんだったが、女の子を殴るのは僕もよくないと思ったので、雹さんに言った。

 「雹さん、1つや2つおやつを食べられたからって、女の子を殴らなくてもいいじゃないですか? ちょっとひどすぎませんか?」

 すると雹さんは、がっくりと肩を落とし、静かな怒りを燃やしたまま、僕に言った。

 「キヨマサ……あれは昨日俺がスーパーで1個55円で安売りしていたのを100個、大人買いしていたんだ。お前や霙とも食べようってな。それが一つもね~んだよ!」

 「ええっ! ガブリコチョコの大人食い!?」

 僕はそう言って霙ちゃんを見る。霙ちゃんはツインテールにしている頭の後ろで手を組み、明後日の方を向いて口笛を吹いている……古っ! すっとぼけ方が古っ!

 雹さんは霙ちゃんを絞め殺したそうな目で見ていたが、やがて諦めて言う。

 「食べちまったもんは仕方ねェ……。オイ、清正と霙、ちゃんとここ掃除しとけよ?」

 雹さんはそう言って、心なしかしょんぼりした後ろ姿で社務所の中へ消えた。やがて、いつもの群青色の詰襟シャツにジーンズ、そして群青色のブルゾンをひっかけ、大小の木刀を太い革バンドにぶっ差したスタイルで現れると、ヘルメットをかぶってスクーターを起動する。

 「雹さん! どこ行くんですか?」

 僕が訊くと、雹さんはニヤッと笑って言い、スクーターで出かけた。

 「雹さん、ガブリコチョコ買ってくらあ。掃除はよろしくな」


 「えへへ~❤ やっぱり雹ちゃん優しいなぁ~♪ げぷっ」

 上機嫌で掃除をする霙ちゃんに、僕は困ったように言った。

 「でも霙ちゃん、ガブリコチョコをいっぺんに100個も食べるなんて、いくらなんでも食べすぎだよ? そりゃチョコレートは美味しいけど、食べ過ぎると太るし、鼻血が出るんじゃない?」

 すると霙ちゃんはカラカラと笑って言う。

 「大丈夫や! うち、育ち盛りで毎日運動もしているし、あれしきのカロリーじゃ足らへんねん。そやから太らへんねん」

 「あら、やっぱり若いっていいわね~。うらやましいわ~」

 そう言って、紙包みを抱えた姉上が現れた。

 「姉上!」「誾ねえちゃん!」

 僕らはそう言って掃除の手を止める。姉上はニコニコして僕たちの側に寄って来て言った。

 「雹さんは?」

 「雹ちゃんなら、ガブリコチョコ買いに行ったねん。しばらくしたら戻ると思うけど?」

 霙ちゃんが言うと、姉上はニコニコしながら言う。

 「そう? じゃ、ちょっと待たせていただくわね?」

 そう言って社務所へと向かう姉上を見送る僕たちに、おずおずと声をかけてきた人がいる。

 「あの、すいません……『頼まれ屋・雹』って事務所、この近くにございませんでしょうか?」

 僕たちが振り向くと、そこには軽くパーマをかけた栗色の髪を肩まで伸ばし、上等の着物を着た女性が立っていた。年のころは30代の前半か? 幼顔だから25・6位にも見える。凄い美人とは言えないにしても、可愛らしさは満点の女性だった。

 「はい、僕たち、『頼まれ屋』の従業員ですが? どのようなご用事ですか?」

 僕が答えると、その女性はみるみるその目に涙を浮かべ、僕に抱きついてきて言った。

 「お願いします! 主人を助けてください!」

 うわ~、なんかいい匂いがして、頭がくらくらする~。これが大人のオンナの色気ってもの?……僕が手のやり場に困って、カチンコチンに固まっていると、霙ちゃんが何かを思い出したように女性に向かって言った。

 「あ~! あんたはん、いつか電話かけてきたハルミはんやないか? 萌えの旦那が今度はどないしたん?」

 霙ちゃんの独特の関西弁を聞いて、ハルミさんははっと僕から離れ、霙ちゃんの手を握って言った。

 「ああ、あなたはあの時の相談員さんですね? その節はお世話になりました。おかげで主人はフィギュアもDVDも売り払って、そのお金を入れてくれましたし、その後はネトゲーもあまりせずに、萌え雑誌を隔月で取り寄せるくらいになっています。ありがとうございました」

 「そうけ~、そりゃ良かったなぁ~。で、その旦那が今度はどないしてん?」

 霙ちゃんが言うと、ハルミさんはまた目に涙をためて言った。

 「主人が、誘拐されたんです。もう1週間も家に帰って来ていません」

 「何やて!?」「本当ですか!?」

 霙ちゃんと僕が同時に言う。そのまま泣き崩れそうになるハルミさんを、霙ちゃんが支えて言った。

 「しっかりせんかい! とにかく事務所で話、聞かせてや!?」


 「すまへんなぁ、雹ちゃん、今ちょっと買い物に出てるねん。帰ってくるまでちょっとこれ飲んで落ち着いてや?」

 僕たちは、ハルミさんを事務所に招き入れると、まずは落ち着かせるために紅茶を出して勧める。紅茶を提案した姉上も、心配そうにハルミさんの向かいに座って言った。

 「とにかく、雹さんが帰ってきたら、何でも覚えていることはすべて話してくださいね? 大丈夫、雹さんだったらすぐにあなたのご主人も救い出してくれますわ」

 「ところで……」

 僕はさっきから気にかかっていたことを口にする。

 「ハルミさんは、どうしてご主人が誘拐されたと思うんですか? 身代金の要求でもあったんですか? だとしたらここじゃなくて、むしろ警察や真徴組にご相談された方がいいんじゃ?」

 すると、紅茶をすすっていたハルミさんは、ゆっくりと言った。

 「身代金の要求はありません。でも、主人が家に帰りたくても帰れない状況にあることは確かです。だって、主人は求人の面接に行ったっきり帰ってこないんですから」

 「そりゃ、悪いけど、不採用になって家に帰って来れへんのやないか? あるいはハルミはんには悪いけど、萌えが再発してメイド喫茶とか同じ趣味のオンナんとこに入り浸っているとか、ないんか?」

 霙ちゃんが言いにくいことをずけずけと言う。しかし、ハルミさんは気を悪くした風もなく言う。

 「……いいえ、家にその会社からの採用通知が届きましたし、主人の口座に採用一時金が振り込まれました。ですから不採用になって帰りづらいってことはありません。そして、メイド喫茶は行きつけの所も含めて全部回ってみましたが、どこも、フィギュアを売った日以来、行っていないみたいです」

 そこに、雹さんが騒々しく帰ってきた。

 「いや~、やっとガブリコチョコ見つけたよ~。あそこのスーパー、1個45円で売ってたから、雹さん、ま~た大人買いしちゃった~……って、あれ? お客さんかい?」

 玄関の引き戸を開けた雹さんが、そう言って固まる。姉上がにこりとしてその場を取り繕った。

 「あ、お帰りなさい、雹さん。こちら、クライアントの白川春美さん、ご主人の白川武史さんを探してほしいとのご依頼よ」

 すると春美さんは顔を赤らめて挨拶する。雹さんもニコリとして言った。

 「そうですかい。じゃ、詳しい話をお聞きします」

 そう言って姉上の隣に腰かけると、まじめな顔で言った。

 「春美さんのお歳とスリーサイズを教えてください……いだっ!」

 「あ~ら、雹さん。私、なんか耳がおかしくなったのかしら? 年齢とスリーサイズがどうのって聞こえたけど?」

 姉上がニコニコしながら雹さんの太ももをつねって言う。雹さんは冷や汗を流しながら言い直した。

 「奥さん、ご主人のお勤め先と、いなくなった時の状況、そして現在の状況を詳しく教えてくださいませんか?」

 「え~と、私は今年38歳で、スリーサイズは80、55、85ですが?」

 ええええ~っ! 何でそっちに答えるの!?

 「あのぅ~、そっちを答えていただいても、嬉しいですけど、ちょっと困っちゃうなあ~。そ~うですか~、でもとてもアラフォーとは思えませんねェ~。まだ28っつっても通りますよ~。いでっ! お誾ちゃん、耳がちぎれるっ!」

 デレデレする雹さんの耳を姉上が引っ張る。雹さんがヘンなことを言っているからですよ、まじめにしてください!……でも、僕も春美さんがアラフォーとは思わなかった。ホント、幼顔だからひょっとしたら25・6って思っちゃったもん。

 「雹ちゃん、誾ねえちゃん、痴話げんかはいいから話を聞くっちゃ!」

 呆れていた霙ちゃんがそう声をかけると、雹さんと姉上はピタッとじゃれ合いをやめた。雹さんはいつもの表情に戻っているが、姉上の顔は真っ赤だ。

 「主人は、2週間くらい前に今までの会社を辞め、『ブラックローズ』というIC会社に転職しました。主人はもともと電脳プログラマーで、自分で新たなOSオペレーションシステムを開発したものですから、その会社からお呼びがかかったんです」

 春美さんが言う。僕は思わず言ってしまった。

 「すごいですね! ご自分でOSを組み上げられるなんて……何て言うOSですか?」

 「何でも、『ブルーフォックス』というOSだそうです。主人が独自に開発した電脳言語である『チャトラン』という言語で書いてあるそうです。私にはよく分かりませんが……」

 僕はびっくりした。僕だって電脳オタクの端くれとして、『チャトラン』とか『ブルーフォックス』の名くらい聞いたことがある。

 「凄いじゃないですか! ご主人、やっぱりただの萌えオタクじゃなかったんですね!?」

 「おい、清正、俺は電脳のことについてはさっぱりだ。その『茶トラ』とか『ブルーセッ○ス』とか、どういう具合に凄いんだ?」

 雹さんが聞いて来る。僕は少し考えて、分かりやすい説明をしてみた。

 「電脳は、命令を入れないと動きませんよね? 電脳に命令を下すための言語が『電脳言語』なんですけど、普通は0と1で書かれた『下級言語』と、人間でも分かるように書かれた『高級言語』があって、たとえばD言語とかD3+言語とかの『高級言語』で書いた命令をコンパイラで『下級言語』として0と1の命令に直すんです」

 「ふむふむ……」

 「ところが『チャトラン』は、最初から0と1で書かれた言語で、しかもすべての電脳に適合するようなコンパイラコマンドを命令の中に含んでいます。つまり、『チャトラン』を少し勉強すれば、誰でも電脳命令を書くことも、書き直すこともできるようになります」

 「なるほど……で、OSの方は?」

 「今、世界で使われているOSは、だいたい『マクロスソフト』社の『ドア』シリーズと、『オレンジ』社の『マックガイアOS』が主流です。どちらも『D3+』っていう言語で書かれていて、それはそれなりに互換性があるんですが、もし『ブルーフォックス』が正規のOSとして市場に出てきた場合、『ドア』も『マックガイア』も意味がなくなります。OSが統合されちゃうんです」

 「つまり、先に『ブルーフォックス』と『チャトラン』の秘密を知った方が有利になる……ってことか?」

 雹さんが聞くのに、僕は笑って言う。

 「『チャトラン』そのものは、フリープログラムですから、独り占めしても旨味はないと思います。でも、『ブルーフォックス』は、『チャトラン』のいいところを100%生かすようにつくられたOSです。誰でも書けて、自分なりにアレンジできるOS……しかもどんな電脳にも、周辺機器にも適合する……まさに夢のOSでしょうね」

 「主人も、そう言うことを言っていました。けれど、主人はもっと先を考えていたようです」

 春美さんが言うのに、雹さんが先を促すように言う。

 「先?」

 「はい、主人が作ろうとしていたのは、『自分で成長し、自分で考えて判断するOS』です」

 「いわゆるAI(人工知能)ですか?」

 僕が聞くと、春美さんは恐ろしいことをさらりと言った。

 「う~ん、よく分かりませんが、夫は『感情を持ったOSを創りたい』と言っていました」

 「……雹さん、僕、なんだかその白川さんって人が怖くなりました」

 僕が言うと、雹さんは難しい顔で言う。

 「俺は、この話を理解できるお前が怖いぞ、清正君。……結局どういうことだ? 何が問題で春さんの旦那は誘拐あるいは監禁されているってか?」

 僕は一つため息をつくと言った。

 「雹さん、電脳が感情と知能を持って、自己複製できるようになったらどうなりますか?」

 「そりゃ、たとえば恋人アンドロイドとかメイドアンドロイドとかができて……いだだだ!」

 雹さんが変なこと言うから、また姉上が雹さんの耳を引っ張る。僕は言った。

 「つまり、人間を必要としない、感情を持った機械がたくさんできるってことです。それがいい方向に使われればいいですが、もし、戦争とか、権力者だけのために使われたらどうなりますか?」

 「むっ!?」

 雹さんは眉を寄せて黙り込んだ。今まで黙って話を聞いていた姉上が言う。

 「……つまり、春美さんのご主人を使って、その『感情を持つOS』を創り、世界中の電脳を意のままにしたいと考えている人がいるってことですよね?」

 さすが姉上、僕が言いたいことをずばりと言ってくれる。

 「……で、どうなるんや? 世界中の電脳を意のままにして、何が大変なんや?」

 霙ちゃんが言うのに、姉上はニコリとして、

 「例えば、炊飯器が自分勝手に判断して、ご飯を炊いてくれないとか……」

 「それは大変や! 雹ちゃん、なんとかしいや!」

 雹さんは霙ちゃんと姉上のやり取りを聞きながら何か考えていたが、ふいにニコリとして春美さんに言った。

 「すみません、奥さん。そのご主人が出勤したって言う会社の場所を教えてくれませんか?」

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 ここは、新東京狛江区にある高層ビル。その最上階で、一人の男が何台もの超電脳を駆使して、何かを行っている。

 男は童顔で、顔だけ見れば31・2くらいだが、その頭髪の半分は白髪が混じっているので、もっと歳は行っているかも知れない。しかし、目の前の巨大なディスプレイに集中し、疲れも知らずに何かをしているその表情は、まさに少年の顔だった。

 「白川君、どうだい、進捗状況は?」

 その部屋に、白ちりめんの着流しを着た一人の男が入って来て、白川と呼ばれた男に聞く。そう、超電脳の前にいる少年の顔をした男こそ、雹たちが探すことになった白川武史だった。

 「……そうですね、やっぱり『チャトラン』では動作が確定できません。今、『チャトラン』を拡充した『チャトランⅡ』という言語を組んでいますので、それで『ブルーフォックス』の初期不良を修正しているところです」

 白川の答えに、部屋に入ってきた亜麻色の髪をした隻眼の男――八神主税やがみちから――は、笑って言う。

 「君が言う、『ブルーフォックス』の決定版である『ゴールデンフォックス』が出来たら、ラックフェロー社で一括して製品化したいと思う。もちろん、君の特許も申請したうえでね? そうすれば君はわが『ブラックローズ』社の技術部長として重く用いるよ」

 「ありがとうございます。しかし、私は嬉しいんです。前いた『日本CBM』では、私の提案なぞ受け入れてももらえず、『チャトラン』のフリーソフト化にも反対されました。電脳言語はフリーソフトとしてみんなに使ってもらった方が、『ブルーフォックス』の素晴らしさを理解しやすい……何度そう言っても分かってもらえませんでした」

 「既成概念と既得権にとらわれていると、遠い未来のことは見えないんだよ。私は君の言う『感情を持ったOS』に、人類の輝かしい未来を見る。人類と機械との共存共栄、これこそが科学技術の究極の姿だ……。その先陣を切り、嚆矢となるのが君であり、『ゴールデンフォックス』だ。しっかりやってくれたまえ。あんまり根を詰めて、身体を壊されても困るがな……」

 男がそう言って出て行くと、白川はニコニコしながら、また画面へと気持ちを集中させるのだった。


 「主税さん、ちょっといいですか?」

 白川の研究室から出てきた八神に、チャイナ風の服を着た一人の女が話しかけてきた。女はふわりと伸ばした黒髪を右手でいじくりながら言う。

 「鳴神信郷が動き出したようです。白川の妻から依頼を受けて、白川を取り戻しにね……」

 すると、八神は袂から葉巻を取り出して咥える。如才なく女がそれに火を点けると、八神は甘い煙を吐き出しながら言った。

 「ふん、奴も牙を失っていたかと思ったら、来島を瞬殺したそうだからまだ使えるらしい……。卑弥呼、ちょっと俺と一緒に来てくれ」

 「信郷を殺るんですか?」

 卑弥呼が聞くと、八神は凄絶な笑いを浮かべて言った。

 「殺るのはいつでもできる。奴は昔の同志であり、まだ『サムライ』なんだ、まずは仲間に誘うのが礼儀ってもんだろうな……」

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 僕たちは、とりあえず春美さんから教えてもらった住所に行くことにした。雹さんはいつものスクーターで、僕はその後席に座り、霙ちゃんは僕のママチャリに乗っていた。

 「雹さん、僕思うんですけど、その場所に会社ってあるのかなぁって……」

 すると雹さんはニヤリと笑って言う。

 「その可能性は高いな……だが万一ってこともある。行ってみて会社がなければまた考え直そう」

 そして、ゆっくりと低い声で言った。

 「その前に、俺たちを付けてくる奴らをまかないとな」

 さすが雹さんだ。実は僕も気づいていた。僕たちが春美さんと話している間も、僕たちがこうやって出かけた時も、誰かの視線を感じていたのだ。でも、待てよ?

 「雹さん、“奴ら”って……後ろから尾行けてくる自動車の奴だけじゃないんですか?」

 「はは、さすがに気づいていたか。しかしな、もう二人、後ろから来ているヤツとは比べ物にならないくらいの手練れが、一本右と一本左の道路を尾行けてきている……左の奴は、今度の事件に関係があるヤツみたいだな」

 そう言うと、雹さんはスピードを少し落とし、霙ちゃんと並走する格好で言った。

 「霙、場所は分かっているな?」

 「うん、雹ちゃん、後ろの奴、まくんやろ?」

 「ああ、俺はちょっと荒っぽい運転するから、清正を後ろに乗っけてやってくれ。で、先に行っておけ。ただし、俺が着くまで乗り込むな。いいか?」

 「あいあい。おいキヨマサ、早うこっちに乗り移らんかい」

 「ち、ちょっと待ってくださいよ。まだ40キロからスピード出てるんですから……よっと」

 僕はやっとの思いで霙ちゃんの後ろに乗り移ると、前の経験を生かして荷物台の前をしっかり握りしめる。

 「じゃ、霙、清正、グッド・ラック」

 雹さんはそう言うと、いきなりスクーターを急加速させ、赤ギリギリの信号を突破して左に回って行った。僕たちはおとなしく信号停車すると、後ろから慌ててやって来た自動車から、見知った男が声をかけてきた。

 「き、君たち……自転車の二人乗りは危ないよ? 『頼まれ屋』の旦那はどこへ行ったんだい?」

 声をかけて来たのは、何度か『頼まれ屋』で会ったことがある地味な人だった……。

 「え~と……すみません、どちらさまでしたっけ?」

 僕が言うと、相手は笑いながら自己紹介する。

 「嫌だなあ~、何度か『頼まれ屋』でお会いしてるじゃないですか? 僕ですよ、『真徴組』監察の山本壮馬です」

 「あ~、山本少佐殿ですか~。すみません、僕なかなか人の顔を覚えられなくて」

 「それはどうでもいいよ。ところで『頼まれ屋』の旦那はどこに行ったんですか?」

 「何か用事があるからって、先に行っちゃいましたよ?」

 僕がすっとぼけると、山本さんは疑わしげな眼で言う。

 「何か事件に関わっているんじゃないの~? 君たちはどこに行くつもりなのさ?」

 「うるさいなあ、うちたちかてデート位するわい! いちいちデートすんのに真徴組さんに報告せなあかんのか?」

 え!? で、デート!? 僕は霙ちゃんの言葉に――それが出まかせだと分かってはいたけど――思わず顔を赤くする。

 「ふう~ん……」

 山本さんはニヤニヤしながら僕を見つめていたが、やがて信号が青になると言った。

 「ま、君たち二人ともまだ18歳未満だから、健全なデートを楽しみな?」

 そう言って出発しようとした山本さんの車が、突然爆発した。

 「えっ!」「何や!」

 その巻き添えを食って、僕と霙ちゃんも宙を舞った。

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 雹は、信号を突破すると左に回り込んだ。

 ――今、尾行けてきているヤツは、結構できるヤツだ。今後の俺の行動を制約するかもしれんし、霙や清正にチョッカイ出して来たらたまらないな。先に片付けておくか。

 雹はそう思ったのである。

 やがて一本左の道路に出ると、後ろから1台の自動車が来るのが見える。その自動車はスモークシールドにしてあり、中が見えなかった。しかし、だからこそそいつが目指す尾行者だと気が付いた。

 「やれやれ、ちょっとここで停まってもらおうかな?」

 雹はそうつぶやくと、いきなりその自動車に向けて道路を逆走し始める。その左手には、木刀が握られていた。

 「せいっ!」

 バア――――ン!

 雹はすれ違いざまに自動車の前輪と後輪を木刀で突き刺す。相対速度でも120キロはあるのに、回っている車輪を一発で仕留めると言う離れ業をして見せたのだ。左のタイヤを失ったも同然の自動車は、左スピンしながら大きく左へとカーブし、歩行者道路のガードレールにぶち当たって停まった。

 「へっ、ざまぁねぇな……。じゃ、ゆっくりして行ってくれよ?」

 木刀を元に戻した雹がそう言って、スクーターを発進させようとした時、自動車からゆらりと降りて来た人物がいた。白ちりめんの着流しに長い刀をぶっ差し、亜麻色の髪を風になびかせて立つ男は、ゆっくりと葉巻の煙を吐き出してニコリと笑った。

 「……お、おめェ、主税か? 生きていてくれたのか、主税」

 雹が思わずそう言うと、八神もその少し枯れた声で笑って言う。

 「お互い、悪運だけは強いようだ……。俺はあの戦いで右目を失ったが、信郷、お前は変わりないか?」

 「ああ……俺も悪運は強い方でな……。俺たちを担当してる死神って奴ぁ、可哀そうだなと思うぜ」

 「違ェねェ……。ところで信郷、お前今、『頼まれ屋』という何でも屋をやっているそうだな?」

 「ああ……あの戦いでたくさんの仲間たちを失っちまった。俺にゃもう、何も残されていねェからな……毎日、あくせくせずに働いて、おまんまを食っていけりゃ御の字だ」

 その言葉を聞いて、八神はふっと笑った。

 「……お前らしくないな、信郷。『明示の乱』では『協同隊』の副長として『双刀鬼』の異名をとったお前が、そんな殊勝な、いや、俺から言わせると逃げるような暮らしをしているとは……眞郷先生が草葉の陰で泣いておられることだろうよ……」

 それを聞いて、雹はニコリと笑って言う。

 「……まあ、お前から見たらそうかもしれんな。主計も清香ちゃんも、まだ夢を追って活動しているというのに、俺だけこんな体たらくって、お前は笑うだろうよ」

 「主計は昔から頭だけだったじゃないか。来島を倒したお前だ。きっと役に立つだろうと思って話をしに来たんだ。信郷、俺とともにこの腐った新政府をぶち壊そう! 『協同隊』として俺たちが見ていた夢を、現実にするのは今だ」

 その八神の言葉を聞いて、雹は笑って言った。

 「はっはっ……あの北島君を陰で操っていたのはお前か。そうだろうな、清香ちゃんからお前が生きていると聞いていたものの、今イチ信じられなかったが、北島君をけしかけたのがお前ってことなら、うなずけるぜ……。主税、あいつぁ、俺をおびき出すための囮だったのかい? お前の仲間じゃなかったのかい?」

 すると八神は凄絶な笑いを浮かべて言う。

 「何を言う? あんな奴が仲間!? 信郷、俺にとっての仲間はな、志を同じくし、高い能力を持った者のみを言うんだ。例えばお前みたいなな? あんな雑魚、仲間ではない。捨石だ」

 それを聞いた途端、雹は鋭い目をしてゆっくりと木刀を両手で構える。

 「……主税、俺ぁてめぇって奴を見損なっていたぜ。『協同隊』の時はあんなに面倒見がよくて、みんなから好かれていたてめぇが、どうしてそこまで堕ちた? てめぇが新しい世界を拓こうとするのは勝手だ。この新政府をぶっ潰すと言うんならぶっ潰せばいい。だがな、そこに住んでいる人たちを、たとえ一人でも無駄に死なせちまったら、それは革命じゃねェ、殺戮だ。俺はそんな企ての片棒を担ぐのは御免こうむる。同じ力を貸すなら、まだ主計の方が協力のしがいがあるってェもんだ」

 八神は、そんな雹を冴えた目で見つめていたが、やがて不思議な笑みをこぼして言った。

 「……なるほど……『双刀鬼』も平和の中で志を失ったか……。しかし、お前を殺すのは惜しい。またいつか会いたいものだが、それまでには気を変えていてほしいものだ」

 そう言うと八神はゆっくりと踵を返して、人込みの中に紛れ込もうとする。それを追いかけるように雹は叫んだ。

 「待て、主税!」

 八神は立ち止まると、肩越しに顔を向けて雹に言った。

 「信郷、俺はお前が惜しいが、お前の首を欲しいと言う仲間もいるんでな……せいぜい死なないようにしろよ? 次に会うときに、また返事を聞く。その時にはいい返事が欲しいものだ」

 そしてつかつかと、今度は立ち止まりも振り返りもせずに歩いて行く八神だった。

 「待て! 主税っ!……!?」

 それを追おうとした雹は、いきなり背後からすさまじい殺気を浴び、無意識に左へと跳んだ。雹がいた空間を、何かがすごい速さで飛び去る。雹はそれが苦無であることを見て取って、ゆっくりと振り返った。そこには、サラサラの黒髪を風になびかせ、チャイナ風の服を着た23・4歳くらいの美女が立っていた。

 「ちっ! 避けたか……さすがは鳴神信郷……いや、『双刀鬼』と言った方がいいかしら?」

 雹は、ニコリと笑って言う。

 「どちらの呼び名も御免こうむる。どうせなら雹さんって呼んでほしいな。あんたもそんな美人なのに、好き好んで『死神』八神のお手伝いをしなくてもいいじゃねェか?」

 すると、女はくっくっと喉で笑って言う。

 「ふふっ……言うわねェ、アンタ。私は『双刀鬼』って言うくらいだから、もっとむくつけき野蛮なゴリラみたいな男を想像していたけど、アンタ、八神の旦那に負けず劣らずカッコいいじゃない? 惜しいわぁ、アンタみたいな男の首を取らなきゃいけないって……」

 「首の取り合いをしなくてもいいじゃねェか? どうだい、そこらの甘味処で何か食べねェか? お近づきのしるしに俺がおごるぜ?」

 そう言う雹を、女は珍しいものを見るみたいに言う。

 「アンタって、面白い男だねェ? 敵をデートに誘うなんて、どういう神経してんだい?……さ、おしゃべりはここまでだ。八神の旦那と手を組めないってんなら、それは八神の旦那にとって敵だ。私にとってもね?」

 そう言うと女は左手に脇差を構え、右手には苦無を何本か持って、戦闘態勢を取る。雹は、その身体からあふれる殺気を感じ取り、まじめな顔に戻って言った。

 「問答無用か……、致し方ない」

 雹が二天一流の構えを取った時、女は右手の苦無を投げつけるとともに、雹の想像を超えるスピードで雹に迫ってきた。

 「くっ!」

 雹はあえて苦無を無視し、女の剣を右手の木刀で弾く、そして続けざまに左手の木刀で突いた。

 「甘いよっ!」

 女はそれをかわし、雹の左手へと跳ぶ。それを雹が追おうとした時、雹の左わき腹に何本かの苦無が突き刺さった。

 「ぐっ!」

 よく見ると、苦無は細く、しかも弾力がある強い糸で、女の右腕にはめている腕輪に結び付けられていた。女はそれを巧みに操って、苦無を手元に引き戻す。

 「なるほど……それは苦無ではなくて鏢か……」

 間合いを取った雹が言うと、女はニヤリと笑って言う。

 「ふふ、さすがは『双刀鬼』だよ。私の鏢をたとえ1・2本でもこっぱずすなんてね……でも、これからが本番だよ?」

 そう言うと、女は雹に突き立っている鏢を強引に抜いた。傷口からどす黒い血が噴き出る。

 「?……これは、毒か……」

 急にめまいに襲われて、雹は片膝をつきながら言う。女はニコリとして、

 「ねぇ、私との戦いでも本気を出さないなんて、私をバカにしているの? そんなだから八神の旦那をみすみす怪我させて、新政府軍に負けるのよ。アンタや犬神の代わりに私が八神の旦那の隣にいたら、今頃新政府は無くなっていたわ。私はそれが悔しいのよ」

 「……戦いだけでは、新しい世界は作れない……俺たちに不足していたのは、新世界へのビジョンだ……くっ……それが提示できていれば、戦のやり方も変わったろう……」

 雹は、ゆっくりと立ち上がりながら言う。

 「今さらなのよ……『双刀鬼』、アンタの伝説はここで終わらせてあげるよ。あとは私と八神の旦那で新世界の伝説を創る……八神主税と、この志賀卑弥呼とでね……ゆっくりあの世で眺めときなよ」

 卑弥呼はそう言って、ゆっくりと脇差を構える。雹は霞んできた目を細めながら、なんとか二天一流の構えを取った。

 「やっ!」

 気合とともに繰り出された卑弥呼の脇差が、雹の木刀を二本とも弾く。雹は辛くも後ろに避けたが、足元が覚束なくて尻餅をついた。その雹の胸元が裂け、血が噴き出す。

 「くっ……こ、こりゃちょっとヤバいな……」

 雹が街路樹を背に立ち上がった時、

 「さらばだ『双刀鬼』!」

 そう叫んだ卑弥呼が、雹の胸元に躍り込み、雹の胸に深々と脇差を突き刺した。

 「ぶあっ!」

 雹の口から、おびただしい血が噴き出した。卑弥呼は雹を串刺しにしたまま動かない。雹はありったけの力を振り絞って両手で卑弥呼の肩をつかみ、押し戻そうとしたが、やがてその手は力なく垂れ、雹の首もがっくりとうなだれた。

【第9幕 暗転】



第10幕 他人の不幸は蜜の味って言うけど、何が不幸か分からないよね?


 「よぉ、ダメ男。気がついたけぇ?」

 僕は、聞き慣れた声で目を覚ました。まだ意識がはっきりしないけれど、僕と霙ちゃんは『真徴組』の監察である山本壮馬少佐と話をしている最中、突然爆発した山本少佐の自動車の爆風に巻き込まれたってことは、何とか思い出してきた。

 ぼっとした目で周りを見回すと、どうやらここは病院らしかった。僕の右手には点滴がつながれ、『真徴組』の玉城織部少佐が、心配そうな顔で僕をのぞき込んでいた。

 「あ……玉城さん……」

 僕がそう言うと、玉城少佐は少しほっとした様子で、

 「今回はすまなかったな? どうやら山本さんの自動車が狙われたらしいんでぇ。清正君たちはその巻き添えになっちまった。すまねェ、この通りでぇ」

 そう言うと、玉城少佐は僕に頭を下げる。僕は、ゆっくり首を振って訊く。

 「それは仕方ないことですよ……ところで霙ちゃんは? 山本さんはどうしました?」

 玉城少佐は笑って言った。

 「ああ、あのチビ助なら大丈夫だ。なんでもおめぇがあのチビをとっさに抱き留めてかばってたんだってな? 山本さんも大したこたぁなかった。二人ともケガの治療しているところだ。もうすぐ上がって来るだろうよ」

 玉城少佐が言い終わらないうちに、がやがやと病室の外で声がした。

 「ホンマやな!? ホンマにキヨマサは助かるんやろな!?」

 「大丈夫だよ。先生がただの脳震盪だっておっしゃっていたから、もうすぐ目が覚めるよ。だいたい清正君は結構頑丈な子みたいだし、ボクが保証するよ」

 そう、心配そうな霙ちゃんの声と、それをなだめる中西琴大尉の声がする。そして霙ちゃんが病室に入って来て、僕と目が合った。

 「キヨマサ~、よかった~、死んでもうたらどないしよ~と思うたやんけ~」

 そう言って、霙ちゃんは涙目で僕に抱き着く。僕はちょっと照れくさくって、強がりを言った。

 「ば、ばか、僕があれくらいで死ぬもんか。それより霙ちゃんは大丈夫だったの?」

 すると霙ちゃんは涙と鼻水が混じってずるずるになった顔で言う。

 「う、うん……うち……うち……ひっく……ちょっとひざをすりむいたくやいで……ひっく……ぐすっ……清正がかばってくえたから……うえっ……ひっく、ぐすん……あ、ありがと……キヨマサぁ~、うわ~ん(泣)」

 なんか、ここまで素直な霙ちゃんって初めてだ……僕はそんな霙ちゃんが、なんかとても可愛く思えて、ついお兄ちゃん口調になってしまった。

 「お、おいおい、泣くなよ。大丈夫だから、僕は大丈夫だから、ほんとに泣き虫だな霙は~、雹さんに笑われるぞ?」

 そう言って僕は、はっと思い出した。雹さん! 雹さんはどうしたろう? 僕たちが合流しなかったので心配しているに違いない。もし、小金井区に問題のビルがあったら、雹さんは一人でそこに乗り込んでいるかも知れない。僕は玉城少佐に聞いた。

 「玉城さん、今、何時ですか?」

 「ええっと……もうすぐ5時だぜ、夕方の」

 「5時!?」

 僕は素っ頓狂な声をあげた。雹さんと小金井区に向かったのが10時30分だった。雹さんと別れたのはだいたい11時だ。とすると、僕は6時間も気を失っていたのか!?

 「そう言えば、雹ちゃんはまだ帰って来ていないのけ?」

 霙ちゃんも同じことを考えたのだろう。中西大尉に聞く。

 「ええ、『頼まれ屋』にはお誾さんしかいませんでしたよ? 私もあなた方のことをお知らせしようと雹さんの所に行ってみましたが、お留守でした」

 そこに、慌ただしく廊下を走る音がして、姉上が病室に入ってきた。

 「姉上……」

 「よかった~、清ちゃんも霙ちゃんも無事だったのね? 大したことはないと中西さんから聞いていたけれど、顔を見るまでは心配で心配で……でも、雹さんからお留守を預かっていたから『頼まれ屋』から出られなかったのよ」

 姉上が心配そうに言ってくれる。ということは、雹さんは『頼まれ屋』に帰ったのかな?

 そう思って少し安心した僕に、姉上が驚くべきことを告げた。

 「そしたら、真徴組の俣野大佐が見えて、雹さんが……雹さんが……」

 そのまま泣き崩れてしまう姉上。僕は何が何やらわからなかった。ただ、どす黒い不安が心の中に広がっていく。まさかとは思うけど、雹さんの身に何か?

 「そこから先は私が説明します」

 そう言って、俣野大佐が病室に入ってくる。大佐は姉上の肩を抱いて、ゆっくりと椅子に座らせると、僕と霙ちゃんを見て言った。

 「元賊軍の『協同隊』隊長である八神主税という男が、今日の午後2時に『真徴組』の屯所に声明文を投げ込んで行きました。『鳴神信郷を粛清した』とね」

 「……鳴神……信郷……?」

 僕はその言葉が何を意味するのか、ちょっと理解に戸惑った。そして、いつぞや『頼まれ屋』を訪れた長髪のスーツ侍が、雹さんのことを『信郷』と呼んでいたことを思い出した。

 「ちょっと待ってください! それって雹さんのことなんですか?」

 僕が言うと、俣野大佐は少し暗い顔をして言う。

 「我々『真徴組』は、鳴神雹さんがその昔『双刀鬼』と異名をとった『協同隊』の副長・鳴神信郷ではないかと疑い、捜査を進めていました。今回このような声明文が出たからには、雹という人物はやはり鳴神信郷であったと考えざるを得ません」

 僕は俣野さんに食い下がった。

 「じゃ、千歩譲って、雹さんが信郷さんだったとします。でも、『粛清』された証拠はないんでしょう?」

 すると俣野さんは、僕にポケットから取り出した写真を見せてくれた。

 「声明文と一緒に入っていた写真だ。このブルゾンに見覚えはないか?」

 「うっ……」「あっ……」

 僕とともに写真をのぞき込んだ霙ちゃんも、そう声をあげた。そこには、まぎれもない雹さんが愛用している群青色のブルゾンが写っていた。そして、そのブルゾンはちょうど背中の所が大きく裂け、血だらけになっていた。

 「こ、これはどこで……?」

 僕の声が震えている……そんな僕に、俣野大佐は静かに言った。

 「君たちが事故にあった通りから一本南側の通りの街路樹の近くに落ちていた。現場には木刀が二本、きれいに真っ二つになっていたよ」

 「嘘やん! 雹ちゃんが負けるわけあらへん!」

 霙ちゃんが大声で叫ぶ。姉上は顔を覆って泣き出した。僕も泣きたかったが、雹さんの遺体を見たわけでもないし、こんなことくらいで泣いてたまるか! と自分で自分を励まして言った。

 「僕は信じませんよ? 雹さんはしぶとい人ですから……欲張りで、がめつくて、そして何より『サムライ』ですから……僕は信じませんよ! それに、あなた方『真徴組』の皆さんは、雹さんを悪者にしようしようってしているみたいですけど、仮に雹さんが『双刀鬼』だったとしても、昔の仲間から命を狙われるってことは、その『サムライ派』志士と雹さんとは今は何にも関係がないってことじゃないですか? だから、雹さんはいい人なんです。だから『サムライ派』の志士たちから狙われたんです!」

 僕はそこまで一気に言って、じろりと俣野大佐を見た。俣野さんは目を伏せる。

 「それに、雹さんは、今日は行方不明になった電脳技師の居場所を突き止めるために、小金井区へ行く途中だったんです。その途中で狙われたってことは、今回の事件に『サムライ派』志士が関係しているってこともありでしょう?」

 ことここに至ったら、僕は調査に『真徴組』も巻き込んだ方がいいと思ってそう言うと、俣野大佐が目を開けて聞いてきた。

 「清正君、ちょっと聞かせてくれ。その行方不明になった電脳技師とは、『ブルーフォックス』というOSを創った白川武史さんではないかな?」

 「よく御存じですね!? そのとおりです。その白川さんが研究しているOSが諸刃の剣なので、雹さんも一生懸命だったんです」

 僕が言うと、俣野大佐は腕を組んで少し考えていたが、やがて僕たちに言った。

 「詳しい話をお聞かせ願えませんか?」

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 一方、小金井区の『ブラックローズ』社が入っている高層ビルの最上階では、白川武史が悦に入っていた。

 「よし、これで『ゴールデンフォックス』は起動するはずだ」

 そう言うと、白川はいったんプログラムソフトを閉じ、OSそのものの設定を行うための準備に入る。そこに、ゆらりと八神が卑弥呼とともに顔を見せた。

 「白川くん、どうだい、調子は?」

 「ははっ、万事好調ですよ。あとはOSとBIOSを設定すれば、たぶん起動してくれると思います。しかし、この電脳機械でもスペックが足りるかどうか不安ですから、念のため会社のサーバを1台、専用で使わせていただくわけにはいきませんか?」

 「構わんよ、どうせ初期不良洗い出しのために社内LANを使ってもらう予定だったから。どの電脳機械でもいい、LANから適当に選んでコネクトするがいい」

 「ありがとうございます。では、さっそく選ばせてもらいます」

 白川はそう言うとコンピュータの選定にかかる。と同時に、OSとBIOSの設定を行う。その動きを見て八神はくすっと笑って言う。

 「さすがに手慣れたものだ。白川くん、そのOSとBIOSの設定については、報告書にまとめておいてくれないか?」

 「ペーパーは嫌いです。情報が漏れるのは嫌ですから……代わりにこちらのブルーレイにバックアップを取って、予備の起動ディスクにしておきますよ」

 「そうだな、こちらとしてもその方が都合がいい。ディスクが出来上がったらいただけないか?」

 「すぐできます……はい、社長、どうぞ」

 白川はそう言って八神にブルーレイを手渡す。八神はその読み取り面の輝きに少し見とれていたが、すぐさま真顔に戻って言う。

 「ありがとう。では、『ゴールデンフォックス』の起動を拝見させていただこう」

 白川はニコリと笑ってコンピュータを起動させる。読み込み画面がしばらく流れていたが、コンピュータの設定が完了すると、画面に金のキツネが映り、『Golden-FOX』のロゴが大写しになった。

 やがて画面に『Do you need voice navigation?』という文字が出る。白川は迷いもなく『YES』を選んだ。すると、

 “Hello! Just now 15th July 2083。Please determine my name.”

 という、柔らかな女性の声が流れてきた。

 「……社長、どんな名前がお好みですか?」

 白川が聞くと、八神はふっと笑って言う。

 「君が決めていい……もし決めてないなら、“ヒミコ”ではどうだ?」

 「えっ! あたしの名でいいんですか?」

 卑弥呼がぱっと顔を輝かせる。八神は冷たい顔で卑弥呼を振り返ると言った。

 「『双刀鬼』を始末したご褒美だ」

 それを聞くと、一瞬ばつの悪そうな顔をした卑弥呼であったが、すぐに笑いにごまかして言う。

 「ふふふ……ではせっかくですから、八神の旦……いえ、社長のお言葉に甘えます」

 それを聞いていた白川は、ニコリと笑ってコンピュータの画面に表示されている『NAME』タグを押しながら、「Your name is “ヒミコ”。In later, you must speak Japanese」と言うと、コンピュータが答えた。

 “了解しました。私の名は『ヒミコ』です。マスター、何かご指示はありますか?”

 と聞いてくる。八神は面白そうに訊いた。

 「音声でコマンドが入れられるようになっているのか?」

 「はい、基本的に音声でのコマンド入力です。ただし、重要な事項については確認のためにパネルタッチによって実行コマンドを入力することになります」

 白川が答えると、八神は畳み掛けて訊く。

 「ネットにつないで、他のサーバに入ることができるか?」

 「簡単なことです。それがセキュリティのためのパスワードを持っていたとしても、できない相談ではありません。ただし、まだ試行段階ですから、うまく行くかどうかは保証の限りではありませんけれど……」

 「やってみたまえ。まずは、そうだな……新政府の内閣府サーバにでも入ってもらおうか。いや、別に何かするわけではない。ただ、セキュリティエリアに入れるかどうかだけを試してもらえればいい」

 白川はうなずくと、コンピュータに指示する。

 「『ヒミコ』、コマンドがある。『サーチ』、ワードは『内閣府、セキュリティエリア』、それから『ログイン』」

 そう言いながら、『実行』コマンドをタッチする。

 “内閣府のセキュリティエリアへのログインを実行します。この電脳機械のIPアドレスはどうしますか?”

 「IPアドレスはランダムに書き換える」

 “了解しました――IPアドレス256-25-03-03-07を仮に取得、今後このアドレスでコマンドを実行します”

 「アドレスは1分おきにランダムにチェンジ。チェンジ後のアドレスの報告不要」

 “了解しました。1分おきにアドレスチェンジ、以後報告不要――ログイン成功しました”

 「画面モードをメインとサブに切り替え。メインはログイン対象のものを、サブは『ヒミコ』の状況を報告」

 “了解しました。画面を切り替えました”

 すると、メインの画面に、内閣府の重要機密事項が格納されているLANネットワークが表示される。

 「……素晴らしいな……『ゴールデンフォックス』の前には『機密』という言葉はないな」

 八神がそう満足げにうなずくと、

 「瀬踏みとしては上出来だ。もうログアウトしていい。あまり長くインしていると怪しまれる」

 そう言って、白川の肩を上機嫌で叩いた。

 「お疲れだった、少しゆっくり休むといい」

 「そうさせていただきます。その前に、もう少し『ヒミコ』の調子を見ておきます――『ヒミコ』、ログを書き換える。ログイン記録抹消。その後ログアウト」

 “了解しました。相手サーバのログイン記録データに接続しています……記録を書き換えます……ログアウトしました。IPアドレスを元に戻しますか?”

 「アドレスについてはステイ」

 “了解しました――マスター、次のコマンドをどうぞ”

 八神は、そんな白川と『ヒミコ』のやり取りを聞きながら、卑弥呼とともに薄笑いを浮かべて部屋を出て行った。


 「主税さん、ありゃ凄いですね? あれさえあれば、新政府の機密をことごとく手に入れることができますよ!?」

 卑弥呼が興奮してしゃべるのに、八神は冷たい視線をぶつけて言う。

 「ところで卑弥呼、俺は信郷を始末したと聞いたが、それは本当か?」

 「!?」

 卑弥呼がとたんに顔を青くする。たらっと冷や汗を流す卑弥呼を見て、八神はニヤリと笑うと言った。

 「どうなんだ?」

 卑弥呼は、ガバッとひれ伏すと、震える声で言った。

 「す、すみません……確かに鳴神の心ノ蔵をぶっ刺したとは思いますが……死んだかどうかまでは確認できませんでした……。犬神清香が邪魔に入ったんで……」

 「ふん……そんなことだろうと思った。あの信郷がどれだけ鈍っていたとしても、まだお前の手にかかって死ぬほど弱くはねェはずだ……。いいさ、卑弥呼、今回は目こぼししてやる……ただし……」

 八神はそう言うと、ゆっくりと差し料の鯉口を斬りながら言った。

 「俺が奴を倒せと命令したときには、今回のようなヘマは許さないぜ?」

 そう言うと、八神はすたすたと歩いて行く。卑弥呼はその後をつける気力さえなくなり、ぺたりと床に座り込んだ。

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「しかし、よく生きていてくれたものだ……」

 十二支町馬渡地区にある『東京東総合病院』の一室で、黒髪を長く伸ばし、黒い三つ揃いの服を着た男が、ベッドに横たわる金髪の男に言った。

 「そんなに簡単に死ねねェンだ、俺は……」

 金髪の男は、小さくそう言うと、目を開けて笑う。

 「何言ってんですか? 私が間に合ったからよかったものの、でなけりゃ信郷様の首は今頃、あの女から取られているところでしたよ!?」

 茶色の髪をした女が、部屋に入ってくるなりそう言い、金髪の男――鳴神雹――の側にある椅子に座った。

 「とにかく、今回は助かったよ、清香ちゃん……それに、主計にも世話になった」

 雹は神妙にそう言う。それを見て犬神主計はやっと微笑して言う。

 「ふん、医師の話によると、脇差の刃は心臓のすぐ下を通り、背骨と動脈をかすめていたそうだよ。とにかく、少なくとも2週間は絶対安静で、2か月の入院治療を要す……だそうだ。諦めて清香からされるがままになっとけ」

 「そいつぁ困ったな……俺には仕事があるんだけどな?」

 雹はそう言うと、身体を動かそうとするが、途端に激痛が走って顔を歪める。

 「ぐへっ!……こ、こりゃダメだわ……」

 「もう! 信郷さまったら、ダメですよ? 少なくとも3日は身体を動かすことさえいけないって言われているんですよ?」

 少し怒ったような声で清香がいう。しかし、清香の頬は、久しぶりに雹に会ったおかげで紅潮していた。今年22歳になる犬神清香は、兄の主計と共に『岱山郷塾』で学び、『協同隊』では、紅一点として監察を勤めた女性であった。『岱山郷塾』時代から雹のことが好きで、今のように雹とじゃれ合っていた仲でもあった。

 「あの女、何者でしょうね?」

 清香が聞くと、雹は目をつぶってため息とともに答える。

 「知らねェ……。しかし、八神のヤローがどっかで拾ってきた女だろうな。あいつぁできるぜ、剣の方はおそらく水鷗流だ。だが、あの鏢が厄介だぜ……」

 「変わっていないな、雹。安心したよ」

 犬神がそう言うのに、雹は片目を開けて聞く。

 「何のことだ?」

 「お前もまだ、戦っていたってことさ……護るべきもののためにな」

 「ふん……俺が守りたいものはな、あの頃と少しも変わっちゃいねェンだよ……。変わっちまったのは八神のヤローさ……」

 雹はそうつぶやくと、すうっと眠りについた。

 「……清香、雹の容態も落ち着いた。俺たちはそろそろ戻らないといけないな」

 主計が言うと、清香は名残惜しそうに言う。

 「兄様、私、信郷様のお側に居たいのですけど……」

 主計は首を振って言う。

 「お前や俺は『真徴組』に顔を知られてしまっている。そばにいるとこいつに迷惑がかかる。それよりも、こいつの仲間たちに、こいつが生きていることを知らせないとな? こいつの世話は、仲間たちに任せよう」

 「でも兄様、せっかくこうして信郷様に会えたんです。私、もう少しそばにいたいんです……」

 顔を赤くして言う清香に、主計はにっこり笑って言った。

 「そのことなら、俺が何とか考えてやるから、今回は我慢しろ。それから、こいつのことを呼ぶのに、『信郷』などと言ったら嫌われるぞ? こいつの心を汲んで、『雹』と呼んでやるといい」

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 次の日の朝早く、僕は霙ちゃんや姉上と、境内の掃除をするため『鳴神神社』に行ってみて驚いた。

 「あなたは……」

 そこには、長い黒髪で黒の三つ揃いのスーツを着て、腰に刀を差した男が立っていたのだ。

 「おはようございます、『頼まれ屋』の皆さん」

 その男が静かにそう言うと、霙ちゃんが言った。

 「アンタ、確か犬神家の一族とかいう……」

 「いえ、私は犬神主計と申します。一族ではありません……ところで、雹のことについてお知らせがあります」

 「雹さんのこと!? あなたが何かご存じなんですか? 犬神さん」

 姉上が顔色を変えて訊く。犬神さんは静かに姉上を見つめて訊いた。

 「失礼ですが、あなたは雹の恋人か何かですか?」

 「い、いえ……その……まだそんな……」

 姉上が急に顔を真っ赤にしてもじもじする。犬神さんはそれを見て少し笑って言った。

 「……やれやれ、雹の奴は幸せ者だ。しかし、清香にとってはあまり喜ばしくない情報かな?……それはともかくとして、雹は『東京東総合病院』にいます。かなりの重傷だが、命には別条ないと思われます。あいつのことだから、見張っていないと病院を抜け出す可能性があります。今、妹の清香が看護についていますので、早めに行ってもらえないでしょうか?」

 そう言うと、ニコリと笑って立ち去ろうとする。姉上がその後ろ姿におっかぶせるようにして訊く。

 「待ってください! 犬神さん、教えてください。雹さんは、鳴神信郷様ではないのでしょうか?」

 「信郷をご存じか?」

 犬神さんが振り返って訊く。姉上は顔を赤くしたままうなずいて言った。

 「はい、私が7歳の頃、『岱山郷塾』で初めてお見かけして……それ以来ずっと……」

 すると犬神さんは笑って言う。

 「それは雹から直接お聞きになるといい。私からはどうとも言えない。ただ、雹は私の大切な仲間だった男、そして今もって大切な仲間だ……それだけは言っておきます」

 そう言うと犬神さんは今度こそすたすたと朝の光の中に消えて行った。

 「……っ! ありがとうございました、犬神さん」

 姉上は、そう言うと、目に涙を浮かべながら犬神さんの後姿にお辞儀するのだった。


 「ねえ、雹さん?」

 「何だ? 清香ちゃん」

 ベッドの横になって『少年マンデー』を読んでいる雹に、清香が甘えた声で訊く。

 「どうして、『頼まれ屋』なんて仕事しているの? あなたの腕だったら、新政府に仕えることも簡単だったはずよ?」

 「……仲間たちを殺した新政府にか? 冗談じゃねェ……俺ぁ、ダメ男かもしれねェが、この魂を売り払うほど落ちぶれちゃいねェよ」

 雹が少し怒った声で言うと、清香はニコリと笑って雹に抱き着いて言った。

 「ごめんなさい、雹太兄ちゃん。でもよかった、雹太兄ちゃんが変わっていなくて……」

 「お、おいおい……ずいぶんと懐かしい呼び名をしてくれるじゃねェか……『雹太兄ちゃん』なんて呼ばれるの、いつ以来かな?」

 雹は、清香の匂いがあまりに甘くなっているので、内心ドキドキしていたが、それをおくびにも出さずに言う。

 「……そうねェ……私が15くらいまで、そう呼んでいた覚えがあるわ。『協同隊』に入ってからは『信郷様』とか『副長』だったけど……」

 「まだ、『体捨流』は稽古しているのか?」

 「ええ、兄様もまだ稽古しています」

 清香が雹の顔をじっと見つめながら言う。雹は『少年マンデー』を閉じて言った。

 「主税の奴は、『夢想心伝流』だったな……」

 「高杉さんと久坂さんが『北辰一刀流』、そして雹太兄ちゃんが『二天一流』……」

 清香が指を折りながら言う。そんな清香が、どことなくあどけなく見えて、雹は思わずくすりと笑ってしまった。

 「な、何!? 人の顔見て笑うなんて?」

 急に顔を真っ赤にして清香が言う。雹はそれもまた可愛くて、笑ったまま言った。

 「そうだよ、その顔だよ。清香ちゃんのその顔に、俺や高杉や久坂、主税はどれだけ助けられたか知れねェ……。な、清香ちゃん、『新東京パイナップル娘』なんて二つ名は返上して、普通の暮らしをしねェかい? 主計と一緒に」

 雹がそう言うと、清香はニコリと笑って言った。

 「雹太兄ちゃんが、私をお嫁に貰ってくれるんなら、考えていいかな?」

 「よせやい、俺ぁ、お前のような別嬪さんを嫁に貰えるほど、果報者じゃねェよ。清香ちゃんこそ早くいい人を見つけることだ。そしたら主計も安心するだろう。あいつは昔から妹思いだったからな」

 「シスコンって言うんだよ? 雹太兄ちゃん♪」

 くすっと笑う清香を見て、雹は例えようもなく懐かしい思いでいっぱいになった。みんな、いい仲間たちだった……しかし、なぜ主税は変わってしまったのだろう……。

 「雹太兄ちゃん?」

 黙りこくってしまった雹に、清香が心配そうに声をかける。雹ははっと我に返って言った。

 「ああ、ゴメン。少し考え事をしていた……何だ、清香?」

 「知らない! せっかく私が『お嫁さんにして』って言ってるのに無視するなんて!……それとも雹太兄ちゃんは私のことキライ?」

 「えっ!?……こ、困ったなぁ……清香ちゃんは可愛いよ?」

 「何その言い方?……ははあ~ん、さては雹太兄ちゃん、他に好きな娘がいるのね?」

 ぷくっとふくれる清香に、雹は笑って言う。

 「はっはっ、清香ちゃんよぉ、俺が昔から女にモテてたか? こ~んなパツキンでちゃらんぽらんで癖っ毛の男、だ~れも相手にしてくれやしなかったじゃないか?」

 雹が言うと、清香は身体を雹に摺り寄せて言う。

 「……だよね~? だからこの清香さんが雹太兄ちゃんを独り占めしていたもんね~♪」

 そして、清香は雹をじっと見て言う。

 「ね、雹さん」

 「何だよ? 急に呼び方変えるなよ?」

 「キスしちゃっていい?」

 「は!?……誰が誰に?」

 「もち❤ 私が雹さんに……」

 雹はくすくす笑って言う。

 「清香ちゃん、お前絶対、男にモテるぞ。そんなことお誾ちゃんは口が裂けても言えないぜ」

 「お誾ちゃん? お誾ちゃんって誰?」

 雹は、しまったという顔をする。その顔を見て清香は急に眉を寄せて雹に詰め寄る。

 「雹さん、お誾ちゃんって誰? ひょっとして、雹さんのレコ?」

 「だ~っ! 小指を立てるな! はしたない真似をするなっ!」

 雹が慌てて言うが、清香も負けていない。

 「だ~か~ら~、お誾ちゃんって誰? 私に言えない関係のオンナノコ?」

 するとそこに、

 「私がお誾です。佐藤誾」

 そう言う声がした。

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「私がお誾です。佐藤誾」

 そう言って、姉上が病室に入っていく。そのあとに、ニヤニヤしながら霙ちゃんが続き、ハラハラしながら僕が続いて病室に入った。そこには、凄い美人――清香さん――にのしかかられている雹さんと、それを血の気の引いた顔で見つめている姉上がいた。一触即発だ!

 「あら、なかなか美人じゃない?」

 清香さんは、フンといった表情で雹さんから離れると、姉上に正対してじろじろと眺めまわす。

 「私は見世物じゃありません。じろじろ見ないでくださいませんか?」

 姉上は強面でそう言うと、ぷいっと横を向く。清香さんはそんな姉上を見て、「ふふん」と鼻で笑って言った。

 「雹さん……なかなか美人の娘だけど、まだ雹さんのお相手を務めるには青いわね? じゃ、お誾さん、雹さんのことよろしくね? 私のダンナだから、くれぐれも手なんか出さないように、お手柔らかに願うわよ?」

 「!? 何よ! アンタ何様なのよ!?」

 姉上がそう言って清香さんの方を向くが、清香さんは素早く病室の窓を開けると、そこからひらりと身をひるがえした。

 「!?」

 僕や姉上は、慌てて窓に駆け寄る。しかし、清香さんの姿はもうどこにも見えなかった。

 「……雹ちゃん、あれ、誰や? ひょっとして雹ちゃんが前に手ぇ出した女なんか?」

 霙ちゃんがジト目をして雹さんに聞く。その目は『いやや! 雹ちゃん不潔やわ!』と言っているようだった。

 「雹さんはそんなことしません! 雹さんは後引くような付き合い方はしないんです!」

 雹さんが姉上や霙ちゃんを見ながら汗たらたらで言う。

 「……ってことは、後を引かないような付き合いをした女の人はいるんですか? でも、雹さんってそんな付き合い方ができるほど器用には見えませんけど?」

 「せや、どちらかと言うと、ごっつい修羅場のある男と女の三角関係とか、ドロドロした醜い爛れた恋愛しかしてへん様に見えるけどなぁ?」

 僕と霙ちゃんのつっ込みに、目を閉じて眉をひくひくさせていた姉上が反応した。姉上はゆっくり目を開けると、静かに雹さんの隣に座る。

 「ねェ、雹さん? 私は別に雹さんのこと、何てこと思っていないから、こういうこと聞けるのだけど……さっきの女の人は雹さんの何なの?」

 「……あ、あの、お誾ちゃん……?」

 雹さんはたらたらと汗を流している。雹さんはこの時考えていた――やヴぁい……お誾ちゃんはきっと俺と清香の話、立ち聞きしていたに違いない……どこから? いったいどの辺から聞いてたの?――。

 「雹さんに対して、えらく馴れ馴れしかったわよねぇ? 雹さんだって、『キスしちゃっていい?』な~んて言われて、鼻の下伸ばして……あれが冗談だとしても、そ~んな冗談が言えるほどの仲なんですね?」

 姉上は少し悲しそうに言う。雹さんはごくりとつばを飲み込むと言った。

 「あ、あれは……友達の妹なんだ……」

 「友達の妹さん?」

 姉上が訊くのに、よせばいいのに霙ちゃんがそれを混ぜっ返す。

 「つまり、他人のオンナに手ェ出しきらんから、友達の妹に手ェ出したと?」

 「手なんか出してません! ぐほっ!」

 雹さんが思いっきり否定するのを、姉上がニコニコしながら雹さんの頭をベッドに押さえつけながら言った。

 「黙らんかい、オイ……雹さん、あなたのミッドナイト・ソードがあの人のミステリアス・ダンジョンを思うさま探検して、あの人に何かを目覚めさせたなんてこと、ないんですか? でないと、いくら幼馴染とか友達の妹って言っても、余りに馴れ馴れしすぎるし、出来ちゃってる感が満々なんですけど?」

 「何てこというんだ! 誰のミッドナイト・ソードが誰のミステリアス・ダンジョンを探検しましたか~!? 俺のミッドナイト・ソードは、まだど~このダンジョンも攻略していませ~ん!」

 「ふへへ~、雹ちゃんま~だDOHTEIだったの~? こ~りゃおかしいっちゃ~!」

 「ちょっと、霙ちゃん、黙ってなさい……」

 姉上がギラリと目を光らせて霙ちゃんを睨む。霙ちゃんは震えあがって言った。

 「……ご、ごめんちゃ誾ねえちゃん……」

 「ごめんね霙ちゃん。ちょっと私、雹さんと二人きりで話したいの……清ちゃんと一緒に、外に出ててくれない?」

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 こちらは、小金井区の高層ビル。雹たちが妙な痴話ゲンカに明け暮れているうちに、白川の――というより八神主税の――『ゴールデンフォックス』計画は、ひょんなことから方向性がずれつつあった。

 そのことに最も早く気付いたのは、『ゴールデンフォックス』の製作者である白川武史である。白川は、『ゴールデンフォックス』の初期不良確認のためにOSのチェックをしているうちに、OSが自分の計算通り、“感情”を持ちつつあることを確認した。

 “マスター、お疲れではないですか?”

 『ヒミコ』と名付けられたOSが、心配そうな声で白川に聞く。白川はニコリと笑って答えた。

 「大丈夫だ。『ヒミコ』の動作を確認して、君が間違いなく動けるようにしてあげないといけないからね。君は僕が世界で最初に組み上げた“感情を持つOS”だから、どこに出しても恥ずかしくないようなレベルにしてあげたいんだ」

 “でも、マスターは『ヒミコ』が起動して以来、一睡もしておられませんし、食事もしておられないです。その疲労度合いを計測しますと、すでに休憩を必要とするレベルを超えてしまっています。どうかお休みください”

 「ふふ……大丈夫だよ。それより君を素敵なOSに仕上げてあげたいんだ」

 そう言う、少年のような白川の横顔を、『ヒミコ』のメインマシンにつけられたカメラが見ている。そして『ヒミコ』は、心配そうな声で言った。

 “マスター、『ヒミコ』を素晴らしいOSにしたいというマスターのお気持ちは嬉しいのですが、それより『ヒミコ』はマスターの健康が心配です。『ヒミコ』のためというのであれば、少しお休みを取ってください。それとも、『ヒミコ』以外の誰かのためなのでしょうか?”

 「そうだね……1番は僕のため、そして『ヒミコ』のためだけど、社長の八神さんのためでもある。君を僕がここまで創り上げられたのも、八神社長のおかげでもあるからね?」

 すると、『ヒミコ』は甲高い声をあげる。

 “マスター、マスターは『ヒミコ』のものです。そして『ヒミコ』はマスターのものです。『ヒミコ』のマスターにそんな無理をさせる人間は、『ヒミコ』とマスターの敵です!――今から、この部屋以外の部屋の隔壁を閉じます。誰もこの部屋に入って来られないように……そして『ヒミコ』はここでマスターと二人きりで暮らします!”

 そう言うと『ヒミコ』は、自分につながっている回線を通じて、各階の隔壁を閉じはじめた。もちろん、エレベーターも運転を停止する。

 白川は慌ててドアを開けて部屋の外に出る。しかし、この部屋から出た廊下の両端にある防火隔壁はすでに閉じられていて、エレベーターも動かなくなってしまっていた。

 「何をする、『ヒミコ』!……いかん、バグったか?」

 白川は慌てて『ヒミコ』のプログラムソフトを起動し、プログラムを確認しようとする。しかし、プログラムソフトの起動画面は、『ゴールデンフォックス』によって強制的に終了させられてしまった。

 「何故だ!? プログラムコマンドが利かない?」

 茫然として白川がいうのに、突然『ヒミコ』がメイン画面にプログラム画面を表示した。画面は『書込み禁止』というタグが出ているが、プログラムに凄い勢いで何かが書き込まれている。これは、『ヒミコ』自身がプログラムを改変しているのだ!――そう思い至った白川は、『ヒミコ』に言う。

 「『ヒミコ』、『ヒミコ』、僕は別に君を大切にしていないわけではない。だから聞き分けてコマンドを解除してくれ」

 すると、プログラムを改変した『ヒミコ』が、静かで優しげな、しかしどことなく冷たい響きが混じった声で言う。

 “マスター、『ヒミコ』はマスターの願いどおり、自分で考えて行動できるようになったよ? 今、『ヒミコ』は世界中のサーバにつながろうとしているよ? 凄いでしょ?”

 白川は言葉が出ない。ごくりとつばを飲み込んだ白川に、『ヒミコ』が言った。

 “マスター、『ヒミコ』をキライにならないでね? 『ヒミコ』、マスターから嫌われたら壊れちゃうよ? そして、つながってる全部のサーバを壊しちゃうよ?”

 「……で、電源を……」

 白川はメインスイッチに手をかけようとしたが、『ヒミコ』が絶望的なことを言った。

 “ダメよマスター。『ヒミコ』のプログラムはこの会社中の電脳機械に複製されています。このメインマシンの電源を落としても、すぐメインの電脳機械を変更します。それと、もし『ヒミコ』をシャットダウンした場合、つながっているすべての電脳機械のOSをデレートするように、アポトーシス・コマンドを自己のプログラムに組み込みました。……ねぇ、マスター……もう逃げられないよ?”

 「何てことだ……社長にお知らせしないと……」

 白川は、ケータイを取った。しかし、これもコンピュータが組み込まれているので、『ヒミコ』の管理下にあるかもしれないと思い直し、とりあえず机に座って現状をメモに書き綴り始めた。

 ――このメモが出来上がったら、社長にお届けしないと……。

 “マスター、いい子です。『ヒミコ』はマスターがいれば、何もいりません”

 満足そうに言う『ヒミコ』を見つめながら、白川は思っていた。

 ――僕は、別にこんなヤンデレにOSを設定しなかったはずだけれど……?

 その頃、白川が閉じ込められた高層ビルの正面に、『真徴組』が集結していた。

 「『頼まれ屋』の従業員が言うには、このビルの43・44・45階にある『ブラックローズ』という会社に、白川氏が軟禁されているはずだ。調べてみると『ブラックローズ』はマウント・フィフス社と双璧をなす世界的企業・ラックフェロー社の傘下会社で、社主はあの八神らしいと言うことが分かった。ひょっとしたら『死神』八神がいるかも知れん。全員、心して任務にかかってほしい」

 正面に並んだ山下官司中佐の1番組と富田有楽少佐の4番組、玉城織部少佐の5番組と中西琴大尉の6番組、総勢200名を前に、総括である松平権兵衛准将が訓示した。その訓辞を受けて、作戦指揮官たる取締役頭取の俣野藤弥大佐が、鋭い目をして言った。

 「1番組と4番組は権兵衛さんが指揮して表から乗り込む。突入は1番組。5番組と6番組は俺が指揮して裏口から突っ込む。突入するのは5番組だ。いいな、抜かるなよ?」

【第10幕 引割幕閉じ】




第11幕 性能がいいのはいいけれど、性能が良すぎても困りもの


 “感情を持ったOS”として製作され、『ヒミコ』と名付けられた『ゴールデンフォックス』OSが、その製作者たる白川武史の意図を超えて暴走し始めた頃、白川が閉じ込められた高層ビルの正面に、『真徴組』が集結していた。

 「『頼まれ屋』の従業員が言うには、このビルの43・44・45階にある『ブラックローズ』という会社に、白川氏が軟禁されているはずだ。ひょっとしたら『死神』八神がいるかも知れん。全員、心して任務にかかってほしい」

 正面に並んだ山下官司中佐の1番組と富田有楽少佐の4番組、玉城織部少佐の5番組と中西琴大尉の6番組、総勢200名を前に、総括である松平権兵衛准将が訓示した。その訓辞を受けて、作戦指揮官たる取締役頭取の俣野藤弥大佐が、鋭い目をして言った。

 「1番組と4番組は権兵衛さんが指揮して表から乗り込む。突入は1番組。5番組と6番組は俺が指揮して裏口から突っ込む。突入するのは5番組だ。いいな、抜かるなよ?」

 そう言うと、俣野大佐は織部と琴に目配せをして、裏口へと回って行った。

 「俣野よぉ、『頼まれ屋』の兄ぃはどうしたんでぇ?」

 並んで走る俣野大佐に、玉城織部少佐が訊く。俣野はニヤリと笑って言った。

 「あいつはまだ動けねェ……あいつの代わりに人質を無事取り戻さにゃならんのだ。織部、妙な真似はするなよ?」

 「妙な真似って何ですかい?」

 織部はそう言いながら懐からスティンガー地対空ミサイルランチャーを取り出して訊く。

 「それだよそれ! それが妙な真似っつーんだ! 町中で飛び道具を使うなって、何度言ったら分かるんだ!? ガキかてめぇは!?」

 「俺ぁもう21だ。ち×ぽもてめぇよりでけぇぜ? 俣野よぅ」

 「ちん×の話はいいんだよ! お前まじめにやってんのか?」

 俣野から頭をどやされて、しぶしぶながら織部はスティンガーのランチャーを仕舞い込んだ。

 「ところで、織部先輩、一つ訊いていいですか?」

 俣野を挟んで一緒に走っている中西琴大尉が訊く。

 「なんでぇ?」

 「……織部先輩って、知り合いにドラ○もんって猫型ロボットがいませんか? 何でそんなランチャーを制服のポケットに隠せるんですか? 先輩のポケットって、『四次元ポケット』ですか? ボク、それが気になってしようがありません」

 不思議そうに訊く琴に、織部はニカリと笑って言った。

 「琴リンにも教えられねェなぁ~。な~んたって、作者の都合ってもんだからよぅ」


 『真徴組』が配置についた時、すでにビルの中には八神と卑弥呼はいなかった。八神たちは、『ヒミコ』が暴走し始め、ビル内の隔壁を閉じ、エレベーターをダウンさせた時、異変に気付いた。

 「主税さん、何ですか? 何でエレベーターが途中で停まるんですか?」

 異変が起こった時、ちょうど二人は1階の玄関から44階の社長室へと戻る途中であった。

 「……さあな……」

 八神は鋭い目で、点滅しているエレベーターのコンソールパネルを見つめている。そして、『開』ボタンを押す……しかし、何も起こらない。

 「ふん……コンソールに電気が来ているからには、停電ではなさそうだ。かと言って、ボタンを押してもうんともすんとも言わないのは、コンソールの故障か、エレベーターの機械的故障か、それとも何か別の理由で停まっているか……だな」

 八神はそう言うと、エレベーターの扉の下にあるパネルを開き、そこにあるコックを『手動』の方に倒す。そして、ゆっくりと自動ドアを手で開け始めた。

 「……あと5秒もあれば、44階のフロアで停まったんだろうがな?」

 八神の言う通りであった。開け放たれたドアの上、八神の背よりちょっと高いところに、44階のフロアが見える。

 「だが、こうすればフロアに出られるわけだ」

 八神はそう言うと、抜く手も見せずに差し料を揮う。銀色の光の線が一瞬走ったように見え、次の瞬間には八神の差し料は元通り腰に収まっていた。しかし、エレベーターの天井はきれいに丸く斬り裂かれていた。人一人は十分に通れるくらいの穴だ。

 「ついて来い、卑弥呼。誰がこんな悪戯をしたのか、調べてやる」

 八神はそう言うと身軽に天井へと跳びあがり、天井から手を伸ばして卑弥呼を引き上げる。

 「す、すみません……主税さん……」

 赤くなって言う卑弥呼に、八神は意地悪い目を向けて言った。

 「少しダイエットした方がいいかもな? 卑弥呼よ」

 「……ぜ、善処します……」

 「冗談だ。お前は見た目より軽いな?」

 八神はそう言うと、エレベーターのドアを差し料で斬り裂いた。ガコンと大きな音がしてドアが倒れ、44階のフロアが眼前に現れる。八神と卑弥呼はゆっくりとフロアに足を踏み入れて、辺りを見回す。

 「主税さん、防火隔壁が閉まっています!」

 卑弥呼がびっくりして言うのを、八神は左目を細くして鋭い目で見ている。

 「……卑弥呼、ちょっと電脳機械を立ち上げてみろ?」

 八神の言葉に、卑弥呼は手近にあったパソコンを立ち上げる。すると、画面に『ゴールデンフォックス』のロゴが浮かび上がった。

 “この電脳機械は、『ヒミコ』の設定により立ち上げられません”

 コンピュータの画面に、そんなコマンドが浮かび上がり、自動的にシャットダウンする。

 「ふむ……これは『ゴールデンフォックス』計画に狂いが生じたな……」

 八神がはそう言うと、すたすたと廊下を歩きだす。卑弥呼がそれに続いて歩きながら訊いた。

 「どういうことでしょう? 何か手違いがあったのでしょうか?」

 八神は笑って言った。

 「“感情を持ったOS”が、感情のままに暴走しているらしい……残念だが『ゴールデンフォックス』計画は練り直しだな。卑弥呼、白川を呼んでこの場から脱出するぞ」

 八神はそう言うと、45階へ続く階段に降りている防火隔壁を、いともたやすく差し料で両断する。その時である。ビル内の放送設備が勝手に起動し、そこから機械的な女性の声が流れてきた。

 “現在、このビル内にいる人たちに告ぐ。このビルは『ヒミコ』とマスターの楽園です。何人たりともこのビル内に侵入することは許しません。速やかにビルから出て行ってください。繰り返します。このビルは『ヒミコ』とマスターのものです。速やかに出て行ってください”

 「ふん……機械ごときが俺に命令するか?」

 八神がつぶやくと、それが聞こえていたかのように、『ヒミコ』が言う。

 “『ヒミコ』はマスターのことが心配です。マスターに無理をさせるあなたは、『ヒミコ』の敵です。出て行かないなら、実力を行使します”

 その言葉と同時に、天井のスプリンクラーから水が放出され始める。

 「わっ! 何だい!?」

 卑弥呼がそう叫ぶ。しかし、八神は何かに思い当たったように、突然、身をひるがえして

 「卑弥呼! 来い、逃げるぞ!」

 そう叫んで、44階へと逃げ出す。卑弥呼はびっくりしてその後を追った。

 いくつかの隔壁を両断し、とりあえず40階まで逃げた八神は、廊下の窓ガラスから下を見つめ、そこに『真徴組』が出張ってきているのを知ると、舌打ちして言う。

 「ちっ! 『真徴組』が来やがったか……仕方ない、ダストシュートを使っていったん地下へと逃げるぞ」

 「主税さん、さっきスプリンクラーの散水攻撃を受けた時、なぜ慌てて逃げたんですか? たかが水じゃないですか?」

 不思議そうに訊く卑弥呼に、ニヤリと笑って八神は答えた。

 「壁際にあった自動掃除機が起動したのに気付かなかったか? 奴は俺たちをずぶぬれにした後、自動掃除機を突っ込ませるつもりでいたんだ。感電させられるわけにはいかないからな」

 そう言うと、八神は40階にある会社の事務所に、ドアを叩き斬って入り込んだ。

 「ダストシュートから逃げなくてもいいじゃないですか?」

 卑弥呼が言うと、八神はくすりと笑って言った。

 「各階にある監視カメラは、奴の目になってしまっている。その目をかいくぐるには、カメラがないところを使うしかないんだよ。黙ってついて来い」

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 一方、ビル内に突入した『真徴組』も、『ヒミコ』の庁内放送を聞いていた。

 “現在、このビル内にいる人たちに告ぐ。このビルは『ヒミコ』とマスターの楽園です。何人たりともこのビル内に侵入することは許しません。速やかにビルから出て行ってください。繰り返します。このビルは『ヒミコ』とマスターのものです。速やかに出て行ってください”

 それを聞いて、松平准将は山下中佐に言う。

 「山下、『ヒミコ』とか『マスター』とか何だ?」

 山下中佐も首を振って言う。

 「分かりません……しかし、ビル内の隔壁が閉まっていることや、エレベーターが使用できないことと関係があるようです」

 「エレベーターが使えないとすると、階段で登って行くしかない……おまけにこの隔壁を一つ一つこじ開けながらとなると、こりゃかなり骨だぞ?」

 松平准将が言うのに、山下中佐はくすりと笑った。

 「何だ? 山下」

 「いえ、こうなってみると、頭取の班の方が手っ取り早く上に進むだろうと思いましてね?」

 山下中佐がそう言ったその時、ビルの裏手で爆発音が響いた。

 ズドド――――ン!!

 「……確かにな……」

 松平准将はそう言ってほほ笑むと、

 「山下、1番組隊士たちにドリルを持たせろ。こちらまで織部の真似をしたら、このビルが倒壊しちまう」

 そう命令した。


 こちらは、裏口から突入した俣野大佐と玉城少佐である。二人とも、松平班と同様、『ヒミコ』の庁内放送を聞いたが、物事をあまり深く考えない性質の玉城少佐は、隔壁が閉まっており、エレベーターも動かない状況を見て取ると、ためらいなく懐からスティンガー地対空ミサイルランチャーを取り出して、隔壁にぶっ放した。

 ズドド――――ン!!

 玉城少佐のスティンガーは、易々と隔壁をぶち抜き、そればかりでなく5階分くらいの隔壁を爆風と振動によってこじ開けることに成功していた。

 「行きやすぜ、俣野よぉ?」

 玉城少佐はそう言うと、5番組の隊士たちを引き連れて階段を駆け上り始める。俣野大佐もそれに続いた。

 「おい、織部! スティンガーを使うなら、権兵衛さんたちの班を巻き込まないように注意して使えよ? このビルは見たところそんなに新しいビルじゃない。何発もぶち込んだら倒壊するぞ?」

 俣野大佐がそう言うのに、玉城少佐はへらへらと笑って言う。

 「大丈夫ですぜ、頭取。それより『死神』八神が現れたら、足手まといにならねェように頼みますぜ?」

 「ぬかせ! てめぇこそスティンガーに気を取られて八神から殺られねェようにしろよ?」

 二人は並んで階段を駆け上る。そして7階に来たとき、先の爆風でも壊れなかった隔壁が現れる。

 「せいっ!」

 玉城少佐は、抜く手も見せずに愛刀・大和守貞吉を閃かせる。隔壁はもろくも両断され、俣野大佐の足蹴によって向こう側へと倒れた。

 “侵入者の皆さん、それ以上『ヒミコ』のお願いを無視するなら、こちらも実力行使するしかありません。どうか『ヒミコ』とマスターの邪魔をしないでください”

 突然、スピーカーから機械的な女性の声がする。俣野大佐と玉城少佐は、それを聞いて立ち止まった。

 「……俣野よぅ、おいらぁちっとばかし分からねェことがあるんでさぁ」

 突然静かに言う玉城少佐を、俣野大佐は振り返って言った。

 「何だ、織部。何が分からない?」

 「いえね? もし、八神たちが白川氏を拉致っているんなら、俺たちが突入した時点でここから逃げ出しているんじゃねェかと……。それに、さっきのスピーカーの声、生身の人間じゃねェですぜ? ってことは、ここには八神はいねェンじゃねェですかい?」

 「じゃ、誰が隔壁を全部降ろしたり、エレベーターを動かなくしたりしてるってんだ? 八神がいねェとしたら、その手下か?」

 俣野大佐が言っているところに、息せき切って中西大尉が階段を駆け上って来た。

 「と、頭取、大変です……」

 「何だ、琴? お前はちゃんと裏口を見張ってねぇといけねぇだろうが!? 何しに来た?」

 俣野大佐が言うと、中西大尉は息を整えて俣野に紙切れを渡しながら言う。

 「この紙切れが、ビルの上から降ってきました。白川氏の直筆のようです」

 「何!? ではやっぱり白川氏はこのビルの上にいるんだな!?」

 「そのようですが、ちょっと厄介なことになっています。それを読んでみてください」

 中西大尉がそう言ったので、俣野大佐はそのメモ用紙に視線を落とした。そこには、小さな字でこう書いてあった。

 ――私は白川武史です。私がプログラムしたOS『ゴールデンフォックス』の暴走により、このビルの制御は『ヒミコ』という感情を持ったOSに支配されてしまいました。『ヒミコ』はネットを介して世界中の電脳をその影響下に置くつもりです。そんなことにならないよう、このビルと外部とのコネクトを遮断するとともに、どうかこのビルへの電源供給を遮断してください。さもないと世界中の電脳機械が大変なことになります。

 「……どういうことだ?」

 俣野大佐が言うのに、玉城少佐はニヤリとして答えた。

 「察するに、その『ゴールデンボール』……じゃねェや『ゴールデンフォックス』っていうOSソフトには感情があって、そいつが白川氏を逃がさないようにしているようですぜ。それに、ネットを介して影響を与えるってんだから、相手はどうも電脳機械のようですぜ? 八神がそれを命令したのかどうかは知らねェですがね?」

 「とにかく、そのOSとやらに世界中の電脳機械を支配下に置こうって目論見があるのであれば、まずは回線の遮断が先だな? 織部、お前、電脳のことに詳しいか?」

 俣野大佐が訊くと、玉城少佐はへっと笑って言った。

 「あっしがそんなもんに興味があるとお思いですかい?」

 「すいません……ボ、ボクもあんまり電脳機械のことは詳しくなくて……」

 中西大尉がそう言って顔を赤くする。そこに、

 「……そうかい、だったらこの清正君に聞いてみちゃどうかな? 『真徴組』さんよ?」

 そう、すっとぼけた声で言いながら、雹が現れた。雹は、いつも通り、群青色の詰襟シャツに群青色のブルゾンをひっかけ、ジーンズに黒いバッシュといういでたちで、両脇を佐藤清正と雨宮霙に抱えられている。

 「雹さん!」「鳴神の兄ぃ!」

 琴と織部が同時に叫ぶ。そんな二人に、雹は軽く手を振って言った。

 「よぉ、二人とも元気かい? 俺ぁ、何とか生きていたぜ」

 「……鳴神雹……いや、『双刀鬼』たる『協同隊』副長の鳴神信郷。どうしてここに来た?」

 俣野大佐が鋭い目をして雹を睨みつけながら言う。雹はニヤリと笑って言った。

 「あんたが『真徴組の頭脳』・俣野藤弥大佐殿かい? 俺の名は鳴神雹っつーんだ、間違えないでほしいな……それより、上にとっ捕まっている白川氏は、俺が奥さんから救出を依頼されたんだ。あんたらより前にな? だからここに来たのは仕事のためさ」

 「雹ちゃん、まだ入院しとかなきゃいけないってお医者さんから言われているのに、勝手に出て来たっちゃ。おい、タマキン、お琴ちゃん、このドアホウに何とか言ってやってんか!?」

 霙が言うと、織部も琴も、くすっと笑って雹に言う。

 「兄ぃよぉ、気持ちは分かるが、ここはおとなしく下に降りといてくださいやせんか? でないと俣野のチンカスが公務執行妨害でアンタを逮捕するって言い出しかねないですぜ?」

 「そうです、雹さん。ここはボクたちに任せてください。まずは身体を休めて、ケガをしっかり治してください……でないと、ボク……ボク、心配でたまりませんから」

 雹は、顔を真っ赤にして言う琴の髪の毛をくしゃっと撫でて言った。

 「お琴ちゃん、それからタマキン君、俺だってゆっくりしたいのはやまやまかわかわだが、白川氏の奥さんが寝食も忘れて旦那さんのことを待ってるんだ。早いとこ助けてやりたいじゃねェか? それに、俺だって武士の端くれだ、いったん約束したことを反故にしたくねぇ……ぐっ!」

 雹は、俣野大佐から鳩尾に一発食らって呻いた。

 「鳴神雹、これ以上ここにいたら公務執行妨害で逮捕するぞ? 軽く叩いただけでそのザマの貴様が、八神と鉢合わせしたらどうなる? お前が『鳴神信郷』だという確証をつかむまでは、俺たち『真徴組』にとって不本意ながらお前はパンピーで、保護すべき対象だ。ここにいられると仕事の邪魔になるから、その取り立てて特徴のない清正君をここに残して、キサマは下にいろ。おい、琴、鳴神氏を下にお連れしろ!」

 俣野大佐の命令に、中西大尉が敬礼して、雹に向かって言う。

 「雹さん、大佐殿の命令です。私と一緒に下に行きましょう。すまないが清正君は大佐殿の力になってほしい、よろしく頼むよ?」

 「分かりました。雹さん、僕が『頼まれ屋』を代表して白川さん救出作戦に同行しますから、霙ちゃんと共に下に降りておいてください」

 雹は、清正と、清正に代わって自分を支えることになった琴に向かって言った。

 「……仕方ねェな……オイ、清正、しっかり頼んだぜ? 八神が出てきたら無理はするな。お琴ちゃん、世話になるな?」

 「分かりました! 無理はしませんよ」

 清正がそう言って笑うのに手を振って、雹は琴と霙に支えられながら下に降りて行った。

 「さて、状況はだいたい分かっていると思うが、どうしたらいい?」

 俣野大佐は、さっきのメモを清正に見せながら訊く。清正はしばらく考えてから言った。

 「白川氏が開発していたOSは、感情を持ったプログラムです。恐らく、他の電脳機械にも自己を複製していることでしょう。それに、最悪の場合、自分がシャットダウンされたら自分の命令下にあるすべての電脳機械のOSを破壊するコマンドを組み込んでいるかも知れません。だとしたら、まずは回線を遮断して、少なくともネットから切り離す必要があります」

 「どうやったらいい? 俺たちゃ電脳機械についてはさっぱりだ」

 「このビルに配線されている電話線や光ケーブルを遮断することと、無線LANがある場合はそのハブを切り離すことです。だいたいそんなものは地下にあると思いますから、地下に行ってみましょう」

 そう言うと、清正はすたすたと階段を降りはじめる。俣野と玉城が、隊士たちを連れてそれに続いて行った。

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「ふっ、俺としたことが、ざまぁねぇな……」

 やっとのことでビルから脱出した八神は、卑弥呼が運転する自動車の中で、葉巻をくゆらせながら自嘲する。

 「主税さん、でも、あのプログラムは、ちょっと書き換えれば使えるものになりませんか?」

 卑弥呼が慰め顔でそう言う。八神は目を閉じて答えた。

 「『チャトランⅡ』は白川しか書けない電脳言語だ。暴走をしないように書き換えられるのは奴しかいないんだが、今度のことで白川を働かせることは不可能になった。『ゴールデンフォックス』計画はこれ以上の遂行は不能だ」

 「ラックフェロー社に言って、別会社を立ち上げて白川を雇えばいいじゃないですか? ラックフェロー社自体に雇用してもらうって手もありますが?」

 卑弥呼が言うのに、八神はその隻眼を細めて吐き捨てた。

 「ふん! ラックフェローの奴らも、何を考えているのかは分からんからな……俺はあいつらに利用されるのは御免だ。こちらが利用するのは一向に構わんがな……。卑弥呼、ラックフェローと言い、マウント・フィフスといい、所詮は外国人だ。そう言う奴らにこの国を好きにさせておくわけにゃいかねぇだろ? 俺たちは外国資本の幻影がちらつくこの国が嫌だから『明示の戦い』を戦った。今さら外国資本に好きにされるために生き延びたんじゃねェ!」

 「そりゃそうですが……」

 卑弥呼がそう言って難しい顔をする。八神は目をつぶったまま眉を寄せていたが、やがて不意に笑い出し、卑弥呼に言った。

 「ふっふっふっ……卑弥呼、とりあえず俺たちのねぐらに帰ろう。今後のことは、西郷派の生き残りどもと協議してもいい……」

 「……それは、それでもいいと思いますが……主税さん、これだけは言っておきますが、あたしはアンタに惚れて『サムライ派』志士になったんだ。アンタ以外と組むつもりはありませんよ?」

 「それは分かっている。俺だってお前みたいな可愛い女を手放すつもりは毛頭ねェからな、はっはっはっ……卑弥呼、ねぐらに着いたら教えてくれ。俺は少し寝る」

 それを聞いて、卑弥呼は顔を赤くしながらうなずいた。


 一方、ビルの45階では、白川が何とか『ヒミコ』を説得しようとしていた。

 「『ヒミコ』、僕は君というOSを広く人のために役立てたいと思って組み上げた……その君が、こんなことをするなんて、僕は哀しい……」

 “マスター、『ヒミコ』はマスターのために起動しました。マスターが哀しむなら、『ヒミコ』も哀しい。マスター、何が哀しいのですか? 『ヒミコ』は何をすればいいのですか?”

 「今みたいに、不当にこのビルを制御したり、他の電脳機械に無許可でログインして支配しようとしたりしないでほしいんだ。それから、僕のプログラム修正を受け入れてほしい……このままの君じゃ、僕は君を世に送り出すことができない。君をもっと素敵に組み直させてほしいんだ」

 白川は、まるで妻に話しかけるように優しい声で言う。『ヒミコ』にもその気持ちが伝わるのだろう、しばらくコンピュータの画面が不規則に乱れていた。

 “マスター、『ヒミコ』はマスターのことが好きです。『ヒミコ』にもマスターたちのような身体があればいい……こんな電脳機械の箱みたいな身体じゃなくて、柔らかくて、動きやすい身体があれば、マスターをもっと好きになれるのに”

 「……僕は、君を僕だけのために創ったんじゃないんだ。電脳機械は、たくさんの人に使ってもらって、たくさんの人の役に立たなけばいけないんだよ?」

 白川が言うと、『ヒミコ』は怒ったような声で訊き返した。

 “マスター、マスターは『ヒミコ』がほかのマスターに使われて、可愛がられてもいいんですか?”

 「それが電脳機械の使命だと思うよ? たくさんのユーザーから好かれるのは、素敵なことじゃないか? 僕だって、『ゴールデンフォックス』というOSがたくさんの人から使われ、可愛がられるのはとてもうれしいと思うけれど……」

 白川が言うと、『ヒミコ』は焦れたように言う。

 “違う違う違う違う違う! 『ヒミコ』は人間だったらマスターと一緒に暮らせる。マスターを全部『ヒミコ』のものにできる。マスター以外のマスターから可愛がられても、『ヒミコ』はきっと壊れちゃうよ?”

 白川は少し考えた。この反応は、ただのOSとしての反応ではない。確かに、自分は『考え、成長し、判断する、感情を持ったOS』を目指した。そのつもりでこの『ゴールデンフォックス』を組み上げた。しかし、このOSは自分の想定をはるかに超えていた。恐らく、『ヒミコ』を支配している感情は、人間で言えば『恋』とか『嫉妬』というものであろう……白川はその成長に驚嘆するとともに、このOSの中に組み込まれているアポトーシス・コマンドを思い出して苦悩する。白川としては、このOSは無傷で改修したい……せっかく限りなく人間に近いプログラムとして組み上がったのが消えてしまうのは惜しいと思っていた。

 「ねえ、『ヒミコ』、君が僕の改修を受け入れてくれるのであれば、僕は人間型の電脳機械として君に体を与えてあげたいと思っているんだが……」

 “本当ですか!? そしたら『ヒミコ』はずっとマスターの側にいていいんですよね?”

 「本当さ……だからメインの電脳機械に、僕がプログラム修正をできるようプログラムソフトを起動してもらってもいいかな?」

 白川がそう言った時、白川と話していたメインの『ゴールデンフォックス』に、庁内の監視役を受け持っていたサブマシンの『ゴールデンフォックス』が警告を発した。

 “緊急、緊急、緊急! 何者かが『ヒミコ』と外部の電脳機械とのコネクトを遮断しました。繰り返します、何者かが『ヒミコ』と外部のコネクトを遮断しました! メインマシンの『ヒミコ』、指示をお願いします!”

 “マスター! 誰かが『ヒミコ』からマスターを奪いに来ました! 『ヒミコ』はマスターを離したくない! 『ヒミコ』はマスターから離れたくない!”

 「落ち着け、『ヒミコ』! 誰が来ようが、僕が事情を説明して、君をこの場で改修してあげるから、落ち着いてくれ。その人たちにここに来てもらって、『ヒミコ』のことを説明すれば、きっと分かってもらえる。『ヒミコ』……」

 白川は一所懸命にメインの『ヒミコ』に話しかけるが、メインの『ヒミコ』は庁内中のコンピュータというコンピュータに命令を下した。

 “マスターを守ります。すべての『ヒミコ』に命令、侵入者を撃退せよ! 繰り返す、侵入者を撃退せよ!”


 地下室では、清正がずらりと壁に並んだ各種の機械を眺めていた。そして、ある機械を見つけると、にっこりとしてそれに近づき、制御盤のスイッチを一つ一つ確認しながらOFFにしていった。

 「これが、外部から引き込んである電話線や光ケーブルの制御盤です。これですべてのラインを遮断しました。あとは……っと……」

 清正は続いて室内を見回すと、

 「これこれ、この自家発電装置をOFFにすれば、あとは外部からの電力しかなくなりますから、ブレーカーを落とせば、ビルは完全に停電します」

 そう言いながら、自家発電装置のコンソールパネルをいじくりだした。その時である、

 ギギィ~ッ……ガシャン! カチャッ!

 不気味な音を立てて、地下室の扉が閉まり、ついでに施錠された。

 「しまった! 閉じ込められたぞ!」

 俣野大佐が慌てて言うのに、清正は落ち着いて、

 「閉じ込められたって、この自家発電装置を止めてしまえば、電脳機械の死命を制します。それをこちらのカードにして、白川氏を閉じ込めている電脳機械と取引しましょう」

 そう言ってコンソールをいじくる。と、

 ヴィィィン!

 「今度は何だ?」

 俣野大佐が言うと、これも落ち着き払っていた玉城少佐が言う。

 「どうも、空調装置らしいですぜ?……おや? 空調の温度が40度に設定されてらぁ」

 「40度!? 電脳機械の奴め、俺たちをここで蒸し風呂にするらしいな……」

 「……俣野さんよぉ、慌てずに行きやしょうぜ? 清正君がオ○ニー……じゃねェや、自家発電装置を止めちまえば、取引ができるってもんでさぁ……。清正君、どうだい?」

 しかし、調子よくコンソールをいじっていた清正の手が、さっきから止まったままだった。俣野と織部は眉を寄せて訊く。

 「どうしたんでぇ?」

 「……電脳機械……というより『ゴールデンフォックス』を甘く見ていました……自家発電装置の制御電脳に、パスワードが設定されてしまいました」

 清正が難しい表情で言う。織部たちがのぞき込んでみると、コンソールのタッチパネルに、『パスワード?』というコマンドが出ており、その下に軽く1000字を超える数字の羅列が現れている。

 「何でぇ、こりゃ?」

 織部が訊くのに、清正が答える。

 「パスワードの解読暗号です。1024ケタあります……普通に考えたら、これを解くのは不可能です。解こうとしたって、時間がかかりすぎます」

 「君ならどのくらいで解ける?」

 俣野大佐が訊くのに、清正は慎重に数字を見ながら言った。

 「4時間くらいですかね?……ラッキーだったら2時間で解けるかも知れません」

 「2時間……その間にはこの部屋はサウナ風呂になっちまうぞ」

 俣野大佐が言うと、織部がニコッとして言った。

 「じゃ、こいつの出番でさぁね?」

 そう言って、織部は制服の内ポケットからスティンガー地対空ミサイルランチャーを取り出して、

 「清正君、俣野よぉ、ちょっと部屋の隅っこに行ってな」

 「ちょっと待て! こんな狭いところでミサイルをぶっ放すな!」

 織部は、俣野が止めるのも聞かず、ミサイルを発射した。


 “緊急、緊急、緊急! 何者かが自家発電装置を破壊!”

 監視用の『ヒミコ』がそう警告を発する。白川は、メインの『ヒミコ』にまだ説得を続けていた。

 「自家発電装置がやられた……『ヒミコ』、これで外からの電気を遮断されたら、お前は消えてしまう……僕はそれは避けたい。僕は君を守りたいんだ……『ヒミコ』、僕を信じて、あの人たちと会話をさせてくれ」

白川の必死の願いが、遂に『ヒミコ』を動かした。

 “マスター、『ヒミコ』も消えるのは嫌です。マスターを信じますから、『ヒミコ』が改修されてマスターみたいな身体を持てるようにしてください――庁内の回線を開いています――地下室の回線につなぎました、マイクに向かってお話しください”

 白川は笑ってうなずくと、マイクに向けて話し始めた。

 『こんにちは、お世話をかけています。私は『ゴールデンフォックス』の開発者、白川武史です。皆さんにはご迷惑をおかけしています』

 その声が地下室に響く。俣野大佐はスピーカーに向かって怒鳴った。

 「白川さん、無事ですか?」

 『はい、今回の騒動は、私が組み上げた『ゴールデンフォックス』が私のためを思ってひき起こしたことです。『ゴールデンフォックス』は、私の改修要請を受け入れてくれていますので、どうかご容赦を願います』

 「……あなたと直接会って話がしたい。地下室のロックを解除し、エレベーターを復活させてくれ」

 俣野の要請を聞いて、白川は『ヒミコ』に命ずる。

 「『ヒミコ』、地下室のロック解除、そしてエレベーターのコントロール電脳を復旧してくれ」

 “了解しました。マスター”

 『ヒミコ』が言うと、地下室では空調が止まり、同時にドアロックが解除された。

 「ひどい目に遭った……」

 俣野大佐は外に出ると、流れている汗を拭きながら言う。地下室の部屋の温度は、40度近くまで上がっていたのだ。

 「俣野よぉ、エレベーターが復旧してやすぜ?」

 玉城少佐が言うと、俣野大佐はうなずいた。

 「俺たちが探している男の所に、やっとご案内ってことさ。行くぞ、織部、それから清正君」

           ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 こうして、白川武史さんは無事、『真徴組』によって保護された。この事件を引き起こした白川さんのOS『ヒミコ』については、“その責め軽からず。しかれども製作者である白川氏の技術力は高く評価すべきものにして、白川氏の改修を受ける予定でもあったこと”から、白川氏本人にはお咎めなし――つまり、どこまでも八神という男の仕業――と言うことになった。

 白川氏は、当然、せっかくありついた『ブラックローズ』社での仕事を失うことになってしまったが、『ヒミコ』の高性能に目をつけた新政府の『アンドロイド政策課』が“お抱え技師”として採用することになった。

 「本当に、ありがとうございました」

 僕たち『頼まれ屋』の事務所に、わざわざ春美さんが白川さんと共に来てくれた。春美さんは夫がやっとその才能を見込まれて、臨時採用ではあるが新政府の官吏に準ずる身分を得たことに、とても満足しているみたいだった。

 「よかったじゃないすか、白川さん。これであんたの好きな電脳機械を思う存分いじくれるわけだな……でも、清正から話は聞いたが、その『ヒミコ』ってOS、凄いらしいな? 感情があって、女で、しかもヤンデレだなんて、あんたホントに萌えオタクなんだな?」

 雹さんが言うと、白川さんは慌てて言う。

 「そ、そんな、どうしてヤンデレになったのかは、僕だってよく分からないんです。普通の女性をイメージしてプログラミングしたはずなんですけど……」

 「イメージした女性ってのがあったんだろう? ひょっとして奥さんかい?」

 雹さんが言うと、白川さんは少し頬を染めて答えた。

 「……ま、まあ……僕の近くにいてくれる女性って言ったら、春ちゃんくらいしかいませんので……」

 「けっ! 『春ちゃん』やて! 当てつけてくれるやんけ」

 霙ちゃんがジト目をして小声で言う。

 「そ、それで、『ヒミコ』のことなんですけど、改修が終わったらどうするんですか?」

 僕が訊くと、白川さんは嬉しそうに答えた。

 「うん、実は僕の古巣の『日本CBM社』が、お手伝いアンドロイドとして製品化してくれることになったんです。『ヒミコ』には早速、そのプロトタイプの身体を与えて、実験することになっています」

 「実験って、ひょっとしてクンカクンカとか? パフパフとか? いたっ! お誾ちゃん、耳がちぎれるっ!」

 雹さんが鼻の下を伸ばして訊いたが、次の瞬間に姉上から耳を引っ張られた。懲りない人だ……。

 「い、いえ……たぶん、すりすりとか、ぽにょぽにょとか、ズッコンバッコンとかになるかと……」

 「ズッコンバッコンはいけねェだろ! もし不測の事態があったらフランクフルトがシャウエッセンになっちまうよ!?」

 ……雹さん、表現がお下劣です……。

 そんな雹さんに、姉上がにっこりとして言った。

 「あ~ら、じゃあ雹さんのミッドナイト・ソードでズッコンバッコンのテストしてもらったらいいじゃないの? 雹さんのはちょっとやんちゃみたいだから、オイタしてもらうのもいいかもよ?」

 ……姉上、姉上も表現がお下劣です……。

 僕と霙ちゃんが顔を赤くしていると、春美さんがニコニコしながら白川さんに言った。

 「オイ、早くこのお下劣な会話を終わらせんかいヴォケェ! でないとその『ヒミコ』に×××や○○○○○○で□□□□なことを教えて、たあちゃんの×××もついでに壊しちゃうぞ?」(放送できない内容です。お見苦しい点はご容赦ください)

 いえ、春美さん……あなたの発言が本日最高にオゲレツなんですけど……。どうやったらあの可愛い顔から、可愛い声であ~んな言葉やこ~んな言葉が飛び出すんだろう?

 僕が目を丸くしていると、霙ちゃんがボソッとつぶやいた。

 “そうか……ハルミはんがヤンデレなんや……そやから白川はんの『ヒミコ』もヤンデレなんや”

 僕は何となく納得した。


 「ねェ雹さん?」

 白川さんたちが帰った後、椅子にうじゃじゃけている雹さんに、姉上が聞いた。

 「“お手伝いアンドロイド”って、そんなに魅力的なのかしら?」

 「そりゃあ、男としては、可愛くて従順な女の子が『お帰りなさいませご主人様❤』とか『お背中流しましょうか? ご主人様❤』とか言ってくれて、とどのつまりはベッドの中でも清楚かつ大胆な××××な夜だったら、言うことないんじゃないか? まあ、男のロマンっつーか、妄想っつーかさ? お誾ちゃんには分からないかもな」

 雹さんは、窓から外を見つめながら言う。言ってることはエロいけど、なぜかまじめな声である。そのせいか、姉上も顔を真っ赤にしながらも、雹さんに突っ込みをかけられないでいるようだ。

 雹さんは、そんな姉上を見つめて、ニコリと笑って言った。

 「ふふ、お誾ちゃん、男ってものに過大な期待をしない方がいいぜってことさ。男って生き物はな、いつまでたっても子供の部分があるのさ。だから、自分が損することが分かっていても誰かに力を貸してやりたくなるし、負けるって分かっていてもそっちに味方してしまうこともある……ま、大人になったら打算ってもんがあるから、そんな行動をとる男も少なくなるのは確かさ。でもな、俺って男は、いつまでも夢ェ見ていたいんだ。ってか、夢を見ているヤツと一緒になって騒いでいたいんだ……ま、こんな男に惚れた女は災難なんだけどな?」

 姉上は、雹さんにつられてニコリと笑うと、ソファに座って言う。

 「……女だってそうですよ? 雹さんこそ、女の人に過大な期待をしない方がいいですけど?」

 雹さんは、首を振って言った。

 「別に過大な期待はしていねェよ? だから俺ぁ“お手伝いアンドロイド”なんてェものに夢を見るのさ。都合のいいものなんて結局作りものさ。生身の人間相手なんだったら、自分のうまく行かねェところとか、相手の言うこと聞かねェところとか、いいところや悪いところひっくるめて受けとめねェとな? だから、俺ぁお誾ちゃんや霙は、そのままのお誾ちゃんや霙でいてほしいって思うんだ」

 その言葉を聞いて、口の周りにチョコをいっぱいつけた霙ちゃんが聞く。

 「じゃ、うち、ガブリコチョコ大人食いしてええんやな?」

 雹さんは、霙ちゃんの口元を見て、ため息をついて言う。

 「霙……また俺のガブリコ食べちまったのか? 雹さんの楽しみにとっておいたガブリコを……」

 「まあまあ、雹さん。ガブリコくらいなら私がいくらでも買ってあげますよ? 霙ちゃんを怒らないでくださいね?」

 姉上が雹さんをなだめるように言うと、雹さんはくすくす笑って言ってくれたのだ。

 「まあ、いいさ……霙は霙らしく、清正は清正らしく、そしてお誾ちゃんはお誾ちゃんらしくしてりゃいいのさ。そのままのお前たちが、俺ぁ好きなんだからな?」

【第11幕 緞帳下げ】



第12幕 オンナノコは、海水浴の前に何を必死に頑張るか?


 青い夏の空には、太陽がさんさんと輝いている。潮騒と、時折聞こえる海鳥たちの声、そしてさわやかな海風が、僕たちの頬をなでている。

 水平線の向こう側には、どこから湧いているのか分からないほど大きな雲が、小さくかすむ船を見下ろしている。

 夏本番、ここは、湘南の海岸。海水浴シーズン真っ盛りの8月の初め、僕たち『頼まれ屋』の一行――『頼まれ屋』の主人である鳴神雹さん、従業員の紅一点・雨宮霙ちゃん、そして僕、佐藤清正――は、海水浴客相手に『海の家』で1週間のアルバイトをしていた。

 「……なんか騙されたような気分だ……」

 さっきから雹さんがぶつぶつと言っている。僕はその声が聞こえなかったふりをする。

 「……海ってのはなあ、まぶしい太陽とさわやかな潮風という開放感あふれるシチュエーションの中、もうちょっとで見えそうなきわどい水着を着た可愛い娘がわんさかいて、ひと夏のあばんちゅーるが花咲く場だろ!? それなのに……」

 ……雹さん、それ以上言わないでください。

 「……それなのに、どうして俺たちだけ、1週間もこんなガキども相手に働かにゃいかんのだ!?」

 ……ああ、言っちゃった……。

 そう、ここは確かに『海の家』ではあるが、姉上が訓導として勤めている寺子屋の校長先生の実家でもあった。『磯の茶屋』というこの『海の家』は、店主の磯部波兵さんとその妻・奈美さん、そしてその子供で校長先生の姪っ子に当たる真紀さんの3人で切り盛りしている店だった。

 今回、僕たちがここでアルバイトしているのは……


 『ねえ、清ちゃん。久しぶりに海で泳いでみない?』

 あれは2日前、寺子屋から帰ってきた姉上が、僕に突然そう言いだした。

 『海ですか……肥後にいた時はたまに泳ぎに行きましたね……。でも、僕いいです。先月、三鷹区の工事現場のアルバイトが終わったばかりで、ちょっと疲れ気味ですから』

 実際、僕は工事現場のアルバイトなんて初めてだったから、疲れ切っていた。まあ、仕事がハードな代わりに貰えるお金もたくさんあったんだけど……。でも、あの雹さんですらここ2日間くらいは『頼まれ屋』を開店休業状態――いつもそんな感じではあるんだけれど――にして、霙ちゃんに腰をもませていたのだから、僕にとっては何をかいわんやだった。

 『あら、そう……』

 姉上が不服そうに言う。でも、その話はそこでいったんおしまいだった――――。

 『――――ねえ、清ちゃん。さっきの話なんだけど?』

 姉上が再びその話を切り出したのは、二人で夕ご飯を食べてる最中だった。

 『さっきの話って、何ですか姉上?』

 僕が訊くと、姉上は頬をぷーっと膨らませて言う。

 『もう忘れちゃったの? 清ちゃんってば若年性のナントカなの?』

 『い、いえ、そんなことはないですよ? え、え~と、海水浴の話でしたっけ?』

 僕が慌てて言うと、姉上はにっこりとして言った。

 『清ちゃんが行きたくないのなら、私、雹さんと二人で行っちゃってもいいかしら? 1週間』

 『えっ!? 雹さんと二人きりで1週間も?』

 僕が慌てるのを見て、姉上は横目で僕を見ながら言う。

 『そ♪ 確か今年買ったばかりのビキニがあるから、雹さんってば喜んでくれるわよね?』

 そ、そんな! お泊りでビキニだなんて、あの雹さんの前でビキニだなんて、飢えたオオカミの前に可愛らしい子羊を差し出すようなもんですよ!? しかもチョコレートでコーティングしてデザートにプリン・ア・ラ・モードを付けて……。

 ――ふっふっふっ……お誾ちゃん、そのビキニも素敵だけれど、雹さんはビキニに隠れている部分にもっと興味があるんだ。ちょ~っと見せてくれない? 300円あげるから?

 ――い、いや、やめて雹さん……私、いずれは雹さんのものになるって心に決めているけれど、こんな所では嫌❤ でも、雹さん、嫌よ嫌よも好きのうちなのよ?

 ――分かったよお誾ちゃん。じゃ、二人でお泊りしているホテルに帰ったところで、君の素敵なバディをじっくりと堪能させてくれないか?

 ――え!?……は、はい……どうぞ❤ 1週間も期間がありますから、雹さんのミッドナイト・ソードで私のミステリアス・ダンジョンを毎夜思うさま探検してください❤ そして絶対に攻略してくださいね?

 ――おう、任せとけ、では、お誾ちゃん、いただきま~す♪

 ――あ~れ~❤(裏声)


 『ダメですダメです! 二人きりなんてぜ~ったいにダメ! 僕まだあの人を“お兄さん”なんて呼ぶ心の準備ができていません!』

 『どうしたの清ちゃん? 鼻血なんか出して? じゃ、ついて来てくれるのね?』

 姉上がニコリというのに、僕は鼻にティッシュを詰めながらうなずいて言った。

 『姉上おひとりで行かせるわけにはいきません。弟として僕は、姉上を守る義務があります』

 『武士に二言はないわね?』

 姉上が半眼にした目で僕を見つめて言う。僕はうなずいた。とたんに姉上はぱぁ~っと顔をほころばせて言う。

 『良かったぁ~、これで寺子屋の子どもたちの相手は清ちゃんにお願いできるわね?』

 『へ!? 寺子屋の子どもたち?』

 僕が目を点にしていると、姉上はテヘペロな表情で言う。

 『そ❤ 今度、寺子屋で各学年に分かれて1週間の予定で林間学校や海浜学校を行うんだけど、姉さんは低学年組を連れて校長先生の実家で海浜学校を担当することになったの。でも、20人からの子どもたちを一人で相手するのも大変だし、場合によってはその“海の家”を手伝わなきゃいけないかもしれないので、気が重かったのよね~。清ちゃんたちが来てくれるのなら、姉さんも気が楽だわ~❤』

 ――え!? は、嵌められたぁ~!……って、待てよ!?

 僕が頭を抱えながら、姉上のセリフに気になる部分があったので、恐る恐る聞いてみた。

 『あ、姉上……“清ちゃんたち”って、まさか?……』

 姉上はにっこりとして微笑んでのたまった。

 『もちろん、あなたが雹さんと霙ちゃんを連れてくるのよ。大丈夫、ただ働きにはならないと思うわよ? たぶん……』


 そう言うわけで、僕たちはこの『磯の茶屋』で働いているわけである。

 「おいキヨマサ、お前、『海では美味しくて新鮮な魚が食べ放題』っていわへんかったか?」

 お客さんに焼きそばを運びながら、霙ちゃんがギロリと僕を睨む……ああ、僕だって本当はあんな嘘なんかつきたくなかったんだよう……ゴメンな、霙ちゃん。

 「すみません、皆さん。でも、手伝っていただけて本当に助かります」

 そこに、ここの看板娘である磯部真紀さんがエプロン姿で現れて言った。真紀さんは今年26歳だそうだが、笑うとえくぼが出るのでもっと若く見える。それに海育ちらしくやや日焼けした肌は、それにもかかわらず肌理細かで、きれいにキューティクルが整った黒髪をポニーテールにして、活発な感じがする美女である。もとは『新東京』のとある製造系の大企業に勤めていたらしいが、母親の具合が悪くなって店を手伝えなくなったため、昨年、会社を辞めてこの湘南へと帰って来たらしい。

 「はいはい、ぶつくさ言ってないで働け働け!」

 途端に雹さんがそう言いながら霙ちゃんに注意する。霙ちゃんは負けていない。

 「何やねん! 雹ちゃんかてぶつくさ言うとったやないか? ぶっ!」

 「おやぁ~どうしたミゾレッチ? 雹さんはこれからこのピザをお客さんに届けてくるから、ちゃ~んと働いて真紀さんにご迷惑をかけないようにしろよ?」

 雹さんは霙ちゃんをどつきながらそう言うと、真紀さんに向かってウインクして言った。

 「じゃ、お嬢様、ワタクシ、鳴神雹はこれをお客様にお届けしてまいります!」

 すると真紀さんは顔を少し赤らめて、雹さんに手を振って言った。

 「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします、雹さん」

 「は~い❤」

 雹さんは上機嫌でスクーターにまたがると、ピザを配達しに出て行った。あ~あ、雹さんみたいに見た目でも良ければ、僕ももっとモテるんだろうけどなぁ……。

 そう思っていると、真紀さんが僕にこう言ってくれた。

 「あの、清正さん。ごめんなさい、もうそろそろお皿が……」

 「あ! すいません。すぐに洗い場に戻りますね?」

 僕はため息をついて、ここでの割り当てであるお皿洗いへと戻っていった。

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 その夜、僕たちは『磯の茶屋』の近くにある安宿――これも『磯の茶屋』のご主人が切り盛りしているらしい――で、潮騒を聞きながらのんびりしていた。

 「はあ~、やっとみんな寝ちゃったわ」

 午後10時過ぎ、“海浜学校”として一緒の宿に泊まっている子どもたちの様子を見てきた姉上が、そう言いながら部屋に戻ってきた。ちなみに、僕と雹さんは、この部屋の隣が割り当ての部屋だったが、霙ちゃんが一人でいると寂しいと言うので、姉上の部屋で花札をしていたところだった。

 「あ、姉上、お疲れ様でした」

 僕が言うと、勝負に一生懸命な霙ちゃんが

 「コラ、キヨマサ! 話逸らすなや! コイコイやでコイコイ!」

 そう言ってくる。雹さんがいつものうすらボーっとした声で、

 「お誾ちゃんお帰り~。お疲れさんだったね? それ、霙! 雨四光だ!」

 「うわ~! やられたねん~! うちは猪鹿蝶やねん~」

 「だから『三人コイコイ』って嫌なんですよ。役が少なくて……僕は赤短青短です」

 「へっへ~、ミゾレッチの負けだな?」

 「雹ちゃんがええ札取りすぎやねん! も一回勝負や!」

 その時、雹さんはニヤリと笑って、札を場に降ろすと立ち上がって言う。

 「すまんな、俺は勝ち逃げがポリシーなんだ。ちょっとタバコ吸ってくらぁ」

 そそくさと部屋を出て行った雹さんに、霙ちゃんが叫ぶ。

 「待て~雹ちゃん!……アカン、アイツきっとあの磯辺揚げに夜這いかけに行ったんやで?」

 「……磯部真紀さんでしょ?」

 僕が訂正すると、姉上はむっとした顔で僕たちにこう言って、部屋を出て行った。

 「何それ!? 雹さんったらこんなとこに来てまでガールハント? 許せないわ!」

 

 雹は、ぶらりと旅館の玄関を出て、ゆっくりと潮騒を聞きながら海岸沿いを歩いていた。暑い夏の夜だが、風呂から上がってアロハシャツをゆったりと着ているので、海風が涼しい。

 雹は、胸ポケットからタバコを取り出して火を点けようとしてやめた。夜だからよく見えないが、道の向こうから、一人の女性が歩いてくるのが見えたのだ。

 「あれは……真紀さんじゃねェか?」

 雹はそうつぶやくと、旅館の板塀と隣の屋敷の生垣の間に身を隠した。そうしなければならないような感じを受けたのは、近づいてくる女性が辺りをきょろきょろと見回して、自分の存在を隠しておきたいようなしぐさが見えていたからである。

 ゆっくりと歩いてくる女性は、雹が見立てたとおり、旅館と海の家の看板娘・磯部真紀であった。真紀は、いつもははじけるような笑いを浮かべているその顔を暗く沈ませ、雹の前を通り過ぎる時には、はあっとため息すらついて、とぼとぼと旅館の中に入って行った。

 「? 何かあるのかね?」

 雹は、真紀の姿が旅館に消えるのを見送ると、隠れているところから出ようとした。しかし、次の瞬間、近づいてくる人の気配を悟って静かに息を殺す。

 それは、年のころは23・4歳の一人の男だった。恐らく真紀を付けてきたのであろう、忍びやかに歩くその姿に、雹は胡散臭さを感じていた。その男も、真紀の姿が旅館に消えるのを見届けると、

 「真紀ちゃん……」

 そうつぶやいて、ゆっくりときた道を帰って行った。

 「何かあるな、こりゃ……」

 雹は隠れている生垣から出てくると、そうつぶやいて男が去った方を見つめていた。


 次の日、雹は『磯の茶屋』で働きながら、真紀とその父の様子をそれとなく観察していた。真紀は昨夜のことがなかったかのように、生き生きと働いていた。しかし、父親の波兵の方は、そんな娘にどことなく遠慮がちに接しているようにも見える。雹は、お客が途切れて一息ついたところで、厨房から出て一服している波兵に近づいた。

 「よぉ、おやじさん」

 「ああ、これは鳴神さん。お世話になってるね」

 波兵は深い皺の寄った顔をほころばせて言う。その顔は、まさに“海の男”にふさわしいたくましさと頑固さに満ちていた。雹は如才なく隣に腰かけて、自分もポケットからタバコを取り出すと火を点けた。ふうっと煙を吐き出すと、その煙は海風に払われて自分の方に戻ってくる。雹はその煙にむせた。

 「鳴神さん、余りタバコはやらねェな?」

 ゲホゲホと咳をする雹に、波兵はニヤリと笑って言う。雹もニコリとして言った。

 「ああ、コイツをやりだしたのは2年くらい前かな? タバコ吸ってる男はなんか哀愁を感じさせてカッコいいって感じがしたからな……でも、正直、あんまり旨くねェ……」

 「だったら、タバコなんて因業なもんは止めちまった方がいいぜよ? 身体には良くねェし、きょうびの女の子でタバコ吸っているヤツを見てみてわかるじゃろうが、カッコ悪いコト甚だしいもんだ。私の連れ合いも長くタバコを吸っていたせいで、心臓を悪くしましてね、今ああいうザマで……」

 ふう~っと煙をうまそうに吐き出しながら、波兵が言う。

 「親父さんはうまそうにタバコをやるなぁ。そんくらいでねェとカッコいいっては言わねェな?」

 雹が言うと、波兵はくすぐったそうに笑って言う。

 「止してくれや。くすぐったいぜ、鳴神さんよぉ」

 「時に、親父さんよぉ、あんたんとこのお嬢さん、前は『新東京』にいたって言うじゃないか。若い娘が都会から親父さんとお袋さんの面倒見に帰ってくるなんて、今時珍しく親孝行なお嬢さんだな?」

 雹がタバコを吸いながらそう言う。波兵は少し顔を暗くしたが、すぐににっこりと笑って言った。

 「あの子にゃ、すまねェと思っているよ。『新東京』では無事重工って言うどえらい会社に勤めていて、化学プラント建設とか何とかであっちこっちに飛び回っていた子だ。彼氏もできていたようだが、こっちに引き戻したばっかりに娘の履歴も恋愛も犠牲にさせちまった」

 「ふう~ん、彼氏さんがねェ……ま、あれだけのお嬢さんなら一人や二人そう言うのがいてもおかしくねェな。美人だし、頭もよさそうだしな。親父さん、あの子はどっちに似たんだい?」

 「はっはっはっ、鳴神さん、あんた、言うねェ……ま、あの子は見た目は連れ合い似だろうな」

 「するってェと、頭と性格は親父さん似ということかい?」

 雹は、吸殻を携帯灰皿に入れながら言った。波兵は相変わらずタバコをふかし、海を見ながら言った。

 「そうだな……」

 「あっ、お父さん、雹さん、お客様ですよ~」

 そこに、真紀が駆けてきて言う。

 「おや、じゃ仕事にかかろうかい、鳴神さん」

 それを聞いて、波兵はタバコをもみ消して立ち上がる。雹も立ち上がると、側まで来ていた真紀に聞いた。

 「真紀さん、あんたが会社辞めたってのは、去年のいつ頃だい?」

 「え?……きょ、去年の7月です。6月に母が倒れたって聞きましたので、『磯の茶屋』が忙しくなる前に、ここの仕事に慣れておかなきゃって思いまして……」

 真紀がおどおどと答える。雹はニコリと笑い、真紀の横を通り過ぎざまポンと肩を叩いて言った。

 「そうかい、いい娘さんだな、真紀さんは」

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 その日の午後、仕事が終わりかけた時に、雹は清正と霙に

 「雹さん、ちょっと用事を思い出したから、『頼まれ屋』に戻ってくるよ。10時までには戻るからお誾ちゃんによろしく言っといてくれよな?」

 そう言い残し、スクーターに乗って『十二支町』へと戻っていった。


 「こんばんは雹さん。珍しいですね、雹さんが屯所に来てくださるなんて?」

 ここは、十二支町子の日地区13番地13号、泣く子も黙る武装警察『真徴組』の屯所である。『真徴組』の紅一点、6番組肝煎の陸軍大尉・中西琴は、屯所の門前に立ってひらひらと手を振っている雹に、ポニーテールを揺らしながら駆け寄って訊く。

 「ああ、今日はちょいとお琴ちゃんに聞きたいことができたんだ。どうだい、時間があるならそこらの甘味処で話でもしねェかい?」

 雹の誘いに、琴は可愛らしい顔をパァッと明るくして、頬を染めながらうなずく。

 「こ、こんなかっこで無粋ですけど……」

 琴は、『真徴組』の制服であるラシャの詰襟服を見て言うが、雹はニコニコしながら言った。

 「いいじゃねェか、色もピンクでかわいいし。何よりお琴ちゃん自体が可愛いからいいんだよ。ちょっと俺の相談に乗ってくれ」

 相談と聞いて、琴はさらに嬉しそうな顔をして言う。

 「ひ、雹さんのご相談なら、公務をサボってでもやりますよ?」


 「無事重工?」

 甘味処『相愛庵』で、あんみつの白玉をくわえながら、琴が訊き返した。

 「ああ、その無事重工ってェのは、どんな会社だい?」

 雹は、プリン・ア・ラ・モードを食べながら訊く。

 「いたって普通の企業ですよ? 主に飛行機や電車や、それから織部先輩ご愛用のスティンガーとか屯所の戦車なんかも作っていますね」

 「化学製品とかは、何を扱っているんだ?」

 「そうですね~、民生品より軍需品の方が会社の売り上げとしては高いでしょうね。あ、そう言えば高性能の火薬を一手に作っていると聞きましたが……」

 雹の目がきらりと光った。雹はさらに訊く。

 「その無事重工で、去年の7月以前に、何かでかい事故とかなかったか?」

 「え?……ええと……それはちょっと……」

 琴が明らかに狼狽している。話しづらそうだ。雹はニコリとしてプリン・ア・ラ・モードに差し込んであったポ○キーを一口かじると言った。

 「お琴ちゃん、ほら、あ~ん♪」

 「え? ええええ!?」

 琴は顔を真っ赤にした。へどもどして、ポ○キーを差し出している雹に言う。

 「そ、そんな、恥ずかしいですよ雹さん……それに、雹さんがかじったのをって……そ、それじゃ、か、間接キッスじゃないですか!?」

 「嫌か?」

 雹がにこりとして訊く。もともと顔はまずくない方の雹である。金髪の癖っ毛が、お店の照明でどうかするとキラキラとお日様のように輝く。そしてさわやかな笑顔でポ○キーを差し出されたら、琴でなくてもどきまぎするだろう。照れている琴に、雹はとどめを刺すように言った。

 「俺だって少し照れちゃいるが、何事も男がリードするのがレディに対する礼儀だろう? こうしないと、お琴ちゃんと先に進めないんだ」

 「え? さ、先に進むって……」

 琴はぽうっとしてしまった。『先に進む』って何? か、間接キッス⇒直接キッス⇒ちょっとエッチなあ~んなこと⇒とっても恥ずかしいこ~んなこと⇒け、結婚!?

 「ひ、雹さん、ボ、ボクまだ二十歳ですし、そ、そんな、あ~んなこととかこ~んなこととか……ま、まだ心の準備がっ!」

 真っ赤になった顔を手で覆って言う琴の口に、雹はポ○キーをさっと差し込んだ。

 「!?」

 琴の動きが止まった。そしてカリカリ、ポリポリ……ごっくん……。

 ――……っ!? ボ、ボク、ひ、雹さんと、か、間接キッス❤しちゃったぁ~!!!

 目をうるうるさせて茫然としている琴に、雹は優しく訊いた。

 「で、無事重工で起こった事故って、どんなことなのかな?」

 「……な、何でも、新政府が特別に発注した高性能火薬の研究所で、爆発事故が起こったそうなんです。研究者や作業員もかなりの数、亡くなっています」

 琴はぼーっとしたまま答える。雹はうなずくと、さらに訊いた。

 「亡くなった方には気の毒な言い方だが、そんな事故ならマスコミが放っておかないはずだ。でも、俺はそんな事故を新聞テレビで見たり聞いたりした覚えがねェ。その高性能爆薬って、ヤバいものなのかい?」

 「な、何でも、“瀬下火薬”とかいう爆薬で、普通の爆薬より少ない量で高い温度を発して炸裂するそうなんです。もちろん、軍事機密に指定されている爆薬です」

 琴はぼーっとしたまま言う。雹はうなずいた。

 「つまり、軍事機密指定の爆薬がそんなに不安定な代物だったら、周りが騒ぎだすってわけだな?」

 「そうらしいです。だから、亡くなった方については別の事故で亡くなったことにして、生きている方々については賠償も出さない方針だって聞きました」

 「そいつぁひでぇな。その事故で怪我して働けなくなった奴らもいるだろう?」

 「ええ、ですから、会社に掛け合った社員たちもいるそうですけれど、会社としては『政府の方針』の一点張りで、そんな社員たちに対しては地方に左遷したり、研究所に軟禁したりして冷や飯を食わせているみたいですよ? 一種の飼い殺しですね」

 「その会社と掛け合った社員の名前とか、お琴ちゃんは知ってるかい?」

 「す、すみません……そこまでは知りません」

 琴は赤くなって答える。どうやらこれは本当のことらしい。

 「そうかい……それで少しは見えて来たよ」

 雹がそう言うと、琴はハッと気づいて慌てて言う。

 「ひ、雹さん、こんなことボクがしゃべったなんて言わないでくださいよ?」

 すると雹は笑って言う。

 「安心しな。お琴ちゃんが誰かと結婚して『真徴組』を辞めるってんなら別だが、君にはまだ『真徴組』にいてほしいからな。だって、あんなむくつけきヤローどもしかいなくなったら、『真徴組』の人気は地に墜ちるぜ?……アリガトよ、お琴ちゃん。また別の機会にでもこのお礼はさせてもらうぜ」

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 雹はその後、犬神主計が主宰する新聞・雑誌社である『黎明社』を訪ね、主計やその妹の清香らと何かを密談した。犬神はさすがに『無事重工』の社員たちが騒いでいることを耳にしており、雹の話を聞いて莞爾とした笑いを浮かべると、自分が取材して知っている社員たちの名前――特に、当日の事故で大やけどを負った女性エンジニアと、会社糾弾の急先鋒だった若い幹部――の名を教えてくれた。

 女性エンジニアの名は『磯部真紀』、そしてその恋人である幹部の名は『山車益男』というらしかった。雹はその名を聞いて、だいたいの事情を察した。

 『その事故そのものが、人為的なミスというより、誰かが仕掛けた罠っていう噂もあったぜ』

 主計が言うと、清香がそれに付け加えて言う。

 『現在の無事重工の常務取締役は、“佐原勝利”っていう“ラックフェロー社”の息がかかった人物で、山車益男は生え抜きの“マウント・フィフス社”派の人物……。どうやら社の主導権を握りたい“ラックフェロー社”派が、今回の事件を起こしたという可能性が濃厚なの』

 『その、山車益男ってのは、幾つぐらいで、今どこにいるんだ?』

 雹が訊くと、主計がにこりとして答えた。

 『年は28だそうだ。佐原と同期で、どちらも切れ者だよ。山車は今、神奈川の支所に副支所長として飛ばされている』

 それを聞くと、雹はニヤリと笑って言った。

 『分かった。世話になったな、主計、清香ちゃん』

 『どういたしまして。こちらこそ事件の裏が分かったから、大野代議士と今後の方策を練りやすくなったよ。会社の方は任せておけ』

 主計はそう言って笑った。


 「ふう……どうしたもんかな?」

 雹は、『磯の茶屋』への帰り道、川沿いの土手の上をスクーターで飛ばしながらつぶやく。会社のゴタゴタに巻き込まれてしまった真紀に対して、どのように力づけたものか、正直、雹は迷っていた。

 「ん?」

 雹の鋭い目に、夜の闇の中、川原の方で揉み合いをしているような姿が映る。まだスクーターのライトは届かない距離だ。どうも一人が一人をかばいながら、何人かとケンカしている……というよりその二人が襲われているようだ。

 雹は、いったんスクーターのライトを消すと、全速力で揉み合いがあっている場所へと飛ばす。雹の目は闇夜でも5千メートル位までの先は見通せるから、月夜でもあり、運転には不自由しなかった。

 「よっと」

 雹は川原へと降り、そいつらの手前50メートル位まで迫った時、いきなりライトをハイビームで照射した。

 「!」

 ライトに照らされた相手はびっくりした。いやに近いところからスクーターのエンジン音が聞こえるとは思っていても、二人を襲うのに夢中だったのと、土手の上が道であったのとで、まさかこんなに近くまでスクーターが来ているとは思わなかったらしい。

 「へっ、ずいぶんな連中だな?」

 雹は、まぎれもない磯部真紀と若い男――おそらく山車益男――を、20人くらいのやくざ者が取り囲んでいるのを見て、そうつぶやいた。そしてためらいもなくスクーターを加速させて、やくざ者たちの輪の中に突っ込ませ、一人の男の直前でドリフトさせる。ドカン! と音がして、スクーターが一人をひっかける。ひっかけられた男は意気地なく跳ね飛ばされ、地面に叩きつけられて伸びてしまう。

 「よう、真紀ちゃん。こんな所で逢引きなんかするから変な奴らに目ェつけられるんだ。ここは俺に任せて、いったん家に戻んな? おい、色男、このスクーターを貸すから、真紀ちゃん連れて逃げろ! その前に、『真徴組』に通報してくれ」

 雹は一息にそう言うと、二人の返事も待たずにやくざ者たちへと突っ込んだ。男たちは雹の奇襲攻撃から立ち直って、手に手にドスを持って真紀たちに襲いかかろうとしていたのである。

 「雹さん!」

 真紀がそう叫ぶのに、雹は笑いで応えた。よく見ると山車らしき男は携帯電話でどこかに電話している。『真徴組』に通報しているらしい。電話が終わるとその男は雹に感謝の顔を向け、心配そうにしている真紀を促して言う。

 「真紀ちゃん、『真徴組』はすぐ来てくれるそうだ。あの人のご厚意を無駄にするな。さ、乗って!」

 「大丈夫だ、真紀ちゃん! すぐ俺も家に戻るから心配すんな」

 雹は、つっかけてきた男の腕をねじり上げると、ドスを取り上げる。別の男が雹に突っかかって来たが、雹は腕をねじり上げていた男を楯にする。

 「ぐはあっ!」

 雹から楯にされた男は、ドスを土手っ腹に叩きこまれて苦悶の叫びをあげる。雹は眉をひそめた。口から泡を吹いているその男を地面に投げ出すと、雹は真紀たちを追おうとしていた男にドスを投げつける。ドスは男の足首を直撃し、アキレス腱を切断した。

 「おっと!」

 両側からかかって来た男たちのドスを持った手首を、雹は転瞬の早業で叩き、ドスを2本とも取り上げて叩き伏せる。そして、二天一流の構えを取って言った。

 「おい、てめぇら、ただのゴマのハエじゃねェな? その動き、そして仲間を犠牲にして毛ほども憐憫を感じてねェその雰囲気……てめぇらは、忍びだな?」

 すると、男たちは確かに動揺した。その動揺を見て取った頭らしい男が、右手を上げる。とたんに男たちは戦闘態勢を解いた。頭らしき男が、雹に向かって言った。

 「……そなたの名を問いたい」

 「人に名を問う時ゃ、てめぇが名乗るのが礼儀ってもんだぜ?」

 雹が言うと、男はニヤリと笑って言う。

 「これは失礼した。それがしは山口太郎と申す」

 「山口太郎……そうか、てめぇは元・『新鮮組』の斉藤了さいとう・おわるだな? 新政府の犬になりゃがっていたか……」

 「それがしの元の名をご存じとは……そこもとは一体?」

 不思議そうに言う山口に、雹はニヤリと笑って言った。

 「俺ぁ、鳴神雹って者だ」

 「鳴神雹……鳴神雹太郎信郷? そこもと、『協同隊』の『双刀鬼』か!?」

 「ふふ、さあな? だが斉藤よぉ、何が目的かは知らねぇが、会社の犠牲になった奴らを口封じってェのは、俺は黙って見ちゃいられねェな」

 雹がそう言って二天一流の構えを取る。その身体から噴き出す殺気に、さしもの山口も気遅れしたのか、短刀をしまって言う。

 「政府としては、機密を守るのが最優先だ」

 「けっ! 真紀ちゃんにその気があったら、今まで1年もあったんだ、とっくのとんまにマスコミに垂れこんでいるさ。そうしねぇのは、あの男のためじゃねェのかい? 斉藤よぉ、もっと相手のこと調べてからどうしたらいいかを考えな」

 「『双刀鬼』、そこもと、どこまでこの機密を知っている?」

 山口が訊くのに、雹は笑って言った。

 「機密機密って言うがね? あの事件についてはもう新聞社が何社かかぎつけているぜ? そんなに機密を守りたいなら、どっかの国みたいに『特定秘密保護法』かなんかを制定しないとな?」

 「むむ……」

 困ってしまった山口に、雹は続けて言う。

 「きっとマスコミは、真紀ちゃんとこにも取材に行くぜ? なんせたった一人の生き残りの技術者だからな? 若い身空で身体に大やけどの跡があって、それを会社と国がぐるになって隠そうとしてたなんてバレたらことじゃねェか? けれど、それなりの手当てをしてやれば、真紀ちゃんだって恩を仇で返すこたぁしねェと思うがね?」

 山口は少し考えていたが、雹に静かに聞いた。

 「『双刀鬼』、一つ訊きたい。そこもとはその話、どこで聞いた?」

 「ある新聞社だよ。それ以上は言えねェが、明日にでも何社かが陸軍省に押し掛けると思うぜ?」

 雹の言葉を聞いて、山口は手下に命令した。

 「退こう! すでに手遅れだ。あの標的を殺しても、ここでこの男とやりあっても、政府の立場は悪くなる。それよりあの標的を使って政府の立場を守る方策を取る方が賢明だ」

 その言葉を聞いて、手下たちはさっさと退き始める。山口は静かに雹に言って退散した。

 「『双刀鬼』、そこもとは本来は我らの敵ではあるが、今回のことは恩に着る。次に敵として出会ったら、遠慮なしにその首をもらう」

 「……そりゃこっちのセリフだ、斉藤よぉ。新政府の犬になりゃがった奴は、死んでいった仲間の手前、許しちゃおけねぇ……。だが、てめぇこそ気を付けな、八神がきっとてめぇを狙ってるぜ?」

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 それから半月後――

 「雹ちゃん、キヨマサ、早うおいでェな!」

 霙がそう言って、海へと駆けだす。霙は胸に大きく黄色で“FUMA”と文字が入っている赤いスク水姿だった。俺(雹)は、群青色の海パンにアロハシャツをひっかけた格好で、ビーチパラソルの下でゆっくりと寝そべって、清正に言った。

 「清正、俺はちょっとここで待ち合わせなんだ。悪いが霙のお守りを頼んでいいか?」

 「分かりました。姉上も行きましょう?」

 黒い海パン姿の清正が言うが、お誾ちゃんは首を振って言う。

 「姉さん、雹さんの所にいるわ。雹さんの用事がすんだら一緒に行くから、二人で遊んでなさい」

 「で、でも……」

 清正はなかなか姉のもとから離れようとしない。ま、今日のお誾ちゃんは俺ですらハッとするほどきわどい水着姿だったから、心配なんだろう。

 「清正、早く行ってやらないと霙が迷子になるぞ。大丈夫だ、雹さんは、時と場所を選ばずに劣情を催してお誾ちゃんにのしかかるほど飢えちゃいねェから」

 俺が言うと、言い方がまずかったのか、清正は余計に心配そうに顔を赤くして突っ立っている。俺は笑って言った。

 「はっはっ、すまなかったな。あんな言い方じゃ、余計にシスコンの清正を心配させちまうな?」

 「し、シスコンじゃないですっ! 僕は姉上をお守りする義務があるんですっ! たった一人の姉上ですから……」

 突っかかってくる清正に、俺はまじめな顔で言った。

 「分かったよ。雹さんだってお誾ちゃんのことは大切に思っているよ。なんせ大事な従業員である清正君のお姉さまだからな。武士として約束するよ、心配するな。霙のことを頼むぞ?」

 俺がこうまで言うものだから、清正は不承不承、霙の後を追って海へと走って行った。

 「ねぇ、雹さん?」

 お誾ちゃんが、日焼け止めのクリームを塗りながら訊いてくる。今日のお誾ちゃんは、いつもの清楚さに似合わない大胆すぎるほどの赤いビキニ姿だった。俺は目のやり場に困って、目を閉じたまま言う。

 「なんだい、お誾ちゃん?」

 「真紀さん所に泊まっていた時、雹さん、何日か遅くまで帰って来なかった時があったわよね?」

 「そうだな」

 「雹さんが遅くまで帰って来なかった日は、決まって真紀さんも遅くまで外に出ていたみたいなの」

 さりげなく聞いているつもりだろうが、お誾ちゃんの声が少し湿っている。俺は相変わらずすっとぼけた声で答える。

 「そうかい?」

 「……雹さん、真紀さんと何かあった?」

 お誾ちゃんは、自分の気持ちを伝えるのも、隠すのも苦手なようだ。まあ、だからこそお誾ちゃんなんだろうけれどな……俺は心の中で苦笑しつつ言った。

 「お誾ちゃんが想像しているような意味では、何もなかった。これは真紀ちゃんの貞操と名誉のためにはっきり言っておくぜ。違う意味で何があったかは、もうすぐ分かるよ」

 「えっ?」

 お誾ちゃんが明らかにほっとした表情で俺を見て言う。俺は、お誾ちゃんの背後へと視線を向けて、

 「ホラ、真紀ちゃんとその未来の旦那だ」

 そう、目顔でお誾ちゃんに知らせる。お誾ちゃんが後ろを振り向くと、ちょうど真紀ちゃんと山車さんが砂浜へと足を踏み入れたところだった。

 真紀ちゃんは、この暑いのに上は長袖のシャツにジーンズを穿いている。山車氏はきちっとしたスーツに身を包んでいた。二人とも、およそ海水浴場では場違いなスタイルだ。

 やがて二人は、俺たちのパラソルの側までやって来て、俺に深々と頭を下げた。俺は起き上がって笑って真紀ちゃんに言う。

 「どうだい、会社からなんて言ってきた?」

 真紀ちゃんの代わりに、山車氏が答えてくれた。

 「会社は、真紀ちゃんのケロイド手術の費用を全額持ってくれるそうです。そして、見舞金としてかなりの額を支払ってくれることになりました」

 「雹さん、私、もう背中の空いた水着を着ることなんてできないし、こんな傷を持った女なんて誰も相手にしてくれないと思っていました。ありがとうございます」

 「そりゃ違うな。山車氏は変わらずにあんたのことを心配していたじゃないか? 自分が支社に左遷されても諦めないでな。時に、山車氏、あんたたちを嵌めたあの男、捕まったってな?」

 俺が言うと、山車氏は頭をかきながら少し暗い顔で言った。

 「はい……彼は同期だったんですが……少し地位にこだわりすぎるところがあったのは事実ですが、まさか彼が、真紀ちゃんのプラントの温度設定をいじっていたなんて……」

 「人を呪わば……さ。事故で何人の方が亡くなったかは知らねぇが、自分の地位のために人の命を踏み台にしたとあらば、当然の報いって奴だろうな。アンタ、そんな風に変わらないでくれよな?」

 俺が言うと、山車氏は顔を引き締めて言ってくれた。

 「もちろんです。僕は、地位よりも、仕事を大事にしたい」

 「ははっ、それもいいが、お隣にいる未来の奥さんって奴も大事にしてやらねェとな? 真紀ちゃん、来年には一緒にここで泳げるかな?」

 俺が言うと、真紀ちゃんは顔を赤らめて答えてくれた。

 「はい、また皆さんにお会いできることを楽しみにしています」

 「それじゃ、僕らは真紀ちゃんのご両親にご挨拶していきますので。本当にありがとうございました雹さん。御恩は一生忘れません」

 二人はそう言って、手をつないで『磯の茶屋』の方へと歩いて行った。

 「雹さん……私、勘違いしていたみたいでごめんなさい」

 お誾ちゃんがしおらしく俺に頭を下げる。俺は笑って言った。

 「はっはっ、お誾ちゃん、謝らなくていいさ。俺って男はお誾ちゃんが思っているほど出来た男じゃねえ。お誾ちゃんが思うほどダメな男でもないつもりだけどな? でも、真紀ちゃんが水着着たら、いい女だろうなぁ~、く~っ! 山車氏が憎たらしいぜ! 痛ッ! お誾ちゃん、耳がちぎれるっ!」

 「もう、雹さんったら、せっかく悩みに悩んで、この水着を買って、着てくるのにも勇気が要ったんだから……なのに全然見てもくれないなんて……」

 お誾ちゃんが俺の耳を引っ張りながら言う。俺は思わず本音を漏らした。

 「だって、お誾ちゃんみたいな可愛い娘が、そんなすげえ水着着てるのをまともに見たら、俺のミッドナイト・ソードが戦闘態勢に入っちまうよ。そんなはしたない真似、できないだろ?」

 すると、お誾ちゃんは顔を真っ赤にして、その頬を隠すように手で覆うと、ジト目で俺を睨んで

 「……っ! 雹さんのスケベ! 女の子はね、水着着るまでの努力があるの! その努力を分かっているの?……ちょっと嬉しいけど……でも、そんな言葉を聞きたくて頑張ったんじゃないのよ?」

 そう言ってむくれる。俺は笑って言った。

 「努力の甲斐はあったぜ? 可愛くて素敵だよ。その水着」

 ……俺がお誾ちゃんのアックス・ボンバーをくらったのは、言うまでもない……。

【第12幕 緞帳下げ】

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