序
―― 約1900年前・中国。
300年続いた偉大なる帝国・『漢』の威光も今は地に墜ちた。
為政者達は己の欲望を満たすことのみに腐心し、過度の搾取に走っていた。さらには互いを利用し、陥れる。民を思いやる者など、いる筈も無い。
時代は、確実に戦乱へと向かっていた。
苦難の時代に、民は英雄を求めた。しかし、武人の多くは為政者側である。野の武侠者などは所詮盗賊山賊の類であり、当然、英雄たり得ない。
無力な民の多くが惹かれたのは、信仰であった。
『太平道』
「張角」という一青年が興したこの宗教は、当初、人々の病を治すことを目的とした平和的な組織であった。その教義に多くの民が共感し、信者は飛躍的に増えていった。
人の数が多く、影響範囲が大きくなると、様々な状況が生まれる。
最初は、理不尽な暴政に対する真っ当な抵抗だったのだろう。元来、絶対的多数である民が太平道によりひとつにまとまり、力を持ったのだ。累積した皆の不満は暴力になり、為政者を襲った。各地で、反乱は成功した。絶対悪を皆の力で打ち破ったのだ。一時は、良い方向に進むように見えた。
しかし、不満や憎悪から生まれた過度の力は勝利を重ねて増長し、その道を違え始めた。
『太平道』にあらざるもの、全て悪なり。
乱に参加しない民をも、襲撃・略奪の対象とするようになったのだ。太平道信者は確かに多かったが、それでも一宗教である。信者以外の民の方が何倍も多い。多くの民はさらなる苦境に追いやられた。
ところがこの状況により、皮肉なことに、今度は腐敗した為政者側に、民を思い行動する者が現れ始めた。民は彼らに救いを求めた。ここにきて『太平道』は、絶対悪であったはずの為政者の軍=「官軍」に討伐されるべき「賊」と成り果ててしまったのである。
教祖・張角が好んで用いていた黄色の頭巾を信者達が真似て頭や首に巻きつけていたため、彼らは「黄巾賊」と呼ばれた。
黄巾討伐軍が組織され、各地で戦が始まった。官軍は、開戦当初こそ黄巾賊の勢いに苦戦していたが、所詮民衆の支持を失った太平道には、戦を勝ち抜く力は無い。対照的に官軍側では、農民までが義勇兵として黄巾討伐に参加する。また、武人の中からは、後の英雄候補達が頭角を現し始めた。純粋に民のために戦う者。時流を読み、今を好機と判断した者。生来の戦上手。覇を唱えんと壮大な野望を抱く者。多種多様ではあったが、腐敗した為政者達のような肩書きや権力ではなく、彼ら英雄候補達が持つ、民を救う直接的な〝力〟が、長く苦しんできた民衆に認められ、英雄として受け入れられたのだ。
後に「黄巾の乱」と呼ばれるこの大規模な反乱は、彼らの活躍により、太平道教祖・張角と、その弟、張宝、張梁の死をもって、終結した。
「黄巾の乱」後、英雄候補達は各々が活躍した地方を自身の勢力下に置くことになった。堕落した政治の中心たる朝廷にはもはや何の力も無く、乱後の地方を治めることなどできるはずもない。自然、各地に多数の勢力が生まれた。
時の為政者達は、己が権力を守るために培ってきた権謀術数を駆使して、それらの勢力を操ろうとしたが、もはや〝力〟無しではどうにもならなかった。それどころか、英雄候補達は朝廷の腐敗をも一掃するべく、都、洛陽へと集結しつつあった。
この物語は、ここから始まる。この、更なる戦乱の入口から ――