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【第五話】世界一可愛い妹よ、兄をそういう目で見るのはやめてください

 重たい瞼を開ける。まだ眠い。身体にだるさを感じながら、俺はベッドから這い出した。


「……おはよう」


 掠れた声で呟き、台所へ向かう。リビング兼ダイニングキッチンに入ると、すでに妹が椅子に座っていた。


 立花。俺の自慢の妹であり、おそらく世界で一番可愛い中学生の女の子だ。長い黒髪をツインテールにして、真っ直ぐな瞳が俺を捉える。


「お兄ちゃん! そんな、だらしない格好でウロウロしないでよ!!」


 朝っぱらから、立花が顔を赤くして声を上げてきた。


「鼻血が出て服が汚れちゃうじゃない!!」


 妹よ、兄をそういう目で見るのはやめてください。と、心の中でツッコミながら、洗面所に向かう。鏡の前で乱れた髪を整え、寝間着からTシャツとジャージに着替える。


 そして台所に戻ると、立花が赤い染みがついたティッシュをゴミ箱に捨てるところだった。それに服も、さっき見た物と変わっている。


『見なかった事にしよう』


 そ知らぬふりをして席に着くと、立花もまた何事もなかったかのように座り直した。


「今日も、お兄ちゃん桁違いに可愛いよね」

「残念なことにな」


 世界一可愛い妹に、こんなことを言われるのにも慣れた。もう当たり前のこととして受け止めている俺は、人間としてどこか壊れているのかもしれない。


 俺が壊れているせいだろうか?どうやら、気付かないうちに世界一可愛い妹の機嫌を損ねる事を言っていたらしく、少し頬を膨らませていた。やっぱり世界一可愛いな。


「ねぇ、クラスメイトの男子から、お兄ちゃん宛てのラブレターを渡してくれって頼まれる妹の気持ちを考えたことってある?」


 立花が深い溜め息をついた。


「しかも、お兄ちゃんと比べて微妙だねとか、お兄ちゃんと比べたら可哀そうだよとか、仕方ないよねとか……ねぇ、鏡を見ると私も十分に可愛いと思うけど、私の目がおかしいのかな?」

「……それは、なんというか、本当にゴメン」


 俺が謝る必要はないはずなのに、無性に謝罪の言葉が出てきてしまう。全部、あの呪われた職業のせいだ、と言っても、誰も受け入れてくれないだろうな、きっと。


「諦めた方がいいわよ。私は諦めたら楽になれたから」


 そこで、母さんが会話に割って入ってきた。バリバリのキャリアウーマンでありながら、こうして毎朝、朝食を作ってくれる。美人なのだと思う。そして何より、娘や息子がこんな状態でも動じない、肝の据わった良い母親だ。


「早く食べないと時間がなくなるわよ」


 温かい卵料理とトーストが並ぶ食卓。母さんの言葉に、胸の奥が少し熱くなる。


「それと慧、これ。受け取ったら、中を見ずに燃やしておいて」


 母さんが手渡してきたのは、やけに高級そうな紙の封筒だっただった。見るまでもなく、中の内容を察する事が出来てしまうのが悲しい


「今度は誰から?」


 立花が、呆れたような顔で母さんに訊ねた。


「仕事の取引先のボンボン。娘さんに渡してくれって頼まれたわ。立花のわけないんだから、どうせあんた宛てでしょ」


 最近は娘宛てのラブレターが、そのまま息子に横流しされる時代なのか。お兄さん、知らなかったよ。


「ひどくない!? 私だって可愛いのに!」


 立花が抗議する。


「うちの家族で、慧以外にラブレターが来るわけないでしょ。現実を見ることね」

「……ぐぬぬぬぅ」


 母さんはバッサリと言い放った。そして世界一可愛い妹よ、そこで反論せず押し黙るのはやめなさい。


「立花は世界で一番可愛いよ」


 俺が立花のフォローを入れるも、彼女は”ふん!”とそっぽを向いた。


「どの辺りが?」


 だが気にはなるようだ。


「全部。まず目は太陽を連想させる印象があって、見ているだけで元気が出る。唇はプルンとしていて、思わず触れたくなる瑞々しさがある。艶やかな黒髪は天使の輪ができて、頭を撫でたらいい匂いがしそうだ。眉毛は……」

「ちょっ、やめてよ!」


 何を言ってるんだ立花? お前の可愛さを語るなら、一日でも続けられる自信があるぞ。


「慧。やめてあげなさい」


 母さんが諭すような口調で言った。


「あんたが女の子の見た目を褒めるのは、相手に反撃の余地を与えないようにガッチリとマウントを取った上で、メリケンサックを付けて延々と殴り続けるのと同じだから」

嫌だから(その)やめてじゃなくて、照れるからやめてっていう意味だからねっ!!」


 顔を真っ赤にした立花が、俺の腕をバシバシ叩く。これが俺の家族の、いつも通りの心温まる朝の朝食風景だ。


 朝食を終えて制服に着替えると、俺と立花は連れ立って近くのビルへと向かう。ガラス張りの、金の掛け方が尋常じゃない大きくて綺麗なビルだ。ここはライフカプセルを扱う施設で、ここからS2Wに入る。


 ビルの中を歩きながら、立花と話す。


「穂さん、一緒じゃなくて良かったの?」


 普段はアパートが隣同士ということもあり、穂も一緒にこの施設に来る。だが今日はいない。


「アイツ、帰るのが面倒だって言って、学校に泊まりやがった」

「えっ、そんなこと出来るの!?」


 S2Wでは8時間に一度、現実世界に戻るのが推奨されている。栄養さえ摂っていればもっと長く活動できるらしいが、現実世界との繋がりを完全に断つのは、人間としてヤバイというモラル的な理由からだ。


「ご丁寧に簡易的なポータルを学校に持ち込んで、アバターを維持できるようにしやがったんだよ」


 S2Wに入る際にアバターが現れる場所をポータルと呼ぶ。簡易型はアバターの生成はできないが、その場に維持させることは可能らしい。他にも制約はあるようだが、これを使えば学校にいながら定期的に現実世界に戻れるというわけだ。


「そこまでやれば、泊まることくらいできる……かな? でも穂さん、なんで、そんなに頑張るんだろう」

「変人の頭の中を理解しようとしても、頭がおかしくなるだけだから、やめておいた方がいいんじゃないか?」


 アイツは幼馴染であり、パーティーを組む仲間でもある。だが純度100%不純物0%の変人だ。世界一可愛い妹に、深く関わらせたくない。


「でも、よく学園が許可したよね」

「アイツ、普段はやる気なさそうにしてるくせに特待生だからな……納得いかないけど。それっぽい理由をデッチ上げれば、学校も黙認するらしい。それに校則の方にも抜け道があるんだろうな」


 しかも、学園内に専用の仕事部屋を用意されるほど優秀らしい──本当に納得できないが。


「じゃあ、忘れ物はないよな」


 話しているうちに、俺がレンタルしているライフカプセルが設置された部屋に到着した。ここで立花とは別れることになる。安全上の問題から、ライフカプセルは個室に設置されているのだ。部屋は畳3畳ほどの広さしかない。


 中に入り、備え付けのロッカーから専用の服を取り出す。正式名称はライフスーツらしいが、生徒の間では”ピッチリスーツ”と呼ばれている。最初はダブダブなのだが、着てからボタンを押すと空気が抜けるように身体にピッチリと張り付く。少しだけ気恥ずかしい恰好だ。


 俺はピッチリスーツに着替えて、ライフカプセルへと潜り込む。横たわると、AIの音声ガイドが流れる。それに従いながら蓋がゆっくりと閉まっていく。そして、意識が S2W へと移行していくのを感じた。


 ※


 翌日、学園の教室へ向かうと、珍しく|純度100%不純物0%の変人《穂》が俺よりも早く席に座っていた。もっとも学園に泊まり込んだと聞いていたのに、俺より遅かったら何をしていたんだという話になるが――。


「おはよう。何をそんな難しい顔して見てるんだ?」


 などと声をかけながら、いつも通り彼女の隣に座る。

 穂の表情は真剣そのものだ。しかし、それでも眠そうに見えるのは日頃の行いのせいかもしれない。


「おはよう。……むぅー、数字が伸びない……」


 教室の窓から差し込む柔らかな光の中、穂はスマホを覗き込みながら唸っていた。額にはうっすらと皺が寄り、指先でスクロールする動きには焦りが見える。


「数字?」


 俺は隣の席に腰を下ろし、穂のスマホ画面を覗き込んだ。そこには前回アップロードした初級ダンジョン攻略動画の再生回数が表示されている。登録者数は……うん、伸びるとか以前の話だな。


「まぁ、いいんじゃないか? 最初からバズっても、どこに魅力を感じて集まったのか分からず、迷走して終わりっていう話もあるし」


 何かを思いついたのか、穂は俺の言葉に顔を上げ、目を大きく見開いて血迷った事を口にする。


「慧のコスプレショーを動画にすれば「却下だ」むぅー」


 許可するわけ無いだろ。と、いうかテコ入れをするタイミングではないって気付かないのか?


 そもそも、レベル1のダンジョンに入って普通に攻略しただけで視聴者が集まるはずがない。世の中にはもっと派手で、もっと危険なダンジョン探索動画がごまんとあるのだから。


「あと2~3個くらい動画をアップしたら、宗侍たちに改善点を教えてもらったらどうだ? 年上組は結構数字があるみたいだし」


 俺が提案すると、穂は少し考え込むように唇を噛んだ。宗侍のチームは確かにガチな戦闘ばかりだが、そういった層に中々の支持を集めていることは知っていた。俺たちの方向性とは違うかもしれないが、穂と柑奈の戦闘狂二人なら、意外と合うかもしれない。


「例えばなんだけどさ」


 俺は少し姿勢を正して続ける。


「俺の職業レベルが上がれば、アイテムのドロップなんかをネタに出来るだろ?それに穂や柑奈のレベルが上がれば、挑戦できるダンジョンも増えるんじゃないか? でも今はレベルが低いせいで、やれることの選択肢が少なすぎるんだよ。だから今は選択肢を増やすために、レベルを上げることを考えた方がいいんじゃないかって思うんだけど、どうだろう?」


 結局、ここに行き当たる。動画の数字を増やすにしても、俺たちのレベルが低いせいで、ネタの選択肢が圧倒的に少ないという点に。


「それに、動画はダンジョンに潜るための資金を集めるための手段なんだよな?」

「……そう」


 俺の問いに穂が不承不肖ながら頷く。


「だったら、動画の数字を考え過ぎて、肝心のダンジョンに潜るための準備が疎かにならないように、注意をしないとな」


 そう言って、俺は穂の小さな頭にそっと手を乗せ、軽く撫でた。彼女の柔らかな髪が指の間をすり抜ける感触に、少しだけ気恥ずかしさを覚えた。


「うん」


 穂が何かを納得したように呟く。俺も曖昧に頷いた。


「やっぱ百合の香りがする」

「百合もいいかも……」


 教室の離れた場所から、そんな声が聞こえてきた。視線を向けると、数人の女子がこちらを見て恍惚とした表情を浮かべている。だが、今回もやはり百合の香りなどしなかった。


「はい。席について下さい」


 廊下から響く声に、教室内の空気が一変した。雑談していた生徒たちが慌てて席に戻り、姿勢を正す。


 しかし入ってきたのは担任の木浦先生ではなく、別の教師だった。すらりとした体躯に、知的な雰囲気を纏った男性教師。迷宮学の担当である宮野みやの 江真こうま先生だ。三十前後の若さで、爽やかな笑顔と砕けた物腰が特徴の、どこか近所のお兄さんのような親しみやすさを持った人物だ。


「おはようございます」


 宮野先生が爽やかに微笑むと、教室に一斉に挨拶の声が響いた。


 少し遅れて日直の柑奈が立ち上がり、台車を引いてプラスチック製の大きな箱を運んできた。学園では普通に優等生なんだよな、彼女は。ダンジョンでは鼻歌を歌いながらナイフでモンスターをサクサク刺しているというのに。その落差に慣れて、俺が何も感じなくなってきているのが怖い。


「ありがとう。席に戻っていいよ」

「はい」


 柑奈が自分の席に戻ると、宮野先生は箱に手をかけた。


「さて、今日の迷宮学の授業では、皆さんにちょっと珍しいものを見てもらいましょう」


 そう言って、先生は箱を開けて中の物を取り出す。


 現れたのは、不気味な壺。表面には細かく模様が刻まれており、そこからじっと何かを見つめているような模様が浮かび上がっている。一瞬ではあるが、その目が動いたような錯覚を覚えた。


「これを見て気持ち悪いとか、拒絶する感覚が出たのなら、それはダンジョンの探索に向いている証拠です」


 先生は壺を高く掲げながら説明を続ける。


「これは呪物じゅぶつと呼ばれる物です。あぁ、安心して大丈夫。これは呪いの力の弱い物に、更に厳重な封印を施した物ですから」


 確かに呪物という言葉がしっくりと来る見た目をしているな。あんなのが、実家から出てきたら、間違いなく自分の家系が呪われているんじゃないかと、不安になる自信がある。


「慧は何か感じた?」


 隣に座る柑奈が、小さな声で問いかけてきた。彼女の表情には、不気込みさや不安は一切なく、純粋な好奇心しかなかった。うん、お前がそういう反応する玉じゃないよな。


「不気味だとは感じたけど、拒絶感とまではないかな」

「意外ねー。慧ってこういうの苦手な気がするんだけど」

「そうかな? まあ、俺の職業が最大級の呪物みたいなもんだからな。これくらいじゃ、何も感じないのかもしれない」

「……うわー。それは、何も言い返せないや」


 柑奈が複雑そうな顔で俯いた。確かに、俺の職業は名前からして”呪い”だとしか思えない。スキルの事も考えると”特級の呪物”であるとすら言えるかもしれない。なんか、あの壺の方が遥かにマシな気がしてきた。


「こういった独特なデザインの呪物というのは、ダンジョン内で時折見つかる事があります」


 宮野先生は壺を慎重に扱いながら続ける。


「スプライトとして存在していることもありますが、遺跡型ダンジョンなどだと、無造作に置かれていたりします」


 スプライトというのは、ダンジョン内に時折漂っている光の粒子だ。これは、宝箱的な存在で、専用のデバイスで回収し、後で装置を使って物質化させることで、換金することができる。俺たちが目指す探索者にとって、重要な収入源の一つとなっている。


「呪物は、名前の通り、触れたり近づいたりした探索者に呪いをかける場合がほとんどです」


 先生の表情が一瞬だけ引き締まる。


「過去には呪物の呪いのせいで、パーティーが壊滅状態になったという例も多くありますから、発見しても迂闊に触れないように注意をしましょう」


 呪物が原因で、パーティー壊滅という話しは稀に聞く。それらの話しの中で、特に印象に残っているのは、魔剣を手に入れた探索者が精神を乗っ取られ、パーティーメンバーを皆殺しにした話だ──日頃から痴情のもつれがあって、魔剣を口実に殺ってしまったというオチがつくが。


「呪物かどうかの判断ですが、勘の鋭い探索者であれば拒絶する感覚を抱くかどうかで判別できます。また最近はデバイスでも確認できます」


 先生は教室内を見回しながら続ける。


「ですが、勘もデバイスも、そこまで正確な物ではないので頼り過ぎないようにしましょう。結局、一番確実なのは、怪しいと思ったら関わらないこと、これに尽きます」


 そう言って、宮野先生は手に持った呪物の壺に軽く触れた。生徒に過度に恐れさせないように、実物を見せて安全性をアピールしているのだろう。


「あと呪物によっては、こんな風にジッと見つめるのも危険な場合も……」


 先生は壺を持ち上げて、生徒たちに見えるようにかざす。実演して見せるつもりのようだが、その表情が徐々に変わっていく。瞳孔が開き、口元が微かに歪んでいた。


「……ああ、なんて美しい……この滑らかなラインに、生々しいまでの瞳。ああ……なんて愛おしいんだ……」


 先生の目から、呪物の壺に対するただならぬ感情が溢れ出す。その異様な様子に気づいた生徒の一人が、呆れた声を漏らした。


「また先生が呪物に魅入られているぞ」


 教室内は、緊張と共に、”またかよ……”という呆れた空気が入り混じった微妙な雰囲気になる。


 宮野江真先生――彼は呪物の権威としてこの学園で教鞭をとっている。だが、皮肉なことに、呪物への耐性が恐ろしく低いという欠点があった。そのため、呪物を目の前にすると、時々こうして魅入られてしまうのだ。


 呆れた緩い雰囲気の中、学級委員長の女子生徒が落ち着いた声で指示を出す。


「誰か、先生が壺を落とさないように、手を支えてあげて」


 呆れと、慣れ、それらが入り混じった緩い空気が教室を満たす中、数人の生徒が先生の元へ駆け寄る。


「じゃあ、そのまま先生の手を支えててね」


 学級委員長はそう指示すると、教卓の脇に用意してあった──明らかにこの時のために準備されていた備品――巨大なハリセンを手に取る。そして、ためらいもなくそれを振り下ろし、先生の頭を思いっきりしばいた。


 宮野先生の身を呈して呪物の危険性を伝える授業には、涙の出る思いだ。


 ――なお、先生はこのハリセンの一撃で、無事に呪物から解放されましたとさ。

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