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13 董卓軍の人々

 王都・洛陽を占拠し、大軍勢をもって封鎖している董卓軍。多くの密偵がその情報を得られない中、各地で曖昧な噂が流れ始めていた。


 閉ざされた街で税を跳ね上げ、民の財を奪い、女を攫い、贅を尽くした暮らしをしている。

 自ら据えた幼い皇帝を意のままに操り、朝廷を牛耳り、ゆくゆくは皇帝の座を狙っている。

 并州を獲った勢いに乗り、次は西に侵攻するつもりである。


 元々がヤクザ集団である董卓軍のこと、この乱暴な噂は多くの者に真実として捉えられていた。そして董卓=朝廷への反感は名目上その支配下にある各地の領主達に向かい、さらには黄巾の乱からの復興もままならない民衆の不満と混じり合って、全土に再び反乱の火が燻り出していた。




 夕刻。呂布は、以前洛陽を襲った際に様子を窺った同じ丘から、再びその巨大な街を眺めていた。ついこの間散々に破壊した陣は再び建てられ、相変わらず街を囲っている。

 さすがに少々気まずい。

 夕日に染まっていく広大な陣が悲しげに映るのは、そのせいだろうか。それとも、董卓軍についての暗い噂のせいか。はたまた、今まで暮らした土地を、師の眠る并州を離れることに対する不安や寂しさ、そういったものの影響だろうか。呂布は独り苦笑した。

(これは、こういうのはガラじゃあねーな)

 師匠がいたら何を言われたかわかったもんじゃない。

 視界には、洛陽からこちらに向かう騎影が小さく見える。董卓に出した使者が帰って来たのだろう。2000は少勢とはいえ、あちらから見れば元敵軍である。念のため、近くまで来たことを報せたのだ。あちらの都合もあるだろうし、このままの洛陽入りが難しいなら何日かはここで野営するつもりだった。

(この判断も「弱気になって」と笑われるかな?)

 

「ひっさしぶりだなぁ!呂布!黄青!」

「!り、李粛りしゅくか?」

 使者は董卓軍の人間を一人伴って帰って来た。

 その男、李粛は、幼い頃は并州に住んでおり、呂布達と共に黄栄に武術を習っていたのだ。その後李粛の親が洛陽で割の良い仕事を見つけて引っ越したため短い付き合いではあったが、同い年ということもあって呂布とは特に仲が良かった。呂布の記憶では賢そうな、線の細い少年だったが、今は体格もしっかりしており、無精髭の似合う野性味ある男になっていた。面影があるのは賢そうな目元くらいか。

「にしてもデカくなったなあ!これなら華雄の叔父貴おじきと互角に打ち合ったってのも納得だ」

「お、叔父貴?」

「ん?ああ、董卓の親父の義兄弟だからな。まあなんだ、慣れだ慣れ」

 そう言って肩を叩いてくる李粛。その様子はいかにも楽しそうで、暗さなど微塵も無かった。話に出た華雄といい、董卓軍の連中のこういうノリはなかなか気持ちが良い。

「しかしとうとう殺ったんだな、あの狂人。そういやガキの頃から剣で殴られてなかったっけ?むしろ今まで良く我慢してたよなぁ。お前のその腕ならいつでも殺れたんじゃねえの?」

 ちょっと気持ち良すぎる感もある。

 親を尊ぶことが当然、死ねば3年は悲しみに暮れる、といわれるこの時代において、実際義父を殺した呂布が言うのもなんだがこれは軽すぎる。と、肩に手を乗せたままの李粛の顔から笑みが消えた。

「お師匠さんは、お前じゃないよな?」

「…」

 正直に答えるべきか。一瞬迷った。そして、頷く。

「やっぱそうか。そうだよな」 

 穏やかな笑顔が戻った。

「それで十分だ。事情は聞かねえよ。どっちかって言うとお師匠さんの方が親父みたいなもんだったもんな。お前が殺るわけねえよな」

 つられて笑う呂布。おそらく李粛の中では、狂人呼ばわりの丁原は『親』の枠から外れているのだ。その代わりに師匠が親扱いなのだろう。そして、呂布は師匠を殺していない、と信じてくれていた。呂布にはそれが嬉しかった。しかしそれがうまく言葉に出ない。

「さて、じゃあ役目に戻るか」

 李粛は姿勢を少しだけ正すと、懐から書状を取り出し、広げる。

「呂布軍の洛陽入りは明朝、日の出の後。これはウチの活動開始の時間だ。軍勢は郊外の陣を空けておくからそこに留め、呂布と、必要なら従者数名を連れて西門より入ること。黄青も来るんだろう?」

 話を向けられた黄青は目で肯定を示すと、

「今は、高順と名乗っています」

口ではこう答えた。

 李粛は怪訝な顔で黄青と呂布を見たが、すぐに笑みを浮かべる。

「よくわからんが、なんとなくわかった。呂布と、副官の高順だな。先にそう伝えといてやるよ。…しかしお前さん、相変わらず全然しゃべらねえんだな」


 それから少しの間思い出話をした後、李粛は洛陽へ戻った。


「俺や叔父貴は大歓迎だが、やはり親を殺したってのは印象が悪くてな。そうじゃない奴も多い。何かあったら言ってくれ。こう見えて俺も一応『将』扱いなんだぜ。役職もアレだ、どっかの狂人が放置して行った『騎都尉』だぞ、騎・都・尉。いや狂人さまさまってな!」

 最後まで調子のいい李粛の様子に、呂布は自分が活力を取り戻していくのを感じた。同時に、意識の外で気力が失われていた、ということに気付かされた。

 明日には現代最大勢力、董卓軍の中に入るのである。沈んでいる場合ではないのだ。呂布は改めて旧い友人に感謝した。次会った時は、酒でも奢ってやらねば。




「ようこそ呂布殿。お待ちしておりました」

 翌朝、李粛に指定されたとおりに日の出直後に洛陽に到着すると、ご丁寧なことに門外には迎えが来ていた。相手に合わせて呂布と高順も馬を降り、礼をする。

「出迎えて頂き、感謝する。俺が呂布、こっちが副官の高順だ」

 この少々雑な挨拶に背後の高順から警告の視線が刺さるのを感じるが、ここは無視する。なめられるのはゴメンだ。

 迎えの男は、およそ董卓軍に似つかわしくない風貌だった。痩身で色白、優しげな顔立ち。髪を下ろしていることもあって、遠目には女と間違われそうな姿である。

「私は董卓直臣、参謀の末席におります、李儒りじゅと申します。少々気が早いかもしれませんが、これから、よろしくお願いしますね」

 笑顔も穏やかなその顔には、しかしどこか疲れた気配が滲み出ていた。


 李儒。彼は董卓にその賢さと真面目な性格を買われ、仕えて間もない頃から参謀である賈詡の補佐として董卓軍の中枢で働いていた。黄巾の乱が全土に広がると、董卓が西涼を出る足がかりと下調べを兼ねて先に朝廷に入り、膨大な腐敗の詳細を記録してきた。貧しい農家の生まれの李儒にとってはそれら全てが許すまじきものであり、彼はそれを徹底的に調べ上げた。そして董卓が帝を擁して洛陽を押さえた現在、自身の作成した記録を元に、董卓軍の最重要目的の一つである『資金の確保』を任されていた。その重責と内容が、疲れとなって顔に出ていたのである。

 ちなみに西涼時代に惹かれ合って結婚した女性がおり、それがなんと董卓の娘であった。特に公表されていないが、夫婦間も義理の父とも、仲はすこぶる良好である。“ヤクザの親分の義理の息子”という共通点から、彼は勝手に呂布に親近感を覚えていた。丁原と呂布の関係が最悪である事を知り、呂布の引き抜きを強く進言したのも李儒だった。


 李儒に先導され、馬に乗って洛陽に入る。外を陣で囲まれ閉鎖されているだけのことはあって、街の空気にはどことなく緊張感が漂っていた。それでも、往来には人の姿があり、話し声もそこかしこで聞こえていた。それが先に進むにつれて徐々に減っていき、役人や商人の屋敷が並ぶ中心部に入る頃には、全くと言っていいほどに気配も物音も無くなっていた。李儒は時折こちらの様子を見ては微笑みかけてくるが、説明する気は無いらしい。

(董卓軍はここで何をやってるんだ?)

 外での噂のように、乱暴狼藉の限りを尽くす、ということは無いようだが、異様な気配である。たまに駆け足で通り過ぎる5、6人の兵の列を見送りながら、中央の大通りを真っ直ぐ進んで行く。と、遠くで人の声がした。内容は聞き取れないが、大声での言い争いのようだ。そしてそれは悲鳴に変わった。

 呂布は李儒の方を見た。今のは何だ?と声に出す前に、うなだれた李儒が目に入った。ため息が聞こえる。

「…大丈夫か、李儒殿?」

 横に並んで声をかけると

「ああ、ありがとうございます」

とりなすように笑った。その顔をじっと見据えてやる。

「いやあ、最近どうも胃の調子が悪くて。薬は貰ってるんですけどね…」

 今度は弱々しい笑みを見せると、そそくさと先へ馬を進めてしまった。

 どうにも良からぬことをやっているとしか思えないが、まあ、いい。どうせこの後董卓に会うのだ。直接聞かせてもらうとしよう。呂布は黙ってついて行くことにした。

 その後さらに中心に入り、屋敷の規模が大きくなると、破壊された建物などが現れ始めたが、呂布はもう李儒に声をかけなかった。何というか、もはやこちらを振り返らなくなったこの顔色の悪い痩せた参謀が、気の毒になりだしていたのだ。



 董卓の屋敷は、以前呂布が夜襲をかけた董卓邸とはまるで別の場所だった。立派な屋敷の奥、大広間まで案内してくれた李儒は、

「いろいろ聞きたい事、言いたい事があったでしょうが、気を遣って頂きありがとうございました」

 再び人当たりのいい笑顔を見せて、丁寧に礼をしてきた。

「ここで待つよう話しておいたんですが…。申し訳ない、探してまいりますのでしばらくお待ちを。ご質問は、義父ちちに直接して頂ければ答えますので」

 言うと頭を下げて広間を出て行こうとする李儒。

「待った!…『ちち』って、どういうことだ?」

「ああ、ええとですね、私の妻が、親父殿の娘なんですよ。なので、義理の父ということに」

「!」

 照れながら答える李儒に対し、呂布は姿勢を正して頭を下げた。

「知らぬこととはいえ偉そうに道案内などさせてしまって、すまない!」

 後ろから高順の「だから言わんこっちゃない」的なため息が聞こえた気がした。

「いえいえ、そんなお気になさらず。我が家では特別なことではないですし。むしろここは、呼んでおいて約束の時間に待っていない義父が頭を下げるべき場面です」

 冗談なのか本気なのか、そう言った李儒の笑顔は今までで一番自然な、楽しそうな笑顔だった。呂布も自然に力が抜けて、

「そうか。いや、しかし義父というのには苦労させられるもんだな」

「若、冗談が重過ぎます」

 このやりとりに李儒はいよいよにっこり笑うと

「そうですね。呂布殿の苦労と比べられては恐縮どころではすみません。ではさっさと呼んで参りますので、くつろいでお待ちください」

 にこやかに広間を出て行く李儒を見送る。と、呂布は高順の方をゆっくりと振り返った。

「お前、知ってたな?」

「もちろん」

「教えてくれたっていいだろうが!」

「確認もせずに上から出たのは誰です?」

「っ!」

「今後、注意されますよう」

「…わかったよチキショウ」



 少し待っても、しばらく待っても、誰も現れなかった。広い屋敷ということもあってか人の気配はほとんど無く、一度部屋を間違ったのか下女が入ってきて、二人を見ると頭を下げて逃げるように出て行ったくらいで、そのまま待ち続けて気付けば夕方になっていた。

 この大広間は南側の引き戸を開け放つと広大な中庭に面しており、途中から呂布は寝転がりながらそっちを眺めていた。高順も足を胡坐に組み直している。規模はまるで違うが、正面が中庭のこの造りは、晋陽の丁原の部屋を思い出させた。


 そうして夕暮れの中、師の思い出に浸っていると、大きな足音がこちらに近付いてきた。呂布も高順も、顔だけを李儒が出て行った扉に向ける。

 勢い良く開いたその扉からは、身長はソコソコだが横にゴツい、厳つい顔の大男が現れた。その濃い顔の仏頂面と、遠い目をした呂布の視線が合う。

 (董卓!)

 呂布は飛び起きて座り直した。一度、帝の間で見たあの男だ。間違いない。高順はいつの間にか姿勢を正している。

 片や厳つい顔の男の仏頂面は、一瞬驚いたような表情になったかと思うと人懐っこそうな笑みへと変化した。その大きい口が開く。


 「おう、呂布に、高順か!良く来たな!しかしすまん!どうにも家内の奴がうるさくってなあ、時間が取れんのだ!本当にすまん!夫婦喧嘩は犬も食わんというやつだな!ハッハッハ!悪い!」

 

 迫力のある太い声でハキハキ言い残すと、そのまま大きな足音と共に逆側の扉から出て行った。


 ゆっくり後ろを向いた呂布は、夕日の射す中、しばらく無言で高順と見つめ合っていた。

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