第四章 すれ違う心 (4)
「もう!割り勘って言ったでしょ?」
あおいは膨れっ面で隼人に言った。
「いいんだよ。この前俺、いじわるしてスンゲー金使わせちまったから。」
そう言って隼人はお金の入った封筒を、スーツの内ポケットから取り出し、あおいに差し出した。
「何よ、これ?」
「この間の金。」
「いいわよ、こんなの。今日だって、4万も払ったんでしょ?」
「でも悪いから・・・」
「ほんとにいいの!もう!これ以上しつこくすると、怒るわよ。」
あおいが上目使いでにらんでいる。
「だけどそれじゃあ俺の気が済まねーよ。」
「いいのよ!もう和解したんだし。この間のは助けてもらったお礼なんだから。」
彼女はそう言うけど・・・隼人は考えた。
コイツの性格じゃ、絶対受けとらねーよな・・・でもそれじゃあ俺の気も済まない。
どうしたらいいんだろう・・・
二人は東京湾のほとりを歩いていた。
レストランからは、その夜景が一望できたっけ。
そこかしこにカップル達が寄り添って、愛を囁き合っている。
「ちょっとここすわろーか。」
隼人はなんとなく言った。
夜風がとても心地いい。あおいは素直にそれに従った。
「私ね、この間、彼をフッちゃったんだ。」
あおいが急に語りだした。
「こっちはね、半年位の付き合いだったんだけど、彼が結婚結婚って言ってね・・・私、何だか重たくなちゃって・・・すごくいい人だったんだけど・・・。
こんな私なんかと真剣に結婚を考えてくれる人を、傷つけちゃったんだ・・・」
その瞳は彼を傷付けたという罪の色を浮かべている。
悲しげに曇った表情・・・あの夜と同じだった。
その横顔を見ていると、隼人は何だか落ち着かない気持ちになった。
「ひっでえな・・・」
思わず言ってしまった。
「そう、ひどいでしょ?私って。だからこの前あなたに傷つけられた時、バチが当たったんだって思ったわ。」
彼女は静かに笑う。
「ごめん・・・」
隼人はバツが悪くなって謝った。
「いいのいいの!人生ってうまく出来てるのよ!ちゃんと自分に返ってきちゃう。
誰かを傷つけたら、誰かに傷付けられる。」
「そうかねぇ・・・じゃあ誰かに傷付けられたら、誰かを傷付けたくなるのかなあ?」
隼人は、母親を思いながらそう聞いた。
俺のオヤジに傷付けられたお袋は、俺を傷付けるしかなかったんだろうか・・・
「そうだったでしょ?」
あおいが自分を指差して言う。
そうだった・・・隼人は作り笑いを浮かべるしかなかった。
「でもそれは人それぞれじゃないのかな?私は人に傷付けられるとさ、自分はそんな事絶対しないって思うのね。だけど人間って弱いから、時にはそうなると解っていても傷付けてしまう事ってあるじゃん。
そして後悔する。でもその後悔って傷付けてしまった本人には大概伝えられない場合が多いでしょ。だから私は、傷付けた方もほんとは傷付いてるんだって思いたい。」
あおいは自分の過去を思いながら言った。
そう、私を傷付けたみんなだって、きっと少しは後悔してくれてるはず・・・
「自分もそうだしってか?」
「うん・・・。中にはそうじゃなくてほんとに心が貧しい人も居るだろうけどね。やられたら、倍返しとか・・・」
「何かすんげーキレイ事。」
隼人はボソッとつぶやいた。
「え?」
「だってよ、傷付けた方が傷付くなんて、ありえねーだろ?だったら最初っからしなきゃいいんだ。
何で傷付けるって解っててあえてそんな事するんだよ。
おかしいだろーが!
彼を傷付けた事で自分だって傷付いてるって言いたい訳?
フッ、笑わせんなよ。
そんなの結局自己満足の世界だろ?自分はいい人で居たいってさ。
だけどそんな事傷付けられた方にはカンケーねえだろ?
やられた方はずっとその傷を抱えて生きていかなくちゃいけねぇんだ。
ほんと勝手な言い草だよな、あんた。
大体人間ってのは、やられた方は傷は消えないってのに、やっちまった方ってのは都合よく忘れるように出来てんだろーが!」
隼人は一気にまくし立てた。
「そんな・・・そんな言い方・・・」
彼女の顔色が、見る見る変わる。
「どうして?私、ちょっと思った事言っただけよ。なのに・・・
どうしてあなたはいつも私を傷付けるの?
あなただってやってる事同じじゃない!
私にすまないと思ったんでしょ?
だから今日だって、謝ってくれたんでしょ?
なのに、何でまた傷付けるの?
私には何を言ってもいいって思ってるの?
矛盾してるよ・・・
あなただってキレイ事だって言いながら、やってる事同じじゃん。
あなたがどんな風に傷付けられたかなんて私には解んないけど、その恨みを私にぶつけないでよ!私だって、私だって・・・」
彼女はボロボロ涙をこぼしている。
やっちまった・・・隼人は思った。
彼女に母親に対する恨みをぶつけてどうなるっていうんだ・・・
何で彼女には、いつもこんな風に言ってしまうんだろう。
何か腹が立つんだ。あの悲しげな表情に。
自分の不幸に負けてるみたいで・・・
もっと強く生きろって言いたくなっちまう。
お前だけが不幸な訳じゃねぇんだぞって、
自分一人だけが傷付いてる訳じゃねぇんだぞって、
甘ったれてんじゃねぇぞって・・・
でもその一方で、自分の中の別の部分が何となく彼女に惹かれ始めている事も解っている。
「ごめん・・・俺・・・」
そう言って、隼人はあおいを優しく抱きよせた。
どうにかしてやりたかった。
自分で傷付けたくせに。
「なんで?なんでこんな事するの?優しくする位なら最初っから傷付けなきゃいいじゃん。あなたが言ったんでしょ?」
彼女は肩を細かく震わせている。
その通りだ・・・。
「ほんとだよな。ごめん。俺ってサイテー。またあんたを傷付けちまった。
これじゃあ何のために謝ったのか、わかんねーよな・・・」
俺はどうしたらいいんだろう・・・またしても傷付けてしまったあおいの心を、どうしたら癒してやれるんだろう・・・
隼人の腕の中であおいは思った。
この人はつらい。一緒に居るにはあまりにつらすぎる・・・。
このものの言い方からすると、この一件だけじゃなく、
過去にもっと何かあって、ものすごく深い傷を負っているのだろう。
その事は解る。
自分もいろいろあったから、苦労しているとかしていないとか、そういう事はその人の雰囲気で大体解る。
彼がふとした瞬間に見せる愁いを帯びた表情や耐えたような瞳・・・。
この人には薄っぺらさがない。
さして苦労もせず、のほほんと生きてきたような人とは違う。
だけどその傷はあまりに深すぎて、いつもなら解ってあげたいとか、力になりたいとか思うのに、関わりたくない気がしていた。
きっと解ってなど、あげられないだろうと。
その位、この隼人という人の心の傷は、深いのだろうと・・・
この人は強い。私のようなもろさは無い。
だけどその強さは研ぎ澄まされたナイフのようで、散々鍛えられすぎて痛々しい・・・
とあおいは思った。
「私、帰る・・・」
あおいは隼人の胸から体を離してそう言った。
もうこの人とは一緒には居られない。居たくない。
もうこれ以上傷付けられたくない・・・
「一緒に帰るよ。どうせ駅、同じだろ?」
「ううん、いい・・・一人で帰る・・・」
「俺、ほんとゴメン・・・。でも、また変なヤツにでも襲われたら大変だろ?」
隼人は居たたまれなくなってそう言った。
「大丈夫だよ。いつも一人で帰ってるし。
あんな事だって、そうそうあるわけ無いじゃん。」
あの日の二人の出会いはなんなのだろう・・・こんな思いをするため?
あおいは漠然と、そんな風に思った。
「だけど・・・」
「ほんと、いいから・・・」
「じゃあさ、今度、もう一度だけ会ってくれよ。俺、何か
お詫びしたいから。」
さすがにお金を渡すわけにも行かず、隼人はそう言った。
俺も所詮、偽善者だよな・・・
「いい。あなたといると、また傷付けられそうだから・・・」
「そう言わないで・・・」
隼人はなだめるような眼であおいを見た。
「ごめん・・ほんとに、いいから・・・」
そう言って彼女は行ってしまった。
隼人はそれを、追いかける事が出来なかった。




