3 董卓邸奇襲
呂布は、丁原に従って宮殿の門をくぐった。
帝が董卓によって保護されたことで、宦官討伐による騒動は無事終結した。
数日後、帝を救出した董卓を筆頭に、今は亡き何進将軍の呼びかけに応じて集結し、帝の捜索に協力した諸勢力全てに対して恩賞が与えられることとなった。そこには、出遅れたため捜索には全く参加していない丁原も含まれていた。
丁原は機嫌が悪かった。出遅れて帝を保護できなかったのも気に入らないし、保護したのが西涼の同業者(いわゆるヤクザ的な勢力)、董卓だったことも腹立たしい。それに、事実上捜索に参加していないことがバレていたら、恩賞をケチられるかもしれない。誰かが告げ口している可能性もある。
前を歩く養父は不機嫌だったが、後を歩く呂布もイライラしていた。
丁原は、呂布を戦争の道具として扱っている。彼に取れば、たまたま拾ったガキが敵を殺せる男に育ったから上手く使ってやろう、というだけのことである。むしろ、小さい頃から従順さの無い呂布の性格が気に入らなかったが、黄栄が庇うから生かしておいた、という程度の存在なのだ。
にもかかわらず、戦ではなく、今回の参内に呂布が連れて来られているのは、まず間違いなく他勢力への威嚇のためである。呂布は身体も大きく顔も精悍で、名も知れ始めている。その呂布を従えた姿を見せ付けたいのだ。
(くだらねー)
呂布は養父の背中を睨みつけた。親分面でエラそうにしているくせに、器が小さい。丁原自身、并州を統一し刺史に任命されたことで、その名を全土に知られているのだ。呂布を持ち出す必要はないハズである。呂布が気に入らないならなおのこと、一人で行けばいいではないか。
それでも、拾って育てられた恩がある以上従うより他はない。気に入らないが、仕方がなかった。
宮殿内、入ってすぐの広間には、先に来た面々が残っていた。胸を張り、無視してそのまま奥へ進んでいく丁原に付いて歩きながら、彼らを観察する。どれが誰、などということはわからないが、全土から諸勢力が集まっているのだ。気になった者の顔だけでも覚えておけば、いずれ何かの役に立つことがあるかもしれない。
最初に目に付いたのは、右手の壁にもたれかかっている、軽装の男。背は平均より少し高い程度だが、目を閉じたその穏やかな表情の裏で、鋭く突き刺さるような気を静かに放っている。相当な腕の持ち主である。感じとしては、黄栄に似ているか。
「参ろうか、趙雲殿」
奥から来た、白い甲冑を身に付けた長髪の男が、そう声をかけた。こちらは見栄えのよい、威厳のある姿だ。どこかの頭領だろう。
(趙雲、聞いたことのない名だ。あとで師匠に聞いてみよう)
次に、赤い装束の三人組。特に右側の大柄でいかつい面構えの男からは、狼もかくや、という殺気が滲み出している。これまたかなりの強者だ。野性を感じさせるこの気配は、失礼かもしれないが丁原に似ている。
と、三人組の中央、背の低い男と、一瞬目が合った。相手が軽く笑みを浮かべる。
(?)
もちろん呂布は相手のことを知らないが、あちらは知っていたのだろうか。通り過ぎながら、ハッキリ思い出そうとさっき見たばかりの姿を想像する。
顔に特徴はないが、目に力のある、小さい男だった。丁原軍の平均よりさらに一回りは小さかった。呂布から見れば、大人と子供のような身長差である。はずなのだが、どうしたことか脳裏に浮かぶ男は、呂布と同じ目線であった。何度思い直しても、小さい姿を想像できない。どうにも気になって、振り向いて確認したが、広間にはもう三人組の姿はなかった。
正面に向き直ると、丁原は最奥にある帝の間へと入っていくところだ。呂布は歩調を速めて後を追った。
正面の大階段の壇上にいる少年が、現在の漢の帝、らしい。目線は定まらず、常に体を揺らして何やら口をゴニョゴニョ動かしているその姿からは、何の威光も感じられない。
(…これは…だめだろ)
帝がコレでは、そりゃあ国も荒れる。呂布は馬鹿馬鹿しい気分になった。
帝の左には豪華な衣装の女が、右側には礼服の男が立っている。
女の方はおそらく、何進将軍の妹であり、今の帝の母(彼女が結婚したのは先代の帝で、既に崩御している)、何太后だろう。子を産んでいるとは思えない、若く、美しい女性であった。華美な衣装を纏っているがどこか素朴な印象を受けるのは、やはり町民の出身だからだろうか。
右側の男は、礼服を着ているが、体型や気配が明らかに武官である。背がソコソコ高く、横にゴツい。太いのではなく、引き締まっていた。眉の太い厳つい顔で、威圧するように丁原を見下ろしている。これが、董卓だろう。確かに丁原と同じ匂いがするが、幾分まともそうに見える。格や器は、董卓の方が上に感じられた。
大階段の左右にも鎧姿の武将や文官が並んでいた。董卓の配下だろうか。これも丁原軍に似て、一様にガラが悪い。最上段の鎧武者は、真っ直ぐこっちを見ている。虎を連想させる容貌の、額から右頬の下に抜けるように傷跡があり、いかにも強そうだ。何者だろうか。
「并州刺史、丁原殿。この度の参内、ご苦労である」
ここで帝ではなく、董卓が口を開いた。少しかすれているが、重く響く声である。
「帝は未だ幼少ゆえ、多くは語られぬ。ゆえに、貴殿に授与される役のみを頂く。…帝」
促されても気付く様子のない帝は、何太后に背を押されて、やっと声を出した。
「…き、…き、と、…い」
(な!?)
呂布は目を丸くした。呂布からは見えないが、さすがの丁原も目を大きく見開いて驚いていた。
このガキ、まともに喋ることもできないのか。
洛陽内に用意された騎都尉の屋敷への帰り道、丁原は珍しく上機嫌であった。月明かりの下、傷だらけの顔を悪だくみに歪めてにやけている。
丁原が任命された『騎都尉』というのは、洛陽全体の警備を担当する官職である。位としては〝中の上〟といったところだが、その職務上、洛陽での兵権を掌握することになる。
「ヘッ。甘ェなあ董卓の野郎。この程度でオレを懐柔した気かァ?外に何万と兵がいても、てめえが内側から出られねえんじゃハナシにならねぇだろうに。役につけたくらいでオレがおとなしくなるとでも思ったのかよ。アイツ馬鹿か?クックック…」
ブツブツ言いながら前を行く養父をウンザリしながら眺めつつ、離れて歩く呂布は考えた。
おかしい。并州刺史・丁原の性質の悪さは有名なはずだ。ヤツを騎都尉なんかにしたら、間違いなく董卓は狙われる。董卓軍は10万の大軍と聞くが、そのほとんどは街の外に駐留しており、洛陽内部では騎都尉として兵を自由に動かせる丁原が圧倒的に有利だ。西涼の有力者で、丁原同様ヤクザ気味と噂の董卓に、それが判らないとは思えない。ということは。
呂布は夜空を見上げて溜息をついた。
(…めんどくせーなあまったく)
自分は間違いなく戦闘に参加するのだ。罠があれば、かかるのも自分である。
静まり返る都の上、三日月が、雲に隠れようとしていた。
――10日後、洛陽北部・警護兵詰所。
雑然と集まる500の兵。率いるのは、呂布。
董卓軍への奇襲である。洛陽の東西南北4箇所にある詰所からそれぞれ500の兵が同時に出撃し、各方面の董卓配下の勢力を襲う。西涼から従って来た、董卓直属と言える連中のみが標的であり、董卓が帝を保護し権力を握ってから下に付いた連中は、今回は無視する。
騎都尉拝命後、丁原はすぐには行動を起こさなかった。周囲の様子を窺っていたのだ。その間に諸勢力は、董卓に媚びる者と、それ以外の者にハッキリと別れた。地元に領土を持つ〝力〟のある者のほとんどが、何かしら理由をつけて都を離れていった。残ったのは、独立勢力としては不十分な者と、権力の元に庇護を求める文官などで、董卓軍の戦力は結局大して増強されてはいない。
が、周囲に敵対勢力がいなくなった董卓は、あまりに愚鈍な帝を嫌い、今の帝を廃して新しい帝を立てることを独断で提案、決定し、即座に実行してしまった。これが先日のことだ。
帝の臣下である董卓が、帝を変えてしまったのだ。重大な反逆行為である。
「逆賊・董卓を討つ」
大義名分を得て、丁原は動いた。
呂布が任された北部は、豪商や高位者、地方勢力の別邸などが多い地域で、その中には董卓の屋敷もあった。当然、標的は董卓の首である。
500の兵を5つに分け、それぞれの部隊長に作戦を確認する。
「各隊個別に董卓陣営の屋敷を襲撃する。目標達成・失敗に関わらず機を見て街を出、外の本隊に合流すること。引き際は各人に任せる。…無駄に死なないようにな」
無言で頷くと、隊長達は各々の兵の方へと散った。
呂布の下には、丁原軍の中でも比較的まともな連中が集まる傾向にあった。ヤクザ集団にあって、呂布は略奪などの無法を良しとしない。これは丁原に毛嫌いされる理由のひとつでもあったが、同様に無法を好まない兵達にとっては、数少ない仕えるべき将であった。加えて、戦場においては剛勇無双である。黄栄に師事したことで強さを求めるようになった兵にとっても、呂布隊は希望の部隊であった。
部隊長の下、各隊がまとまったのを見て、左手を挙げ門を開かせる。
中でも腕の立つ者100名を自ら率い、呂布は詰所を出発した。
歩兵の早足に合わせて馬を進めながら、同じく騎馬で併走する副官に声をかける。
「黄青、董卓は居ると思うか?」
「…必勝の罠があるならば」
「いや『必勝』は困るなあ。けど、いないのも困る。やっぱり今回の奇襲はしっぱ…」
「若」
静かにたしなめられて、呂布は口をつぐんだ。
黄青は、父・黄栄に似て人の良さそうな顔立ちをしているが、父に似ず寡黙な青年であった。たまに開く口から発せられる、低く澄んだ声が耳に残る。師の息子兼弟弟子で腕も立ち、頭の回転も速く兵法も勉強しているという、呂布にとってあらゆる点で信頼できる男であった。
「ま、頑張って生きて帰るか」
「…」
ただ、もうちょっと喋ってもいいんじゃないだろうか。
黄親子の差に苦笑いしていると、先に一際大きい屋敷の塀が見えてきた。董卓邸である。
呂布は馬上で大きく伸びをし、肩を回す。横では黄青が兵に指示を出し、屋敷を囲むために隊は塀沿いに二手に分かれた。
「…よし、指揮は任す。ちょっと先に行ってくるぞ」
言い残すと、呂布は馬を駆けさせた。黄青は無言で見送る。
速度を増す馬上で、呂布は鞍にくくり付けた弓矢を取る。長い塀の先に明かりが見えた。正門。見張りがいるはずだ。小さく、明かりに照らされた人影が見える。左手に大槍を持ったまま、その手で弓を持つと矢をつがえ、引き絞る。狙うのは、奥側。手前のかがり火の向こうに見えた瞬間、矢を放つ。即、弓を捨て、槍を右手に移してさらに速度を上げる。手前の敵兵がハッキリ見えた。馬蹄の音に気付いたか、こちらを見ている。闇夜の中、まだ見られてはいない。奥側の兵に矢が届き、吹き飛ぶ。そちらへ振り向いた。加速し、迫る。見られる距離に入った。音と気配に、見張りは再度こちらに向き直る。目が合った。さらに迫る。腰の剣に手を伸ばした。右腕に力を込める。剣を抜き、口を開く。
速度と力を乗せて突き出した大槍は、見張りが声を出す前にその身体を深く刺し貫いた。
手綱を一度強く引き、跳び降りる。反転して着地すると両足と左手で衝撃と勢いを殺し、右手は大槍を後に一振りして刺さった見張りを吹き飛ばす。
門の内側、左右に一人ずつ。突きの直後に視認した。少し門を越えたため、右側の兵は見えている。幸い、まだ声を上げていない。振った槍を下手から突くように引き戻して投げ放つ。その勢いで身体を起こすと同時に駆け出した。一歩。大槍は再び敵を貫いた。腰の剣に手を伸ばし、二歩。抜き放つ。三歩で門に届いた。敵は左手の壁、裏側。勢いを殺さぬよう左手を門柱に引っ掛け、旋回する。回り込むように、四歩目、踏み込む。目の前。近過ぎる。上体を引き気味に、脇を閉めて真下から斬り上げ、振り抜く。股から胸までを2つに裂かれ、最後の見張りは崩れ落ちた。
改めて左右を確認するが、やはり見張りはこれだけのようだ。呂布は剣を下ろし、ひとつ息を吐いた。
倒れた敵兵に突き立った大槍を引き抜き、一旦門の外に出る。先程乗り捨てた馬が、律儀に戻って来ていた。顔が緩む。屋敷の方に、気付かれた様子は無い。たてがみを撫でながら黄青を待つと、程なく、闇の奥に騎兵姿が見えてきた。手を挙げ、合図する。
黄青が門の前に着く頃には、逆側から裏を回った兵の先頭も門に到着し、包囲が完了した。
「…屋敷は?」
呂布に弓を手渡した黄青は、派手に散らばった見張りの屍を見て少し呆れた顔をした。
「さあ?動く気配はなかったけどな」
「…引きますか?」
バレていないのは不自然=罠がある、と言っているのだ。呂布の手際が良かった、という考えは無いらしい。失礼な話だが、当の呂布本人も不自然だと思っていた。しかし、
「ま、ここまで来たらやらずに帰るわけにはいかねーわなあ」
屋敷の中に隠れているのを取り逃すわけにはいかない。
(十中八九、いねーけど)
二人は困った顔を見合わせ、頷いた。
黄青が部下に指示し、董卓邸の周囲で一斉に銅鑼が打ち鳴らされる。闇夜を響き渡るその音に呼応して、洛陽東・西・南の三方面からも銅鑼が響いた。さらに郊外では、これを合図に丁原率いる1万の本隊が董卓軍の野営地を襲撃する計画になっている。
呂布は門前に仁王立つと、槍の柄尻で地を打った。周囲の銅鑼が鳴り止む。大きく息を吸い込み、思い切り吼えた。
「逆賊ッ!とぉぉうたくぅッ!呂奉先が、その首、貰いに来たぞッ!」