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こんなことがありました。  作者: 金子よしふみ
第四章 逃避不能

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傘で飛ぶ

「空」

 梅春教諭は窓を開け、指さした。夏色に広がる青空を。

「空、飛ぼうぜ」

 ……

「は?」

 素で聞き直してしまったが、本来ならこうしたツッコミは鷹鷲がやるべきはずであった。が、その当人は梅春教諭が言った日本語が理解できないらしく、豆鉄砲を食らった鳩のような表情を浮かべ、さくら教諭は何だか知らん詩を暗唱し始め、カナ姉が唯一頭上にクエスションマークを浮かべるというまともなリアクションとなっていた。沢渡ミカさんは大きくため息をついたのみだった。これも正しい反応だった。

「空飛ぶって、どういうことですか」

 だから、なぜ俺が尋ねなければならんのだ、鷹鷲、お前の課題なんだ、お前が盛大にツッコンでやれよ。

「空飛ぶってのは、空を飛ぶってことだ」

 漢字の間に助詞を挿入しろと言ってるんじゃないのだ。梅春教諭は、ドアの脇に置かれていたものを取出し、パッと手動で開いた。

「傘で、空、飛ぼうぜ」

 ビニール傘を型に担いで回した。

「は?」

 絶句をしたかったのだが、思わず俺は疑問を呈する声を発してしまっていた。

「じゃ、絆創膏と保険と包帯と……」

 さくら教諭、段取りが違っています。まだ何も始めたわけではありませんし、何よりこれに決まったわけではないんですよ。というより止めてください。担任をしているあなたの生徒がアホな提案の血祭りに上げられそうになっているんですから。

「ンなこと、できるわけがないじゃないですか」

 仕方ない、ここは突破口を開けるのは俺だけのようだった。

「それに、これのどこが課題になるんですか」

「いや~、飛ぶって浮力とか航空力学とかにかかわってんだろ、なら物理っぽいなと思って。それに江戸時代の絵画に傘で空飛んでいるのがあるんだ」

 へえ、それは知らなかったな、そんな絵があるのか、浮世絵とかかな。

「ってテレビでやってた」

 実際に見たんじゃねえのかよ。それにそれらしく言っているが、江戸時代の絵に描かれているからって、それが事実を表しているわけではないだろ。空想とか妄想とかを絵にしただけかもしれんだろ。

「まあ、いろんな傘で試してみてさ」

「あのですね」

「くじ引き」

 俺がなんとか回避させていることに憐れみを向けてくれたのか、沢渡ミカさんからの提案。ここにいる全員が三つずつ案を紙に書いて箱に入れ、そこから鷹鷲が一枚を引くということ。鷹鷲、お前は果報者だな、こんなに援護射撃がしてくれる人がいて。いや、待て。ここは俺がフォローされたのか。

 結果。

「傘で飛ぶ」

 鷹鷲、お前というのはなんて引きのいい、いやこの場合は引きが悪いのか、もう言葉がみつからんが、いいか。

「じゃ、健闘を祈る」

 鷹鷲の肩をポンと叩き、課題への獅子奮迅を期待する。

「おい、手伝ってくれないのかよ」

 鷹鷲、これは誰の課題だと思っているんだ。なぜ故に俺がお前の課題に乗らなければならないんだ。俺は赤点どころか、全然セーフだったんだぞ。

「お、妙案」

 この梅春教諭の声には気を付けた方がいい。この気の抜けた調子から繰り出される発言は、この世のものとは思えぬ。てか、あんた教師だろ、教師らしい発言なんだろうな。

「沢渡へのお礼も兼ねれば?」

 梅春教諭、あなたは本当に余計な、要らぬ、軽々な発言をしますね。

「鷹鷲の課題を手伝うことのどこが、沢渡さんへのお礼になるんですか」

 俺の反論はまともだよな。鷹鷲、さくら教諭、梅春教諭というトライアングルの重心にいる俺がおかしいのかと錯覚しかけた。しかも

「……」

 沢渡ミカさんがしきりに俺の顔に視線を向けていた。その上で窓の外の空を見上げていた。もしかして、興味を持ったわけではあるまいな。

「傘って、飛べるのかしらね?」

 せめてこちらを見て言いませんか? まさか堪えている笑い顔を見せまいとしているのか。がっぷり四つから土俵際へ追い込まれてしまった感がある。沢渡ミカさんの抑揚のないトーンは、これまで顕在してこなかったフレーズを浮上させた。ミカさんはSじゃねえのか、露骨にしない分、なお悪い。

「いえ、これは鷹鷲の件であって、俺には……」

「まだ決められていないのでしょう? 私への気持ち。あ、先程、私の好きなこと聞いていたわね。今なら具体的に答えられるわ。傘で空を飛ぶ映像なんて見てみたいわね」

 土俵際、横綱の下手投げで俺のような幕下はいとも簡単に投げられた。そこは親方に頼るしかない。な、カナ姉。……その親方は、沢渡ミカさんの隣でワイワイと楽しげに歓談していた。

「な、頼むよう」

 俺に向かって土下座していた頭を上げ、合掌していた。オリンピックに平伏なんて種目があったら、間違いなくお前が金メダルだ。

「なあ、ノブよぉ」

 鷹鷲は再び合唱した。

「伸大、やってみなよ」

 親方の命令が下った。いや、俺からすれば裏切りでしかなかったのだがな。

「じゃ、決まりだな」

 この状態に叩き込んだ雲のような声の主が、話をまとめてしまった。もう一人の教師たる、さくら教諭と言えば、

「じゃ、靴の裏にバネを入れてっ、いえっ、骨折した時のためにっ、病院の電話番号を携帯に入れてっ、あっ、忍者みたいにムササビの術が使えるような風呂敷を用意してっ、あ~そんなことよりはまずはっ、湿布をっ……」

 対処方法を呟いていた。いや、そこはこの案自体を否定して、生徒の身の保全を確保しませんかね、普通。さくら教諭の頭の中では俺か鷹鷲が骨折することが決まっているのか?

「よし、明日土曜日で、授業もねえ。確か陸上部もソフトボール部も休みだったな、じゃ、一時に初等部のグランドに集合だ。あそこのグランドには三メートルくらいの高さの小山があるからな。そこで練習だ。

 新発見した、カミ様はドSということに驚嘆しつつ、とうとう決まってしまった。


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