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45 対 馬騰

 全方位から上がる喚声と熱気が渦を巻き、己の声が聞こえないほどの盛り上がりを見せる臨涇りんけいの街・練兵場。異様な喧騒に、周辺の住民も「何事か?」と顔を出す。そして人が輪となったその中央で、拳を振り上げる涼州兵たちに陽気な笑顔で手を振り返す、その棟梁。

(…これは、受けていい、んだよな…?)

 さすがの呂布も迷った。


 この一月、戦う姿を見る機会は無かったが、『西涼の馬騰ばとう』と言えばあの師匠の口からその名前が出たこともある、当代の豪傑の一人である。当時は単純に「機会があればぜひ手合わせしたい!」などと思っていたが、まさかこんな状況になろうとは。

 個人的には、もちろんやりたい。しかし敗残手負いの自分達を無条件で匿ってくれた、貂蝉ちょうせんを手厚く看護してくれた大恩がある。真剣勝負ではないとはいえ、偉大な恩人に刃を向けていいものか?義父・董卓の兄弟分、ということもある……これはまあ、大丈夫か。あの親父殿なら「いけ!奉先!やっちまえ!」とか言って笑ってそうだ。馬騰殿のあの楽しげな顔、さすがは兄弟分。……いや待てよ?そうか、恩人がああいう性格である以上、向こうが望んでいるワケだから、これは受けるべきなんじゃないか?むしろ、受けることが恩返しになる、と言うこともできるのでは

「できませんよ」

「!?聞こえてるのかよ!?」

「若の考えなど」

 すぐ背後で、ほとんど表情を変えずに告げる高順。

「いやー、けど、じゃあどうすんだコレ?」

 改めて見回しても、周りの熱は相当なものだ。近くにいないと互いの声も聞こえないだろう。今さら「ナシで!」で済むとは思えない。呂布は高順に顔を向けた。副官は小さく息を吐いた。

「…恩義はともかく、受けざるを得ません。あちらに恥をかかせてしまいます」

「そうか、だよな!」

 輝く視線を冷たい半目が受け止める。

「何かあれば、止めます」

「おう、任せる!てことは思い切りやっていいんだな!」

「…」

 そうこうしている間に、周囲の騒ぎが収まりつつある。呆れる高順に背を向け、呂布は勢いよく馬騰へと向き直った。


 開いた右手を水平に伸ばし、馬騰は周りを鎮めていた。自身の足元を見るように下を向いたまま、ゆっくりと、空を撫でるように右手を動かし、左腰の剣へと回す。騒ぎの収束と共に、先程までの朗らかな空気が薄れていく。右手は柄に合わさり、無骨な指が静かにたたまれる。群衆の中、ゆえの静寂。右手は剣を握り締める。時が止まったかのような一瞬が訪れ。

 次の瞬間。

 馬騰は右下に剣を抜き放った。黒い曲刀。同時に上げた顔には不敵な笑みが浮かぶ。


 身体にハッキリ感じる程の圧力を浴び、呂布は知らず槍の構えを取った。口元は笑っているがその眼光、その姿が放つ迫力は今まで見た誰よりも強大で、しかも

(来る!)

馬騰はその圧力をもったまま突っ込んで来ていた。大気が押され、風が起こる。頬を撫でるその感触に、呂布も笑っていた。これが『格』というヤツか。戟剣を右に引く。圧力が増す。姿が巨大に映る。なんて迫力だ。が、気迫だけで先手を渡すなど。

(それこそ失礼ってモンだよな!)

 肌が震える感覚の中、呂布は左足を踏み込んだ。全身の動作を繋ぎ一閃させた黒い刃が裂空の唸りを上げて圧力を斬り裂く。いい手応えだ。馬騰は右手の刀を回している。下段からの斬り上げ。鋭い。が、片腕。押し切る!刃が交錯する。


 甲高い金属音が響いた。重い。僅かに軌道が上にズレる。直後、もう一度衝撃が襲った。

(!)

 刃は空を切り天へ向かう。剣の間合い。呂布は全力で戟を引き戻し、そのまま叩き付ける。上段に構えた馬騰は脚を緩めず迎え撃つ。頭上で刃がぶつかり合い、間合いが潰れた。力比べか!?しかし得物の手応えは一瞬で消え、替わりに柄が顔面へ飛んで来た。咄嗟に上げた左手が間に合うも、手ごと打撃を喰らう。と同時に左脚に衝撃が走った。横から蹴り上げられ完全に体勢が崩れる。呂布が直感的に右手の戟を剣として回し頭上を守ったのと、その呂布に向かって馬騰が大上段から曲刀を叩き付けたのは殆ど同時だった。


 再び甲高い音が響く。刃は防いだものの背中から地面に叩きつけられた呂布はそれでも素早く横転し、槍の構えで立ち上がった。しかし馬騰は既に目の前で刀を振りかぶっている。

(しつこい!)

 襲い来る斬撃に対し最短距離で戟剣をぶつけると、呂布は思い切り後ろに跳んで距離を取った。馬騰は追って来なかった。

「何たる剛力、手が痺れたぞ」

 笑みを浮かべたままそう言って曲刀を持ち替え、右手を何度も払う。

「…どっちが」

 初撃、打ち合って負けたのだ。右の斬り上げに重ねて左手の甲を打ち込む2段構えの防御、その技も凄いが、そもそも斬撃の重さが異常だった。華雄かゆう関羽かんうのような剛の者と比べれば確かに劣る。しかし馬騰は片手で、しかも渾身の一撃というわけではないのだ。どう動いたらあんな威力が出る?ハッキリとは解らない。判っているのは、馬騰はその力を狙って出せるということだ。でなければ守りには使えない。

 その上で、あの間隙の全く見えない攻勢。流れるような、という感じではない、もっと実戦的な、反射的とも思える乱暴な連撃。

 『格』は、伊達ではないのだ。己の上を行く相手に、呂布は師を思い出した。戦い方はまるで違う。だが、おそらく同じなのだろう。経験の差。ただの回数ではない、命を懸けて数多の戦を繰り返した達人の身体に染み付いたそれは、絶対に追いつけない部分として確かに存在している。

 ただ、だからこそ。

 久々に全身を駆け巡る熱量に、呂布の顔が楽しげに歪む。鮮明な視界の中央に馬騰を捉えた。

 だからこそ、越え甲斐があるというものだ!



(西涼の馬騰、これほどか)

 高順は心底驚いていた。あの若の一撃を打ち払う人間がいるとは。曲刀と左手の2段、初段には突進の速度を乗せ、2段目も速度を殺さずそこに踏み込みを併せてさらに威力を増した、といったところか。良い技を見た。

 そしてその後の苛烈な攻め。力を入れる暇すら与えないその連続性に、高順も師である父の姿を見ていた。どう動いても、まるで知っていたかのように対応した父。やはりあれは“どう動くか”を予見しているのではなく、“どう動いた(、、、、、)場合でも有利を取る(、、、、、、、、、)術が身に付いている”ということだったのだろう。父は極めた剣術の特性もあってそれを『受け』に使っていたが、眼前の馬騰は『攻め』に使っているのだ。それゆえに、相手が不利になる攻撃を、相手の反応を超えて次々と繋いでいくことができる。

 高順は知らぬ間に笑っていた。これは久々に、無双の兄弟子が負ける姿を見られるかもしれない。



「…さて、ではもう一丁いこうか?」

 手首を振り終え、再び右手に曲刀を移す馬騰。先程同様特に構えを取らず、自然体のまま前傾になり、駆け出す。

「おう!」

 今度は呂布も動いた。地を蹴り、大きく踏み出す。絶対的な経験を超える、そのためには。

(見たこともない速さってのを見せてやる!)

 さらに踏み出し加速した先で強引に身体を縮める。向こうも走っている。突けば届く距離。ここから箭疾歩せんしっぽで突きを放つ!体中が沸き立つ感覚。鮮明に狭まる視界は馬騰だけを捉えている。

(死んでもしらねえぞ!)

 縮めた身体を、解き放つ。その寸前。

「ぃてっ!」

 梅の実程の石が額を直撃した。思い切り前に向かっていたため気付いた時には当たっていた。しかも相当痛い。そして

「悪いな呂布殿、行儀が悪くて」

機を逃させられた呂布の前には、刀を引き絞った馬騰の姿。

「汚ねえ!」

 槍の間合いの内に入られている。受けられない。呂布は構わず強引に箭疾歩で突っ込んだ。いわゆる体当たりである。馬騰の斬撃が右肩を裂く。呂布は左肩から馬騰に激突した。二人一緒に数歩分吹き飛び、着地と同時に互いに飛び退く。直後、双方が踏み込んだ。三度、練兵場に金属音が響き渡る。


「やるな、さすが呂布殿!」

「…!」

 刃での押し合いの最中、呂布は無言で睨み返した。体当たりは、畳んだ脚を肩に合わされ威力を殺されていた。肩の斬られ損である。というかその前の石!あれは何だ!怒りが力となって戟剣を押し込む。

「おおお、これは分が悪い」

 曲刀の背に左手を添えても耐え切れない剛力に徐々に押し込まれていた馬騰は、突如刀を寝かせて力を逃がすと左へ抜けつつ踏み込んで来る。

「そのぐらい!」

 やると思ってたよ!

 相手を失い地に向かう戟剣を強引に曲げ馬騰に向けて振り抜く。ただの戟ではない、手元にまで刃があるのだ。防ぐしかあるまい!

「ぬ!」

 器用に刀を立て刃を合わせる馬騰を身体ごと吹き飛ばし、飛んだ先目掛けて突進する。後ろまで振り抜いた戟剣を右手一本で引き戻す。着地する馬騰。踏み込んで来る、が、その前に叩く!音を残し放たれる斬撃。馬騰の姿勢が低くなる。間に合うものか!脚が、前に出ている。その先にはオレの足。

(またそういう!)

 軸足を蹴られた衝撃で僅かに弱まった斬撃は屈んだ馬騰の頭上に流された。だがその勢いに馬騰の曲刀も押し出され、切っ先は地に向かっていく。呂布は左に抜けた一撃を体の捻りだけで呼び戻し逆袈裟に叩き付けた。馬騰の曲刀は大地を打ち跳ね上がる。四度目の激突。金属の悲鳴。


「楽しいなあ!呂布殿!」

 両手で掲げた曲刀で呂布の一撃を受け止め、叫ぶ馬騰。

「そうっすね!」

 ヤケ気味に叫び返して後ろに跳び、呂布は間合いを取った。まただ。姿勢を上げる力と勢い、跳ねる刀、そして左手の2段目。あの体勢からでも受け切られるか。いや、邪魔なのはその前の蹴りか。次から次へと迷惑な。

 考えてつい、笑いが漏れた。

 本当に何から何まで、どこにでも割り込んでくれる。こうなると、意地でも一撃入れたくなってきたぞ!



「馬騰殿」

 怪しく笑う呂布を朗らかな笑顔で眺める馬騰に、高順は声をかけた。

「もう、よろしいですか?」

「お、気付かれていたか」

「はい」

 すでに勝敗は決している。続けているのは、余興のようなものだ。

「しかしこのままではあっちが収まらんぞ?」

 言われて見れば、呂布は目を爛々と輝かせている。高順は細い目を細めて溜息をついた。どう見ても気付いていない。止めるか?

「よし!あと1合だ。それで終いにしよう」

 笑顔で言う馬騰に

「高順!邪魔すんな!」

遠くから荒い声を飛ばす呂布。もう一つ、溜息が出る。

「元気な奴だ」

 朗らかな声を残し、馬騰は駆け出した。



 正面から向かってくる馬騰の姿。

 好都合だ。

 先手を取っても厄介な返され方をされるだけで満足に動けない、狙うのは後手。それも揉み合いになる前の、最初の一撃。そう考えていたのだ。向こうから来てくれるなら言うことはない。思い切り返してやる。あとはどうやって全力の一撃を誘い出すか。

「最後だ!全力でいくぞ!」

 走りながら声を上げる馬騰。

 もらった!

「望むところだ!」

 呂布は歩みを止め、穂先を右手前に戟を構えた。馬騰は顔の高さで水平に刀を引いている。突きか。いや、そう見せておいて、ということかもしれん。何が来ても、返す!

 馬騰の手が動いた。一歩遠い。しかし刀は加速し、下段へ向かう。斬り上げ?まさか投げるつもりか?身構え、集中する。地に向かう黒い刀身。刃が背を向いている。

(野郎!)

 また石か!気付いたときには削られた大地が砂煙と共に飛来していた。目を細めるだけで、こらえる。判っていればこんなもの!霞む視界に、斬り上げの勢いで上段に振りかぶった馬騰が映る。ここだ!左上からの馬騰の斬撃に沿わせるように戟剣を持ち上げ、立てるように引きながら受けると同時に軌道を僅かに外に逸らす。軽い金属音と共に曲刀が消えた。

(!?)

 逸らさず残した力を利用し加速する、はずだったのだが。しかし何があったか知らんが好機!戟剣で予定通り弧を描き、無手の馬騰の胴を薙ぐ。これで!


「ぐっ!」

 手元に異様に重い衝撃を受け、声が出た。重い音を立てて得物が地に落ちる。蹴られた、のか?馬騰は、と見ると、一歩離れた位置で片足立ちになっていた。

「ぃいっってえ…!この…足が砕けるかと思ったぞ!」

 苦悶の表情で足を抱え、倒れるように座り込む。

「……」

 よくわからんが、無防備だ。今なら!痺れる腕で転がる得物を拾う。そして

「コラ」

拾った得物は叩き落された。見上げた高順の顔が、終了を告げていた。


「あーくそ、引き分けかー」

 呂布も大地に胡坐をかいた。双方が武器を失ったところで止められたのだ。当然、そう思う。しかし

「若」

 再び見上げると、高順が人差し指で自身の首筋を指している。

「?」

 呂布は右手を自分の首筋に当ててみた。微かな痛み。掌を見ると、血が付いている。何だ?いつの間に?

 さしあたってこの傷の原因の最有力候補である馬騰に顔を向けると、視線に気付いた馬騰は歯を見せて笑いながら、自らの首にかかっている飾りを持ち上げた。拳ほどの長さの、牙の装飾。その先が、少し赤く見える。

「何ぃ?」

 いつだ?手が届く距離で、そんな隙とヒマがあったのは……あれか!


 額に石を食らって出し遅れた箭疾歩で体当たりした、あの時だ。石をぶつけられ体当たりを防がれ頭に来ていたが、まるで気付かないとは。実戦なら、あそこで殺されていたワケだ。


「…負けかー」

 ため息交じりのその声は、再び盛り上がった周囲の兵達のざわめきに飲み込まれる。その中で、いつの間にか立ち上がり外を向いている馬騰の声が聞こえた。

「引き分けに終わっちまったが、いい勝負だった!そうだろう!?」

 口々に大声を上げて答える兵達の声は、混じりあって聞き取れない。しかし、どうやら双方を称えているのは間違いなさそうだ。馬騰は腕を組み、その騒ぎを楽しむように何度も頷いている。そのまま少しして、収まる気配が見えたところで再び口を開いた。

「俺は今、い~い気分だ。わかってるなお前ら!今日はこの後、盛大にやるぞ!」

 大地を揺るがす大音声。戦場でもそうは聞かない雄叫びの嵐の中で、呂布は笑った。


 負けたとわかって今考えれば、最後のあの蹴り。あれは最初からこっちの得物を蹴り落とすのが目的だったんじゃないか?上段からの斬撃は見せ技で、それを「もらった!」などとバカが勘違いして全力で動いたから、あんな簡単に吹き飛んだのだ。



 『格』か。笑うよりほか、無いじゃないか。


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