表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/65

8 洛陽城外戦

 洛陽。

 長く漢の都として皇帝が住む、中原最大の都市である。平野にあるため往来もしやすく、東西南北各方面へと道が伸びる交易の要衝でもあるこの街には、永い年月をかけて人と権力と金が集まり、その広大さは他の都市と比べるべくもない。同時に、広すぎるために守兵を多く必要とし、四方が開けているため攻めやすく守りづらいという、およそ戦には向かない街でもあった。


「で、アレをどうしろって?」

 明け方の薄明かりの中、呂布は遠く前方に広がる洛陽を見て誰にともなく呟いた。

 このところ何度か見る機会があったが、その洛陽とは違っている。広い洛陽が、さらに広がっているのだ。外壁の周囲に無数の陣が立ち並び、隙間はあるがそれが二重、三重に街全体を囲っていた。さながら、一つの巨大な陣のようである。

 点々と陣があるなら、その2つ3つを急襲し、潰して帰ればいいと考えていた。しかしこの状況だと、それは巨大な陣の一角を削るに過ぎない。潰した陣からは反撃はされないが、削った陣からの反撃は必至である。規模を考えると、包み込まれて終了、というのが妥当だろう。馬鹿でもわかるが無謀が過ぎる。

 ところが悪いことに、直前に首を持った使者を帰らせているのだ。このまま待っていると、向こうから大軍が出陣しかねない。そうなれば、戦に備えた相手との衝突である。『先手』という微かな有利すら失ってしまう。

 今は、董卓軍に動く気配はない。

(今すぐ行くしかない、ってか)

 こちらの兵は2000程度。その内ここにいるのは騎兵300で、残りの歩兵はまだ後方である。が、どのみち足の遅い歩兵を連れて行くわけにはいかない。

「黄青、今回は後詰を頼む。20で足りるか」

「10で結構です。撤退の合図、聞き逃さぬよう」

「おう、まかせた!」

 呂布は笑っていた。

 状況は最悪、完全に捨て駒扱い。しかしまあ、死に場所と考えれば悪くない。長い漢の歴史の中でも、あの洛陽を個人の軍で包んだ大物はいないだろう。この歴史的な大勢力、それを相手に回す。そうできることではない。今、この状況だからこそである。

(ま、進んでやりたいとは思わねえが)

 苦笑混じりに部下を振り返ると、皆と目が合う。常に最前線に行くと判っていながら、呂布の下を選んだ者たちだ。臆した気配などない。悪くない死に場所だろうと、無駄に死なせたくはない。

「行くぞ!」

 槍を掲げ、呂布は洛陽へと駆け出した。

 

 平野のため、隠れていた小さな丘からは距離がある。まず間違いなく、気付かれる。一直線に駆けながら、隣を駆ける黄青を見た。後詰を頼んだが、最初の突撃には黄青が欲しい。優秀な副官は当然のように並走している。

 俺は、恵まれている。

 勝てる、というのはあの大陣営相手に無理があるが、負けはしない。根拠のない自信が湧き出す。視線が合い、互いに一度頷く。

 敵陣からの長弓が届く距離に入る手前で、呂布の騎馬隊は大きく二手に割れた。距離を取って平行に進む。敵弓手が狙いを変更し、定め、放つ。その呼吸を読み、合流する。かわすのではなく、突撃に集中したままで敵の一射目を無駄にさせる。敵の反応は遅い。しかも、陣の広さから予想されるより飛来した矢がかなり少ない。狙いも甘く、広範囲にバラついている。弱兵か。普段なら強敵と対したいが、今はありがたい。再び二手に分かれたところで、もう敵陣前である。先手の価値はあった。まばらにいる敵兵には迎撃の気迫がない。黄青側の分隊が微妙に速度を落とす。

「董卓軍の雑兵ども!呂奉先が来てやったぞぉぉぉ!」

 己と部下を鼓舞する雄叫びを上げ、呂布はそのまま突っ込んだ。

 木組みの柵を手近な兵ごとすくい上げるように吹き飛ばすと、脚を止めずに返す一振りで天幕を薙ぎ払う。そこから左に旋回しつつ駆け抜けざまに柵でも櫓でも大振りで壊し、とにかく派手に道を開く。陣の先にも陣があり『抜く』ということができないのだ。全体の勢いを殺さず敵陣内で方向転換しなけれならない。うろたえる敵兵は後続に任せ、突破に専念する。そのままさらに左へ弧を描き、突入した面から抜けた。浅かったか。駆けながら確認する。分隊が同陣へ続けて突撃しており、その向こう側では火が上がっている。黄青の仕業か。二段構えの突撃といい、毎度の事ながらやってくれる。あれで多少なりとも包まれにくくなるだろう。敵陣から銅鑼が響き始めた。遅い。少し距離を取り、また左に回る。円を描き、敵陣へ向かう。奥の陣のさらに奥、洛陽の門は閉じたままだ。城壁からは矢も届くだろうが、射ては来ない。周囲に騎兵の動きもない。撤退の合図もない。

 もう一度行く。速度を上げ、再度突撃する。


 自身と後詰の10騎で分隊を離れた黄青は、後方へ下がった。歩兵を迎えて陣を作らせるために一騎、高都への援軍要請に一騎を使うと、残りを横に広く散開させる。動きがあれば、即撤退の合図を出すよう命じてある。

 おかしい。突撃の前に矢を放っていながら、銅鑼も鳴らさない。城内からの援護も援軍もない。広大な陣を見渡す。兵が、槍が並ぶのは見えるが、陣を出てこちらに向かう部隊はいない。騎兵はいないのか?城外に陣を構えて、そんなことがあるだろうか。しかし、では何故出ない?罠、とするには彼我の戦力差が大きすぎる。こちらが突っ込んだこと自体が、既に罠にかかったような行動なのだ。わざわざやられて引き込まなくとも、左右の陣を前に出すだけでこちらは三方を囲まれる。引き遅れれば包まれて終わりだ。だが、敵に出陣の気配はない。

 洛陽さえ守ることができれば、外の陣はどうでもいいということか?

 洛陽の門は閉ざされたままだ。そして徹底した守勢。僅かな隙も生まれない。呂布は2つ目、3つ目と陣を破壊して進んでいる。しかしそれは外側の陣であって、奥に進んでいるわけではない。内側の陣が動かねば、壁にすらたどり着けない。

 自分が指揮官なら、一度引く。いくら弱兵の脆い陣を壊したところで、この相手にとっては軽微な損害だ。対してこちらの危険が大きすぎる。密偵などで、こうまでして守る洛陽の内部を調べた方がよい。しかし、指揮官は黄青ではない。あの若は、おそらく。


(なめやがって…)

 怒りを込めて、逃げ惑う敵兵に槍を叩き付ける。

 弱すぎる。先の奇襲のときよりさらにひどい。昨日今日徴用したのかと思えるほどの脆弱さである。もちろん人間を槍の一振りで吹き飛ばす呂布の存在が原因の一つではあるのだが、本人はそれを考慮していない。戦場で、兵士が、攻撃の意志を持っていないことが気に入らないのだ。側面を突いてくる部隊もいなければ、矢も降ってこない。当然そういった隙を突かれないよう工夫して動いてはいるが、全く仕掛けてこないのならその工夫すら無駄な努力だ。そしてそれでいて、その弱兵を大量に並べた陣でもって洛陽を堅く守られている。それが、その余裕が何より気に入らなかった。

(そっちがその気ならとことんやってやるよ)

 奥歯を噛み締め、全身に気合を入れ直す。力が巡る。

 丸裸にしてやる!



 眼前を逃げる敵兵の一人を上からの一撃で叩き潰すと、そこから右に振り回して隣の兵を弾き飛ばす。もはや完全に斬れ味を失った大槍を手近な櫓に投げつけると、荒い呼吸のままで振り返った。円を描き、蛇行し、突撃し続けて来た長い敵陣には、天幕一つ残っていない。火の手はないが、方々で煙が上がっていた。背後で、大きな音を立てて櫓が倒れていく。敵が来る気配はない。櫓が倒壊し終えると、遠く銅鑼の音が聞こえてきた。2連続を何度も繰り返すのは、撤退の合図である。洛陽の城壁はいまだ陣に囲まれている。しかし、斬れない槍は投げてしまった。そっちへ向かうおうとするが、手応えが悪い。よく見ると、槍だけではなく馬の方にも限界が来ていた。



 結局。呂布は夜明けから夕暮れまで敵陣を襲い続けた。これにより、洛陽の東側に限れば、その広大な陣の実に3分の2、つまり三重の陣のうち、外側の二重までを壊滅させていた。

 破った陣の広さだけ考えれば、相当な打撃を与えたように見える。呂布側には被害もほとんど出ていない。部下の多くは、圧倒的少数であの董卓軍に大打撃を与え、こうして無事でいることに興奮していたが、同時に人馬とも疲労困憊であった。

 突撃開始前に隠れていた、小さな丘。今、そこには歩兵隊が造った陣があり、呂布隊は厳重に見張りを立て、ここで一時休んでいた。先程500の騎兵を率いて援軍に来た張楊とも合流している。

 そして陣の中央にある指揮官の天幕には、呂布・黄青・張楊の3人が集まっていた。

 

 黄青の解説を聞き終わった張楊は、大きく笑った。

「いやぁさすがは呂布殿、無茶なことをしますなあ!」

「無茶なもんかよ、あっちがザコだっただけだ。あれくらい、誰だってできる」

 今も不満気な呂布に対し、

「確かにやればできるかもしれませんな。ですが私ならやりません。およそ誰もやらんでしょう。やってせいぜい、一度突撃して帰る程度ですな」

 張楊は細いタレ目を細めて、楽し気にニヤリと歯を見せる。呂布は鼻を鳴らすと、拗ねたように視線を外した。

「効いてなきゃ一緒だ」

 全てを破ることはできず、城兵をおびき出すこともできなかった。守将らしき者さえいなかったのだ。董卓には、効いていない。

「しかしこれで呂布殿の評判は全土に広まるでしょうなあ。『あの董卓軍を300騎で蹂躙!』全国区ですぞ全国区。くっくっく」

「…確かに」

 笑いを漏らす張楊に、頷く黄青。

 人の気も知らんで、ではなく、知っているからこそ笑っているのだコイツらは。もう一度鼻を鳴らす。呂布の怒りは脱力と共に薄れていった。

「…それはさておき洛陽は気になりますな。その囲まれようでは間諜どころか商人も出入りできそうにありませんが、何をしているのやら」

 少しの間、場が沈黙する。西涼ヤクザが守りに徹して、兵を見捨ててまで都で何かをしている。状況が特別すぎて、予想すらできない。

 既に考えていない体の呂布と、腕を組んでいつもどおり何か考えている様子の黄青。騎馬隊を率いては来たが、さすがに再出撃する元気はない、か。二人の顔を確認して、張楊が声を出す。

「さて、それではそろそろ引き上げますか。洛陽の方はどうにかして探ってみましょう。ここの陣は監視用に置いておき、四方に手を広げさせます。お二方は兵をまとめて下さい」

 この陣は、洛陽が望めるほどに近い。追撃の予感はまるでないが、早々に引き上げた方がいいのは間違いなかった。呂布は右手を上げ、黄青は頷いて同意を示す。


 天幕を出た呂布を、薄暗い夕闇が包む。ゆるい風が心地よい。時間は不十分だが、突撃に参加した部下たちも高都まで戻る程度の体力は回復しただろう。しかし、冷静にそう考える呂布の腹の底では、燻っていた怒りが風に吹かれて再び火を上げようとしていた。

(…一日がかりであそこまでやられて、なんで誰も出てこなかった?西涼ヤクザ(、、、)だけに将はいないのか?華雄は、あのオッサンはどうした!あの顔で家でおとなしくしているなど、許されると思ってんのか!?あの顔で!)

 洛陽まで行って、直接怒鳴りつけてやろうか!その怒りが己の顔に滲み出したところに、間も運も悪い兵が声をかけた。

「呂布将軍!ひぃっ?」

 呂布は部下に怒りを向けることは滅多にない。が、ごく稀にある。そしてその時は、誰もが知る凶悪な武勇の的にされるのだ。死人が出たことはないが。うまく逃げなければ骨の数本は軽く持っていかれる。部下の間では『怒れる若からはとにかく逃げる』という常識があった。ゆえに、報告のために声をかけたこの若い兵が呂布の形相に恐れを感じたとて、何もおかしなことはない。むしろその様子を見た呂布の方が、怒りを向けてしまったことを反省した。

「いや、すまん。どうした?」

「も、申し上げます!洛陽から騎馬が一騎、こちらに向かっています!」

「!それはさっさと言え!」

「すいません!」

「黄青と張楊を呼べ!俺はその騎馬を迎えに行く!」

 常識どおり逃げだしている兵の背中に命じ、呂布は洛楊側へと走り出す。

 自分が出迎えるべき相手だと、確信に似た勘が告げていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ