2 宦官誅殺
動き出した歴史の勢いは、計りがたい。
大将軍・何進暗殺の同日、夕刻。洛陽中心部、帝の宮殿の門前には1000名からの鎧武者が整列していた。
先頭で指揮を執る青年将校の名は、袁紹、字は本初。
4代続けて5人の三公(3つの最高役職…総理大臣・最高裁判所裁判長・軍最高司令官みたいなもの)を出した、当代きっての名門『袁家』の嫡男である。名家の跡取りとして真っ直ぐ育てられた彼は、正直で、筋の通らないことを嫌う、非常に正義感の強い熱血漢であった。
「民を虐げ!私腹を肥やし!朝廷をも牛耳る!卑劣なる宦官どもを、今こそ!誅す時だ!」
階段上からの袁紹の怒号に、兵からは気迫に満ちた喊声が上がる。
体格は標準的だが、その自信と誇りに満ちた態度と燃えるように輝く瞳、加えて高貴な血と、オマケに豪華な装束が、人を率いるに十分なオーラを彼に纏わせていた。
「術!」
「ハッ」
一人、脇に控えていた痩せ気味の男が呼びかけに応える。
袁術、字を公路。袁紹の腹違いの弟である。兄とは対照的に、兜の中の中性的なその顔は、青白く、自信なさげであった。
「100預ける、ここは任せた。いいか、一人も逃がすなよ」
「ハイ、兄上」
袁術の緊張を見て取った袁紹は、弟に一歩近寄りその肩に手を置くと、
「だ~い丈夫、お前ならできるさ」
ニカっと笑いかけた。つられて袁術も薄く微笑む。表に出してはいないが、彼は兄の素直な性格が苦手だった。
少し間をおいて、袁紹は勢い良く宮殿へ向き直ると、腰の剣を抜き放つ。
「何進将軍の敵討ちだ!皆、行くぞ!」
掲げた剣は夕陽に煌く。鬨の声が夕暮れの洛陽に響き渡った。
尋常ならざる速度で振るわれた大槍が唸りを上げて旋風を巻き起こす。しかし、普通の剣で受けられたそれは下方に流され、地を打って跳ね上がった。呂布はこの反動を利用して次の一撃を上段から振り下ろす。が、半ばまでも振らずに動きを止めた。
眼前には、剣先。跳ね上がりの隙に、息が届く位置まで間合いを詰められていた。
「くぅっそぉ~」
鼻息も荒く、歯噛みして悔しがる。真昼の日差しも加わって、全身から汗が流れていた。今日はこれで10戦10敗。一本も取れていない。
目の前の中年男は楽しげに笑っている。息も切れていない。いよいよ腹が立つ。
「師匠、最近強くなってねーか!前まで手加減でもしてたのかよ?」
「いつだって本気ですよー。若と一緒でね。…で、その口の利き方はなんです?」
笑顔のまま、目だけが冷たく光った。
「…すんません」
漲る力に身体を震わせたままゆっくり黄栄に背を向けると、思い切り息を吸い込んだ。
「ちぃっきしょぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!」
陣中に響き渡る怒声。周囲の兵達は一度振り向くが、慣れた様子ですぐ各々の作業に戻る。ここではよくあることだ。
「毎回言ってますが力み過ぎですよ。まあ、青の相手でもしながらよく考えて下さいね」
青、というのは黄栄の息子、黄青のことだ。息子といっても呂布の1こ下である。体格は人並みだが父親に厳しく鍛えられ、特に剣では呂布と渡り合えるほどの腕を持っていた。
一度深呼吸すると呂布は黄栄に向き直り、
「ありがとうございましたっ」
深く一礼した。黄栄も笑顔で礼を返す。
呂布は兵たちの幕舎が並ぶ方へと歩き出すと、黄栄から少し離れたところで声を上げた。
「黄青~どこだ~、勝負だ勝負~、師匠がいじめる~」
(誰がいじめてますか)
その後ろ姿をジト目で見送ってから、黄栄は思った。呂布は間違いなく強くなっている。槍同士で勝負したら、もう10戦で4、5本は取られるだろう。腕力の差を技で埋めていたのだが、あの剛力の弟子は技もしっかりモノにしつつある。そう判断したから、今日から本気で、剣のみで相手をするようにしたのだ。黄家の武術の中でも、黄栄は特に剣術を極めている。長物は荊州の親戚が本流を伝えていた。
ともすれば力頼みの三流になり兼ねなかった愛弟子が着実に一流へ近付いていくことが、黄栄は嬉しかった。常ならぬ剛力を考えれば、呂布は真の『最強』になり得るのだ。1本取られるようになるのはいつになるだろうか?
今から負けるのを楽しみにしている自分に気付き、彼は苦笑した。武人としてあるまじき心情。しかし、最強になった呂布が、一個人として本当に自由に生きる。それが彼の目標であり、夢であった。
そこへ、一人の騎兵が馬を曳いて駆けて来た。鎧の赤い装飾が、丁原直属の部下であることを示している。
「黄先生、殿がお呼びです」
「すぐ向かいましょう。あなたは先に戻りなさい」
自分が呼ばれたということは、都に動きがあったのだろう。宦官の命運は尽きたか。
黄栄は馬に跨ると、遠く見えない洛陽の方角をしばらく見つめていた。
黄栄の予想は、半分は当たっていた。
洛陽では昨日、袁紹・袁術兄弟によって、宦官の殆どが誅殺された。
しかし、彼らは堂々と真正面から乗り込んだため、機転の利く数名の宦官がまだ幼い皇帝とその異母兄を連れ、皇族の隠し通路から逃げてしまったのだ。皇帝を握られてしまっては、自らが逆賊にされかねない。何としても皇帝を取り返す必要がある。自軍だけでは見つけられないと判断した袁紹は、洛陽周辺に終結している諸勢力に協力を要請した。
丁原軍は比較的離れた位置に駐屯していたため、この報せを受けたときには既に各勢力による大捜索が始まっていた。安全のため間を空けていたのが裏目に出たのである。
そして夕刻、その大捜索に加わるべく出発した丁原軍に、続報がもたらされた。
「帝が保護されたとのことです!保護したのは、西涼の董卓軍!」