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7 丁原の暴挙

「それでは、御武運を」

「そちらもな。お互い、精進しよう」

 翌朝、公孫瓉軍が陣を引き払った後で、両軍は別れた。


  

  

「あの突進、あれはどうやってるんだ?単に脚力がスゴい、ってだけじゃないだろ?」

「箭疾歩ですか。あれは動作と歩法に特徴があってですね、こうやって‥‥こんな感じで」

「ふむふむ…」

  ~


「手足に鉄防具をつけててあの速さ、しかも背中でも攻撃できる。まさに死角無しだよな。相当に鍛えてるんだろう?」

「死角が無いことは無いと思いますが、手甲・脛当ては武器も兼ねているので、常に身につけてますね。今も着けてますよ、ホラ」

「おおっ!?そりゃあ鍛わるわな…」

  ~


 撤収作業を手伝いながら聞いていた趙雲の武術談義は、ためになる上に心躍るもので、呂布個人としてはできれば幽州まで同行したかったのだが、いかんせん気ままに放浪しているわけではなく、部下を率いている。それに并州・晋陽しんようの本拠に戻るのがあまり遅くなると、着いてから何かと面倒なことになりそうなので、やむなく諦めたのだ。

「帰る場所がなくなってるかもな」

 こういう皮肉には黄青は反応してくれない。

 真直ぐ北上し、并州に入る。

 并州最南の街・高都こうとまではこの州境から数日はかかる。急げば縮めることもできるだろうが、趙雲に分けてもらった夜具と食料がある。夜を徹してまで一日を縮めなくてもいいだろう。董卓軍が洛陽を出ていれば大事だが、公孫瓉軍の斥候によれば追手はないという話だったし、あの虎顔の華雄は一度見逃した相手に追撃をかけるような妙な真似はするまい。

 かくして、のんびりと進む呂布の部隊。道中、呂布がやることといえば、趙雲戦の反省会である。

 先手を取ってどうにか勝ちを拾ったが、ギリギリの勝利だった。渾身の突きに対して、交差法的に拳を打ち込まれたのだ。実のところ、鳩尾から体の芯までが今も痛む。避けられることはあると思っていたが、あれは予想外だった。たまたまうまい具合にかすった突きで趙雲が膝を着いたから、痛みを無視して攻めを継続できたに過ぎない。あちらもとっさの判断だったようだが、あれが最初からそのつもりで動かれていたとすると、どうだ?完全な形で交差法を決められて、倒れるのは自分の方だったハズだ。

 呂布は馬を止めた。

 考えているだけで、体温が上がってくる。全力で向かって、正面から迎撃されたのだ。それも、素手で。

「…へっへっへ」

 こんな楽しいことがあるだろうか?

 こぼれた笑いに、先を行く黄青が振り返る。

(ウチに着くまで、色々付き合ってもらうぜ)

 などと、既に呆れ顔の兄弟弟子に言わずもがななことを言うのは止めておいて、

「ウチにいたんじゃこうはいかねえ。ほんと、この世は広いな!」

 師匠は間違いなく強い。しかし華雄のような剛力、趙雲のような様々な武術との勝負は、一人の師匠からは得られない経験だ。もっと多くの強者と戦いたい。腕を試し、さらに強くなりたい。今までもそう思ってはいたが、今回真に強い者と手合わせしたことで、その気持ちはより強く、より具体的なものになっていた。

(帰ったらすぐにでも師匠に言ってみよう!)

 視線の先は并州、だが、期待に膨らむ心は、背後に広がる中原へと向かっていた。

  

  

 并州丁原軍本拠地・晋陽。

 奇襲で得た糧秣・武具と共に手際良く撤退した丁原は、途中、洛陽から最も近い街、高都に全兵力の3分の1を残し、張楊ちょうように守らせた。


 張楊は、丁原軍には珍しく知恵のある武官である。元々は、丁原が刺史に任命された際に朝廷から派遣されて来たいわゆる“お目付け役”であった。が、并州統一で勢いに乗る当時の丁原軍に単身で乗り込んで、まるで動じた様子を見せない張楊の胆力を丁原が気に入り、引き抜いたのだ。張楊の方も腐敗した朝廷を出るつもりだったので渡りに船とそれを受け、今では腹心として前線を任されるまでになっていた。


 その張楊からの報告では、董卓軍は再び洛陽周辺に簡素な陣を並べているらしい。

(攻めてくるのかと思ったが、何だ西涼の根性なしどもが。ごたいそうに兵力を見せびらかしても、所詮ザコの集まりじゃねえか。もう一丁かっぱらいに行っとくか?)

 侮蔑と余裕に顔をにやけさせ、次の攻め手を考える。

 いくら董卓がヘタレでも、この前と同じ、とはいかねえだろう。失敗上等で無理攻めするとなると、捨て駒がいる。やはり呂布か。丁度高都に戻ったらしいがあの野良犬、エサ代の分程度の役には立っているものの、なつかないどころか体も態度もデカくなって、そろそろ目障りだ。ここは董卓の罠に飛び込ませて、死ぬまで働いてもらうか。

「親父!親父!」

「うるせえぞ!」

 思考に水を差した部屋の外からの大声に、反射的に怒鳴り返す。

「すいやせん!…董卓からの使者ってのが来てますぜ」

(あぁ?)

 予想外の展開に、一度思考が止まる。

(使者だ?何の話がしたいのか知らんが、兵も出さずに使いをよこすとは、この俺をナメてんのか?小物が。その態度、改めさせてやるよ)

 ただ一度の奇襲成功で尊大さに輪がかかっている丁原は、使者に会うこともなく出兵を決めた。

 そうと決まれば使者に用はない。もとより、丁原には董卓と話すことなど何もない。強いて言えば、「腰抜け」と罵ってやりたいくらいだ。それだけ伝えて追い返すか。

 …いや。

「通せ」

 そう答えた丁原の顔には、いつにも増して歪んだ笑みが浮かび上がっていた。

  

  

 午後の高都の街の大通りを、一騎の早馬が人をはねる勢いで駆け抜けていった。

(何だありゃ)

 通りに面した武具工房の中でそれを見た呂布は、軽い疑問を抱いた。

 晋陽方面から洛陽の方へと向かったのだから、丁原が董卓に出した使者なのだろう。しかし何のためだ?和睦を申し込むワケがない。かといって現状で董卓に降伏勧告するほど完全な馬鹿ではない。ハズだ。

(ま、どうせろくなことじゃないんだろうな)

 先の夜襲でどのみち戦は予約済みである。どんな使者を送ったところでそれは変わるまい。呂布は興味を失った。そして自分の用事に意識を戻す。

「お!コイツはなかなかいい感じだ」

「ありがとうございます」

 高都について真っ先に注文した手甲・足甲が完成して、その着け心地を確かめに来ていたのだ。手袋・長靴に鉄板を付け足したような簡単な作りのもので、思っていたより少し軽いが、手首などの動きを邪魔することがなく、理想的である。嬉しそうに両手を握って、開いて、と繰り返す呂布を見て、工房の主人も満足気だ。

 これはもちろん趙雲の真似事なのだが、彼のように拳や蹴りで戦うのではなく日常的に体を鍛えることが主な目的のため、強度よりも動きやすさを重視して作ってもらったのだ。高都で数日待つことになったが、常に着けるものだからこそ、いち早く欲しかった。

 主人に改めて礼を言って通りに出る。日差しが暖かい。…手袋は、少し暑いかもしれない。

 と、また晋陽側から馬が駆けて来た。見ると、

「若!」

聞き慣れた若い声がして、その馬は呂布の前に止まった。馬上の見慣れた中年男の顔には、珍しく疲れが見える。

「師匠、何やってんだ?」

「ここを、早馬が通りませんでしたか?」

「ああ、それならさっきえらい勢いで走ってったぞ」

 それを聞いて、黄栄は大きなため息をついた。

「行きましたか」

 そう言うと、ゆっくり馬を下りる。長距離を駆け続けたのだろう、その馬の息は荒く、体は汗だくになっていた。鼻筋を撫でてやる。

「で、何があったんだ?」

 地面に降り立った黄栄はその問いかけに困ったように微笑むと、

「まずはご無事で何よりです、若」

と一礼してから、事のあらましを説明しはじめた。


 先日、晋陽に董卓から和睦の使者が来た。それを丁原が断ったのだが、ただ断ったのではない。使者と共に来た2名の護衛を斬り、土産とばかりにその首を持たせたのである。この時点で呂布はもう言葉を失っていたのだが、まだ続きがあった。丁原は何人か直属の部下を呼ぶと「使者が并州を出るまで、死なない程度に追い立てろ」という命令を出したのである。

「い、いよいよ狂ってやがる」

「いやあこれには私も驚きましたね。で必死で馬をとばしてどうにか追撃をやめさせて、そのままここまで来たわけです」

「そいつは、ご苦労さん」

 聞いただけでこの疲労感である。大きなため息をついた後、二人はしばらく無言で洛陽の方を眺めていた。


「なあ師匠」

「なんです?」

「その使者、守ってやっても手遅れだったんじゃないか?」

 既に散々な目に遭っている。董卓に報告する内容は、追撃の有無では変わらないだろう。

「そうですねえ」

「追いついたら、どうするつもりだった?」

「それはまあ、斬るしかなかったでしょうね」

 ボロボロで董卓の元に帰られるくらいなら、いっそ帰さない方がマシではある。それはそうなのだが。

「…こんなとこにいたら駄目だな、人間が腐っちまう」

 呂布は通りに向かって大きく伸びをした。黄栄はそれを目で追う。

「この間、趙雲殿と手合わせしたんだ。強かった。アイツはまさに想像できないような強さで、こっちも遠慮なく全力で戦った。それでも、拳で鳩尾を打ち抜かれた。こっちは剣で突いてるのに、拳だぞ?」

 横を向いたまま嬉しそうに話す弟子の顔を、師は優しく見つめる。機会、運命。やはりそういったものがあるのだろう。

「俺はもっといろんな奴と戦いたい。もっと、強くなりたい」

 素直な言葉に、気づけば黄栄は満面の笑みで頷いていた。

 呂布の強さは本物である。并州で、自分の下でできることは、もうほとんど無い。外に出してやらねば、と考えていた。さまざまな経験を積み、『最強』の高みへ、そしてその先に己の道を拓くために。それをこの優秀な弟子は、自然と強敵に出会い、自ら外に出ようとしているのだ。なんと嬉しいことだろうか。

 邪魔をするわけにはいかない。

 黄栄がひとまず同意の言葉をかけようとしたところに、

 「呂布殿!」

 三度、馬が駆けて来た。今度は丁原軍の兵である。彼は二人の前に馬を止めると、降りるやいなや言い放った。

 「急いで戦の準備を!先手を取って洛陽を攻めろって、親父からの命令ですぜ!」

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