第六章 明けない夜 (2)
二人は食事を終え、外を歩いていた。
あおいとゆっくり逢うのは久しぶりだ。最近はたいがいは電話で連絡を取り合っていたし、会うといっても昼休みにちょっとだけという感じだった。
それにこの前の夜からあおいの事が頭から離れない。
隼人は、もう少しあおいと一緒にいたい衝動にかられて、あおいを引きとめようと思っていた。
すると、あおいの動きが止まった。
「近藤さん・・」
あおいが言う。その目の前には中肉中背の、ハンサムな男が立っていた。
「そっか、そういう事だったんだ・・・」
男は悲しそうに言う。あおいは何も言えず、立ち尽くしている。
二人の空気に隼人は無性に腹が立った。
何なんだよこの男・・・
「あおい、どうしたんだ?」
俺は、わざとヤツに聞こえるような大きな声で言ってしまった。
そして、あおいの背中に手を回してしまった。
いわゆる‘‘やきもち‘‘ってヤツだ。
あおいが困った顔をしている。・・・と、あおいが俺の手をやんわりとどけて奴に2,3歩近付いた。
「近藤さん、ごめんなさい。あなたにはきちんとお話しようと思ってたの。本当よ。だけど結果的にはこんな風にあなたを傷付けてしまって・・・ごめんなさい。」
あおいは頭を下げた。
「いいよ・・・もう。全く・・・すごいよな君って女は。怖いよ、恐ろしいよ。いい人ヅラしてやってる事はえげつないんだからな・・・。ほんと、ズルくて汚い女だ。見事に騙されたよ。」
男は汚いものを見るようなさげすんだ目であおいを見ている。
「何だと!このヤロー!」
奴のそんな態度とあおいをののしるその言葉に、俺はカッとなって奴に歩み寄った。
あおいをそんな風に言われるのは我慢できない。
「いいの!いいのよ。私がハッキリしなかったのがいけなかったんだから。」
「だけどよ・・・」
「ほんとにいいの・・・。」
あおいに諭すように頼むようにそう言われ、、俺は仕方なしに引いた。
俺の出る幕じゃないって事か・・・。しかしメチャクチャ不完全燃焼だ。
男は寂しげにフッと笑って行ってしまった。
アイツと付き合っていたんだろうか・・・でも、だったらどうして・・・
これは完全にヤツの誤解じゃねーか・・・俺たち付き合ってる訳じゃねーし。
なのに、何であおいはあんな事を言ったんだろう。俺も、確かにイヤミな事しちまったけど・・・あんな風に言わせておくことねーじゃねえか。
あおいを見ると、悲しげな表情を浮かべている。
「ちょっと寄り道してこーぜ。」
俺は静かに言った。
俺達は湾岸沿いのベンチに腰掛けた。二度目に傷付けてしまった時と同じ場所だ。
あおいは何も言わないで遠くを見つめている。
その瞳の悲しげな色を見ても、俺は腹が立たなかった。
それはたぶん、あおいという人間を知ったからだろう。
友達を本気で心配して一生懸命なあおい。ひたむきなあおい。
友の痛みに一緒になって涙を流すあおい。
その姿に俺は、心打たれていた。こんな女もいるんだと、感動さえしていた。
そして話の端々やなんかから、彼女がある意味とても強くて、そしてとてももろく、繊細なんだって事がわかった。
彼女のこの悲しげな表情には、そういう彼女の全てが詰まっているんだ。
俺はそんな彼女の全てが愛しくなった。もう自覚してるんだ。
彼女を愛してるって・・・。さっきの事ではっきりと確信した。
でもそれは、目を背けたい感情だった。
女なんて絶対に愛なんかくれないじゃないか・・・
傷付けるばっかじゃねーか・・・
優しいふりして裏切るじゃねーか・・・
俺は、女なんて信用しない。憎んでいる。
なのに・・・この想いはドンドン強くなっていく。どんなに打ち消してみても・・・
俺はあおいを、あんな風に言われて悔しかった。
あんな女と思われてしまったあおいに、心が痛んだ。
そして、そのことに傷付いている彼女が余計に愛しくさえなった。
俺の手で彼女の傷ついた心を何とかしてやりたい・・・そう思った。
でも、なぜ彼女はあんな事をしたのだろう・・・
平気で男を裏切る女なのか?という疑問も決して無いわけじゃない。
だけど俺は、信じたい気持ちでいっぱいだった。彼女はそんな女じゃないと。
それに、彼女がアイツと付き合ってたと思うと、かなり落ち込みそうだ。
いいや、それならそれで都合がいいのかもしれない。
アイツは行っちまった。彼女がアイツと付き合っていたとしたら、それを奪ってでも彼女を手に入れたいと思っていたはずだから。
そんな俺の勝手な都合はいいとして・・・とにかく彼女は傷付いている。
「よかったのか?あんな風になっちまって・・・」
俺は恐る恐る聞いた。
「うん、いいの。」
「だってあれは誤解だろ?」
「うん。でも私、あの人と付き合ってた訳じゃないのよ。」
「え?そうなのか?」
あおいの言葉にホッとする。
でもそれはあおいがそんな女じゃないって解ったからなのか、ヤツと付き合ってないと解ったからなのか、自分でもよく解らなかった。
どっちもか、俺はあおいが好きなんだから・・・
「うん。私の事、いいって思っててくれたみたいなの・・・
グループ交際みたいな感じで会ったりしてたんだけど、私は付き合うとかは今はしたくないって、だから友達としてなら会ってもいいって・・・そう言ったの。
彼の気持ち解ってるのにズルイでしょ?
隼人さんなら怒るよね。だけど、カノンの事とかで忙しくなっちゃって、誘い断ってばっかだったんだ・・・。
気を持たせるのヤだから、ちゃんと言おうって思ってたんだよ、今日。」
彼女はうつむく。
「そこに俺が来ちまったって訳だ。」
「うん。」
「お前いいのか?すごくひどい女って思われたぞ。」
「いいの。その方が彼も早く立ち直れるだろうし・・・。実際友達としてなんて、曖昧な返事をした私が悪いんだから。彼にしてみれば確かにひどい女だよ。」
そう言う彼女の横顔は、すごくいじらしい。
ほんとは浴びせられた言葉に、すごく傷付いてるくせに。
その横顔を見ながら、俺はある種の絶望も感じていた。
‘‘また、傷付けられるのに・・・‘‘
それでも俺は、この女を愛しいと思う気持ちを抑えられなかった。
今までに感じた事のない、狂おしいような、体中が熱くなるようなこの想い・・・
「どうしたの・・・?」
あおいが言う。俺は思わず抱きしめてしまっていた。
「だってお前があんまり痛々しいから・・・」
「変なの・・・。前の隼人さんなら、私のそういうトコ、サイテーだって言っただろうに・・・。」
彼女の香りが俺を包む。
「そうだっけ?」
俺はわざととぼけた。
「そうだよ・・・。でも、ちょっとだけ・・・甘えちゃっていい?
なんかここんとこ・・・ほんとに辛くって・・・」
俺は、もっと愛しい気持ちであおいを抱きしめた。
大切な友達を、守るためとはいえあざむき続けている。
あおいの性格だ。
その事に、必要以上に心を痛めたり、自分を責めたりしているのだろう・・・。
その事は痛いほどよく解る。解っている。
実際俺が、一番近くでずっとそれを見てきたんだから。
それに加えて今日のダメ押し・・・
『人間って弱いから、時にはそうなると解っていても傷付けてしまう事ってあるじゃん・・・』
あおいはそう言っていた。その言葉の本当の意味が、今ならわかる。
こういう事なんだ。
だけど長い事憎しみを抱き続けて生きてきた俺は、心の奥底にあるそう言う複雑な気持ちとか、許せなかったんだ。認めたくなかったんだ。
いや、見ないように目をそらしていたんだ。
俺はいつもそうなんだ。
結局、自分の気持ちだけで一杯一杯なんだ。
人のためにやってるふりして、自分がやってやってるって満足感に満たされたいだけだったんだ。
だから人の気持ちとか、深い所で解ろうとなんてしてなかったんだ・・・。
深く関わろうとなんて・・・
俺はあおいの心をなんとかしてやりたかった。傷付いているその心を、俺の手で何とかしてやりたかった。
「ありがとう。もう大丈夫。」
あおいが軽く笑みを浮かべた。その眼にはうっすらと涙がにじんでいる。
「ほんとに大丈夫か?」
「うん。ありがと。隼人さんて、ほんとはすごく優しい人なんだね。」
俺に向けられたその微笑みは、ほんとに綺麗だ。
整った顔立ち。存在感のある瞳。そして、彼女自身。
このあおいという女は、俺の女に対しての捻じ曲がった偏見を、見事なまでにくつがえしてくれる。真弓なんかとは全然違う。
あんな薄っぺらい、見せ掛けだけの女らしさじゃない。
それにダマされてた、俺もバカだけど・・・。
今ならはっきりと見える。人間の本質が。
こんないい女もいるんだ・・・。
心がまっすぐで、ただ友達を心の底から心配してて・・・
そこには駆け引きや打算など一切存在していない。
こういう女も、いるんだよな・・・。
隼人はあおいと出逢って、変わり始めていた。
「聞いてる?今、すごく褒めたんだけど。」
「ああ。」
「こんなに優しい隼人さんにあんなに嫌がられてたんだから、よっぽど私って、イヤな女に見えたんだね。」
あおいはクスッと笑った。
「そう言うなって。俺、マジで後悔してんだから。」
「そうなの?」
「そうだよ。あおいみたいに気持ちのキレイな女、何度も傷付けちまったって・・・
俺、ほんとバカだよな。反省してるよ。」
「いいよそんなの・・・。テレるよ・・・。それに、隼人さん今こうしてすごく私の力になってくれてるでしょ?あなたには本当に感謝してるの。大悟さんの事だって親身になってくれてるし・・・ありがとう。隼人さんがいてくれて、ほんとに良かった」
あおいは心からそう思って言った。
そう、あなたがいてくれて、どんなに心強いか・・・
そんなあなたに、どんなに心惹かれるか・・・




