第二章 虚像 (1)
「隼人さんか・・・」
あおいはボーっとしながら知らずに口に出して言っていた。
「ん、何か言った?」
悦子が不思議そうな顔をしている。
「ううん、別に何も。」
作り笑顔でごまかす。
「ねーあおい、今日空いてる?実はさぁ、三上さんと近藤さんから4人で食事しないかって誘われてるの。
ねぇあおい、行くでしょ?行こーよー。」
「ごめん。今日は予定入ってるんだぁ。」
「何?予定ってデート?相手は男の人でしょ?谷口さんと寄りが戻ったの?それとも新しい彼が出来たの?」
悦子は自分のペースで一気にしゃべりまくる。
まったく少しは人の話も聞けっちゅーの・・・あおいは苦笑いした。
「ううん、この前、ちょっと親切にしてもらった人が居てさ・・・今日はそのお礼するの。」
そう、今日は島村 隼人と会う日だ。
あの日から一夜明けて落ち着きを取り戻したあおいは、感謝の気持ち一心で彼と連絡を取った。彼は少し躊躇していたけれど、とにかくお礼をさせてくれと言ったら、
じゃあ飯でもご馳走してもらうか、と言ってくれた。
そして、彼の都合のいい日を聞いて、今日になった。
あの日から5日が経っていた。
あおいは彼に会うと思うと心が弾んだ。あんな風な出逢い方なんて、ドラマじゃあるまいし、そうそう無いと思っていた。
でも、彼はさっそうと現れ、自分を助けてくれた。優しい笑顔で優しい言葉をかけてくれた。そして抱き寄せてくれた。
あの時の感触が妙に忘れられない。
少女でもあるまいし、何ときめいてんだろう・・・あおいは自分につっこんだ。
いや、あの出来事があって、彼のしてくれた行為自体にときめいていたのかもしれない。
とは思いつつも、あおいは約束の時間が待ち遠しかった。
久しぶりに味わう、心が躍るような感覚に少し戸惑いながらも。
「ったくあおい!聞いてんの?」
自分の世界にどっぷりとトリップしたあおいに、悦子が半分怒りながら言った。
「え?あっ、何だっけ?」
「もう!だからぁ、お礼って何?親切にしてもらったってどーいう事?ねぇ、相手はどんな人なの?何歳ぐらいの人?何やってる人?」
悦子はもう止まらない。
この勢いだから逆に、引いてしまって言いたい事が言えなくなってしまうのだ。
あおいは面倒くさくなって「想像に任せるわよ。」と言った。
でも、本当はときめきにも似たこの淡い感情を、もう少し自分一人でかみ締めていたい気がしていた。
◇ ◇ ◇
「まだ来てないよね?」
あおいは隼人と待ち合わせたフランス料理の店に入って、キョロキョロと辺りを見回した。悦子を振り払ってくるのに苦労したあおいは、約束の時間ギリギリになってしまった。でも、彼はまだ来てない様だ。一安心。
お礼をするのに遅れてしまったら、それこそ誠意ってもんが無くなるもんね・・・
あおいはホッと胸をなでおろし、ウエイターに案内された席に着いた。
早く来ないかな・・・あおいは心の中でそう思った。
彼の事は何も知らない。
素敵な人だったもの、恋人も居るだろう。もしかしたら家庭のある人なのかもしれない。だからお礼がしたいと言った時、躊躇したのかも・・・
あおいは待っている間、いろいろな事を勝手に考えていた。
それならそれでいいよね。別に付き合いたいなんて思ってる訳じゃないし・・・
そんな事を思っている自分にあおいはおかしくなった。
まるで恋してるみたい・・・
その時、
「どうも、今晩は。」
彼が現れた。あおいは慌てて席を立ち、
「今晩は。わざわざ足を運んで頂いて、申し訳ありません。」
ニッコリと微笑んだ。
「いえ、別に・・・」
だけど彼はニコリともしない。あおいは一瞬戸惑った。
島村 隼人はニコリともしないどころか、すごく嫌そうだ。
嫌だという雰囲気を、全身からかもし出している。
その姿にあおいは愕然とした。
まるで別人だわ・・・
今ここに居るこの人が、あの時自分を助けて優しく声を掛けてくれたあの人と同一人物とは思えない。それ位、今の彼はムスッとして不機嫌だ。
確かに勝手な想像をあれこれしたし、強引に礼がしたいと言ったのも自分だ。
だけど、あの日の、あの優しい彼はどこに行ってしまったんだろう・・・
あおいは勝手に物事を察した。
「ご無理を言って来て頂いて本当にごめんなさい。そうですよね。こんな風に女の人と二人だけで食事なんてしたら、あなたの恋人に誤解されてしまいますね・・。」
あおいは引きつった笑顔でそう言った。
「別に、そんなのいねぇから・・・」
彼は相変わらずムスッとしている。
「ああ、そうですか・・・すみません、勝手なことばかり言って・・・。でも、今日はお礼ですので、どうか好きなもの召し上がってくださいね。」
言っては見たものの、こんな気まずい状態でどうやって食事すればいいのよ・・・
あおいは思った。