【書籍化決定】乙女ゲーの世界に転生したので早々に諦めて巫女補佐エンドを目指した結果
ひさしぶりに書いた短編です。さくっと読めますので楽しんでいただけたら嬉しいです。
突然だが、私はとある大きな神殿の前にいる。
立っているのは私と隣にもう一人。目にも鮮やかな赤いロングヘアの美少女が神官様の話をまじめに聞いていた。
「学園の検査によって精霊の巫女の資質があるとされた二人には今日よりこちらの神殿で精霊の巫女になるための勉強をしてもらう」
緑の衣装の上から白い神官服を着たメガネの美丈夫ルカ様が淡々と告げる。
「……精霊の巫女とは、この国に災いが起こった時に現れ我がロスジー王国と国王をお支えし守護する存在。伝承ではそう伝えられている。そしてそれは十代後半から二十歳までの乙女である。その才のある乙女にはこの神殿に伝わる真実の鏡が反応すると言われてきた」
ルカ様が取り出したのは繊細な細工が施された丸い鏡だった。確かに通っていた学校で女子だけ一人ずつその鏡の前に立たされたのだ。私が前に立った時だけその鏡が白く光ったのでびっくりしたけど、それが素質ありということだったらしい。
「まあ、国中から探してもわたくし達二人だけしか可能性のある者は見つからなかったのですね」
「伝承によれば精霊の巫女に選ばれるのは一人。もう一人には補佐をしてもらうことになる」
カナリア様の言葉にルカ様が淡々と答える。そうですか、とこちらも淡々と返している。それにしてもあらためてまじまじ見ると本当に非現実的なほどの美少女だ。
「精霊の巫女は次期国王陛下であらせられるライアン王弟殿下と神殿の代表神官達による投票で決まる。期間は三か月。ライアン王弟殿下の戴冠式に発表されることになる」
一人は精霊の巫女になり、もう一人は巫女の補佐になる。
ちらりとこちらを見たカナリア様が手を差し出してきた。
「わたくしはカナリア・アストレーゼと申します。三か月間よろしくお願いします」
「ミモレ・リンスレットです。よろしくお願いします!」
カナリア様は平民の私でも知ってる。ロスジー王国内でも屈指の大貴族、アストレーゼ公爵家のご令嬢だ。そんな高貴な方なのに平民の私に対してもまったく偉ぶったところもなく凛としている。
彼女の繊細でしなやかな手を握り返しながら私は決めていた。
巫女補佐エンド目指してがんばります!
突然田舎の学校に神殿の神官がやって来た。
そして真実の鏡に自分が映った瞬間に私は前世の記憶を思い出していた。
鏡が光って視界が真っ白になったのは一瞬だったはずだけれど、その間に洪水のように自分が持っているはずのない記憶が頭に流れ込んできたのだ。私はその衝撃に耐えきれずに気絶してしまった。
それは前世の記憶だった。
私は今のミモレである私と同じ十七歳の少女だった。日本というまったく別世界に住んでいた私はとあるゲームをプレイしていた。タイトルは『精霊の巫女と風の王国』でいわゆる登場キャラクターと恋をする乙女ゲームというやつだったのだけれど……。
『なにこれ! 贈り物が気に入らなかったからってあからさまに機嫌悪い顔して!』
『デートを断ったら無視!? こんなのモラハラじゃない?』
『え、この選択肢難しい。どっちが正解……うわー!? また好感度が下がった!!』
……こんな感じで、私はまったく乙女ゲーというやつに向いてなかった。何度やっても誰ともエンディングを迎えられず巫女補佐エンドを繰り返し、早々に投げ出してしまったのだった。そこまで好みのキャラがいなくて情熱を持てなかったというのもあるけれど。
そしてなぜか私は今『精霊の巫女と風の王国』のプレイヤーキャラクターであるミモレ・リンスレットとしてゲームの世界で生きていた。
確かあのゲームを投げ出した後、足を滑らせて階段から落ちて死んでしまったんだ……。でもだからってなんでまた向いてない乙女ゲーのキャラクターに転生なんて。
でも精霊の巫女の資質があるとわかった以上神殿に行くことは拒否できない。私はこれから三か月間はここで精霊の巫女として勉強しなければならないわけだ。
本来であれば精霊魔術の勉強をしながら、神官や国王となる王弟ライアン殿下との信頼関係を深めていくゲームなのだけれど私は早々に諦めていた。絶対無理。我儘な男どもにイライラしてウガーッてなってしまう。たぶんそもそも私が恋愛向いてない。
目指せ、巫女補佐エンド。
幸いにもライバルキャラのカナリア様は高貴でありながら強く優しい尊敬できる人だ。けして悪役令嬢なんかじゃない。彼女は精霊の巫女に相応しい。あのゲームで唯一の推しがカナリア様だったので陰ながら私は彼女を応援しようと決意していた。
「王弟のライアンだ。巫女候補達よ、我が国のため勉学に励んでほしい」
「お力になれるよう精進いたします」
「精一杯努力します」
後日私達はお城に呼ばれて王弟殿下のライアン様と面会した。
もちろんライアン様はゲームでは攻略対象者で条件がそろえば特別スチルがもらえるトゥルーエンドのお相手らしい。らしい、というのは私がクリアできなかったからなんだけど。
短いブラウンの髪に明るい緑の瞳の青年は、私達と年齢はそれほど変わらない。
どうして彼が三か月後、国王として即位しなければならないのか。そして国に危機が訪れた時に現れるとされている精霊の巫女の候補が出現した理由。
それはライアン様の兄である現国王が急な病に倒れてしまったからだった。もう何か月も臥せっていて、あまり状況は芳しくないらしい。数年前に即位した国王陛下もまだ二十代半ばという若さ。まだ妃も子供もいない状況で、先が長くないと悟った本人と周囲は王位継承順位一位のライアン様を国王にすることを決めたのだ。精霊の巫女探しも王位継承の過程のひとつだったらしい。精霊の巫女も必ず出現するわけではないらしく、現国王の時には鏡は誰にも反応しなかったのだとか。
「俺はまだ未熟で精霊の巫女の支えが必要ということなのだろう。よろしく頼む」
前国王を急病で亡くし、兄である現国王も病に臥せっている中でライアン様は気丈にもそう言った。ゲームをプレイしていた時はあまり実感なかったけど大変な状況だ。
巫女補佐エンドを目指すのは変わらないけど、せめて少しでも役に立てるためにがんばろう。そんなことを思ったのだった。
こうして私の神殿での勉強の日々が始まった。
この世界で平民として生まれた私は一般教養くらいしか勉強してこなかった。神殿ではそのうえ、貴族と関わることになるから上級の作法。国や王族の歴史、そして精霊の巫女として精霊魔術の勉強をすることになった。
この世界は精霊の加護によって成り立っているらしい。その精霊達に力を借りる術が精霊魔術なのだという。何もないところから水を出したり火を起こしたり風を吹かせたり。それを応用すればもっと様々なことができる。
「精霊魔術楽しい……!」
私はすっかり精霊魔術にはまってしまっていた。
「リンスレット、君は今日も図書館か? 本当に勉強熱心だな」
「ルカ様、はい。調べたいことがたくさんあるので……」
「たまには他の神官達と交流したらどうだ。巫女候補として顔を売るのも大事だぞ」
「そ、そうですねー」
神殿内を歩いていたら初日に説明係をしてくれたルカ様に会った。淡々として感情はあまりわからないけれど何かと面倒見の良い彼も実は攻略対象だ。メガネキャラで結構人気があるんだよね。
攻略対象の他の神官様達とは一応挨拶は済ませたもののほとんど会っていない。万が一面倒なイベントが発生したら嫌だもの。それに今の私は精霊魔術を勉強するのが楽しかった。魔術なんて前世ではファンタジーでしかなかったもの。
「ええっと……光よ。あれ?」
神殿の奥にある図書館は、四方の壁が本棚になっていて、天井近くの高い位置の小さな窓からしか光が入らない。そのため昼間でもちょっと薄暗い。特に奥の方に行くと。誰もいないからこっそりと声を潜めて精霊魔術を使ってみる。
ぽわっと一瞬指先に光が灯るけれどそれは一瞬で消えてしまった。
おかしいなあ。本の通りにやっているのだれど。
「えいっひかりよ。ひかりよ? あれ? うーんおかしいなあ」
「……っふは」
「え?」
誰かいる?
こらえきれなかったような笑い声が近くから漏れて驚いて顔を上げると、本棚からあふれ出して積まれた本の影に一人の男の人が座っていた。柔らかな金色の髪に綺麗な緑の瞳のそれは美しい人だ。
いや、誰……。
記憶にはないから攻略対象者ではないと思う。
「ああごめん。勉強の邪魔をしてしまったね」
「あなたは……」
「僕はセドリック。ここで読書をしていたんだ」
「ああ、神官様ですね。ミモレ・リンスレットです」
神殿の図書館を利用できるのは国の関係者だけだ。神官服は着ていないけれど、おそらく職務時間外の神官様なんだろう。この世界には当然ゲームには登場しないけれど生きている人達がたくさんいる。私が頭を下げると一瞬きょとんと眼を丸くしたセドリック様はにこりとほほ笑んだ。
「さっきの精霊魔術だけど、もっと集中して光の精霊ルミナスに意識を向けるんだよ。指先に光が集まるのをイメージして」
「は、はい。やってみます」
セドリック様からのアドバイスを聞いて私は集中した。精霊ルミナスに意識を向ける。光が灯るイメージをする。
「光よ」
すると今度ははっきりと指先に光が灯った。
「わあ! すごい!」
「君はなかなか筋がいいね」
「そうですか? 嬉しいなあ」
褒められるとつい調子に乗ってしまうのが私の悪いところだ。光は指先から離れると私がイメージした通りにふわふわと空中に浮かんで停止した。これで薄暗い図書館でも本を読むことができる……かと思ったらすぐに霧散してしまった。
「ああ……!」
「光よ」
そんな簡単にはいかないかと残念に思っていると、今度はセドリック様が呟いた。すると指先から優しい光が生まれたかと思うと空中をふわふわと漂っている。今度はまったく消える気配がない。
「す、すごい! すごいですね!」
「精霊魔術は結構得意なんだ」
「あ、もしかして神官様じゃなくて精霊魔術師の方でしたか」
神殿には国お抱えの精霊魔術師の方もいる。私の言葉にセドリック様は「まあ、そんなところ」と答えた。
私は思い切って聞いてみた。
「あの、ご迷惑でなければなんですけど。これからここでまた会ったら精霊魔術を教えてはもらえませんか?」
「え? でも君は確か精霊の巫女候補だろう? 他の勉強で忙しいんじゃないのかい?」
「もちろん巫女候補としての勉強もちゃんとやります。でも私、精霊魔術をもっと勉強したいんです」
そもそも精霊の巫女になる気はないしね。巫女補佐としてはがんばるつもりだ。
せっかく出会えた精霊魔術の専門家。ここぞとばかりに私はお願いした。
「……わかった。じゃあ三日後のこの時間またここに来れる?」
「はい! ありがとうございます!」
「君はずいぶん楽しそうだねえ」
セドリック様は不思議そうに首を傾げた。なんだかゆったりとしてふわっとした雰囲気の人だな。
「はい、興味あることが学べるので。人生っていつ終わるかわからないじゃないですか。だからやりたいことはなるべくすぐやりたいんです」
なにせ前世の私の人生はある日足を滑らせてあっという間に終わってしまった。次の瞬間何が起こるかなんて誰にもわからないんだ。そう思ったらこの人生でやりたいことはすぐにでも行動しなきゃ。それが前世の記憶から得た教訓だった。
じっと目を丸くしてこちらを見つめていたセドリック様がふっと笑った。
「……そうだね。ミモレの言う通りだ」
こうして私達二人だけの授業が始まったのだった。
「火の精霊はイグニス、水の精霊はアクア、風は……えーっと」
「ウェンティ。ほら、こうやって火の精霊の魔術と風の精霊の魔術を合わせると……」
「温風が吹く」
「寒い日には便利だよね」
セドリック様と出会って一ヶ月。
神殿の図書館で彼に教えてもらいながら私は精霊魔術を勉強していた。セドリック様がすっと手を上げるとふわっと春の暖かな日のような風が一瞬だけ頬を撫でた。
セドリック様は教え方が上手だ。彼に出会ってもっと精霊魔術が好きになった。勉強すればするだけ身に付くのがわかるからどんどんのめり込んでしまいそう。
「ミモレは精霊魔術を学んで何がしたいの?」
「そうですね、ライアン殿下のお役に立ちたいのは当然ですけど。……精霊魔術を極めたいです。世界中を旅して」
「それは壮大だなあ」
「ここへ来てできた夢ですね」
この神殿に来るまでの私は田舎の平凡な女の子だった。記憶が戻って神殿で巫女候補として勉強するようになって世界が開けたのだ。巫女候補がこんな夢を持つのは周囲は想定外だろうけど。
セドリック様が出会ったときみたいにふはっと楽しそうに吹き出した。
「君は本当に自由で楽しそうだなあ……ははっ。けほっ」
「もう、大丈夫ですか?」
「うん、ごめん。ちょっと埃っぽいかなここ」
急にセドリック様が咳き込んだから私は慌てて背中をさすった。ちょっとこの人痩せすぎじゃない? でもやっぱり男の人だから大きな背中だな。
「なんだか顔色悪いですよ。私にご飯食べたとかちゃんと寝てるなんて聞く前に自分はどうなんですか?」
「うーん、面目ない」
セドリック様はもしかしたら身体が強くないのかもしれない。色白で瘦せ気味でいつも図書館の一番奥の暗い席で私を待っている。そのくせ会えば私のことばかり心配するのだ。
「少し神殿の庭を散歩でもしましょうか。ここ空気悪いですし」
「……うん」
古い書物の積み重なっている図書館は掃除が行き届いているとは言えない。それにこの人ちょっと不健康すぎる気がして、少しはお日様に当たった方がいいと思った。
「火の精霊と風の精霊よ、温かい風をください。えい!」
「おお、温かい。上達したじゃないか」
「えへへ」
あまり人気のない図書館の裏側の庭を二人で歩きながら私は覚えたての精霊魔術を使った。外は少し肌寒いけれど、温かくて優しい風が私達を包み込む。
そういえば私、セドリック様が歩いているところ初めて見たかもしれない。いつも図書館の奥の席に座っていたから。
私より頭一つ分背が高いんだなあ。明るい場所で改めて見てみると、やっぱりなんて綺麗な人だろう。色素の薄い肌に美しい髪と瞳。整った優しい横顔。どうしてこんなかっこいい人がゲームでは攻略対象じゃなかったんだろう? 精霊の巫女を決める神官じゃないから?
「わ」
「あ、危ない! もう足元気をつけてください」
「ごめんごめん」
私が思考に耽っていたら隣でセドリック様が躓いて体が傾いた。咄嗟にその手を掴むと申し訳なさそうに苦笑いする。この人きっと私よりずっと年上だし、魔術の知識は豊富だけれどちょっと頼りないところがあるな?
掴んだままの大きな手をぎゅっと握りなおす。
セドリック様は一瞬驚いたようにこちらを見たけれど、結局何も言わずに空を見上げた。
「僕も世界を旅してみたいな」
「いいですね。じゃあ一緒に行きましょうか?」
「本当? それは楽しみだ」
どうしてこの時こんなことを言ってしまったのか自分でもよくわからなかった。でもセドリック様が嬉しそうに笑ったから、無責任だけどまあいいかなんて思ってしまったのだ。
それから数日後、いつもの時間に図書館を訪ねたけれどセドリック様はいなかった。別に約束したわけではないからそういう日は今までもあった。きっと用事でもあったのだろうと図書館を出たところで声をかけられた。
「ミモレ・リンスレット? こんなところで何をしているんだ」
「ライアン様」
そこにいたのは配下を引き連れたライアン様だった。ライアン様は時々神殿にやってくる。きっと何か仕事なのだろう。慌てて覚えたての淑女の礼をする。
「神殿での生活には慣れたか? ずいぶん勉強熱心だと噂になってるぞ」
「お気遣いありがとうございます。おかげさまで楽しく勉強させていただいております」
「ミモレ、勉強も大事だが精霊の巫女候補としてもう少し神官達にも顔を見せてやれ。これじゃあ審査もできないぞ」
「う、そうですよね……はは」
精霊魔術の勉強が楽しすぎてすっかり精霊の巫女候補だということを忘れていた。もちろん日々の授業はちゃんと受けているけど。きっとカナリア様は神官様達やライアン様とちゃんと交流しているんだろうな。
とはいえさすがにもうちょっとやる気を見せた方が良かったのかな? でも乙女ゲー向いてない私ががんばったところでなあ……。数々のキャラクターを怒らせデートをすっぽかされ振られた記憶が蘇り遠い目をしてしまう。
「……ところで、お前はこの図書館で勉強しているのか?」
「はい、静かでとても集中できますので。精霊魔術師の先生に教えていただいてます」
「精霊魔術師……?」
「それでは、私はこれで」
ライアン様の質問に答えて私はさっさと退散することにした。
あまり長話して妙なイベントが発生してしまったら面倒だからね。
その後も私は精霊の巫女としての勉強の傍ら精霊魔術を勉強していた。一ヶ月半が過ぎた頃、神官達により中間考査が行われた。ゲームではこれで支持を多く獲得できた方がお得なアイテムをゲットできるのだ。
ところがほとんどの神官がカナリア様を支持するかと思ったら数人が私を支持したのでびっくりした。図書館に通い詰めていたのが勤勉に映ったみたいだ。あとカナリア様の場合、公爵家という実家との力関係を考えて、彼女を支持しないと決めた人もいたようだ。現実はゲームみたいにはいかないらしい。
ただ、私は現在それよりも気がかりなことがあった。
「ミモレさん、元気がないようだけれど何かあったのかしら」
「カナリア様……」
大事なはずの中間考査で心ここにあらずな状態だった私を気にかけてくれているようだった。なんだか申し訳ない。彼女は真剣に精霊の巫女になるためにがんばっているのに私ときたら。
実はセドリック様にずっと会えていないのだ。
図書館の裏庭を一緒に散歩した日が最後だった。きっと仕事で忙しいのだろう。でももう二週間だ。今日はいるだろう。そう思ってほぼ毎日図書館に通っては誰もいないいつもの席を見て落胆していた。
なぜだろう。無性に不安なのだ。
こうなってよくわかった。私はセドリック様のことを何も知らない。
「えっと……たとえばなんですけど、こちらの都合では会えない人がいて。会いたいけど待つしか選択肢が無い場合、カナリア様ならどうしますか?」
我ながらなんてごまかすのが下手なんだろう。しかもこんなことカナリア様だって聞かれても困るよね。彼女はじっとルビーみたいな大きな瞳で私を見つめていた。
「……そうね、努力するわ」
「え?」
「だってこちらは待つしか選択肢が無いのでしょう? だったら次に会えた時のために今より少しでも自分を磨いておくのよ。次はわたくしを待たせるなんてできないようにね」
なんて誇り高いカナリア様。
さすが『精霊の巫女と風の王国』での唯一の推し。
確かに彼女の言う通りだ。今の私にできることはたった一つ。今をがんばることだけ。
「あ、ありがとうございます。カナリア様!」
「いいえ、それほどでも」
私は深々と頭を下げて中間考査が行われた神殿の広間を飛び出した。
その姿をライアン様が見つめていたことに、その時私は気がつかなかった。
私はそのまままっすぐ図書館へ向かった。
今日も、いつもの席にセドリック様はいない。その現実に胸がしくしくと痛んだけれど、深く息を吐いて気持ちを切り替えた。そして本棚から精霊魔術に関する本を何冊か持ち出して勉強を始める。
――次に会った時にはもっと魔術を上達させてびっくりさせてみせる。
すごいなあ、ミモレは覚えが早いね。
想像の中のセドリック様がほわんと笑う。早くこれが現実になればいいのに。
ふと手に取った一冊の本をめくる。これはまだ読んでなかったものだ。
「癒しの精霊魔術……」
少し身体の弱そうだったセドリック様が思い浮かんだ。
光の精霊魔術の延長で、人の体を癒す魔術がある。私はその本を真剣に読み始めた。
かたんと小さな物音がして読んでいた本から勢いよく顔を上げると、そこにいたのはセドリック様ではなかった。
「ライアン様……」
「驚いた、こんな時間まで勉強しているのか」
「わ、本当ですね。もうすっかり夜……」
「気づいてなかったのか」
天井近くの天窓からは大きな月がよく見えた。
戴冠式まであと十日。
精霊の巫女が選ばれるのもその日だ。
セドリック様はその後も図書館に現れることはなかった。
それにしてもライアン様こそどうしてこんな時間に神殿の図書館に? こんな夜中に図書館でイベントなんてなかったはずだけどな。なんとなく攻略対象者が相手だとゲーム脳になってしまう。
ちょうど向かい側の席に座ったライアン様が何か言いたそうにこちらを見ている。
「あの、こんな夜更けにどうしてこちらへ?」
「神殿内で噂になっているぞ。精霊の巫女の候補者が朝から晩まで図書館にいるって」
「べ、勉強するのにちょうど良くて……」
「まったく何をしにここにきたんだか。……まあ強制したのはこっちだからしかたないか」
「ライアン様?」
あきれた様子のライアン様は机に頬杖をついてむすっとした顔をした。
「おまえは精霊魔術師になりたいのか? 今は何を勉強しているんだ」
「精霊魔術を極めたいと思います。今は癒しの魔術の勉強中です」
本当はこんなこと精霊の巫女候補が言うことじゃないんだけど、正直に話すことにした。なんとなくライアン様も本音で話しているような気がしたからだ。
「正直なところ私は巫女の器ではないと思います。だから巫女の補佐を目指していました。しかしここで精霊魔術に出会ってその楽しさを教えてくれた人に出会って……もっと勉強したいと思いました」
精霊魔術に興味を持った私にその楽しさを教えてくれたのはセドリック様だ。
月明かりの下、ライアン様はじっとこちらを見据えていた。
「おまえに精霊魔術の勉強を教えていたセドリックがもうここに来ないと言ったら、それでもおまえは勉強を続けるのか?」
私は一瞬呆然として、それから下唇を噛んだ。
会えない?
どうして?
でもカナリア様の言葉を思い出して私はライアン様を見つめた。
「続けます。だってそれしかないですから。セドリック様と私を繋ぐものは精霊魔術を勉強したあの時間だけなんです」
私はセドリック様のことを何も知らない。綺麗な指先から浮かび上がる光の魔術。はっとするほど美しい容姿。痩せててちょっと頼りないところ。ふわっとした癒し系の笑顔。手を繋いだ時の嬉しそうな顔。そんなことだけ。ほんの短い間のこの図書館の中での出来事しか知らない。
この先会えないとしても、それでも私は彼が。
「――ミモレ・リンスレット、話がある」
名前を呼ばれて顔を上げると、いつの間にか流れていた涙が散った。
少し困ったように、けれど真剣な顔でライアン様が言った。
そして月日は流れライアン様の戴冠式の日。
ロスジー王国では神聖な儀式は全て神殿で行われる。そのため戴冠式も神殿の大広間で行われていた。
国王となった彼の隣には精霊の巫女に選ばれたカナリア様が並んでいる。
そして私はきらびやかな戴冠式が行われている会場から遠く離れた、神殿の片隅にある部屋へとやってきていた。
今日この日だけは人払いがしてあって誰もいないらしい。ライアン様のご厚意だった。
ノックをして扉を開けると中央の大きなベッドにはセドリック様が眠っていた。
顔色が悪くずいぶんと痩せてしまった姿に胸が痛む。
「……ミモレ? どうしてここに」
「ようやく私も今日で自由の身です。精霊の巫女はカナリア様に決定しました」
「……そう、か。ごめん。……会いに、いけな、くて」
「……セドリック国王陛下」
私はベッドの脇まで進み出て膝を突いた。その手を両手で握ると氷のように冷たかった。
「もう元、陛下だよ」
ベッドの上のセドリック様が力なく笑った。
セドリック様はライアン様の兄、そしてロスジー王国の国王だった。二人の父が急病で亡くなったため、その頃セドリック様は学生で精霊魔術を研究していたけれど、若くして国王となった。しかし今度はセドリック様が心臓の病に侵されてしまった。
心臓の病は治る見込みがなく、ライアン様が次期国王になることが決定した頃セドリック様はお城を離れて静かな神殿で療養をすることになったらしい。それを知っていたのは本当に限られた人間だけだったようだ。
ライアン様が時折神殿を訪れていたのはセドリック様を見舞いに来ていたのだ。
セドリック様は調子のいい日は部屋を出て図書館で本を読んでいたらしい。そこで偶然にも私と出会ったのだった。
けれど図書館に姿を見せなくなった頃から急激に容態が悪くなっていったらしい。
「ずっと……黙っていてごめんね」
「驚きましたよ」
「うん……、でも話してしまったら、一緒に、いられないかと思って」
苦しそうにセドリック様が話す。
やつれてしまった顔に心が痛んだ。
「……君と一緒にいると、とても楽しかった。ミモレの、明るくて、自由で、まっすぐな、ところがとても……好きだと思ってたから」
「セドリック様」
きゅっと握った手に力が入る。そんな風に思っていてくれたなんて知らなかった。
「セドリック様が図書館に来れない間も私たくさん勉強したんですよ」
「そうか……君は本当に、頑張り屋で、すばらしいね……」
「また精霊魔術を教えてください。一緒に世界を旅してください」
「はは……行きたい。行きたいなあ」
両手で握った力のない手に頬を擦り付ける。油断すると涙が零れそうだから、ぐっと目を見開いて唇を嚙み締めた。
「いいえ、絶対行くんです。私そのために精霊魔術をたくさん勉強してきました」
お願い世界の精霊達よ。
一度は精霊の巫女の候補になれるくらいの才能が私にはあったってことでしょう? どうか私に力を貸してください。
「……ミモレ?」
「精霊達よ、どうか癒しの力を……!」
どうかこの人を、私の大好きな大切な人を助けてください。
ぶわりと繋いだ手から眩しいほどの光があふれ出す。
癒しの精霊魔術はやがて部屋いっぱいへと広がっていた。
そして――……。
「……モレ。ミモレ」
「……あ、あれ!?」
一瞬のような永遠のような時間が過ぎた後。
いつの間にかベッドに突っ伏していた私の頭上から優しい声が聞こえてきた。
がばっと起き上がると、セドリック様が目をぱちぱちとさせて不思議そうにこちらを見つめていた。ベッドから身体を起こしたセドリック様は少し顔色が良い。
「セドリック様!? 起きて大丈夫ですか?」
「ミモレ……今のは、癒しの精霊魔術?」
「はい、たくさん勉強しました。最大出力でがんばりました」
世の中にはたくさんの精霊魔術がある。その中には人間の体を癒す精霊魔術もあった。けれどそれで治るのは簡単な怪我くらいのもので病を治癒できる術はあまりない。よほど高度な精霊魔術師にしかそれはできなかった。
正直に言って私は精霊魔術の勉強を始めたばかりの初心者で、こんなこと本来ならできるはずはない。じゃあ、なぜ癒しの精霊魔術が使えたのかというとひとつだけ可能性があった。
精霊の巫女は自然界の精霊達と意思を通わせて国を守護する。
私は精霊の巫女にはなれなかったけれど、候補になれるくらいには精霊達に意思を届ける力があったのかもしれない。
その意思、というかもはや執念が届いたのだろうか。
絶対セドリック様を助けるぞ。助けるったら助けるんだぞ絶対だぞ! という強い意志が……。
「身体が軽い。胸も苦しくない……」
「よかった……」
「よかったって、なんて無茶なことを! 精霊の力を無暗に使えば自分も危険に晒すことになるんだ。ミモレは大丈夫かい?」
「は、はい。ほっとして少し脱力してますが元気です。それよりセドリック様が元気になってよか……あれ?」
ほっとしたら涙がぼろぼろ溢れてきてしまった。
ああもうみっともないな。
うろたえる私を呆然と見つめていたセドリック様が抱きしめた。
「ミモレ、本当にありがとう。君が大好きだよ」
「私もです。セドリック様」
つい少し前まで冷たかったはずのセドリック様の手は温かくなっていた。それが嬉しくて私も彼に思いきり抱き着いたのだった。
「――精霊の巫女補佐ミモレ・リンスレット。我が国の精霊魔術研究のため諸国を周って情報を集めてくるように」
「謹んでお請けいたします」
さて、それから数か月後。
国王が板についてきたライアン様からの命を受けて私は念願の精霊魔術研究の旅に出ることになった。ライアン様の隣では精霊の巫女となったカナリア様が今日も凛として美しく佇んでいる。彼女の役目は自然界の精霊達に祈りを届け、力を借りてこの国を守ることだ。
「いってらっしゃい、ミモレ様。そしてお幸せに」
「ありがとうございます。カナリア様」
「……頼んだぞ、ミモレ」
「はい、ライアン様」
推しと別れるのは少々辛いけれど、夢だった研究のためだ。カナリア様の凛として美しいお姿を目に焼き付けた。そして一瞬だけ国王の仮面を外したライアン様に笑顔で頷いて、私は颯爽とマントを翻し神殿を後にしたのだった。
そして……。
「お待たせしました、セドリック様」
「さあ、行こうか」
神殿の外で待っていたのはセドリック様だ。
あの戴冠式の日、癒しの魔術が発動した後セドリック様はもちろんお医者様に診てもらった。そこで病がほぼ治っていることがわかり皆に衝撃が走った。ライアン様も泣いて喜んでいた。
けれどそれと同時に少々困ったことになったのだ。
なぜならライアン様の戴冠式はもう済んでしまっていたから。すでにライアン国王の体制で国を動かしていくことになっていたところで、セドリック様が健在となると考えが変わる貴族連中もいるかもしれないと苦虫を嚙み潰したような顔でライアン様が言っていた。
私としては聞き捨てならないが、セドリック様は「すでに僕は死んでいく者って扱いだったからね」とあっけらかんと呟いていた。それだけ病が深刻なものだったのだろうけれど、せっかく病が治ったのにそんなの酷い。
けれどセドリック様はそれも悪いことじゃないさと笑ったのだった。
「こうやってミモレと旅に出られるのだからね」
「私が言うのもあれですが、本当にいいのですか?」
「大丈夫、ライアンはあれで僕よりしっかりしているんだ」
カナリア嬢もそばにいてくれるしね、と笑う。
異国へと向かう船に乗って私達は遠くなる大地を見つめていた。
セドリック様は国王に戻ることはなかった。ライアン様の後見人をしながら、自由に学生の頃していた精霊魔術の研究をまた始めることにしたのだ。そして精霊の巫女補佐の私の研究の旅に当然のようについて来ることになった。
「それにほら、僕が健在だとライアンを良く思わない勢力が担ぎ出そうとするかもしれないだろう? だから旅に出ているくらいがいいんだよ」
「なるほど……」
前世も今世も平民でしかない私にはよくわからないけど王族というのは大変なようだ。
それにしてもご機嫌そうなセドリック様の横顔を見て私はしみじみ思う。
私が彼のことを知らなかったのは当然だ。
だってゲーム『精霊の巫女と風の王国』には病に臥せっている国王の情報はほとんど出てこなかったからだ。
まさかゲームの世界に転生して、巫女補佐エンドを目指したらゲームに登場していない前国王様と恋仲になるなんて誰が予想できるだろう。
「そんなにじっと見てどうしたんだい? 何か顔についてる?」
「いいえ、なんだか不思議な縁だなあと思って」
「そうだね。僕もまさか自分に未来があるなんて思ってなかった。だから……これから先の未来は君に捧げるよ。ミモレが僕にくれた時間なんだから」
「ではこれからの人生、やりたいことは全部やりましょう。私もセドリック様も」
ゲームは精霊の巫女が決まったところで終わる。だからここから先は何が起こるかわからない未知の世界。
だからこそ私達は精一杯生きるのだ。
手が重なってその温かさに幸せを感じる。
セドリック様の優しい眼差しが近づいてきて、私達はそっとキスをした。
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