第三章 追憶 (1)
「あおいどうしたの?元気ないじゃん。」
悦子が心配そうな顔であおいを覗き込んでいる。
「うん・・・なんでもないよ。ちょっと気分が悪いだけ・・・」
あおいは軽く笑ってみせた。
そう・・・ちょっと・・・だいぶ、気分は悪い・・・。
昨日の隼人の言葉に、すごく傷付いていた。
あの頃みたい・・・
あの頃の私は、あの頃の経験がこんなにも長く自分の人生に
影響を及ぼすなんて、思っても見なかった・・・
こんなにも深く傷跡を残すなんて、尾を引くなんて、考えてもみなかった・・・
あおいは、自分の辛かった過去に、思いを馳せた・・・
私の両親は、夫婦で建設会社を営んでいた。
私が小学校に入った頃に二人は事業を始め、10年位はとてもうまく行っていた。
私は何不自由なく暮らしていた。
しかし私がちょうど高校に入学した位から、事態は急激に悪化した。
世の中が不景気になり、建築業を営んでいたうちの会社はもろに
その影響を受けた。資金繰りがうまく行かなくなり、父と母は日増しに
いがみ合うようになっていった。
「あんたのその考えがダメなのよ!うちはボランティアじゃないのよ!
ビジネスなんだから!!」
「うるさい!俺が仕事を取ってきてるんだ!事務しか出来ないお前が、
いちいち口出しするな!」
「なにさ、こんな一銭にもならない所か、赤字が出てしまうような、
何の儲けも出ない仕事ばかり請け負って!」
「うるさい!それが次の信用につながるんだ!」
「次々って言ったって、今は、今この状況はどーするのよ!」
「うるさい!お前は黙ってろ!!このヤロー!!」
こんなやり取りが日常だった。毎日修羅場と化していた。
私は自室に閉じこもり、もう聞きたくないと耳をふさいで泣いた。
何でこんな風に毎日いがみ合っているの・・・傷つけあっているの・・・
好きで結婚したくせに。
こんな時だから、お互いを支えあわなくちゃいけないのに・・・
そう思って、結婚したんじゃないの・・・?
だけど、だんだんとその言い合いはエスカレートしていき、父が母に手をあげ、
私が止めに入らないと母がけがをするようにまでなっていった。
口では散々言い返すくせに、暴力を振るわれると全くと言っていいほど
されるがままの母。
元々短気な人だったから、感情をコントロール出来ないのだろう。
無抵抗な母をこれ見よがしに熱くなって殴る父。
私までもが発狂しながら止めに入らないと収拾がつかない始末。
何度泣きながら体を張って、母を守った事だろう・・・
情けない気持ちで、熱くなっている父の頬に、手を挙げたことだろう・・・
無抵抗な母に手を挙げる父を恨んだ事だってある。
力では勝ると解っていながら暴力を振るうんだから・・・。
それを、いいように繰り返すんだから・・・。
卑怯以外の何者でもない。
でも、よくよく考えてみると結局は、二人ともいけないのだ。
先にケンカを売るのはいつも母の方だったし、父の暴力を甘んじて受け入れる
母に対する苛立ちもどこかにはあった。
そんな事に耐え忍ぶ事は美徳でも何でもない。
それに、あんな風に責め立てるように言葉をたたみかけたら、
父だって嫌でも熱くなってしまうだろう。父のその性格を熟知しているくせに
そんな言い方しか出来ない母も、確かにいけない。
‘‘言い方‘‘という物もあると思う。
とにかく私は、そんな両親に、そんな現実に、深く傷付いていた。
家庭というものは、ちっとも居心地のいい場所ではなくなっていった。
何でこんな風に・・・もっとしっかりしてよ・・・こんな時なんだから・・・
激しくののしりあう両親。そこには愛情とか思いやりのかけらなんて、
微塵も無い。ただお互いを傷付けあっているだけ。
見た事もないような形相で、激しくののしり合っているだけ。
日々、壮絶な修羅場が繰り返されるだけ。
私はそんな両親を見ながら、
こんなに傷付けあう位なら結婚なんかしたくない、こんな末路が待っている位なら絶対に結婚なんかしない・・・支えあわなくちゃいけない時に傷つけあって
ののしり合うだけなんて、一緒にいる意味ないじゃない・・・
苦労も一緒にしていこうって思ったんじゃないの?
そう思って結婚したんじゃないの?
状況がいい時は仲が良くて悪くなると全てが壊れてしまうっていうの?
夫婦の絆ってそんな物でしかないの?
あんな風になる位なら結婚なんてしないほうがましよ・・・
そうよ、私は絶対に結婚なんかしない!
そう思った。
父と母は私から、結婚に対する夢も希望も全て奪った。
そんな物を抱けるほど、私を取り巻く日常は優しくは無かった。
どうにもならない現実にただいきどおって、なす術が無かった。
毎日繰り返される両親の言い合いと、いつ会社がつぶれるか解らないと言う
不安から、私は日々暗くなっていった。
学校でもそうだった。というより、たわいもない話でキャッキャしている友達が
バカらしく思えていた。
くだらない・・・こっちはそれどころじゃないのよ・・・
一人で冷めて、シラけていた。
ある日、クラスの女子で一番強い子が、自分とけんかした一人の女のコを
みんなで無視しろと言ってきた。
くだらない・・・そんなの自分がやればいいだけじゃん・・・
自分とそのコの間で、解決すればいい事じゃん・・・
何でそんな事しなくちゃいけないの?
周りを巻き込まなきゃ何も出来ないのかしら・・・
それに、あのコが別に私に何した訳でもないじゃん・・・
そんな事する理由なんて、私にはないじゃん・・・
あまりに幼稚なその子のやり方にバカバカしくなった私は、そんな呼びかけなど
お構いなしにそのコと口を利いていた。
そしたら、今度は私がその標的にされてしまった。
私が何もしてないのに、今まで普通に話していた友達が全て離れていった。
私が話し掛けようと近寄っていくと、みんなコソコソと何か言い合い、
席を立って行った。
物を隠されたりもした。
授業でペアを組めと言われると、私だけが一人にされた。
みんなが一つ所ろに固まって、ワザと大きな声で私の悪口を言ったりもしていた。
「バカ女!ちょっと顔がいいからって、気取ってんじゃねー!」
「オメーと一緒の空気吸ってると、しんきくせぇのが伝染るんだよ!」
「アイツ超ウザくねぇ?」・・・・
・・・集団心理とは恐ろしいものだ。
本当に私が何もしてないのに、関係ない子がそろって罵声を浴びせた。
みんなでやれば怖くない、みんなで言えば何だって言える・・・
人を傷付けることを、新しい共通の遊びでも見つけたかのようにして、
みんなは盛り上がっていた。
でもその裏には、私と口を利いたら次は自分が同じ目にあわされてしまう・・・
そんな恐怖があったのだろう。
そんな危険をあえておかす者は誰もいなかった。
私の辛さを解ってくれようとする子なんて、誰も居なかった。
私が構わず話をしていた、そのコさえも。
あんな事をしたばっかりに、取り返しのつかない事になってしまった。
ただでさえ家の事で大変なのに、学校でまでも・・・
でも、その事は、思った以上に私を痛めつけた。
友達に無視されるのがこんなにもつらいなんて・・・
私は日増しにその事をメインに悩むようになっていた。
毎日繰り返されるみんなからの執拗なイジメに、自分の存在事態を
否定されるという事に、立ち直れないほど傷付いていた。
私はすっかり自分に自信を無くしてしまった。
家では両親がいがみ合い、会社は今にもつぶれそう、学校ではみんなに
無視される・・・あまりにも過酷な日々に、私は、行き場を無くした。
もう、何もかもうまく行かない気がする・・・私なんか、生きる価値もない、
生きてたってしょうがない・・・
人に嫌われるような人間なんだし・・・。
なんになるっていうの?こんな人生・・・
何の意味があるの?この辛い日々に・・・
死にたい。そう、私なんて、死んじゃえばいいんだ・・・
そう思って、何度自分の手首にかみそりを当てたか解らない。
今死んだら負けになる・・・人生に、あいつらに、何より自分に・・・
でも、もう負けてもいい。
こんなに苦しみながら生きるより、いっその事楽になりたい・・・
多感な年頃だった私は、そんな事を思っていた。
生きているということ事態が、たまらなく嫌だった。
死ぬ度胸がないから仕方なく生きている・・・そんな感じだった。
そのうちに、会社は倒産した。
父は、不渡りの出る当日、自殺を図った。
庭にあった木にロープをかけて、首をつったのだ。
しかし運良く私が見つけ、それは未遂に終わった。
「死んだってしょうがないじゃない・・・お父さん・・・」
母が駆け寄り、泣きながら父にしがみ付いている。
「すまない・・・」
父もボロボロ涙をこぼし、むせび泣いている。
私は妙に落ち着いていた。妙に冷静に、その事を見ていた。
自分も散々そうしたかったくせに、いざそういうものを目の当たりにしてみると
妙に気持ちが座ってしまう。その弱さがバカらしくさえ思える。
というか、感情的に「死ぬ」とかそんなことを思えないほどもう、
心が麻痺していたのかもしれない。
父は結局地元にいられなくなり、逃げるように地方に働きに出て行った。
残された母と私は、毎日やってくる債権者や借金の取立てに怯えながら
暮らさなければならなかった。
私は学費と生活費をまかなうため、バイトを始めた。
母も、皿洗いやなんかの慣れないパートを掛け持ちしていた。
辛いだけの、日々が続いた。
そんなある日、家に帰ると母の様子がおかしかった。
見ると、ウイスキーの瓶が目の前に転がっている。慣れないお酒を飲んだんだ。
うつろな目をしてフラフラと外へ出て行った。
変な胸騒ぎがして急いで追いかけると、道路に一目散に駆け出す、母が見えた。
キーーーーッ!!走っていた車が急ブレーキをかけた。
「お母さん!」
私は駆け寄った。母は寸でのところで無事だった。
「バカヤロー!!死にてーのか!!」
ドライバーが怒鳴っている。
母は泣きながら、「死にたい・・・死にたい・・・」
何度もそう言っていた。
なんて弱い人達なんだろう・・・父ばかりか母までも・・・
思春期を迎えた私は、両親の事をそう思った。
親を親としてじゃなく、一人の人間としてその弱さやふがいなさが見えてしまう。
その事が悲しかった。
この傷ついた心が頼れるはずの場所が無くなってしまった・・・
不変であるはずの大きな存在が、そうでないものに変わっていく・・・
学校では相変わらずみんなに無視されていじめられて傷付けられている。
父は半分行方知れず、母は自殺未遂を繰り返す・・・
もう、誰も信じる事なんて出来ない。何も信じる事なんて出来ない・・・
様々な出来事が、私を無理やり大人へと突き上げようとしていた。




