a scissors-and-paste-and-gun job
某掲示板でお題「はさみ」「拳銃」「のり」で書いたものです。 ※作中人物が創作に関する持論を展開します。不快になる人はご注意ください。
「ダメだよこれじゃ、ダメダメ」
僕の珠玉の原稿は、ファミリーレストランのちゃんと掃除されてるのかどうかも怪しい床の上に放り投げられた。僕が呆然としていると
「拾わないの? ふぅん、やっぱり大切じゃないんだね、それ」
と吐き捨てるように言われた。僕は慌てて床に散らばる原稿をかき集める。周囲の視線が痛い。
「君には期待してるんだけどなあ、残念だ。全く駄目だよ、それは。一体何を考えているのかなあ。もう全然分からない。糊と鋏だ」
「糊と鋏……ですか? 今はちょっと持ってないんですが……」
「大島君、作家としてこれからもやってくつもりなら言葉の勉強はちゃんとしようね。糊と鋏っていうのは他人の文章の繋ぎ合せって意味だよ」
僕の胸に図星を突かれた痛切な痛みと多大な熱を持った反感が湧きあがった。これまでの悔しさもあり、僕は身を乗り出して喚くように言った。
「もっと他の人の作品を読めって言ったのは藤崎さんじゃないですか」
「真似しろとは言ってないんだがなあ」
「他に何をしろというんですか。本を読んで面白かったです、じゃただの読者じゃないですか、誰だってできますよそんな事」
「誰にだってできることが修行にならないと思い込むな。読者としての観点が作家にとって重要でないとでも思ってるのか?」
「で? 本を読んではぁ面白かった、読者としての観点が学べたや。でその後どうするんですか? 真似するんでしょう、読者としての観点から見たその作品の良い所を」
「私が君に期待してるのはそういうことじゃないんだよ、分からないかな。君自身の独自性以外に君の長所ってあるのかい? 誰も他作品のコピーやパッチワークなんて読みたくないんだよ。他作品のいいところを求めるなら他作品を読むさ、君に出る幕は無い」
「この世に模倣でないものなんてありませんよ。他作品のコピーやパッチワークなんて、誰もが読みたいんです」
「またお得意のネットの受け売りかい? 御立派御立派。全ては模倣、確かにその通りだろう、ある意味ではね。だがそのある意味の範囲は非常に狭い。私達が使える言葉や文法までも全ては先人たちから受け継いだものでありそれを使うのは模倣と言って言えないことはないが、それら素材の組み合わせ方、使い所、使い方などオリジナリティの発揮のしようはいくらでもある」
「組み合わせ方や使い所や使い方だって模倣かもしれないじゃないですか」
「かもしれない、ね。だけどそうでないかもしれない。だから少なくとも君の断言は正しくないんだよ、現時点ではね。それとも君は証明できるのかい? 人は発想においても見聞きしたことのあるものしか思い描くことが出来ないと。だったら作家なんか目指さずに脳科学者にでもなればいい。君の発見に世界が驚くよ」
僕は反論を思いつかなかったのでドリンクバーへコーラを注ぎに行った。その道々で反論を考えようとしたがやはり思いつかなかった。グラスになみなみと満たされたコーラを一気に飲み、もう一度コーラを注ぐ。コーラを飲んで少し頭がクールダウンした。駄目だ駄目だ、反論なんか考えてる場合じゃない。僕は藤崎さんを言い負かしにここへ来たんじゃないんだ、藤崎さんがああ言うならあの原稿はやはり駄目だったのだろう、そこはもう諦めよう。理屈どうこうはともかくとして、僕はあの人の感性を信用している。だから今ここで僕がすべきことはあの作品の何がいけなかったのか聞くこと、それから次の作品を書くに当たって何を学ばなければならないかを知ることだ。
僕は深呼吸してからテーブルへ戻った。藤崎さんが原稿を再読していた目をこちらへ向け、長い髪を掻き上げる。
「冷静になったようだね。君のそういう強かさは、好きだな、私」
「からかわないでください。藤崎さん、糊と鋏は分かりました、他に悪いところはありましたか?」
「無いよ、君は本当に糞真面目だね。こりゃ完全なコピーだ。よくここまで真似できるもんだよ。この作品への苦情は、コピーであること以外は全てコピー元の作品へ向けられるべきだろう」
「そうですか。では、僕に他の人の作品をもっと読めと言った意図を教えてください。真似するなというなら何をしろと言うんです?」
「既に言った筈だよ」
「読者としての観点ですか? だけど僕だってそれほど本を読まないってわけじゃないです。作家を目指す前はいち読者だったわけですし。それに藤崎さんは読む本まで指定してきたじゃないですか」
「読者としての観点、だけではないからね」
「他にも既に言ったことの中にあるってことですか? うーん……ああなるほど、素材、ですか。組み合わせ方や使い方でオリジナリティを出せ、ということは素材は模倣していいってことでもある、のか」
「素材もできればオリジナルで出すのが好ましいけどね。素材素材と言うが、素材だって殆どは分解可能な構成要素を持つ構造体だ。つまりそこには組み合わせ方や使い方が介在できる余地がある。素材だって模倣せずに作ることはできるんだ。まぁ良いものがあるなら模倣してでも使うべきだが」
「藤崎さんも結局は模倣を肯定するんじゃないですか」
「模倣まみれなのが問題だったんだよ、それに模倣だとばれるようなやり方は絶対にノーだ」
「真似しろとは言ってないって言ったじゃないですか」
「……細かい奴だな君も」藤崎さんは眉をひそめた。僕は図星を突けたのかもしれないと封印した筈の邪気に少しだけ呑まれた。「君は模倣だとばれないように模倣するのを真似だと言うのかね?」
「……言うこともあるんじゃないですか?」
「本当に細かい奴だよ君は」そう吐き捨てるように言ってから藤崎さんは「わかった、わかったよ、謝ればいいんだろ? 御免なさい、御免なさいでした。満足かい? ご不満ならこの際胸でも触らせてやろうか、それとも他がいいか? 何でもしてやるぞ」
「ほ……本当ですか?」
「なわけないだろ、なんだその顔、本当に最低な奴だな君は」
「ひ、卑怯ですよ」
僕は一刻も早く鏡を見に行きたかった。一体自分今がどれほど情けない顔をしているのか確認しないことにはこれから生きていけない気さえした。みるみる青くなる僕の顔を見て藤崎さんがぷっと吹き出した。
「悪かったよ、童貞君にはちょっと刺激が強すぎたね」
「どどどど童貞ちゃうわ」
「え、違うの? 意外だな」
「……いえ……童貞です……」
それから僕と藤崎さんは更に原稿の細かい添削に入り、今後の方針を話し合った。僕は藤崎さんの口の悪さをたっぷり味わい、午後十時に家に帰った頃にはくたくたになっていた。
暗い部屋の中で照明のスイッチを手探りで探し、点ける。鞄を放り出し、とたとたと殆ど放心して奥までつまづいたように歩き、汚い敷布団に倒れ込んだ。低いテーブルの上に置いてあったカツサンドを寝た姿勢のまま掴み、寝た姿勢のまま食べた。非常に食べにくかったが、立ち上がる気には到底なれなかった。仰向けの姿勢になって眩しい電灯を眺めていると思いがけないパンの欠片が喉へ飛び込んできて噎せた。咳が治まると目の端にうっすら涙が浮かんでいた。
別に藤崎さんの毒舌が染みたわけではない。すこしはそういうことも、あるかもしれないけれど。
僕は去年、あるライトノベルの新人賞に応募し、受賞こそしなかったが編集の人に声を掛けてもらった。それが藤崎さんだった。
まるで受賞でもしたかのように浮かれ、更に藤崎さんに会ってまさか担当につく人がこんな美人の編集さんだとは思っていなかったと浮つきかけた僕の心は、会って数分でへし折られた。
藤崎さんの罵倒に耐えながら文章を書き続ける日々は辛かったけど、それでも何とか藤崎さんと二人三脚で応募した作品を改良してゆき、ついに出版までこぎつけた。
だが、僕の書いた小説は売れなかった。鳴かず飛ばずだった。
毎日近所の書店へ通い、誰の手にも取られず減ることもない僕の小説を遠巻きに眺めながら日に日に心をささくれ立たせる僕の下へ、ある日藤崎さんが訪ねてきた。
やり場のなかった怒りが、突如藤崎さんへ向いた。だけど、それは発散される間もなく、僕に向かって謝る藤崎さんとただただ佇む僕だけがいたこの部屋に、雲散霧消した。
何故藤崎さんが謝ったのか、今でも分からない。藤崎さんは口は悪かったけど、やるだけのことはやってくれた、落ち度は無かった筈だ。だから、謝られても僕はどう思ってよいのか分からなかった。
分からなかったけれど、目の前の女性の小説に対する真摯さだけは理解できた。僕はこの人に一生着いて行こう、一生一緒に作品を作って行こう、そう決心した。
気が付くと朝だった。僕は頬に滴る涎を拭い、ふらふらと起き上がる。
カツサンドの透明な包みを拾い、もうほとんど満杯のゴミ箱に無理矢理突っ込む。
顔を洗おうと洗面器の前に立った時、鏡を見て初めて昨日の涙がまだしぶとく残っていることに気がついた。流れるほどの塊にはならず、うっすらと浮かんでいる。
僕は歯を磨きながら考える。
藤崎さんの毒舌は別に耐えられる。一番痛いのはそれではない。一番痛いのは、彼女の僕への期待だ。
未だに僕は、彼女が僕に何を期待しているのか、分かっていない。一体僕の作品の何が彼女の琴線に触れたのか、分からない。
応えられる望みのない期待ほど辛いものは無い、報われない努力よりも、だ。
苦しみと悲しみと、そして何より疲れの染み込んだ自分の顔を鏡越しに眺める。口の端から歯磨き粉の混じった唾液が垂れている。中途半端な無精髭が醜い。髪が脂ぎっていて目に生気が感じられない。ひどく醜かった。
水道水を口に含み、吐きだす。久しぶりに歯磨きをしたせいか、吐きだしたそれは少し赤みがかっていた。
歯磨きを終えると居間に戻り、本棚の前に立った。ちょうど目線の高さの棚には、他の棚にも増して統一感のないラインナップが取り揃えられている。そこに並べられている本はどれも藤崎さんに読むように言われたものだった。
今日は何を読もうか、と目で背表紙を選って行く。少ししてから僕は一冊の文庫本を手に取った。「ナインストーリーズ」。この前読んだ「ライ麦畑で捕まえて」が面白かったのでこれにしよう。
「ナインストーリーズ」はアメリカの作家、J・D・サリンジャーの短編集である。僕はひとまずそのひとつめの作品を読んだ。
不思議な感じのする話だった。主人公のキャラクターには自分の意識しない部分を擽られる気がする。意味はあまり掴めなかったが、こんな小説が書ければいいのにな、そう思った。
物語の主人公は最後に自殺する。拳銃自殺だ。
僕は次の話を読もうとして、しかしその手を止めた。これ以上進めない気がした、進んではいけない気がした。最初の物語から受けた衝撃を受け取りきらないままに次の物語に移行すれば、何もかもが消えてしまう気がした。大事な大事な何もかもが。
僕はもう一度最初の物語を読む。やはり意味はよく分からなかった。かと言って次に進むことはできない。僕は進退極って、結局布団の上に文庫本と欠伸とを共に投げ出した。
そのとき、気が付いた。
布団の上に、黒光りする小さな機械が見えた。
僕はぞっとする内心を抱え、ゆっくりとそれに近付く。心臓が沸騰したように沸いた。脳の一部が硬直し、それから痙攣したように働かない。顔が恐怖に引き攣る。それは、ここには――独身男の汚いアパートの一室の薄い布団の上には――あってはならない筈の代物だった。
拳銃だった。
僕は恐る恐る手を伸ばす。このまま布団の上に置いておくわけにはいかないから。ゆっくり、ゆっくりと手を近付ける。手には汗が滲んでいる。視界が今にも廻り出さんばかりに震えている。僕は、拳銃を握った。
そう思ったが、手には感触が無かった。手は空を掴んでいた。布団の上には、拳銃など無かった。
僕が眉を潜め首を傾げ、何もない布団の上を再確認してから自分の手を見遣ったとき、手には拳銃が握られていた。
「うわあっ」
思わず拳銃を放り投げていた。床に当たってごつごつした音を立て――もしなかった。驚き、体勢を崩して両手を支えとする僕のその手に、床との間に拳銃はあった。僕は慄然としながらも取り乱して再び拳銃を放り投げるようなことはしなかった。右手に握られた拳銃をまじまじと見つめる。一度瞬きをすると右手には何も握られていなかった。もう一度瞬きをすると黒光りする拳銃はそこにあった。
ようやく事態が掴めてきた。要するにこれは、この拳銃は、妄想なのだ。僕の、妙に現実感のある妄想なのだ。
現れては消え、消えては現れする拳銃を観察し、弄びしている間に時間は結構経っていた。引き金を引こうとすると、決まって拳銃は消えた。引き金にかかっていた右人差指は空を虚しく引っ掻いた。
ふと、布団の上に放り出された「ナインストーリーズ」が目につき、気が付くと拳銃をこめかみに当てていた。それから、ああ、そうか。そう思った。
そのためにこの拳銃はあったのか、と。
怖くは無かった。
僕は引き金を引いた。
右人差指は空を虚しく引っ掻いた。
右手にはもう拳銃は無かった。現れもしなかった。
その一日、僕はもう何もできなかった。
「何のつもりだ?」
僕は藤崎さんに拳銃を突き付けていた。
いつものように、いつも通りのファミレスで、いつも通り作品を書いて行き、いつも通り貶されて、いつも通りの罵倒を受けていたその時だった。
俯いた視界に、膝の上に所在無げに置かれていた手に、右手に黒光りする銃が握られていた。拳銃を見たのはあの日以来だった。しばらく会わない友人に再会した時のような不思議な驚きと安心感に包まれた。
そして僕は、その拳銃を藤崎さんに突き付けた。
藤崎さんは似合わない困惑を面に現していた。無理もない、藤崎さんにはこの拳銃は見えないのだろうから。銃口が藤崎さんに向いているのかどうかさえ銃が見えない藤崎さんには分からないだろうし、そもそもそのジェスチャが拳銃を表わしているのだという事自体理解できるかどうか、怪しかった。中途半端なげんこつくらいにしか見えなかっただろう。握手を求めるジェスチャだと思われたかもしれない。
だけど僕の心はもう決まっていた。このまま、引き金を引く。
きっと、そのために拳銃は現れたのだ。
僕は空想上の拳銃で藤崎さんを殺し、僕も死ぬ。藤崎さんのことが好きだから。そう思うと、僕はとても幸せな気持ちになることが出来た。
幸福で、温かな涙を浮かべながら僕は引き金を引いた。
右人差指は空を虚しく引っ掻いた。
銃は消えていた。
藤崎さんの困惑顔が消えた銃の代わりに視界に入った。
僕はとても、虚しかった。
それからも拳銃は時折現れた。しかし誰かに向かって引き金を引くたびそれは音もなく消失した。
僕はどうしても引き金が引いてみたかった。誰かを殺してみたかった。
それ以来僕は小説を書いている。拳銃の引き金を引くために。
自分を殺してはいけない、担当編集を殺してもいけない、親を殺してもいけない、兄弟も、友人も、憧れの作家も、赤の他人も、殺してはいけない。殺せなかった。
誰を殺せばいいのか、小説を書くことで探せる気がしていた。敵を探せる気がしていた。僕はその為だけに小説を書いた。
小説は売れた。
何故だか知らないが小説は売れに売れた。
藤崎さんは喜んでくれた、親も、兄弟も、友人も喜んでくれた。憧れの作家に会うことが出来、赤の他人から応援されたりもした。
そして、ふとあるとき、目が覚めた。拳銃の引き金など別に引かなくてもよいと、気が付いた。そんなことどうでもいいことなのだと。
気が付くと、僕は――知らぬ間に、とさえ言えるかもしれない――作家を自称できる人間になっていた。狐にでも抓まれたような心地だった。
僕は拳銃に感謝している。あの拳銃のお蔭で僕は作家になることが出来たのだ。
「小説を書くために小説を書いていてはダメだよ、大島君」
「藤崎さん、小説を書くのに必要なものは何ですか?」
「うん? そんなこと私に聞くなよ。まぁいい。私の考えではね、それは――」
それは鋏と糊と、それから拳銃さ。
「いやペンと紙でしょ」