21 華雄軍 対 孫堅軍
「大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない。華雄か、なかなかおそろしい奴や」
華雄に比べれば傷は少ないが、それでも重傷に違いない孫堅は、しかし馬上で指揮を取っていた。たまに敵陣から射掛けられる矢は、祖茂が打ち払っている。
そもそも、これが目的だったのだ。突進して華雄の騎馬隊を前に釣り出し、一騎討ちで注目を集めて、その間に崖に潜ませた程普の隊を少しでも前に進めていた。一騎討ちで勝てればよし、無理だったなら、騎馬隊は引き上げるフリをして崖側の敵陣に突撃、同時に崖から一斉に射掛けて一揉みに討ち果たす。こちらの騎馬3000に対し敵の右翼は5、6000、崖の弓兵は300程度だが、上から射掛けられた混乱を突けば一瞬で片がつく。実際、目の前の敵陣は壊滅状態だった。
「敵将、胡軫を討ち取りました!」
「ようやった!騎馬隊はこのまま反転、左翼に突撃する!歩兵ももっと前に出せ!」
馬が駆ける振動が響く。けど、まだや。一騎討ちは引き分けたが、戦は勝たせてもらう。
呂布と高順が華雄の騎馬隊をまとめて陣を出た直後に、右翼壊滅の報告が届いた。
「孫堅!なんて野郎だ!」
一騎討ちで引き分けた後の油断を突くとは。しかもあの断崖に伏兵まで仕込んでいた。個人の武勇だけの男ではない。奴は、『江東の虎』は戦も上手いのだ。
「若、片翼を失えばもう一方はただの脆い陣です」
「だな!左翼は誰だ?」
「李粛殿かと」
「李粛か!?気付いてればいいが、あれでアイツ真面目だからな。高順、お前は李粛を探して陣を引っ込めるように言え!オレは正面に突撃をかける!」
「無理はせぬよう!まだ策があるかも知れません」
「おう!」
左翼、李粛の陣では。
「街道側より、敵騎馬隊が向かって来ます!」
「槍を立てろ!俺達左翼が折れたら、右翼の連中も共倒れだぞ!」
右翼の壊滅を知らない李粛は前線に立ち、部下を懸命に鼓舞していた。しかし、
「李粛の兄貴、奥、奥!」
「何?奥だ?」
言われて見た先では、街道を埋める歩兵の大軍がこちらに向かっていた。1万はいる。左翼6000とはいえ、長く伸びた翼の先端はせいぜい500程度、一点を攻められては話にならない。
「ひ、引け!引けぇっ!翼をたたむぞ!根元まで退け!早く!」
左翼は自ら崩壊を始めた。
「孫堅様、敵の左翼が潰走を始めています」
「さっさとたたむとはいい判断やな。……ここは深追いするぞ!俺に続け!祖茂、横は任せる」
「はっ!」
大将の号令一下、孫堅軍の騎馬隊は縮み始めた翼の中腹に向かい、突撃の勢いを増す。
左翼の先端に向かう呂布の視線の先に、敵の騎馬隊が見えた。一直線に左翼の中央を狙っている。
「そぉこぉかぁ!孫堅ッ!」
ここまで後続に合わせてきた赤兎の脚を、開放する。景色が歪むほどの速度。しかし、間に合わないか。槍をしっかり握り、大きく振りかぶった。速度は緩めない。敵が左翼の横腹に突撃した。その横を、突く!
赤兎の勢いを乗せて大槍を振り回し目の前の騎兵を打ち飛ばす。そのままの勢いで、赤兎は跳んだ。敵の騎馬の顔を蹴り、跳び越える。呂布はさらに槍を一振りし、届く者全てを薙ぎ払った。10騎近くが一瞬で討たれ、後続の突撃が止まる。着地した呂布の正面には、まだ距離はあるが歩兵の大軍が押し寄せて来るのが見えた。退かなくてはマズい。しかし反転した呂布の前には。
「なんやこのでかい騎馬は。乗ってる奴だけやなくて馬まででかいな」
左腕を簡単に布で吊った孫堅と、その前に立ち塞がる副官・祖茂の姿があった。
一方、李粛を探して左翼の根元側にいた高順の元には、信じ難い報告が届けられていた。
「後方に、敵!?」
「はい!敵は少数ですが馬鹿に強え奴がいて、こっちは右も左も混乱してるしまともに戦える状況じゃねえっす!」
高順は一瞬で判断した。李粛殿は、生きている可能性はある。後方をこのままにしておくと、全体が危険だ。
「すぐに向かう!河沿いで間違いないか!」
「はい!早く行ってやって下さい!」
駆けながら、高順は歯噛みした。
あの崖に兵を伏せる男だ。孫堅め、河からも兵を進めていたか!
目端の利く曹性は、のんびり進みながらでも前方の異変に気付いた。ここから見えるのは最後列のはずなのに、土煙が起こっている。何かあったのだ。
顔を両手で挟むように叩いて気合を入れると、愛用の弓を手に取り、後ろを向いた。
「華雄殿の陣に異変がある!これより、騎馬隊は先行して一気に駆けるぞ!歩兵隊も駆け足!全速で合流する!いいな!」
勇んで命令し、勇ましい声が返ってきたものの、なんとなく気恥ずかしい。曹性は正面に向き直ると、そのまま駆け出してしまった。慌てて騎馬隊がそれを追う。
黄蓋は鉄鞭を振るい、また一人敵兵を河に叩き落した。
(よくあんな物持って上がれたな…)
それを横目に、韓当は刃渡りの短い剣で鋭く敵兵の首を切り裂く。
何日も前から河面で耐え忍び、苦労してようやく上がったこの場であったが、敵は想像以上に混乱していた。200足らずの鎧もない兵での奇襲だったが、既に倍以上の敵を屠っている。正面の部隊が余程頑張っているのだろうか。
「オラオラ!どうした!かかってこんかい!」
(…アレのせいかもしれん)
筋肉を見せ付けるかのように上半身裸のままで戦っている黄蓋は、確かにおそろしい。しかも、その見かけに負けず劣らず、実際奴は強いのである。ここにいる敵兵も、西涼の華雄の配下であればそこそこ腕も立つのだろう。しかし、黄蓋にかかればそこらの海賊と同様、完全に雑兵扱いであった。
刃を受けることができ、刃を打ち砕く鉄鞭は、間違いなく強力ではあるが、非常に重く、使いこなすのが困難な武器である。それをあの刈上げ筋肉は難なく振り回しているのだ。戦といえば刃物、という連中にはさぞかしキツい相手だろう。
(さて、どこまで進んだものか)
あと少し行けば、華雄の本陣があるようだ。相変わらず手薄なままの敵の態勢を考えれば十分に届きそうだが、どうしたものか。
「うおわっ!」
黄蓋の間抜けな叫びに思考を止められた韓当は、一目見て危険を察知した。
今黄蓋と対峙している男、間違いなく強い。気付いていない馬鹿は、そのままやられ兼ねない。韓当は走り出した。少しでいい、大人しくしていてくれ。
しかし韓当の祈りは届かなかった。
「人に馬ぶつけよう言うんは、感心せんなあ!」
黄蓋は鉄鞭を振りかぶった。
鉄の塊のような武器が迫る。
見たことのない武器だが、遅い。威力も、若の槍のことを思えばどれほどのこともなかろう。戦況が非常に悪い。ここは、すぐにでも終わらせる。高順は、最初から一撃で決めるつもりで動いた。
左から横殴りに迫る鉄塊に対し、足首、膝、腰、肩、腕、手首、全てを柔らかく一つに繋ぎ、全体で無数の弧を描く。右手の刀を鉄塊の下から合わせ、念のため左手を下から添えて進行方向を逸らすと同時にその力を自身の刀に乗せていく。重く、遅い分、力を乗せやすい。奪った力を逃がさぬよう、手首から身体の捻りまでを合わせ、一気に反転すると同時に横薙ぎに振り切った。
「!」
金属の手応え。防ぎようの無い一撃は、割って入った別の男の短剣に防がれていた。一歩下がり、距離を取る。
「さっすが韓当、助かったわ」
「…馬鹿が。今のは死んでたぞ」
韓当は短剣の刃を指で弾いた。ひび割れていたのか、刃が崩れて落下する。
すぐに終わらせるつもりが、少々面倒なことになった。後から現れた、韓当という男。先程の斬撃を止めるとは、かなりの腕と見える。簡単にはいくまい。と、あることに気付いた。
(…これでは、若を笑えないな)
高順は、この難しくなった状況を、少なからず楽しく感じていたのだ。
「呂布!来てくれたのか!」
「おお李粛、無事だったか」
孫堅・祖茂と睨みあう呂布の後ろから現れたのは、左翼の守将、李粛だった。殿にいた彼は、翼の先端側に残った僅かな兵をまとめて撤退する途中であった。呂布の隣に進んだ李粛は、対峙する相手の只ならぬ気配に息を飲んだ。
この緊張を破ったのは、孫堅である。
「…やめや祖茂、ここは退くぞ」
「!?」
「数はともかく、今挟まれとるんは俺らの方や。俺自身このザマやし、戦うには分が悪い」
確かに孫堅の騎馬隊は、呂布が連れて来た華雄の騎馬隊と、呂布、李粛がいる左翼の残兵に挟まれる形になっていた。
「そっちが退くなら、こっちもここは大人しく下がろう」
呂布が答える。背後には歩兵の大軍が迫っているのだ。ここで戦っては、間違いなく死ぬ。孫堅が討てればまだいいが、粘られればそれこそ無駄死にである。それならば、今残っている左翼の兵と共に引き揚げる方がいい。
「ん、話はついたな。こっちの勝ち戦や、俺らから退こう。祖茂」
「はっ」
祖茂の指示により、孫堅の騎馬隊は整然と撤退していく。
「ああそうや、黄蓋と韓当にも撤退を伝えたれ」
「…この距離で聞こえますか?」
そう言いながらも、祖茂は鏑矢を番え、高く放った。甲高い音が、辺り一帯に響く。それはいかにも、戦闘が終了した合図であった。
「今回はな、華雄の軍を全滅させる予定やった。左翼もこのまま挟撃してな。それを右翼と、左翼の半分で抑えられたのは、お前らの力や」
不意に話しかけられ、しかも褒められたことに対し、呂布と李粛は訝しげな視線を向ける。それを見て、孫堅は笑った。
「こんな時代や、戦で、敵味方になっとる。けど、だからこそ、評価なり、思ったことは、言って損はない、言うといた方がええぞ。しょうもない味方の悪口より、よっぽど実がある」
呂布と李粛は顔を見合わせた。何だコイツは?
だが、なんとなく、呂布も口を開いた。
「オレは、全快のアンタと勝負したい」
それを聞いた孫堅は軽く吹き出し、その隣で祖茂が剣の柄に手をかけた。
「どうせ次会っても殺し合いや。機会が合ったらできるやろ。けどな、戦は一騎討ちだけやないで」
(今回で思い知ったやろう?)
呂布は、そう言われた気がした。
そして孫堅は馬首を自軍の方へ向けると、祖茂を従えて去って行った。
「華雄にもよろしく言うといてくれ!あれはいい勝負やった!」
呂布と李粛も、残兵を連れて自陣に向かう。その周囲には、孫堅の残していった、何とも言い難い、不思議な、どこかさわやかな空気が漂っていた。
「いってえ!」
高順に背中を浅く斬りつけられ、黄蓋は大声を上げた。身体のそこかしこに傷が突き、流れる血が模様を描く。
「なんか面白いぞその模様」
「てっめぇ!こっちは全力で痛いっちゅうねん!なんでお前は無傷なんじゃ!」
「腕の差だ馬鹿が」
それは、間違いなかった。相手をしている高順から見ても、危険なのは韓当である。黄蓋の攻撃は食らえば危険だが、まず当たらない。比べて韓当は、常に自分の安全圏を維持しつつ、こちらの隙を窺っていた。ともすれば、黄蓋を斬った隙を狙っているかのような、そんな気配さえあった。
(片手では、難しいか…)
時間がかかりすぎていることもある。未完成とはいえ、この状況で、ここぞという瞬間に2刀を使えば、両名とも斬り伏せられる可能性は高い。
「うっ」
しばしの睨み合いの中、不意に一人の兵が倒れた。その孫堅軍の兵の背には、矢が突き立っている。視界の奥には、土煙を上げて向かってくる騎馬隊の姿が見えた。曹性か。相変わらずいい腕をしている。
余裕ができた高順が改めて二人の敵将を眺めると、黄蓋と韓当は互いに横目で相談していた。
(さすがに後ろから敵が来たら退いてもええよな?)
(そりゃまあ、退かないと死んじまうしな)
(じゃあお前が撤退の命令出せや)
(お断りだ馬鹿。お前が言え)
(お前逃げるの俺だけのせいにする気やろ!)
(そんなこと言ってる場合か馬鹿が)
そんなやり取りを知ってか知らずか、遠くの空で甲高い笛の音が響いた。
「「!」」
黄蓋と韓当が顔を見合わせ、頷く。
「お前ら!撤退や!」
黄蓋が叫ぶと、孫堅軍の奇襲部隊は次々と黄河に飛び込んでいった。
高順が呆気にとられて眺めていると、あっという間に黄蓋と韓当だけになっていた。見ると、黄蓋は鉄鞭を背中に括り付けている。高順は目を丸くした。アレを背負って、黄河に?
その黄蓋は最後に振り返ると
「テメェ覚えとけよ!」
「やられたお前が覚えとけ馬鹿」
こうして、孫堅軍は完全に撤収した。合流した曹性達と上から河面を覗いて見たが、誰一人顔を出す者はいなかった。
かくして、孫堅軍はその歩みを止め、後方に陣を敷き直した。
撤収した華雄軍は一時的に李粛の指揮下となり、汜水関前の陣には、李粛と共に呂布隊が入ることとなった。
董卓軍・犠牲者およそ1万。華雄軍・胡軫将軍、討死。
対する連合軍、死傷者500未満。
緒戦は、圧倒的なまでの惨敗であった。




