第七章 心の行方 (1)
あおいは、カノンにばれてしまった事を隼人に伝えた。
とにかく一度、カノンに会ってもらうことにした。
「今晩は。」
隼人は少し恥ずかしそうにあおいの部屋へ入ってきた。
ここへ来るのはこれが初めてだ。
あおいの匂いがする。彼女の部屋はこぎれいにしてあり、女特有の可愛らしい雑貨やなんかがセンスよく飾られている。初めて見るあおいの生活。
こういうものが好きなんだ・・・などと隼人は観察していた。
「そこにすわって。もうすぐカノンも来るから。」
「うん。」
隼人は落ち着きなくソファーに座った。いつも外で会っている時と雰囲気の違うあおいに、何となくテレていた。
エプロンなんか付けてるからかもしれない。
エプロン姿でテキパキと夕食の支度をしているあおいが、隼人にはやけに眩しく見えた。
母親がそんな女じゃなかったから、余計に当たり前のようにさり気なくやっているあおいがそう見えるのかもしれない。いや、真弓だってエプロン位はつけていた。
でもさして何も感じなかった。ならどうして・・・
隼人は受身ではなく初めて自分から、誰かを愛し始めているのだ。
その事に自分で気がついてなんだか口元が緩んでしまう。
そんな自分を振り払うかのように隼人は切り出した。
「カノンちゃん、大丈夫だったか?」
「うん。ちょっと取り乱したけど、解ってくれた。」
「そっか。」
「それに、勝手な言い分だけど私は少しだけ、気持ちが軽くなった。」
そう言って、微笑みながらあおいは紅茶を差し出した。
「そうだよな・・・。黙ってんの辛そうだったもんな。
どっちにしても、あの二人は辛いだろうけど・・・」
「そうだね・・・逢いたくても逢えない。でも、もっと早くに言うべきだったのかな?」
「うーん、むずかしいな・・・。でも大悟が決めた事だからな・・・それに彼女、耐えらんなくなって逢いに行ってたかもしれないし・・・。
こうなった以上しょうがねーけど、やっぱあれはあれで良かったんじゃねーか。」
「そう・・・よね・・・」
「だけどこれからは、そーなんねーようにもうちょっとあおいが側にいてやんないとダメだぞ。」
そう言って隼人はあおいを優しく見つめた。
「うん。」
隼人の優しい眼差しにつられるようにあおいも隼人をまっすぐ見て、微笑んだ。
思いがけず長く見つめ合ってしまったので二人は一瞬気まずくなり、お互いにぎこちなく微笑んで紅茶を啜った。
ピーンポーン そんな空気を割るようにチャイムが鳴った。
「カノンだ。」
あおいはカノンを招き入れた。
「どうもはじめまして。脇田 カノンです。」
可愛らしい感じの女性だなと隼人は思った。
「どうも、島村隼人です。」
一言で言うならカッコいい。そうなんだけど、そんなこと気にも留めてないような隼人の雰囲気に、カノンは好感を持った。
そういえばこの人、あおいを傷付けたんだよね・・・あの後あやまって来たって言ってたけど、どうなったのかしら・・・カノンはふと思った。
「あおいから全部聞きました。大悟がお世話になってるみたいで・・・ありがとうございます。」
カノンが深々と頭を下げた。
「いいえ、そんなこと・・・大悟さんはとてもいい人ですね。」
「ありがとうございます。」
「さっそくなんですが、ああいうストーカーに対しては、一番やってはいけない事が逆上させる事なんです。だからカノンさんは、絶対大悟さんとは逢ったりしないで下さい。二人とも、危険ですから。」
隼人はテキパキとした口調で言った。
「はい・・・わかってます・・・」
空気が重くなる。
「なんか二人とも堅いよ、初めてだからしょうがないけどさ。もうちょっと気を楽にしてよ。食事も出来たし。」
そう言ってあおいは、食器を食卓に並べ始めた。
◇ ◇
二週間後、事態は急変した。
とうとうストーカー女が、大悟を刺したのだ。
ちょうど隼人と待ち合わせた店に入ろうとしたところを、わき腹を後ろから刺したのだ。
店の中にいて一部始終を見ていた隼人から、電話をもらった。
「あおい、大悟が刺された。今、病院にいる。命に別状はないよ。俺、待ち合わせしてたから、全部見てたんだ。
とにかく、カノンちゃんに連絡して、今すぐこっち来いよ。」
あおいはあわててカノンに連絡を取った。
「カノン!今すぐ病院へ行って!大悟さん、刺されたって。」
「えっウソ・・・」
「カノン、しっかりしなよ!命に別状はないんだって。いま、隼人さん付き添ってるから。私も急いで行くから、あんたも行って!」
あおいは震えていた。
病院にあおいとカノンはほぼ同時に着いた。
病室に入ると、隼人が付き添っていた。
大悟は血の気のない青白い顔でベッドに横たわっている。
カノンを見て、弱々しい笑みを浮かべた。
「カノン・・・」
「大悟~!!」
カノンが大悟にしがみ付いて泣いた。
「良かった無事で・・・」
「うん。痛いよカノン・・・」
「あ、ごめん。」
カノンが慌てて体を離した。
「あの女はそのまんま警察に逮捕されたよ。」
隼人が後ろから、静かに言った。
「そう、よかった・・・」
そう言って二人は見つめあっている。数ヶ月ぶりの再会だ。
こんな形にはなってはしまったけど、愛し合う二人は今やっと、抱きしめあえる・・・
あおいと隼人は、そっと病室を後にした。
二人は病院のロビーのイスに腰掛けていた。
もう、診療時間はとっくに終わっているので人影はない。
手には紙コップのコーヒーを持っている。
「よかったね。命に別状なくて。」
「そうだな、この際そうとらえなきゃな・・・」
隼人が遠くを見つめている。
「大悟、俺と待ち合わせてたんだ。店に入ってくるとこ刺された。
俺、全部見てた。あの女発狂してたよ。何であなたは私を愛さないのーって殺してやるー、殺して私も死んでやるーって。俺、慌てて取り押さえたけど、すごかったよ・・・マジで・・・」
隼人は、あの日、母親に切りつけられた事を思い出していた。
血がボトボトたれて・・・母親の、発狂しながら俺を切りつけたあの眼。
あの女も同じ眼をしていた。
「そっか・・・隼人さんも大変な思いしたんだよね。」
隼人のスーツには、大悟の返り血らしい赤い染みがたくさんついている。
「隼人さんはケガとかしてない?」
あおいが心配そうに覗き込んだ。
「俺は大丈夫。あおいは優しいな・・・」
そう言って、疲れたように隼人はあおいの肩にそっと寄りかかった。
「隼人さん、大悟さんを助けてくれてありがとう。私が言うのも変だけど・・・」
あおいは隼人の体に手を回し、抱きしめた。
そのあおいの腕にすい込まれるように隼人はあおいの胸に顔をうずめた。
「隼人さんもすごく怖い思いしたんだよね・・・」
あおいは優しく声を掛ける。
あおいの腕の中で隼人はあおいの鼓動を聞いていた。
なんとも安らげる音、柔らかいその感触、いい匂いがして・・・あったかい。
自分が愛する人に受け止めてもらうという感覚を隼人は初めて味わっていた。
そして、その感覚はこんなにも心地いいものだという事を隼人は始めて知った。
「俺、夢中だったよ。あんなあせった事、今までない。
何とか大悟を助けなきゃって・・・でも、フツーじゃないあの女の眼、すんげー怖かった・・・」
何度見てもイヤなもんなんだよ・・・あの眼は・・・。
心が・・・俺の傷跡が・・・痛み出しちまう・・・
隼人はあおいの胸に、さらに強く顔をうずめ、あおいに抱きついた。
俺がこんな風に誰かに素直に弱いとこをさらけ出すなんて、初めての事だ。
ずっと一人で立ってなきゃいけなかった。ずっと一人で立ってるしかなかった。
誰かに寄りかかるなんて、出来なかった。
甘えるなんて、許されない事だと思っていた。
だけど、あおいになら出来る。
あおいは俺にとって、そういう存在だ。
自分をさらけ出したい。
俺の全てを知って欲しい。そして・・・受け入れて欲しい。
隼人はその温かなぬくもりの中で心底そう思った。
「はやとさん・・・」
あおいは隼人を強く抱きしめた。
いいんだよ・・・今はこうしても・・・・
そして、彼の髪を、優しくなぜた。
しばらく二人はそうしていた。




