GOT OF SEKKU
死の匂いを嗅いだことがあるか?
私はある。
例えて言うなら、春と夏と秋と冬を混ぜた匂いだ。
いつも死の匂いは漂っている。それを察知できる嗅覚を持ち合わせているかどうかだ。
いや、もたらされたかどうか、と言い換えていい。
生と死は隣りあわせではない。ほぼイコールだ。
死んでないから生きている。生きているから死んでいない。
その程度のことだ。それが生と死の関係だ。
ただ人間には思考というものがある。だから、生きながら死ぬことができる。
思考を停止させ、すべてをシャットダウンし、世を捨てる。
それは社会的な死であり、ただ生きているだけの屍といえる。
すべてを超越すると、見える世界がある。
血と涙と吐瀉物が生きた証であり、睡眠欲と食欲と性欲の三大欲求は永遠に湧かない。
悟りとは違う悟りがそこにはある。
怖いものは己だと知ることができたとき、すべてに気が付く。
眠たくても、眠れるわけではない。
腹が減っても、食べものは受け付けない。
色仕掛けも、惑わされない。
これぞ神の領域。
地獄を知るから天国を知り、闇を見るから光が見える。
死なないことは生きた証。脈がそう訴えている。
言葉は正確に物事を伝えているか不正確だ。
しかし、念を込めることはできる。
この文章にも恐ろしいほどの念を込めている。
たった千文字にも満たない拙い文章でも、込められた重い思いを感じるだろう。
苦しめ。存分に苦しんで読め。
その分、楽になる。いや、楽を知れる。
苦しんだ分だけ楽を知るのだ。
この文章は楽を知るための苦だ。
神となった私は、あえて苦を与えよう。
光を見せるために、心を鬼にして闇を見せよう。
新生、寿々喜節句は闇と死神を携えて戻ってきた。
ただいま。