聖夜、君に告げる
――はらはらと、粉雪がただっ広い野原につもっていく。
クリスマス、恋人たちの楽しみと化したイエス=キリストの誕生日――の、前夜。俺は一人、家の近くの野原に突っ立っていた。
時刻は、午後八時。今年は例年に比べても寒い冬だ。だからだろうか、雪は空から次から次へと落ちてくる。
今にも消えそうな雪なのに積もっていく景色は幻想的で、俺は思わず空を見上げた。真っ暗闇から、白い粉雪。
ああ。今日こそ、彼女との別れにふさわしい。
きっと彼女は、もう家に帰っているのだろう。
待ち合わせ時間から、すでに三時間は経っている。こんな凍えるような空の下、彼女が俺なんかをずっと待つわけがない。そう、待っているわけがないのだ。
目を伏せて、自虐的な言葉に唇をかむ。
もし、彼女が待っていたら……一瞬よぎる妄想に嫌気がさした。
そんなわけがないだろ? だって、彼女は俺なんか愛してはいないのだから。
彼女が編んだというあたたかいマフラーを首に巻いて、俺はその場にしゃがんだ。
「さむい……」
柔らかいけど冷たい雪に触れる。ああ、彼女はまさしく雪のようだった。
静かで優しくて儚くて――そして、冷たい。
いつも静かで、誰にでも優しい人。なのに、どこか冷たい人だった。手のひらに乗せた雪を見つめていると、じんわりと目元が熱くなった。
――なんて、これはただこじつけているだけかもしれない。
あたたかなマフラーに少しずつ雪が積もる。
彼女は、俺が送ったマフラーを大切にしていてくれるだろうか。別れることを決めた俺が最後におくった、プレゼントだ。
大好きだった彼女におくった、マフラー。最後の最後に、どうしても渡したかったものだ。ある時ふと目についたそのマフラーは、バイトを掛け持ちして買ったものだ。それを身につけている彼女をどうしてもみたくて、マフラーをして微笑む彼女がどうしてもみたくて、彼女に贈った。
彼女は、それを受け取ったときすこし呆気にとられた顔をした。そして、幸せそうにほほ笑んだ。
その笑顔が、一番好きだった。
だから決心が鈍って、ここまで引きずってしまった。
この日にわかれることを決めただなんて、本当はそんな綺麗事、嘘だ。ただ決心が鈍ってしまって、ここまで来てしまったというだけ。
彼女は覚えているだろうか。出会いを思い出しながら、俺はメールをつくる。
この日、俺は初めて彼女を見た。儚そうな笑みに、優しい空気。所謂、一目ぼれと言う奴で。大きなクリスマスツリーの下で親しげに話す友達に、わけもわからず嫉妬した。
彼女に漸く話せるようになったのは、さらにその二年後――大学二年生になった時だ。
『ごめん、もう会わない』
俺は、酷い奴だ。酷くて、情けない男。
けれど、こんな形だったら彼女は俺のことをいつまでも覚えていてくれるだろうか。ほんの少し期待をして、彼女も好きだと言ってくれた喫茶店へと歩きはじめた。
雨でも、降りだしたのだろうか? 視界がぼやけて、景色が揺れた。
**
「……紅茶のあたたかいやつと、シフォンケーキで」
かしこまりましたあと、相変わらずの舌足らずな従業員を見送る。彼女をはじめて見かけたあの日。俺はこの従業員に拾われた。
俺よりも年上の従業員は何かと相談に乗ってくれたし、何より優しかった。誰が作っているのかわからないそのあたたかく美味しいシフォンケーキと紅茶を勧め、見守るような目で俺を見てくれた。
ああ、本当に酷いことをしてしまった。せかせかと働く後ろ姿を見ながら、俺は目を伏せため息をついた。
あんなにも応援してくれたのに、こうして裏切ってしまっただなんて。
「どうぞ」
にこりと笑う姿に、胸がきしむ。
その笑顔と彼女の笑顔がダブって、胸から何か熱いものがこみ上げてくる。
ごまかすように笑って、俺はじんわりと体に染みるような紅茶に口をつけた。
「さよなら……」
ほんの少し痛む胸には、気付かないふりをして。
出会った日、気持ちを告げた時間。最後に俺は彼女を愛した。