【第二話】俺の『可愛い』が高校を騒がせる【入学式編】
高校。
希望に満ちた多くの新入生が、桜の花弁がひらひらと舞い散る校門をくぐり、新たな一歩を踏み出すべく校舎へと足を進める。
その群れの中にあって、一際、周囲の視線を一身に集める少女がいた。
悠雁 苑葉。
艶やかな黒髪が腰まで流れ、ぱっちりとした瞳には光が宿り、小さく結ばれた唇は愛らしい。非の打ち所がない、絵に描いたような完璧な美少女だった。誰もがその姿に目を奪われ、感嘆のため息を漏らす。
『見ているわ。皆、私を見ている。完璧ね。見た目も心も美しい少女。これでカーストのトップは、私・の・物』
見た目は天使、内心は腹黒。その落差が彼女の個性だ。周囲の生徒たちは、彼女の聖女のような笑顔に騙され、これから都合よく使われる……なんてことはない。
「また黒い事考えてるみたいね、苑葉」
「黒い笑い声漏れてる癖、誰か教えてあげないの?」
「別にいーじゃん。その方が面白いし……てか、ほら。根っこが善人すぎて無害だし」
「あー、確かに」
──そう。彼女を知る者にとって、苑葉の評価は”珍獣”か、せいぜい”マスコット”。小動物を見るような可愛いはあっても、異性として意識するような”可愛い”も、同性に対する憧れの”可愛い”も皆無。
「えっ?……あの子、すっごく可愛い」
校門のそばで立ち話をしていた女子四人組の一人が、思わずといった風に声を漏らした。苑葉のような、作られた”エセ可愛い”ではなく、魂が震えるような本物の”可愛い”を見つけてしまったからだ。
視線の先、そこにあったのは、息をのむほど愛らしい姿だった。思わず見惚れてしまうような、可憐で儚げな雰囲気を纏った姿。誰もが”可愛い”と感嘆の声を漏らしているのが聞こえる。動物の愛らしさを兼ね備えたその姿は、なんとも庇護欲をそそり、その頭を撫でたら手に柔らかな感触が伝わってくるであろう姿。そこにいたのは、白黒の猫の着ぐるみパジャマを着た少女であった。
なんとも愛くるしい姿なんだろう?なんで着グルミ?でもなんか違うという想いに誰もが混乱していたが、その思考は次の瞬間には異次元のかなたへと消え去ることになる。
「穂、着替えてこよう。な?」
穂を追いかけてきた人物。その姿を見た瞬間、誰もがそちらに視線が囚われてしまった。その存在は、まさしく可愛いの化身。可愛いモンスターであった。
男子の制服を着ている。だが、それがどうしたというのか。
透き通るように白くきめ細やかな肌は照明を反射して輝き、宝石を閉じ込めたような大きな瞳は吸い込まれそうなほど深く、形の良い唇はプルンとして瑞々しい。すっと通った鼻梁は高く整い、小さな顔の全てのパーツが完璧なバランスで配置されている。
その姿を一言で表すのなら神の過ち。血迷った神が生みだしてしまった、圧倒的な可愛いの化身のようにすら思えた。
「着替え、持ってきたから部屋を借りて気がえような」
「うぅ……おーけー」
背中を押されて校舎へと姿を消していく着グルミ少女と可愛いの化身。
それから僅かな間を置いた後、ようやくこの場にいた者達が正気を取り戻す。
「……………………はっ!カワイ過ぎて脳がショートしてた!」
「ヤバい、呼吸するの忘れてた!」
「あれ……? 私、なに見たの?」
俺の姿に、校門前は騒然となっていた。
女子生徒たちが次々に脳がショートした、呼吸を忘れた幻覚かとすら思った、などと錯乱状態で自己申告を始めた。男子制服を着ていたはずだが、彼女らの思考に男子の制服という現実的な概念は一切刻まれていないようで、その点に触れる者は一切いない。彼女達の中では、少女であったと記憶が改変されているのかもしれない。
「あれが……本物のカワイイ……」
俺の姿を見て、膝から崩れ落ち、力なく地面に座り込んだ生徒がいた。
悠雁 苑葉だ。
先程までの自信満々なオーラは消え失せ、顔は絶望に染まっている。力なく座り込み虚ろな目で慧が消えた先を見つめながらブツブツと呟いていた。
「あれがカワイイ……あれが天然物の可愛い…………あれが……KAWAIIモンスター……」
苑葉は、圧倒的なKAWAIIの暴力、いかなるKAWAIIを蹂躙するKAWAIIモンスターを前に、完璧な美少女(自称)というプライドが粉砕されて、少し思考が変な方向へ汚染され始めていた。
だが問題はない。彼女の図太さはKAWAIIモンスターに対抗できるほどなのだから──。
※
体育館へと移動して、しばらく経つと入学式が始まった。
張り詰めた空気の中、壇上に現れたのは、随分と若い男性の校長先生だった。三十代前半だろうか? 二十代後半のエリートビジネスマンという言葉を連想させる、洗練された印象を受ける人だ。
校長先生の話が始まる。
「百三十年前、世界中で隕石が大量に降り注ぎ、地上を焼き払うという『大災厄』と呼ばれる災害が起こりました。そしてモンスターが地上に溢れ、人類の数の六割が失われる事となります。その後、世界は復興するのですが、日本は復興が遅れてしまったことを皆さんはご存知でしょうか?その最大の理由は、生き残った方々をまとめるリーダーの不在だとされています。他の国でも、リーダーが生まれた国は早期に復興を果たしていますが、リーダーが生まれなかった国は復興が遅れるどころか、国民が元々の十分の一まで減ってしまったというデータがあります」
見た目は若くても、話が長いという、偉い人の宿業からは逃れられなかったか。
フッ、これは長い戦いになりそうだ。
校長先生の話は続く。大災厄の歴史から始まり、現在の世界の仕組み、そして学園の目標へと、淡々と、しかし情熱を込めて語っている。
「大災厄は、今となっては大昔の話であると言えます。ですがリーダーになりうる者の不在は、国が立ち行かなくなった際に、大きな影響を与えるのです。この事態を重く見ているのは、どのコロニーも同じことです」
そういえば、昔は都道府県だったと聞いた事があるな。だが大災厄の後はモンスターから身を守るために、周囲を強力なバリアーで囲まれたコロニーを作って住むようになったとか。
「各コロニーのリーダー足りうる人物の育成。それが当校の目標となります。ですが一人で行える事など高が知れています。リーダーを支える者、またリーダーとは別の目的を持って生きる者、多くの方の力が集まってこそ大事を成し遂げられるものです」
──Zzzzz
「リーダーの力となる様々な道を歩む者を育てる。これもまた当校の目標です。あなたが何を目指すようになるのか?また、すでに何かを目指しているのか?それを私は知りません。ですが……」
──Zzzzzzzzz
「……以上で、話を終えさせて頂きます」
──ハッ?!
周囲で巻き起こる割れんばかりの拍手。それに合わせて俺も拍手を送った。いやー、素晴らしい演説だった。 魂を揺さぶる情熱的な話! 笑いあり涙あり! の名演説だった。うん。本当に素晴らしかった……何を話していたかは全く覚えていないけど。
こうして入学式は無事(?)に幕を閉じ、俺たちは自分のクラスへと向かうため廊下を歩いていた。
周りから視線を感じる。
男共、お前らの熱の籠った視線はNOサンキューだ。でも女子なら、ハグまでOKです。
「ね、慧。同じクラスになれて良かったね」
俺、柑奈、そして穂の三人、同じクラスになった。
殺人鬼の目をした宗侍を含む年上の幼馴染三人は、学年が違うのでクラスが同じ事になる事はない。
「もう少し、こっち歩こうな。危ないぞ」
「ぅあ、寝てないよぅ」
俺の隣では、穂が寝ながら歩くという器用なことしていた。
少しずつ廊下の壁に近付き過ぎては、俺に引き戻されている。
そのたびに寝てないと言い張る姿は、小動物が強がっているようで妙に癒された。
「うわぁ、百合の香りがする……」
すれ違った生徒から、小さな声が聞こえた。
はて、百合の香り? 周囲に鼻を向けて懸命に嗅いでみるが、百合はおろか、かすかな花の香りすら感じられなかった。
やがて俺たちのクラス、1年C組の教室に辿り着く。
中は、いわゆる階段教室。大学などでよく見かける、教壇に向かって席が階段状に並んでいる、見下ろすような構造の空間だ。
座る席に決まりはないようで、俺たち幼馴染三人は、一番後ろの席を陣取って固まって座ることにした。約一名は、席に着いたと同時に深い眠りに落ちたようだが。
しばらく遅れて、一人の女性が教室に入ってきた。
「私は、皆さんの担任をさせて頂く、木浦 渦音と申します。担任をするのは初めてなので、高校生活一年生の皆さんと、同じ一年生同士ということで、仲良くして頂ければ嬉しいです」
教卓に立ったのは、初々しい雰囲気の教師だった。
少し年上の、可愛い系のお姉さんといった感じだ。
肩までの髪が揺れ、優しげな笑顔を浮かべている。教師らしからぬ親しみやすい雰囲気に、クラスの野郎どものテンションが目に見えて上がるのが分かった。これは高校生活が明るい物になりそうだ。
「先生、可愛いよな?」
「まあ、そうだよ……な?」
「多分、かわいいよな?そんな気はする」
「でもな……慧を見た後だと感覚がマヒするよな」
「男子みたいな格好している子って慧ちゃんっていうの?」
「ああ、中学んときクラス同じだった。ああ見えて男」
「マジっ?!」
「アイツ、着替えは別の部屋でさせられていたから自信はないけど……ほら、さすがにアイツに目の前で着替えられるとさ」
「ああ、確かにな」
ヒソヒソ話を総合すると、要するに”可愛い系お姉さん先生最高!!”ってことらしい。俺も同意見だ。
「やっぱ、慧は人気者だねー」
隣から聞こえてきた柑奈の言葉は、聞かなかったことにする。
「皆さんの自己紹介としたいところですが、人数が多いので入学式の当日には行っていません。ですが皆さんが自己紹介をする時間を、明日とりますので、自己紹介の言葉を考えておいて下さいね」
確かに。生徒はざっと見て二百名くらいはいる。全員の自己紹介を聞いていたら日が暮れるだろうな。しかも今は、入学式の校長先生の長話に疲労困憊の状態だ。穂あたりは、自己紹介が終わる頃には間違いなく、居眠りを通り過ぎて熟睡していると断言できる。
「今日は、この学園とダンジョンについて説明して終わりとなります。まず、この学園についてです。大災厄が起こってから何年か経って発見された、異世界の都市の技術を用いて作られた、半仮想半現実世界にあります。ご存知の方も多いと思いますが、半仮想半現実世界はS2Wと呼ばれています。英語でsemi real, semi virtual worldのsemiの頭文字である二つのSに、worldのWを合わせてS2Wですね。このS2Wですが、複数のコロニーから同じ世界に入ることができます。この性質を利用して、数多くのコロニーから生徒を集め、まとめて教育を行っているのが、この学校となります」
木浦先生は、スライドを映しながら説明を続ける。S2Wは、いくつかのコロニー間を繋いでいる。量子世界に作られた異世界とも呼べる空間。現実的な物理法則もあるが、一方で仮想世界のような融通も効く世界。要約すると、ワケの分からない凄い世界ということだ。
「S2Wで私達はアバターと呼ばれる身体を使って活動をしています。S2Wで大怪我をしても、このアバターを失うだけで済みます。アバターの喪失をロストと言いますね。ロストをしても、後でアバターは簡単に作り直せるので、その性質を使ってダンジョンに入るための許可を出すかを決める試験を行っています」
「えっ」
やばっ!
昨日、ダンジョンに入ったけど、あれってこの試験に合格する前の校則違反だったんじゃあ!? 冷や汗が滝のように流れる錯覚を覚え、隣に座る穂や柑奈を見たが、二人は至って平然としていた。
授業を真面目に聞いてるな、偉いぞ。……よし、きっと何の問題もなかったんだ。そういうことにしよう。深く考えるのは、繊細な俺の心によくないからな。
「このS2Wにもダンジョンがあります。その中でも難易度の低い物を使った試験に合格する、それが現実世界でダンジョンに入る条件となります。これは最悪の事態が起こっても、アバターを作り直すだけで済むことを利用した試験となります。この試験の受付は、学園内にある探索者協会の支部が出していますので、ご興味のある方はそちらに問い合わせてください。入学式の日にダンジョンについて説明することを、学園が規則で決めています。それは学生の間にダンジョンに入って亡くなる方が、とても多くいらっしゃるためです。私も学生の頃に、何人も友人を亡くしました」
木浦先生の声が、少しだけ震えていた。その言葉に、教室全体の楽しげだった空気が一瞬で凍りつく。先生の経験に基づいた事実が生んだ沈黙が、これまでの言葉以上に事の深刻さを伝えてくるかのようだった。
「ダンジョンは危険な場所であると注意をしても、ダンジョンに生徒が入るのを止めることはできない、という問題が解消された事はありません。そのため止むを得ず学園は、ダンジョンに入っても、生き残る可能性を高くする技術を授業で教えることにしました。皆さんの中にも、ダンジョン関連の授業を履修する方は、そのような経緯があった事を覚えておいて下さい」
俺も、できればダンジョンには入りたくない。だが、それとは正反対の気持ちもある。だからこそ、学園の注意を無視してダンジョンに入る生徒がいたことも、当然だとしか思えない。そして、学園がそういった生徒たちの対応に頭を悩ませていたことも、容易に想像できた。
誰だって責任なんて取りたくない。校長先生や理事会は、本当に胃薬が手放せなかったんだろうな。将来の選択肢に、この学校の教師は除外だな。
「ダンジョンの話ばかりになってしまいましたが、ダンジョン以外の授業も多くあります。それらの授業が、皆様の今後の人生のお役に立つ事を願っています。最後に一言──ようこそ、我らが学園へ。耀星学園は皆さんを歓迎します!」
木浦先生が、再び満面の笑顔を浮かべて、締めくくりの言葉を伝える。
その言葉に合わせて、教室全体で一斉に、そして盛大な拍手が巻き起こった。俺も少しだけ、本当にほんの少しだけだけど、胸の奥が熱くなっている。
「質問」
「どうぞ」
その時、一人の生徒が手を上げる。
斜め後ろの席に座っていた穂だ。
こんな積極的な穂は珍しい。
普段は寝てるか、寝ぼけてるか、何を考えているのか分からないかのどれかなんだが……なぜだろうか?嫌な予感がする。
「テンション上がり過ぎた時のセリフは時として後で悶絶する。先生の今のセリフも悶絶しそう?」
穂さん!そういうこと言っちゃいけません!!
木浦先生、顔が真っ赤になって固まってるから!!!