第八章 答え (2)
やっぱりな・・・俺は自分の予感が的中してしまった事になす術がなかった。
心が痛い。痛くて死にそうだ・・・。
なんでなんだと、考え直してくれと、諦めずに言いたかった。
もっとみっともなく、強引にでも彼女を口説き落としてしまいたかった。
だけど、彼女の口調を聞いていたら、そんなことは出来なかった。
決断してしまった、弱々しかったけどきっぱりとしたその口調・・・
迷ったあげく、答えを決めてしまったその心・・・
それに、人の心ってもんは、無理やりに手に入れるものでもない。
自然と、寄り添っていくものだ。あくまで心が決める事だ。
あおいへの想いは変わらない。こんなに深く誰かを愛した事なんてない・・・
あおいを恨んだりしない。女なんてって気持ちもない。
だけど、やっぱり愛して欲しかった・・・
俺は、一番愛が欲しい人からは、愛をもらえない運命なのだろうか・・・
当分立ち直れそうもねーな・・・。
俺は丸くなって毛布に包まり、胸の痛みに耐えながらただただあおいを想った。
どれ位泣いただろう。頭がガンガンする。顔も服もグチャグチャだ。
「シャワー浴びよう・・・」
つぶやいて、シャワーを浴びた。
あの頃の不安な気持ちがよみがえる。
皆に受け入れられなかった自分。
ののしられ続けた自分・・・。
自分は人に嫌われるような人間なんだ。彼だって、いつかそう思うかもしれない。
そしたら・・・もう傷付きたくない。これ以上は・・・。
私は自分が大嫌いだ。自分に自信なんて、これっぽっちもない。
自分を愛せない人間が、誰かを本気で愛せるはずない。
応えられるはずない。
『君は誰も愛せないんだろ・・・』谷口さんが言っていた言葉。
そうなんだ。私は人を愛せない・・・愛しても、どうにも出来ない。
こんなに愛してたって・・・・
自分に自信がなくて、自分を愛せなくて・・・いつもそこで終わってしまう。
結局、誰とも本気でなんか、向かい合えないんだ・・・
過去の傷がいつまでも心を支配して、変わることが出来ないんだ・・・
どんなに変わりたくても・・・
「お酒でも飲んじゃおっかな・・・」
絶対飲めないお酒だが、こんな日は飲まずにいられない。
お酒に逃げてみたい。
あまりに自分が惨めで。臆病で情けない自分が惨めで。
変われない自分が、死ぬほど情けなくて。
彼を好きだったこの心が憐れで。
自分という人間が、つくづく嫌で。
私はなんともいえない重たい気持ちを抱えたまま、コンビニにお酒を買いに行った。
足取りも、えらく重い。
帰り道、ボーっと歩いていると人影が行く手をさえぎった。
近藤さんだ・・・私は一瞬、状況が飲み込めなかった。
何で近藤さんが?・・・だけど、彼の目を見て私は何かを理解した。
‘‘あぶない‘‘その事だけ、解った。
普通じゃない彼の目・・・宙を泳いだようにうつろな目をしている。
「君を・・・ずっと見てたんだ・・・君は・・・やっぱり僕のものだよ・・・」
不気味な笑みを浮かべて近寄ってくる。
会社では笑顔で接してくれていたのに・・・許してくれたと思ったのに・・・
あの笑顔だ。あの笑顔が、危なかったんだ・・・
私は全てを理解し、後ずさった。
「君は・・・僕を傷付けたから・・・・おしおきしなくちゃね・・・・いっぱい・・・愛してあげるよ・・・」
恐ろしい笑顔を浮かべ、一歩一歩近付いてくる彼に、私はただ首を横に振りながら、後ずさった。
助けを呼ばなくちゃ・・・にげなくちゃ・・・そう思うのに、思考がパニックを引き起こして何も出来ない。
隼人さん、隼人さん、隼人さん・・・彼の事だけが頭に浮かぶ。助けて・・・走って逃げようにも体が上手く動かない。近藤が、スゴイ勢いで駆け寄ってきて私の腕を捕まえて人気の無い裏通りへ引きずり込んで、そして押し倒した。
犯される・・・私は思った。
なんとかしなきゃ・・・
「やめっやめっ・・・」
前もこうだった。いつも怖くて何も出来ない。あの時は隼人さんが助けてくれた。
でも今はいない。近藤が洋服の上から体をまさぐっている。
汚い・・・イヤだ・・・こんなヤツに触られるの・・・
イヤだ・・こんなヤツに、いいようにやられるなんて・・・
イヤだ・・・いつも何も出来ないなんて・・・もうイヤだ・・・こんな自分!!
情けない自分なんて、もうイヤだ!!
私はあまりの気持ち悪さに吐き気をもよおしながらも、何とか逃れようと硬直する体を必死に動かした。
その時、手に何かがフィットした。
さっきコンビニで買った缶ビールだ。私はそれを掴み、缶の底で思いっきり近藤の顔を殴った。
「うっ、いて・・・」
近藤が鼻を手で抑えてうずくまった。血がボタボタとたれている。
私はその隙に何とか逃げようと、からむ足取りで必死に走った。
もっと早く動いて・・・この足!足が鉛のように重く感じられる。
とにかく走って逃げた。
怖いよ、怖いよ・・・隼人さん隼人さん・・・
私はパニックになっていた。
パニックになりながら、辿り着いたのは彼のマンションだった。
オートロックで中に入れない。
どうしよう・・・あいつが来たら・・・携帯もない・・・
気持ちばかりが異様にあせっている。
それに、悠長にインターホンなんかを押している場合でもない。
私はマンションの塀に目をやった。越えられない高さじゃない。
私は無我夢中でその塀を乗り越え、中に入った。
隼人さんの部屋・・・確か3階だった。私は階段をかけ上った。
どこで落としてきたのかサンダルは両方ともなく、裸足だった。
3階に辿り着き、彼の部屋を見つけた。
「隼人さん隼人さん!開けて!開けて!」
私はドンドンドアを叩いた。
「隼人さん!はやとさ・・・」
その時ドアが開いた。
隼人さんが驚いた顔で見ている。
「どうしたんだ、あおい?何があったんだ?」
彼の顔、彼の瞳、彼の声、彼自身、全てに安心する・・・。
よかった・・・ここに、あなたに辿り着けて・・・
「隼人さん・・・!」
私は彼の胸に飛び込んだ。
隼人さん、隼人さん・・・。
彼はぎゅっと抱きしめてくれた。
「私、イヤだ・・・。隼人さん以外は、イヤだ・・・」
「とにかく中入ろう。」
そう言って俺は、あおいを抱きかかえた。
裸足のあおいの足は、あちこち血が出ている。普通じゃないあおいの様子。
何がどうしたんだ・・・問い詰めて何があったかすぐに聞き出したい。
だけど今は、あおいを落ち着かせて傷の手当てをする方が先だ・・・
俺は冷静に、そう思っていた。
俺はあおいをソファーに座らせた。
俺が離れようとすると、あおいがしがみ付いてきた。
「隼人さん、行かないで!」
「どこにも行かないよ。ただ、傷の手当てしよーな。」
なだめるように言って、あおいの手をそっとひき離した。
洗面器にお湯を張り、足を洗ってやった。その後消毒してバンソーコーをはった。
あおいはずっと震えていた。
あの日みたいだ・・・俺は思った。
俺があおいと出逢ったあの日・・・あの日のあおいも、こんな風に震えていた。
傷の手当てが終わり、俺はあおいの目の前にしゃがみ、あおいの顔を覗き込んだ。
「あおい、落ち着こうな。もう、大丈夫だから。」
俺の言葉にあおいは再びワッと泣き出した。
俺はあおいを抱きしめた。
痛々しくて見てらんねーよ・・・
「あおい・・・」
「私、イヤだ。隼人さん以外はイヤだ・・・絶対・・・」
俺はもっと強くあおいを抱きしめた。
「なにがあった?」
俺はなるべく穏やかな口調であおいに聞いた。あおいは嗚咽している。
「あおい?」
少し口調がキツくなる。何が起こっているのか、早く知りたかった。
「私・・・コ・・・コンビ二が・・・ビールで・・・帰り道・・・・近藤さん・・・・立ってて・・・」
「近藤ってあのいつかの男か?」
「うん・・・近藤さん・・・君は・・・・僕のものだっ・・て・・・傷付け・・たから・・・・
おしおきだって・・・いっぱい愛してやるって・・・押し倒されて・・・」
「あおい・・・」
俺はもう一度あおいを思いっきり抱きしめた。
なんてこった・・・・ちくしょう!!俺は悔しさでいっぱいだった。
「私・・・こわくて・・・ビールで殴って・・・にげて・・・」
「わかったもういい。わかったから・・・」
俺はアイツを殺してやりたくなった。いや、絶対タダじゃ済ませねえ。絶対に!!
こんな事をしやがって・・・俺の大切なあおいに・・・。
あおいをこんなに怯えさせやがって・・・。
「もう大丈夫だから。何も心配要らない。よく逃げてきたな・・・がんばったな、あおい。怖かっただろうに。」
俺は壊れそうなあおいを、きつくきつく抱きしめた。
しばらくそうしていた。
俺は、パニックになったあおいが俺のところに逃げてきてくれた事が
本当に嬉しかった。
俺を頼ってくれた事が、何より尊い事に思えた。




