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14 曹操の危惧

 呂布が、董卓に謁見したらしい。

 洛陽にある自身の屋敷で、朝一番にこの報せを受けた曹操そうそうは、思わず舌打ちしていた。

 予想外に董卓の動きが速い。それほどに呂布を重要視しているのか。



 曹操、あざな猛徳もうとく。洛陽のある司州ししゅうの南東に隣接する、豫州よしゅうはい国、しょう(豫()・沛()・譙()というようなもの)の生まれで、若くして官吏の道を順調に進んでいた中、先の黄巾討伐で一気に名を挙げた青年将校である。彼は身体が小さかったが文武両道の優れた才能を持ち、いかなる立場でも発揮されるその能力と、実績に裏打ちされた自信のため、常に目立った存在であった。己の力による上昇志向の非常に強い曹操は、多くの勢力が董卓軍に支配された洛陽を離れた今も、董卓の元に残っていた。


 祖父の曹騰そうとうは優れた人物として名高い宦官かんがんであり、その名声と影響力は大きかった。その祖父に跡継ぎとして養子に迎えられた父の曹嵩そうすうは、政治家としては平凡な男であったがひとつ先見の明があり、当時権勢を誇っていた宦官の失墜を予見していた。そこで曹嵩は腐敗した朝廷を上手く利用し、その財産を投げ打って太尉(最高位の役職の一つで、軍最高司令官のようなもの)の位を金で買ったのである(帝の遊びの一種として実際の役職が直接金銭で売られていた)。その甲斐あって、宦官=悪として一掃された現在でも、曹家に没落の気配は無かった。

 人物の評価は高いが実務ではなく裏から朝廷を操る宦官であった祖父と、売官で太尉になった父。それに反するかのように、曹操は徹底した実務・実力主義であった。非道な行為を繰り返す董卓から逃げずに仕えているのも、その“力”を認めてのことである。


 董卓は、富を持つ者、裕福に暮らす者に容赦が無かった。

 武力や領地を持つ有力者が兵を連れて逃げ出し、後に残った都の役人の腑抜けた私兵くずれさえも郊外に追い出して董卓が始めたことは、財産の強奪である。完全に閉鎖された洛陽の街では、董卓軍が独自に調査した基準によって、少しでも裕福な暮らしをしていると判断された者の元には兵が押し寄せ、財産を没収していった。反対すれば、その場で皆殺しである。その対象は文武百官(国会議員のようなもの)から商人、皇族に至るまで、あらゆる身分の者であり、洛陽の富裕層の実に9割以上が狙われたのである。その日に狙う相手がどこの誰かは明確に決められており、その没収劇は連日、整然と続けられた。奪った物は、董卓の本拠地である長安へと送られて行った。

 曹操は、反対しなかった。

 この国は、既に腐り切っている。黄巾の乱の最中、黄巾軍に襲われた村をさらに襲う官軍を討ったこともある。民を盾に戦う官軍もいれば、今日は黄巾、明日は官軍という連中もいくらでもいた。払えるはずのない高税から逃れ、今日食うために黄巾に入っている者も多かった。戦が終われば、黄巾の乱で功績のあった将軍達の中でさえ、役人に賄賂を渡さなかったがために濡れ衣を着せられ更迭、処罰された者が何人もいた。十常侍はいなくなり、無能な帝を董卓が廃位させたこの状況でなお、当然のようにこのようなことが起きているのだ。誰が悪い、どの部分が悪い、ではない。頂点から末端まで腐ったこの病状に、もはや治す術は無いのだ。曹操はそう考えていた。

 一度、全てを破壊しなくてはならない。

 だが、それは誰にでもできる事ではない。あまねく天下に号令できるのは、頂点に立つ者のみ。

 そこに現れたのが、偶然帝を保護した董卓だったのである。黄巾の乱で目立った戦果を上げていない董卓のことを当初曹操は侮っていたが、自らが保護した帝を無能と見るや即廃位させたその行動力、判断力は、驚愕を越え恐怖を感じる程だった。配下の身分で帝を代える、というのは、天に対する反逆である。自分があの立場でも、廃位など、できないどころか思いつきもしなかっただろう。それほどの事を、あっさりやってのけたのである。調べさせたところによると、先帝とその母・何太后も既に暗殺しているらしい。

 この自分には無い“力”こそが、曹操が董卓の元に残る最大の理由であった。

 また、世紀の汚れ役を自ら買った形の董卓は、にもかかわらず常に堂々とした自然体であり、当然のごとく自分の道を進むその姿は、立派な体格と相まって、人としての器の大きさを明確に感じさせた。体格が標準より劣る曹操には、それが一際強く感じられるのかもしれない。実際傍にいると、個性の強い西涼勢をまとめているその姿勢・態度などからは学ぶところも多かった。

 しかしそれでも、帝に、天に背いた董卓は外から見れば完全なる絶対悪であり、もはや他の勢力をまとめることはできない。となると次に頂点に立つのは、この董卓を排した者である。曹操は、それを狙っていた。それは、汚れ役となった董卓への、感謝にも似た決意であった。



 董卓軍以外は完全に追い出されたこの洛陽において、曹操も自身の兵はおろか、腹心である将も自領に帰している。味方といえば、屋敷に下男として置くことのできた諜報の兵数名のみ。いざ董卓を暗殺するとなっても、いかにも頼りない。そんな中に現れた呂布は、その武勇の噂からも是非こちらに引き入れておきたい人材である。

 董卓は10日ほど前より長安に帰っており、洛陽に戻る予定は無かったはずだ。それが、いつの間に。苛立ちを鼻を鳴らして吐き出すと、曹操は部下に呂布の居所を調べさせ、自らは董卓邸へと向かった。

 董卓の人を惹きつける力は相当なものである。まして呂布は同業のヤクザ者、馬も合うだろう。既に手遅れかもしれないが、とにかく、少しでも早く直接会わなければ。




 一方そのころ、董卓邸では。

「昨日は、本当に失礼しました!」

「いやなに、董卓殿くらい偉くなれば相当に忙しいんだろう?そう気にしないでくれ」

 結局董卓はあの一瞬の対面以降現れず、そのまま屋敷に泊まった呂布と高順は、朝から李儒にひたすら頭を下げられていた。

「あー、あれはその、忙しいといいますか…。義父は、奥様を大変大事にしておりまして…」

「ああ、そういや何か夫婦喧嘩がどうのって言ってたなあ」

「いや全くお恥ずかしい!重ねて、申し訳ございません」

 なかなか楽しそうな一家である。呂布は苦笑した。

「いいって。ただ、とりあえず董卓殿に会えないのなら一旦外の陣に戻りたいんだが。部下達を待たせたままだしな」

「それはごもっともです。ならば、私もご一緒しましょう。呂布殿の待遇などもお話させて頂きたいですし、道すがら、昨日義父が聞くはずだった質問にも答えさせて頂きますよ」

 

 配下の兵はそのまま直属、洛陽内の屋敷を一軒に、兵士用には空いている警護の詰所が二つ。給料は二人とも将待遇、ただし最下級。有事の呼び出しは厳守、それ以外は自由。

「…すいぶん優遇だな。まあありがたいんだが、まだ何もやってないぞ?」

 李儒は笑って答える。

「お二人の人となりは私が見ておりますし、華雄の叔父貴からもさんざん聞かされております。…それに、建物と金は余ってますので」

 確かに。

 今馬を並べて進んでいる洛陽中心部には、相変わらず人の気配が無い。崩れた壁や、破壊された家屋も少しだが見える。周囲を確かめる呂布に、李儒が先に声をかけた。

「…気に、なりますか?」

「ああ。これは、本当に皆殺しにしたのか?」

 呂布の視線に感情は無い。

 李儒も、ゆっくりと周囲を見渡した。

「…およそ、半数ですかね。殺したのは」

 それまでと同じ調子でそう答える。

 呂布も、高順も、李儒を見た。やはり、非道の輩か?戦なら、わかる。だが洛陽は攻め取られたのではない。

「少し前にですね」

 李儒は言葉を続けた。

「そう、黄巾が流行りだした頃です。地元のある村が黄巾に襲われましてね。若者は死に女が連れ去られ、老人と子供だけが残ったその村に官軍を連れた役人が来たんですが、何をしに来たと思います?」

 二人を見ると、返事を待たずに

「税をね、徴収しに来たんですよ。どうやら仕事熱心な連中だったらしく、僅かな家財道具を全て持ち去ったようで。私達が着いた時には、飢え死にした死体ばかりの村になっていました。ある死体はね、自分の指を食いちぎってましたよ。自分が食べたかったのか、幼子に食べさせたかったのかはわかりませんがね」

 李儒は笑みを浮かべている。その力無い表情とは裏腹に、眼光は鋭さを増していく。

「私達の地元、涼州は元々豊かではありません。無茶な税には抵抗し、改善を要求し、何度も武力衝突を起こしては反乱扱いされています。これはもう、何代も前からです。ですが、何かが改善されたことはありません。変わったことといえば、税率を上げられたくらいですか。それでもまあ、自分達の暮らしが守れていれば、それで良かった」

「…しかし今回、もはや許せなくなった、と」

 割り込んだ呂布を驚いた顔で見て、李儒は優しく笑った。

「許せない、というと少々格好良過ぎますね。我慢できない、いや、気に入らないんですよ。弱者から巻き上げた金で遊興にふける、都の金持ち連中がね。今まで、十分楽しく暮らしてきたんでしょう?同じ時間に、ただ苦しく死んでいった人間が、涼州以外にもどれだけいることか」

 一種の義憤、なのだろう。善悪正誤はともかく、納得はできた。中心部が無人になるわけだ。


「…で、あとの半数はどこへ?」

 しばしの無言の後、李儒の話は終わったと見て、高順が質問する。

「長安です。単純労働力になってもらおうと思いまして。基本的に助命を願った者の命は取っていません。もちろん財産は没収しますけど。…誰を殺せば、誰の仇になるのか、そんなのわかりませんからね」

「あくまで、気に入らない贅沢を奪いに来た、ということですか」

 珍しく高順が笑っていた。安易に殺さず、生かして使うというのが気に入ったのだろう。それは呂布も同感だが、引っかかりもあった。非戦闘員を狙うのは、アリなのか?どうしてもそれが気になる。そんな呂布を見て李儒は、

「長々と話してしまいましたが、今の話は私個人の考えです。義父がどう考えているかはわかりませんし、単に暴れたいだけの者も大勢います。ですから、納得できないところはそのままに、ただ我々を『悪者』として捉えて頂ければいいんですよ」

「いや、それだと俺達はその悪者の中に入ったところになるんだが…」

「おっとこれは失礼」

「いや、今のは若が失礼です」

「…おお、確かに。いやすまない、悪気は無かった」


 笑い合いながら進む先では、街が賑やかさを取り戻していく。この洛陽外周部の活気は、董卓軍が富裕層を排除したからこそのものなのだろう。董卓軍の良し悪しはやはり判らない。ただ一つ解ったことは、李儒は悪い奴ではない、ということである。そしておそらくは、董卓も。


 未来の大英雄・曹操の危惧をよそに、呂布と董卓軍との距離は順調に縮んでいた。

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