初日
うだるような暑さ、以外に的を射る言葉はないのか探したくなるくらいの日だった。
梅春教諭に指示された通り、俺は初等部のグランドに来ていた。転校してきた、この私立の学園は初等部から高等部までを抱え、隣接して各校舎が設けられていた。だから、休みの日だというのに、登校する気分で、しかもいつもとは違う校舎に向かうというのがなんともいたたまれない気分にさせていた。
集合時間の一〇分前くらいだったろうか。腕時計などはつけていなかったが、校舎の壁時計がそれを指していた。すでに一同が顔をそろえていた。一同というのは、カナ姉、沢渡ミカさん、梅春教諭、さくら教諭、そして鷹鷲だ。時間厳守もいいところだ。俺がまるで遅刻をしたみたいじゃないか。
そして、気が引けると同時に、いたたまれなさに拍車をかけたのが、校庭に、恐らく初等部の児童であろう数名がいた。フットベースをしていた。
「明らかに場違いなのでは」
俺の懸念を梅春教諭は無言で、案内をして打ち消そうとしていた。
校庭の端に設けられた、小山。横から見ると、「へ」の字に見え、その頂点がわずかに平らな、小山。梅春教諭が言ったように高さは三mほどか。芝が敷かれ、これは遊戯という範疇に収めていいのもか、あるいは別の用途があるのかと、一体なんだろうと思案しかけていると、
「段ボールを尻に敷いて、滑るんだよ。冬になって雪でも積もれば、ミニスキー場だ」
なんてことを言ったのは鷹鷲だった。聞けば初等部からのエスカレーターの生徒らしい。道理で節度を守った授業態度なわけだ。
「よし、ここで待ってろ」
梅春教諭はそう言うと、その小山から隣接する幼稚園への通じる細い道へ歩いて行った。
数分して、梅春教諭が戻って来たのを見て、目が点になった。一輪車を押していた。そこにはまあ、山積みにされた色とりどり、形も大きさも十人十色な傘たちが積まれていたのだった。電車内での忘れ物販売をする駅並みの量だった。まさかかっさらってきたわけでは……
「おいおい、俺を疑ってるんじゃないだろうな。ちゃんと正規ルートで調達してきたんだぜ」
それが怪しいのだ。しかも一円も払ってないとのこと。本田総一郎氏が電球一万個を無償貸与を願い出た伝説とは次元が違うんだぞ、先行投資どころの騒ぎじゃなくなるぞ。
「だから、大丈夫だって」
まあ、これ以上聞いて、知らなくてもいいことを知ることによって生じる、俺への実害は、この一件以上に被りたくないことだから、尋ねることは止めよう。
「さあ、始めっか」
「でも、どうやって」
梅春教諭の唐突な開始合図に、戸惑っていたのは俺だけのようであり、鷹鷲は準備体操を始めていたし、カナ姉と沢渡ミカさんは斜面が終わるところで日傘を射して立っていた。ストップウォッチやらクリップボードやらを手に持っていた。何かの記録会じゃないだから。
「データ」
沢渡ミカさんは一言でしか言わなかったが、恐らく察するにどの傘が上手くいくかとか行かないとか、飛行時間がどうとかの記録を取ろうということらしかった。
それでもう一人のさくら教諭は、辺り一面に救急用具を拡げさくっていた。それを見た瞬間に生じた頭痛は、暑さのせいにしておこう。教諭の誇りを守るために。そう、そこに置かれて一品であるAEDを使用することがないのを祈るばかりです。
一輪車に接近して、傘を取捨している鷹鷲の横に並んで、ため息をついた。
「じゃ、オレから行くわ」
「ちょっと待て、俺は何したらいいんだよ、てか、『オレから』てなんだよ」
「被験者は多い方がいいかと」
傘を持ってこの小山の頂上から傾斜を滑走し、その勢いで飛べるかと。
「飛べねえよ」
という俺の反論は
「ここまで来て何言ってんだよ」
と一本の傘を差しだされて、それを手にした瞬間に却下となった。俺も滑走役が決定。
鷹鷲の一走目。小山に立つ。無色のビニール傘。コンビニエンスストアでも売っているもの。それを開いて山頂からダッシュ。さすが体育会系でアホという属性を持っている鷹鷲。名は体を表すのだから、その勇壮な名に恥じぬ華麗な実験結果をもたらせよな。
……坂道ダッシュ……終了。ものの見事な滑走だった。にもかかわらず、
「あれ? 何で飛べないの?」
みたいな顔をして、止めたストップウォッチの数字を述べるカナ姉と、何やらを記載している沢渡ミカさんの所まで、開いた傘のまま歩いて行って、その記録とやらを覗き込んでいた。
「俺もやるのか?」
「もちろん」
いつの間にやら俺の背後に突っ立っていた梅春教諭が、満面の笑みを湛えていた。
「よし、じゃ、次、行ってみよう」
肘を小突かれ、思わず開いた傘。ビニール傘である点は鷹鷲と同じだった。しかし、違ったのは、色である。ピンクの水玉。
「ちょ、これ……」
「いいから、いいから」
背中を押されながら小山の頂へ。
「レッツ・ゴー」
強めに背中押され、俺は傾斜を走り出していた。十メートルもないそこがやたらに長く感じたのは、開いた傘が風の抵抗を受けているから、というだけのものではなかった。
鷹鷲と同じく無事に下り坂道ダッシュを終えた俺は、傘を閉じようとした。ふっとベースをしていた児童たちがその行動を制止し俺たちの方をじっと見ていた。視線が痛かった。
俺はただ咳払いをして傘を閉じ、早足で彼らからの死点となる場所へ向かった。ただ、そこは小山の短い方の傾斜側になり、結局のところ、
「おい、何してんだ、早く上がってこいよ」
という梅春教諭の勧誘に屈せざるを得なかったわけである。
それから、俺と鷹鷲は傘をとっ替えひっ替え開いてはダッシュすることを繰り返した。ビニール傘の次は、紳士用の大きな傘だったり、それも直径が五センチずつ異なる物を地道に使って見せ、シャンデリアのような刺繍が施された婦人用の傘やら、色の違うだけのもの、あるいはUVカットが施されているものなど、とにかく梅春教諭が用意した傘すべてを使って、ダッシュをしたわけだった。
休憩などあるはずもなく、しかも、自由課題のアホな実験で一ミリと身体が宙に浮くことなく、むなしくダッシュが終わり、計測員化している女子二人の所で、これまたなぜか知らんがスポーツ飲料を用意していたさくら教諭から、それを渡されて飲む。それくらいの一息があっただけだった。
そんなこんなで五時となった。斜陽が辺りを染める頃、途中何度か、一輪車に在庫の傘を乗せていっぱいにしてあった梅春教諭から
「今日はもう弾切れだな」
との一言があり、終了となった。
疲労感は徒労感へと昇華し、俺はとっとと帰って横になりたかった。
「これデータベースにしておく」
クリップボードに束ねられた記録用紙を指でなぞりながら、沢渡ミカさんが言った。俺に言ったところで……
「いやぁ、いい汗かいたなあ、ノブ」
鷹鷲は俺とはまるで違って爽快そうだったのだが、四時間走り続けて疲れるということを知らないのか、いやここは皮肉ではなくさすが部活をやっているだけのことはあるな。そこは認めなければならないようだ。
「俺はただ疲れただけだ」
それでも口をついて出てくるのは、そんな言葉だった。
「オレもそうさ。でも、いいトレーニングだったよ」
「いや、実験だからな、これ。しかも、お前の何だからな」
「分かってるって」
その御満悦な表情は絶対に分かっていなかった。
「伸大、夕食どうするの?」
「スーパーで買って帰る。さすがにすぐには食えそうにない」
「そう、何だったら、私が作ろうか」
意外な申し出だった。
「いや、いいよ。カナ姉もずっと外にいたんだ、疲れたろ。俺に気を遣うことはねえよ」
「そう」
とだけ答えたカナ姉の表情はどことなく寂しげだった。




