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25 洛陽防衛戦

 人の上に立つ者、というのは、どんな意見も堂々と受け止めるものだ。それが信頼を生み、結束が力となる。袁紹えんしょうは、そう信じて生きてきた。正義は、皆のためにある。皆の意見を取りまとめてこそ、正義が成せるのだ。袁家に集う多くの部下達も、賛同してくれていた。

 だから、自ら先頭に立ち、董卓軍に攻め込みたいのを我慢した。

 孫堅そんけんに続く第二陣を決めるのにも、話し合いを優先した。

 数の上では圧倒的に有利、皆で押し進めばいい。袁紹自身はそう考えていたが、それでも諸侯の意見の一致を待った。連合での戦とはいえ、先頭に立った勢力の兵だけが極端に減るのは、平等ではない。それはもっともな意見である。同じ目的のために集まったのだ、まとまるのに時間はかかるまい。そう思っていた。

 しかし。

 結局第二陣は決まらず、あきれた孫堅は怪我が治ると袁術と共に本陣を去った。

 続いて曹操が、意見の統一を待たず戦を再開した。

 残った諸侯達は「孫堅は手柄を独占するつもりだ」「曹操は無謀だ」と双方を批判したが、そのどちらも、袁紹個人から見れば当然の行動だった。袁術・孫堅には十分な兵糧を手配したし、曹操の動きは細かく把握し、いつでも援軍を出せるよう構えていた。だがその袁紹の行動にすら、同調する者はいなかった。

 決定的だったのは、つい先刻の、曹操の敗戦である。

 董卓軍最強といわれる徐栄じょえいに追われ、汜水関しすいかんからこの酸棗さんそうまで逃げ戻った曹操に対し、動かなかった諸侯達は「それ見たことか」と言わんばかりに笑ったのだ。諸侯だけではない、袁紹軍の中でも否戦派のものは皆、同様に笑っていた。

 我慢は、限界を超えた。


「勇敢に敵に向かった者を笑う、そんな連中は、味方ではない!味方でない者など、不要!」


 正義の人・袁紹は、連合の長として抑え込んでいた生来の熱血をその身に蘇らせると、居並ぶ外野どもをそう一喝した。そして一同の反応を確かめもせず、自軍を動かしたのである。曹操を助け、汜水関を攻め落とすために。

 袁紹配下の者達は即座に自らの失態を悟り、急ぎ行軍に加わった。それを見た連合の諸侯も、袁紹に続くよう軍を動かし始めた。

 それでも今、袁紹軍に並ぶ者は、一軍もいなかった。


 総大将である袁紹が信じて待っていた『正義』は、この連合軍にはもとより無かったのである。真っ直ぐ過ぎる袁紹には、それを見極めることができなかった。怒りと屈辱と後悔が、自軍を率いて夜を往く袁紹を満たしていた。



 その袁紹軍から逃げる形の呂布達は、一分の迷いもなく汜水関を捨てた。

 「洛陽南部(りょう)県にて、華雄かゆう討死」という報告から、時間が経っている。報せがこちら届いた時点で華雄軍がどこまで押し込まれていたかは判らないが、あの孫堅のことを思えば、最悪の事態も有り得る。急ぐより他はない。走り続けて3日目に入った徐栄の隊が心配だったが、今のところ遅れる様子はなかった。

 後方で動き出した連合本軍は脅威だが、歩兵込みの大軍勢のため行軍は遅く、距離もある。攻城部隊は撃破していたため、すぐに追撃をかけてくる敵もいない。

 やはり、問題は。

李粛りしゅく、持ちこたえろよ!)



 「一人たりとも、上がらせんじゃねぇぞ!」

 洛陽南門の城壁上、李粛は叫びながら足元に投げ掛けられた鉤縄を叩き斬った。周囲の味方から返事の怒声が上がるのを確認すると、李粛は階段を駆け下り、そこに停めておいた馬に飛び乗る。次は、東だ。

 今、洛陽を守る兵は、1000程度しかいない。後詰として山中の砦の後方に残っていた李粛の隊の内、その1000だけがどうにかここまで逃げ込んだのだ。追ってきた孫堅は軍を分け、夜に乗じて壁を越えようとしていた。この広い洛陽、城壁をただ監視するだけでも1000では足りない。いつかは、乗りこまれるだろう。そのいつかを、できる限り遅らせる。独り洛陽を駆け回り、ひたすらに隙を埋め、潰し、仲間を激し、できる事全てをやり続けながら、李粛は待った。汜水関からの援軍。それはただの援軍ではない。董卓軍最強の徐栄の部隊が、無双の武を誇る呂布と共に在るのだ。李粛の視界が滲む。来れば、勝ちだ。揺らぐ視界とは別に、脳裏に焼きついた光景。それを睨みつける。


 無数の雄叫びと共に現れた孫堅軍の、先頭にいた男。右手に見慣れた大刀を握ったその男は、左手に首を掲げて、笑っていた。異様に長い髭を揺らして笑うその大男の姿は鮮明に蘇り、その嘲笑までもが聞こえてくる。怒りと自責と後悔で、息が、詰まる。


 李粛はきつく目をつぶって頭を振ると、目を見開いて正面を捉えた。東門まではまだ少しある、が、すぐ前に孫堅軍の兵がいた。考えるより早く、すれ違いざまに斬りつける。馬を止めて近くの壁面を見ると、縄が垂れ下がっていた。

(後悔する暇もないか!)

 既に進入を許してしまっている。汜水関から洛陽まで、騎馬隊なら半日、少なくとも夜明けまでは持たせなければ勝機は無い。

 周囲の気配に神経を研ぎ澄まし、李粛は再び駆け出した。




 洛陽南門の正面に簡単な陣を敷いた孫堅は、静かに怒りを放っていた。

 孫堅軍に城攻めの準備はなく、攻城兵器は後続の袁術えんじゅつ軍が用意している。守兵は少なく、袁術が来ればたちどころに洛陽は落ちるだろう。

 だが、今ここで落とさなければ。「孫堅が洛陽を陥落させた」その事実と栄誉こそが、祖茂そもへの手向けになるのだ。


 華雄の砦を攻めるのに、孫堅軍は策を用いた。江南の船上で鍛えた身軽さを生かして木々の上に兵を伏せ、孫堅の本隊が正面から挑み、敗れたフリをして誘い出す。自ら華雄を討つため孫堅本人は伏兵を指揮し、孫堅本隊の方は、副官の祖茂が孫堅の格好をして指揮する手筈であった。

 だが、あろうことか華雄はこちらの準備の先手を打って砦から出てきたのだ。孫堅軍の策の気配に気付いて華雄に進言したのは、李粛である。伏兵を看破していたわけではなかったが、態勢の整わない伏兵の半端な奇襲を半ば無視して、華雄の騎馬隊は孫堅の本隊に突進した。涼州の騎兵が山道を平地同然に駆けて来たことも、孫堅軍にとっては想像の外だった。

 孫堅が自身の隊の元に着いた時には、祖茂は既に胴を断ち斬られて絶命していた。

 最も信頼していた副官の無残な姿に激昂した孫堅は、自ら華雄の退路を塞いだ。何が何でも、ここで華雄を殺す。その気迫は凄まじく、孫堅の率いる部隊は華雄の突撃の前に何人もの犠牲を出したが、全く怯まなかった。

 華雄の方も、孫堅の首を狙っての出撃だったため、偽孫堅を討った帰り道に現れた孫堅本人に気付くと、激しい突撃を繰り返した。

 双方譲らずその場は大混戦に発展。孫堅も華雄も傷を負い、互いの位置も把握できないような乱戦が続く中、突如響いた朗々たる大音声が、戦場の帰趨を決めた。


 「敵将華雄!ここに討ち取ったり!」


 皆が声の主を探し、見て、知った。華雄は、討たれたのだ。

 将を失った影響は大きく、華雄軍は崩壊、一騎も砦に戻ることもできずに全滅した。孫堅はその勢いをもって砦を攻め、これを制圧。さらに敗走する華雄の残兵を追い立て、洛陽まで迫ったのである。


 華雄の首を獲ったのは、関羽かんうという髭の長い大男だった。孫堅軍が酸棗から離れた際に、少数の民兵と共に参加を申し出てきた、いわゆる義勇軍の男だ。華雄を討った、と言われても納得できるほどの偉丈夫であり、孫堅も素直にその功を称えた。

 だが、やはりできることなら自らの手で仇を討ちたかったのだ。それが叶わぬ今、同じ戦で洛陽を落とし、孫堅軍の名を、力を世に示すことで、今まで尽力してくれた副官へのはなむけとするつもりであった。華雄との戦闘でかなりの損害を受けていたが、孫堅軍の誰もが、同じ思いで洛陽に向かっていた。




 次々と縄が投げ入れられ、孫堅軍の兵が壁を乗り越えて来る。東門近辺では、もはや敵の方が多くなっていた。

 「てめえらよく耐えた!ここはもういい、西門へ走れ!」

 洛陽から退却するなら、西門から出て長安へ向かうのが最短である。東の守りは、どうしても手薄になった。その穴を埋めるため李粛は奮闘していたのだが、それもここまでのようだ。走る味方の背を守るように、単騎で立ち塞がる。相対する敵兵の向こうでは、東門がゆっくりと開かれていく。噛み締めた奥歯が軋んだ。東門を押さえられるということは、汜水関から来る連中との間を分断されるということである。さらに、開いた門からは敵の後続も雪崩れ込んでくるだろう。

(叔父貴、俺もここで続くべきか?)

 開いた門の口を睨む。視界はまだ暗く、夜明けはまだ遠い。敵兵が勢い良く入って来る。

 しかし数人で途切れた。いぶかしむ間もなく、聞き覚えのある大声が耳を打つ。

「ォオラ李粛ぅッ!生きてんのかコラァッ!」

 門の口の中に現れた、真紅の馬体。嵐のように人を弾き飛ばすその騎兵は、見間違いようもなく。


「…おっせぇぞ呂布ぅ!この野郎!」



 赤兎を全力で駆けさせ独り洛陽の東門に辿り着いた呂布は、まさに開かれていく東門とそこに群がる敵軍の中に速度を落とさず飛び込んだ。一気に赤兎を左に向けて停止させ、呂布はその右側に身体を乗り出し、右手の得物に体重と速度を乗せて思い切り薙ぎ払った。敵の真っ只中に突っ込んだためその戟剣は手元から刃先に至るまで何人もの兵を巻き込み、それら全てをまとめて振り切った後には何十という兵が宙を舞う。

 一瞬できた隙に城内に呼びかけると、思いのほか近くから乱暴な返事が帰って来た。どうやら、間に合ったようだ。笑みを浮かべた呂布は、東門の外にいる敵集団に改めて襲いかかった。ざっと見て1000程度、少々多いが、負ける気はしない!



 孫堅に東門攻撃を任されていた韓当かんとうは、小兵ゆえの身軽さを発揮して自ら洛陽の壁の上に立っていた。壁上の敵は、どうやら殲滅できそうだ。東門も開いた、洛陽での一番手柄はどうやら俺か、などと考えていたが、門の前の様子を見てすぐにその考えは改まった。赤い大馬に乗った鬼が、人を吹き飛ばしている。とても人間には見えなかった。一振りで、10人近い兵が、文字通り飛び散っていく。孫堅軍には珍しく冷静な韓当は、即座に判断した。あれは、無理なヤツだ。撤退を知らせる鏑矢を放つと、自らは壁上の兵を率いて南門へと向かう。ここはあの鬼にくれてやろう。城内に降りた兵も少なくはない。ああいう化け物は放っておいて、その隙に、南門を襲う。一度だけ、振り返って横目で鬼を確認した。鬼が振り上げた槍に吹き上げられた兵が、すぐそこを飛んで行った。

(こっちが黄蓋だったら、あの馬鹿間違いなく死んでたな)



 呂布がすんでのところで東門を取り返したものの、もはや兵がおらず、門を閉めるには呂布の怪力を持ってしても相当に時間がかかる。しかも、城壁の外から侵入されている以上、閉めたところで見張っていなければ再び開けられてしまう。さらには騎馬隊を率いて来る徐栄達を待つためにも、ここを守る必要があった。呂布が残り、呂布から伝えられた徐栄の命令を胸に、李粛は南門の援護に向かう。



 夜が明ける前、予想より早くに汜水関からの騎馬隊は到着したが、その時には既に南門も抜かれていた。比較的体力のある張遼隊が、呂布、高順と共に南門の援軍に向かい、徐栄率いる残り半数は、かねてよりの計画を実行に移しながら、西門へと向かう。


 侵入した孫堅軍も、壁の上から街の中を見ることのできた韓当も、皆異変に気付いてはいた。

 住人の気配が、全くない。

 それは、董卓が洛陽に入って以来、時間をかけて準備をしてきた計画だった。途中、時間が危ぶまれたこともあったが、連合が半年ほど足踏みをしてくれたおかげで、完璧に近い用意ができていた。


 腐った都を、焼き払う。


 先程呂布が守った東門に、徐栄の手で火が点けられる。油をまかれた大門は瞬く間に巨大な火柱と化し、まだ明けない闇夜を地上から小さく照らした。それを合図に、南門から後退しつつ戦っている李粛の部隊も、そこかしこに火をかける。門が破られる前に急いで撒いた油は不十分だったが、無人の家屋には予め油壺などが仕込まれている。燃え移れば、止められはしない。南の加勢に向かう呂布たちも、火をつけながら無人の街を駆け抜けた。



 南門を突破したことで前線に出てきた孫堅は、門をくぐる直前であった。洛陽を落とすことに固執していた孫堅だったが、その動物的直感に狂いはなかった。

「全軍撤退や!全員、さっさと洛陽から出ろ!」



 汜水関を落とし、徐栄を追って洛陽へと進軍していた連合軍の総大将、袁紹からも、その炎は見えていた。名門・袁家の栄誉を育んでくれた、漢の都が、遠くで燃えている。あの栄耀栄華を誇った街が炎に包まれるその姿は、悪夢が世に現れたような怖ろしさを、絶望と共に袁紹に感じさせた。そして同時に、自身の不甲斐なさと、無能な連合諸侯への怒りが湧き上がっていた。


 

 その隣で曹操は、目に映る炎の都とは別のものを見ていた。

 董卓の主力は、徐栄の騎馬隊であったはずだ。およそ半数が、曹操自身を狙った。残り半数も、汜水関にいたらしい。華雄を討った今、董卓軍20万などと言うが、恐ろしいのはその騎馬隊1万である。洛陽に火をかけ、悠々と長安に戻る。そこに、隙がある。あの騎馬隊に打撃を与える機会など、そうそう巡って来ないだろう。ここを逃すわけにはいかない。




 さまざまな思いを受けて、300年の都は燃え上がる。

 それは暗黒の天に向かう光の龍のようでもあり、大地から噴き上がる人々の怒りのようでもあった。

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