表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/65

55 并州山中の戦い

 赤茶に色づき始めた木々の乱立する山肌に、微かに伝わる振動。徐々に近付き大きくなっていくその蹄音は、大地に響き、震える大気は漆黒の群れを先導する。揺られ舞い落ちた落葉が、地に届く前に再び舞い上がった。旋風を残し駆け抜ける真紅の馬体と、無数の影。


 并州へいしゅうの山に入って1日以上経っている。晋陽しんようまでの道程の半分は越えたハズだ。夕刻、敵地らしからぬ心地良い涼風の中を駆けながら、呂布は記憶を頼りに頭に地図を描いた。

 あと2、3、峠を越せば、山を抜け、その先にはなだらかな下り斜面の盆地が広がっている。盆地の中央を小さな河が横切り、さらに奥には汾水ふんすい(河の名前)の流れが山際に線を引く。晋陽の街は、その汾水を跨いで造られていた。


 赤兎の脚に疲れの色はない。横目で隣を見ると

「?…ウス!」

まだまだいけるようだ。さすが、優秀である。このまま直進すれば日暮れ前には着く。夜を待つため、休息する余裕ができていた。対して、未だ敵の気配は無い。

(気にいらねーなー)

 道中で敵を蹴散らし街の守兵を引っ張り出す、そのぐらいしか考えてなかった呂布は、不満であった。いっそこのまま突っ込んでやろうか?この少数を見れば、さすがに迎撃に出てくるだろう。そこをガツンと叩いてやれば

「おい」

 声に振り向けば、張遼が傍まで来ていた。視線が冷たい。言いたいことは、ハッキリ顔に書いてあった。

「……わ、わーかってるよ、最後の山を越す前に一旦止まって様子見だ」

 この一言だけで、周辺確認のため後続の数騎が静かに散開する。

「ウス、前は俺が見てきます!」

 脚を緩めた呂布に言い残し、加速する成廉せいれん。呂布の開けた口に、仕事は無かった。

「………張遼」

「なんだ」

「お前ら、本当に優秀だな」




 4000騎を従え、山道を駆ける張燕ちょうえん。残りの1000騎には足跡を追跡させた。歩兵5000の内半数はせんの町へ戻し、他は山中を捜索しつつ晋陽へ帰還。その晋陽には早馬を出し、門を閉ざし周囲に警戒するよう指示してある。

 蹄の跡はせいぜい100騎分。無視して進軍を続ける選択肢もあったが、張燕は判断を迷わなかった。各方面に兵を出し手薄になった直後の本拠を狙う、機を得た奇襲である。考え無しに少数で突っ込んで来たわけではあるまい。ここは守りだ。

 最善手を打ち、自らも一路晋陽へと駆け戻る張燕は、さらに状況を読む。直前の報告でも、ぎょうの兵数は減っていなかった。そして、この一見無謀な奇襲。これまであしらってきた袁家の連中とは、毛色が違う。つまり、今回の奇襲部隊は。

(呂布、か)

 おそらく、間違いない。涼州の騎兵は山を平地の如く駆けると聞く。蹄跡を見つけた時点で本隊は影も形も無かったあたり、眉唾ものでもないのだろう。だからこうして全速力で引き返しているのだ。いくら速いと言っても山中と道、あちらが山を抜ける前に先回りし挟撃、いや、いっそ山中で包み込むか。こちらもこの山地を庭としているのだ、戦場に問題はない。木々の中で囲まれ脚が止まれば、どれ程強力な騎馬隊でも雑兵同然である。


 真面目な張燕は、相当に慎重だった。敵は100騎、あるいはそれ以上の可能性を考えたとしてもせいぜい2、300。それを後方3500、前方4000の兵で挟むというのだから過剰に磐石である。しかしそれは、未知の猛将・呂布の力を侮ることなく万全必勝を期す、賞賛に値する判断であった。そしてその優れた用兵は、実際呂布達が山を抜ける前の先回りを成し得たのである。

 それでも。

 それでも張燕は、想像の範疇を、常識の限界を超えることはできなかった。

 



 後方からの追撃に最初に気が付いたのは、例によって曹性そうせいである。

「門、閉まってました!やる気無しッス!」

 単騎での先行偵察から戻った成廉が小声ながらも勢い良く報告を終えたその時、早足で近付いた曹性も

「若、後方で、木が揺れてます」

小声で静かにそう報告した。

 夕暮れと夜の境目、遠方がかろうじて見える時間帯。大きく吸った空気が、冷たくなってきている。ニヤリと歯を見せた呂布が戟剣を手に倒木から腰を上げると、周囲の全員が立ち上がった。びっくりして周りを見回す曹性。

「よーし!反転して、そいつらに突撃をかける!」

 言いながら呂布は赤兎に跨った。合わせて全員が騎乗する。曹性だけが、

「あ、ええと幅はこっちの5倍くらいで長さは不明、500以上の騎馬隊と思われます!」

早口の報告を残し、自分の馬へと走って行った。

 こちらは尾根付近、見下ろしたとはいえさすがは曹性、暗がりでも良く見ている。

「せっかく上を取ってるんだ、正面衝突といくぞ!」

 

 呂布の判断は単純だった。最接近した相手に突撃し、これを最速で撃破する。それだけである。次が現れる前に撃破すれば、脚を殺されなければ、どんな大軍相手でも問題は無い。それは、尋常ならざる武勇と最強の騎馬隊を併せ持つこの呂布軍だからこそ実現可能な、暴力的で理想的な戦法であった。


 木々の間を夜風の如く駆け下りる赤兎。左右に振れて幹に当たればタダでは済まない速度である。呂布は右手の得物を下段から後ろに引いた。やることは決まっている。暗い上に狭い視界は次々と黒い木をかわし、空を切り行く耳には微かに馬のいななきが届いた。抜けた先で切っ先が白く輝く。来た!全力で振り上げた戟剣が、敵騎兵の槍を遥か木立の上へと打ち上げる。夜の山に響いたその乾いた金属音が、戦の合図となった。



 呂布が打ち上げた槍の音は、まさにその行く手を遮らんと山の先の平地を駆けていた張燕にも届いていた。

 南の山中から、ということは追撃部隊だ。側面を突くため先行して半数の2000騎を山へと進ませたが、やはり正解だったか。音の元へと馬首を向け、張燕の隊も直進を開始する。総勢5000騎、加えて追撃部隊の後詰に歩兵が2500。勝利を確信した張燕は鼻で笑った。呂布、何ほどのこともない。むしろ同士討ちに気を付けないとな。



 戟を叩き付け刺し貫き、馬ごと跳ね飛ばして進む呂布の速度は、ほぼ落ちていない。その怪物の隣で、成廉は速度に集中していた。槍は突きのみ、外しても構わない、脚を優先する。正面から迫る敵と木々の隙間を見切り、跳ねる馬体と一体となってその穴を押し広げ突き進む。一頭また一頭と抜けるに連れ徐々に感覚が慣れていく。対して敵の動きは悪くなっていた。隣から吹き飛ばされた身体が視界を横切る。マジッスか?開けた視界で敵が剣を振りかぶっていた。右手が勝手に槍の狙いを定める。ようやく。相手の動きに構わず思い切り突き出した。確かな手応え。

「やるな成廉!」

 ようやく狙って敵を貫いた成廉に、隣の呂布から楽しげな声が飛んだ。若干速度を落とし緩やかに左へ曲がる呂布に併せ、共に曲がる。どうやら敵中を抜けたらしい。

「次が来てる、いけるか!?」

 答えようとして、自分が笑っていることに気付いた。正直余裕は無い。だが。

「ウス!まだまだッス!」

「よぉしいい返事だ!」


 

「殿ぉっ!左に気配がありやすぜ!」

 風の音に駆ける音、そして敵の喚声が入り混じる中、そう叫んだ候成こうせいさんの声は先頭の若に届いているのだろうか?涙目になりながら必死で手綱を握り締め、ただただ斜面を駆け下りる曹性。軍の中央にいるため敵の攻撃は届かないが、そんなものは無くても十二分にギリギリだった。左手の奥、暗い木々のその向こうからは、確かに何かの動く音と振動が微かに伝わって来ている。言われてみて初めて気付く程度のその気配に、候成さんは左翼の端で戦いながら気付いたのだ。曹性は余裕も無いのに左を見た。無数に通り過ぎる黒い木々の奥に、一瞬小さく映るワシ鼻。と馬が大きく揺れ、慌てて前を向きしがみついた。

 剣を振り上げ血を振り飛ばす候成の影姿。普段の調子を一切残さず、殺気と暴力に染まっていた。曹性は思い出した。共に訓練し、日々を過ごし、どうにかこうして一緒に駆けているが、そうだ。候成さんは、あの徐栄じょえいさんの下で、あの黒い殺気の元で、あの最強の、最恐の騎馬隊の一員として長年戦ってきた、そして生き残ってきた、そういう人なのだ。

 あの気の良い年上の友人の、足を引っ張るわけにはいかない。

 曹性は『進軍』の鏑矢を手早く左手に向け射放った。音を残して矢は闇に消える。自分にできるのはこれくらいだ。そして“そういう人”に囲まれていることに改めて気付いた曹性は、とにかく遅れず走ることだけに集中することにした。



 曹性の奴のおかげで次が左から来ているのは判った。返事を聞いた限り成廉もまだ行ける。張遼、候成は、まあ考えなくてもいいだろう。呂布は得物を一振りし、速度を上げる。数えちゃいないが軽く20人は斬った。相手はとりあえず1000騎くらいだったか。小分けにしてくれるとはありがたい。さて、次はどうだ?駆け下りた分、高さの有利は無くなった。斜面でのぶつかり合い、むしろ若干相手が高い。

 身体に伝わる赤兎の力が増し、呂布は笑った。

「そうだな、まだあったまって来たところだ」

 手綱を離し、両手で握った得物に力を込める。さっきより脚が遅れる分、打ち合いが大事になる。足元は任せて、存分に暴れさせてもらうか!



 一度止んだ喚声と剣戟が、左へ移っている。交戦地へと直進していた張燕はその進路を左へと曲げた。止む前より遠い。位置的に、戦っているのは先に山に入れた2000騎だろう。追撃部隊は破られたのか?この短時間で?

(……まずい!)

 賢明な張燕は気付いた。引き離されている。戦いながら進んだはずの敵軍が、全速のこちらよりも速いのだ。2000騎で止められるならいい。だが、既に1000騎を破っている。あちらに2000を破る戦力があるとしたら。

 何としても追いつかなければならない。2000が破れるのなら、その次は、この本隊2000なのだ。全速を越える強引さで、張燕は山中を駆け抜ける。



 鋭い2段突きが閃き、敵兵が2人馬上から崩れ落ちた。その槍は迫る刃を薙ぎ払い、更なる敵兵の首を跳ね飛ばす。周囲の敵は、今ので最後だ。

「フン、呂布の奴め」

 そう吐き捨てると、張遼は呂布を追って駆け出した。全く、いらん苦労を押し付けてくれる。あの無計画馬鹿、どうしてくれよう。

 新手の敵軍に突っ込んだ呂布軍は、横長に展開していた敵軍の中で左折し、その中央を食い破るように駆け上がった。つまり、突撃地点より右手側の敵を放置していったのである。隊の右翼を任されていた張遼はその前を通るのだ。当然、相手をせざるを得なかった。殿の数騎と共に退きながら戦い最終的には殲滅したが、多勢相手に脚を使えない戦いというのはさすがに疲れた。相手が山中戦にもっと長けていたら、危なかったかもしれん。

 苛立ちをはらんだままの道すがら、壊滅状態の敵を横目に張遼は思った。騎馬で山に入って進軍するその姿勢は認めよう。だが弱い。山中でも駆けながら戦えなければ意味が無いではないか。

 傷つき、弱々しく足元をうごめく敵兵に、張遼は言い放った。

「貴様ら、曲がりなりにも黒山賊《、、、》と名乗るなら、山中で戦う訓練くらいせんか!」



 再び尾根に上がった呂布は、山を見下ろしながら呼吸を整えていた。100人以上斬った気がする。得物も身体も、血に塗れていた。さすがに少々疲れたが、ただ敵兵の動きはさほど良くなかった。脚が使えていないのだ。それは人を枝葉のように斬り飛ばす呂布が原因でもあるのだが、本人にとっては考慮の外である。呂布の意識は次へと向かっていた。

 月明かりのみでは判りにくいが、西の山裾のあたりに不自然な揺れがある。歩兵の部隊がいるのかもしれない。片や南側からは、明らかに騎馬隊の気配が近付いていた。北東の平地には兵の姿は無い。張遼は追いついてきたばかりだが、南の騎馬隊とは距離が余り無い。

「もういっちょ、行くか!」

「ウス!」

 肩が上下しているが、さすが成廉、根性がある。その向こうでこっちに近付いて来ている張遼の目がコワかったので、呂布は思い切って駆け出した。



 向かう先で、再び、剣戟は止んだ。聞こえて来るのは低い呻き声のみ。間に合わなかったか。速度を緩めた張燕の真正面の木陰から黒山兵が1人、よろめきながら走り出た。右腕が力なく垂れ下がっている。

「おい、大丈夫か!何があった!?」

 恐怖に歪んだ顔をこちらに向け馬にぶつかるようにして立ち止まると、男はその場にへたり込んだ。馬を完全に止め、下馬して近寄る。焦点の合わない目で、男はしきりに首を振っていた。

「……駄目だ……化け物……」 

「しっかりしろ!」

 肩を掴んで揺さぶるが、反応は変わらなかった。「化け物だ……」ただそう繰り返す男を傍の木の根元に座らせ、張燕は馬上に戻った。

 一体何を見たらああなる?疑問と共に、張燕はようやく気付きだしていた。常識では有り得ない、想像できない何かがあるのだ。同時に頭も回り出す。敵の行軍速度、撃破の勢いから考えられるのは、『向こうは山中でも平地のように戦える』ということである。こちらも山で戦うことに慣れてはいるが、平地と比べれば当然動きは鈍る。常識で考えればそれが当たり前なのだが、どうやらあちらは違うらしい。既にこちらは3000騎を破られている、同じ轍は踏めない。満足に戦えない山地を捨て、張燕は東の盆地へ向かった。条件が同じであれば2000対100、勝機は十分にある。こんなわけのわからん相手に、ここまで築いてきた黒山賊を潰させるわけにはいかないのだ。



 敵軍の影が山から平地へ出るのを見て、呂布も迷わず山を抜けた。あの動きは、奇襲や逃走じゃない。脚を止め、距離を開けたまま隊列を整える。闇夜の中、敵軍の中央に一つ、火が灯り、そこから等間隔で左右に飛び火していく。あちらは既に整ったようだ。

「正々堂々、って数でもないが……」

 呂布は笑った。だが、こういうのは嫌いじゃない。

 と、背後で火の点く音がした。黄色い光が背中を照らし、次いで、風が布を打つ。

「……どっから出してくるんだ、それ」

 振り向き見上げた先には、紅の『徐』の文字。

「どうせ見えん、構わんだろう」

 心なし楽しげな張遼の声。呂布はもう一度血文字に目をやり、正面に向き直った。

 構わんどころか、光栄だ。気合と緊張が身体を走り、背後の空気が熱く、重くなっていく。身体に纏わりつく疲労感は吹き抜ける風と共に意識の外へ消えていき、全員がその背に、あの頼もしい狂気を感じていた。 




 月明かりの下に両軍の将が相対した、丁度その頃。


 狂気の風に豪華な飾りの揺れ惑う夜の鄴の街に、文醜の怒声が響き渡った。

「そやつこそ、呂布こそが、黒山賊ではないか!」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ