【第七話】押し売り従魔契約対策は詐欺がオススメです
ある日の放課後。
「明日、動画撮影の練習をしたい。ダンジョンに行くから付き合って」
教室で次の授業の準備をしていた俺に、幼馴染の穂がいつもの眠そうな表情で、そう告げた。
俺たちの住むコロニーは、堅牢なバリアーによって外界の脅威から守られている。そこから一歩外に出れば、そこはモンスターが闊歩する危険地帯だ。もっとも、協会による定期的な掃討作戦のおかげで、凶悪なモンスターの数は抑制されているらしいが。
それでも危険であることに変わりはない。
コロニー間を繋ぐシャトルバスは、街中を走るそれとは似ても似つかない。分厚い装甲と防護ガラスで固められた、さながら装甲車といった物々しい外観だ。車窓から見える荒涼とした景色は、ここが文明の庇護の外であることを嫌でも感じさせる。
一時間も揺られただろうか。
やがて前方にもう一つのコロニーのバリアーが見えてきた。目的地のコロニーも、俺たちのコロニーと同様の輝きを放っている。
そしてバスを降りて向かったのは、街の外れにあるコンクリートの高い壁に囲まれた一角。その中心に、目当てのダンジョンの入り口が口を開けていた。壁で囲むことで、万が一のモンスターがダンジョンから外に出た場合に備えているのだろう。
「ここが、観光ダンジョンか?」
「そう。準観光ダンジョンの認定を受けたばかりの場所。モンスターが少ないから、練習にはもってこい。慧も安心してコスプレができる」
「コスプレは、やらないからな」
観光ダンジョンとは、出現するモンスターが弱く、出現頻度も稀なダンジョンを指す。
徹底した安全管理のもと、一種のテーマパークとして一般開放されている場所だ。しかし、ここはまだ”準”認定。そのため、ダンジョンに入るための国家ライセンスは不要だが、最低限のダンジョン知識と、自己責任の宣誓が求められる。俺も穂も、探索者協会に仮登録は済ませているので、入場条件はギリギリクリアだ。
ゲートをくぐると、そこは意外にも開けた空間だった。洞窟の入り口へと続く道は歩きやすく舗装され、その両脇には土産物屋や軽食の屋台が並んでいる。観光地化の波は、こんな場所にも及んでいるらしい。
穂はさっそく、とある屋台で何かを買い求めた。
「何をそんな真剣な顔で食ってるんだ?」
穂が手にしていたのは、なんとも形容しがたい黒に近い紫色をした、薄い物体だった。
「ダンジョン煎餅。ゴブリンの内臓を煮込んだ鍋の風味を、秘伝のタレで忠実に再現した、ここだけの逸品」
「……それ、うまいのか?」
聞いただけで食欲が地平線の彼方へ消え失せたんだが。
「噛めば噛むほど、奥深いエグミが滲み出てくる逸品」
つまり、絶望的にマズイってことだよな。
よくもまあ、そんな代物を涼しい顔で食べられるものだ。
というか、よくそんな物を売っているな。観光地化への歪んだ情熱が生んだ、闇の一端を垣間見た気がした。
「ところで、さっきから猫が「見ちゃダメ」」
さっきから黒猫がついてきている。
「あれは、なんだ?」
穂に止められ、視線を前方に固定したまま訊ねた。
「稀にいる。従魔契約を押し売りしようとするモンスター」
「迷い込む?ダンジョンのモンスターって、ダンジョンコアが操るラジコンみたいなものじゃないのか?」
「ダンジョン固有種はそう。でも、あれは外部から侵入した個体。だから、普通の生き物に近い」
なるほど。
見た目はただの黒猫だから、誰もモンスターだとは気づかないのかもしれない。かといって、俺たちが騒ぎ立てて討伐されるのも後味が悪い。後でこっそり逃がしてやるか。
「なんで、人間と契約したがっているんだ?」
「従魔契約は、モンスターが進化するチャンス。契約すると、相手の知識なんかをコピーできる。本能的にそれに気づく位に成長したモンスターが、進化したくて人間に自分をアピールする」
穂は淡々と説明し、最後にこう付け加えた。
「目を合わせたら最後、しつこく付きまとわれる。気づかないフリが一番」
要するに、タチの悪いナンパみたいなものか。
土産物エリアを抜け、いよいよ洞窟ダンジョンの内部へと足を踏み入れる。ひんやりとした空気が肌を撫で、外の喧騒が嘘のように静かになった。洞窟タイプのダンジョンだけあって、天然のクーラーが効いている。夏場は人気が出るだろうな。
そんなことを考えながら奥へ進むと、不意に壁の一部が淡い光を放っているのを見つけた。周囲には真新しいロープが張られ、”危険!触るな!”という注意書きのプレートがぶら下がっている。
「これがワープトラップか」
「発見されたばかりで、本格的な安全対策はこれから。ダンジョンの知識のある人しか、ここにはこない。だから、この位でも迂闊に触る人は滅多にいない」
ワープトラップ。触れた者をダンジョン内のランダムな地点へ強制転移させる厄介な罠だ。行き先が完全にランダムだとか。
「穂、絶対に触るなよ。いいな、これはフリじゃないからな」
「おっけー」
穂の気の抜けたような声が俺の不安を煽る。本当に大丈夫だよな?
だが、真の敵は、俺たちのすぐ後ろに迫っていた。
例の黒猫が、俺たちの注意を引こうとしたのか、勢いよく飛び出してきたのだ。そして、空中で華麗な一回転を披露し、俺たちの目の前に二本足で着地 ……しようとして、見事にバランスを崩し、よろめいた勢いで、光る壁に肉球が触れた。
「は? ……このアホ猫があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!!」
俺の絶叫と同時、アホ猫の間抜けな姿が閃光に包まれる。同時に俺の視界も真っ白になり、次の瞬間、体が強烈な浮遊感と共にどこかへ引っ張られた。
次に光が収まった時、俺たちが立っていたのは、洞窟の中ではない。背の低い草が一面に広がる、どこまでも続くかのような草原のど真ん中だった。
上を見上げれば、どこまでも青い空。
一瞬、ダンジョンから脱出してしまったのかと錯覚しそうになる。だが、肌に纏わりつくような独特の圧迫感と、探索者用アプリの表示が、ここもまたダンジョン内部であることを告げていた。
「にゃ、にゃにゃにゃっ」
足元で、例のアホ猫が鳴いている。だが、その言葉はさっぱり理解できない。しかし、そのアホ猫はどこからともなく一枚の羊皮紙を取り出し、俺たちの前に差し出してきた。そこには、ミミズがのたくったような文字でこう書かれていた。
『♡♡♡従魔契約書♡♡♡』……ものすごく、イラッとした。
「ワープトラップは、基本的に転移先が予測不能。救助隊もすぐには動けない。動いたとしても、私たちをいつ発見できるかは分からない。自力での脱出も視野に入れるべき」
穂が冷静に状況を分析する。待つという選択肢もあるが、それには大きな問題があった。
「どっちにしろ、水も食料もほとんど持ってきてないな。お前は何か持ってるか?」
「これ」
穂が無表情で取り出したのは、例のドドメ色の平たい物体だった。
「……食料は、絶望的だな」
よりによってダンジョン煎餅か。しかも、ご丁寧に噛んだ跡までついている。
「これ」
俺に食べさせようと、ダンジョン煎餅を押し付けてくる。
「食べちゃいなさい」
「もう食べたくない」
やっぱりマズかったんだな。
「その辺に置いとけば、モンスターが食べてくれるんじゃないか?」
穂は、黙って足元の草むらに煎餅をそっと置いた。
気を取り直すように、穂が話を続ける。
「私一人だと戦えない。魔法の詠唱中に攻撃されたら終わり。慧の職業は、まともに戦えば大怪我じゃ済まない……だから、この猫と契約して、前衛を任せるのがベスト」
穂の言葉を聞き、俺は足元のアホ猫を見下ろす。
まさか、これを狙って……? そう疑いたくなるほど、この状況はアホ猫にとって都合が良すぎる展開。だが、この猫の見るからに頭が残念そうな顔つきを見ていると、そんな高度なマッチポンプ工作ができるとは思えない。もし仮にそうだとしたら、その演技力には感心するが、それはそれでムカつく。
「……つまり、選択肢は無い、と」
この状況で従魔契約を突っぱねるのは愚策だろう。それは分かっている。
俺はアホ猫から契約書を受け取り、その内容に目を通す……が、やっぱりイラッとする。俺は穂から借りたペンで、契約内容のいくつかに横線を引いて書き換えた。とりあえず、食事は”一日猫缶一つ(特売品に限る)”にしておいた。
「にゃにゃにゃ、にゃっ!」
何を言っているかは分からないが、俺の書いた文字を理解していることは分かった。
「穂、こいつの通訳頼む」
穂が頷くと、彼女の使い魔である白猫のシロが呼び出された。
そこから、穂、シロ、そしてアホ猫による三者会談という名の契約条件交渉が始まる。時折、アホ猫の「に゛ゃーーーっ!」という悲痛な叫びが草原に響くが、最終的には穂が用意していた魔法紙という特殊な紙に、修正された契約内容が清書された。
「内容はこれで問題ないか……穂、イタズラで変な内容を加えてはいないよな?」
「大丈夫。フェアな取引」
その言葉を信じよう。
「あっ、悪い、穂。サインしようとしたら、インクがちょっと滲んだ。これ、契約に影響ないか?」
自分の名前を署名する部分に、インクが少し滲んでいる。穂を呼んで、その箇所を見させた。
「ここなんだけど……どうだ?」
小声で穂に確認する。
「……問題ない。そのまま名前を書いて大丈夫」
穂は一瞬だけ眉を動かしたが、そう答えた。
「そうか。じゃあ……」
気は進まないが、俺は指定された箇所に自分の名前、”橘 慧”と書き込んだ。
「確認してくれ」
心の底から不本意だが、契約書をアホ猫に突き出す。
「ニャハーーーーーッ!!」
アホ猫はパアッと目を輝かせると、契約書に自分の肉球を力強く押し付ける。その瞬間、契約書が淡い光を放た。
そのあまりの判断の御単純さに、思わず乾いた笑いがこみ上げてしまう。所詮は畜生か、と。
次の瞬間、アホ猫の姿が眩い光に包まれた。光が収まると、そこには――
癖のある黒髪をショートにした、小柄な少女が立っていた。猫の耳のように髪の一部がピョコンと跳ねているのは、元の姿の名残だろうか。背丈は穂と同じくらいで、まだ中学生と言っても通りそうな幼さを感じさせる。だが、その身に纏った黒のゴシックロリータ調のドレスは、妙に彼女に似合っていた。
「美の化身様っ! わたくしはリーシャと申しますです! 今この瞬間より、あなた様の忠実なる下僕として、誠心誠意お仕えさせていただきますです!」
少女――リーシャ──やっぱアホ猫でいいや。アホ猫はその場で恭しく跪き、熱のこもった瞳で俺を見上げていた。
「美の化身だなんて、照れる」
穂が顔を赤らめてモジモジしている。
「オメェ様じゃねぇでございますですよ! ご主人様は、こちらの麗しき美の化身様なのでございますですよ!」
リーシャはビシッと俺を指差す。
「なに言っているんだ?ご主人様は穂だろ?契約書をもう一度よく見てみろよ」
俺はニヤリと笑いながら、契約書の該当箇所を指さす。
「そこじゃない。契約内容のところも、しっかりと見ような?」
「え……? な、なんです、これぇぇぇ!? こ、こんなの詐欺じゃございませんかぁぁぁっ!!」
アホ猫は契約書のある一文を見つけ、その美しい顔──褒めるとムカつくからアホ面にしておこう。アホ面を驚愕に染めて絶叫する。
それもそのはずだ。契約の主となる者の名前は変わらないが、契約内容に小さく文字が書き加えられていたのだ──気付かないとは、所詮は畜生だな。
従魔契約書には、通常、“下記の契約者乙(人間)は主となり、下記の契約者甲を従者とする”といった定型文がある。
だが、俺がインクを滲ませたあの時、穂にこっそり相談し、こう書き加えさせていたのだ。
”下記の契約者乙は主となり、下記の契約者甲を従者とする”
△
ではなく、柚雪 穂
すなわち“下記の契約者乙 橘 慧 ではなく、柚雪 穂 は主となり、下記の契約者甲 リーシャを従者とする”と契約内容そのものが書き変わっているのだ。
「こ、こんな米粒みたいな小さい文字、分かるわけないですぅぅぅっ!!!」
確かに、俺だって注意深く見なければ見落としただろう。よりにもよって、元々文字がごちゃごちゃと細かく書かれている部分に、こんなトラップを仕掛けられていては。
詐欺同然のやり方だが、俺にだって言い分はある。
俺と契約したところで、この呪われた職業の影響で、リーシャがまともに進化できる保証はない。むしろ進化どころか猫からミジンコに退化してもおかしくない。場合によっては弱体化よりも酷い結果──笑える結果になる可能性が最も高いかもしれないが。
それはさすがに、このアホ猫が可哀想すぎる。俺たちと行動を共にしつつ、彼女がまともな猫生を全うするには、強力な魔法の使い手である穂と契約するのが最善だったのだ──まぁ、何も言わなかった理由は、猫を説得するのは無理だと諦めていたからだが。
それでも、このアホ猫に思うところがあるのも事実だ。だから、これだけはハッキリと伝えておかなければならない。
俺はリーシャの肩にポンと手を置き、できるだけ優しい声色で告げるように心がけた。
「穂の所で馬車馬のように働けよ……アホ猫」
よくもまあ、足手まといの俺を、こんな厄介極まりない場所に強制ワープさせてくれたな、と。その恨みを、笑顔という名のオブラートに包んでプレゼントしてやった。
「ぅへへへぇ、容赦のない所も素敵ですぅぅぅ」
アホ猫は恍惚とした表情で、何やらよだれを垂らしながら、その場にくにゃりと溶けるようにへたり込んだ。
──お兄さん、この子、心底気持ち悪いって思います。