第五章 苦悩 (3)
私は仕事に戻ってからも大悟さんのことばかり考えていた。
「ちょっとあおい、ちゃんとしなさいよ。」
人が通っているのにしかめ面している私に悦子が言った。
「あ、ゴメン・・・ねぇ悦子、あんたの知り合いで弁護士とかケーサツの人っていない?」
「えっなんで?あおい何かやっちゃったの?」
「ちがうよ。・・・ちょっとさ、困ってる人がいてね・・・」
「そっかぁ・・・私の交際範囲だと、その手の類の人っていないんだよね~。
医者なら何人か知ってるけど、医者じゃだめ?」
「ダメ!」
可哀相なカノン・・・いや、可哀相なのは大悟さんだ。
そんなイカれた女のせいで愛する人を手放さなければならない。
なんて不条理な話だろう・・・
その時、隼人の顔がパッと浮かんだ。
私はあわてて隼人さんの名刺を探した。
‘‘飛田法律事務所‘‘司法書士・・・?
司法書士って何?どんな仕事?でも法律事務所って書いてあるくらいだから法的なことは詳しいわよね・・・。
でも・・・
私は躊躇した。
頼める訳ないか・・・。頼みたくない。
仕事に身が入らぬまま、その日は終わった。
隼人さんに何度も電話しようと思っってもみたが、やっぱり出来なかった。
どうしたらいいんだろう・・・どんな顔して、カノンに会えばいいんだろう・・・
態度に出やすい私は不安だった。
カノンを欺くのは気が引けるけど、彼女の安全のためだ、この際しょうがない・・・
しかしストーカーだなんて・・・
いろんな事を考えながら歩いていると、誰かが私の腕を掴んだ。
「キャーー!!」
ストーカーの事を考えていた私は驚いて悲鳴をあげた。
隼人さんがビックリした顔で立っている。
「あっ、隼人さん・・・」
周りの人が怪訝そうに私たちを見つめている。隼人さんも困った顔をしている。
「あ、ごめんなさい。びっくりしちゃって・・・」
「何度も呼んだんだぜ、あおいって。」
「ごめん、私考え事してて・・・」
「俺、君にあやまりたくて・・・」
「よかった。ちょうどよかった。とにかく、どっか行こう。」
私は彼の手を引いて、近くにあったファミレスに入った。
「どうしたんだよ・・・」
隼人は戸惑った。
今度こそ会ってはくれないだろうと思いつつ、そのままにして置けなくて、どうしてもあやまりたくて、決意を固めて今日は来た。
そこにはもう、自分勝手な自分の心に対してだけの償いの気持ちなど一切なかった。本当に、傷付けてしまった彼女の心を何とかしたかった。
心からそう思った。
罵声を浴びせられるか泣かれるか・・・
だから今日は、とにかく全部受け止める覚悟で会いに来た。
だけどあおいはよかったと、ズンズン手を引いてレストランへ連れてきた。
とにかく腑に落ちない隼人だった。
「うん・・・」
彼女の表情はこわばっている。
「何かあったのか?」
隼人は変に不安になってそう聞いた。
「ちょっとね・・・。それよりあなたは?」
「俺はその・・・懲りずにあやまりに来たんだ。この間はごめん。」
あおいは、隼人の出現はナイスと思っていた。
何度も電話しようとしたのだから。でも、この前の事がすごく引っかかって彼の事が怖い気がして、傷付けられるのが怖い気がして、迷っていた。
だけど彼は会いに来てくれた。
今はとりあえず、彼の話を聞いて、彼の真意を確かめたかった。
いや、見極めたかった。
「俺、サイテーだよな。あおいにはいつも言いたい放題言っちまって・・・」
あおいって呼ぶんだ・・・あおいは思った。
「俺、いつもすごく後悔するんだ。他の奴にはしないのに、何であおいにだけあんな風に言っちまうのかって・・・。
決してわざと傷付けようと思った訳じゃないんだ。
ごめん、とにかく本当にごめん。」
あおいは黙って自分を見つめている。
「・・・?。言いたい事言って責めていいよ。俺、今日はそういうの、全部覚悟して来てるから。」
あおいは尚もジーッと見つめたままだ。
「あおい・・・?」
「あなたのその言葉、ほんとに信じていい?」
あおいが真剣な眼差しでそう言った。
「ああ。」
隼人も真剣にうなずいた。
「ほんとに?」
「うん。」
「「ほんとにほんとに?」
「うん。」
「・・・あなたは私に謝って、それでどうしたかったの?」
「どうって・・・とにかくあやまりたかった。」
隼人はまたしても後悔の嵐に飲み込まれていた。
『ごめん・・・ほんとにいいから・・・』
そう言って寂しげな背中で帰って行ったあおい。
追いかけたかったけど、出来なかった自分・・・
なぜあの時追いかけなかったのかと後悔もしたが、追いかけたところで何も出来なかっただろうという気もしていた。
こんなの自分じゃない。こう見えても自分は前向きな人間だ。
だけどあおいの事に関してだけは、後悔ばかりしている。
とにかくあおいの事が気になって仕方なかった。
そうだな。俺はあやまって、どうしたかったんだろう・・・
とにかくあおいを傷付けた事をあやまろうと思っていた。
彼女の心を、何とかしたかった。自分の罪悪感うんぬんより、彼女の心の傷を、どうしても何とかしたかった・・・
でも俺は考えてみれば、何でこんなにあおいに許しを請いたかったんだろう・・・
「そっか・・・わかった。もう一回だけ、信じてあげる。」
あおいは呆れ顔でそう言った。その言葉に、隼人はホッとした。
「それより、何かあったんだろ?さっきの態度、フツーじゃなかったもんな。」
隼人は穏やかにそう言った。
「うん。ちょっと困った事になっちゃって・・・。」
「何だよ?」
「あなた、法律事務所の人よね?司法書士って私よく解らないんだけど・・・」
「司法書士はそうだな、大ざっぱに言うと、弁護士よりもうちょっと庶民的な親しみやすい法律家ってとこかな。」
隼人が優しく微笑む。目元が優しくほころんで、その微笑みはすごくステキだ。あおいは、この微笑みに甘えてしまいたい衝動に駆られた。
あんな事を言う人とは思えない位その穏やかで、それでいて強さが感じられる
隼人の表情。そして力のあるその瞳・・・。
今日の隼人ならあおいの頼みを二つ返事で快諾してくれそうだ。
改めて隼人の顔立ちのよさにあおいは魅せられていた。
あやまりに来てくれた事があおいの心を打っていたから余計にそう思ったのかもしれない。
もう耐えられない、関わりたくないと思っても、辛く当たられた人に優しくされるとその事の方が嬉しくて、傷付いた事なんてどうでも良くなってしまう。
その気持ちがただ嬉しくて、心が弾むような気持ちになって全てを許してしまう。
それは、受けた傷が癒やされ、その痛みや苦しみから解き放たれるからだろう。
何より強くそれを望んでいたからなのだろう・・・。
「聞いてるか?」
隼人があおいの目の前で指をパチンと鳴らした。
「え?ああ、うん。じゃあ、法律の事詳しいよね?」
「当たり前だろ。」
「教えて欲しいんだ・・・ストーカーってどういう対処法あるの?」
「ストーカー?」
隼人の顔色が変わった。
「お前、ストーカーに狙われてんのか?」
テーブルに身を乗り出して隼人は聞いた。
「あっ、ちがうよ。」
「ちがうのか?」
「うん。」
「ほんとだな?」
「うん。」
隼人はホッと胸をなでおろした。
俺、何をムキになって心配してんだろう・・・
「でも、違うんなら何でそんな事聞くんだよ?」
隼人は出されたハンバーグをパクツキながら聞いた。
「うん。私の知り合いが被害にあってて・・・。すごくやばいんだ。力になってもらえない・・・かな?」
あおいの頼りなげな表情はすごく美しくて、隼人はまたしても見とれてしまった。
見とれるどころか力になり、守ってやりたくさえなった。
もともと頼りにされる事に人生の意味を見出してきた隼人は、
「何だってやってやるよ・・・」
と思わず口にしていた。
「ほんと?ありがとう。」
あおいの顔がパッと華やいだ。
隼人はその笑顔に、心震わせずには居られなかった。




