未来の自分面談
「今日はわざわざ10年前の自分のために時間を取っていただいてありがとうございます!」
パソコンのモニタに映し出された中学時代の俺が、屈託のない笑顔を浮かべて感謝の言葉を述べる。俺自身も10年前に同じ面談を行ったから、その挨拶が教師から指示されたものだと知っている。それでも、俺は子供みたいに指摘をしたりすることはせず、どういたしましてと返事をした。
中学時代なんて懐かしいなーとおじさんみたいなことを呟きながら、10年前の俺の緊張をほぐすため、面談とは関係のない話題をふる。最近の学校はどうだとか、将来の自分面談は初めてかとか、俺自身のことだから全部知ってはいるけれど、俺は俺をリラックスさせるために気さくに話しかけ、俺が緊張しながらも話してくれることをじっと聞いてあげるのだった。
「こんなこと言うのはちょっと失礼かもしれないですけど……10年後の俺って、結構太ってるんですね」
緊張がほぐれたタイミングで10年前の俺が、面談開始からずっと気になっていたであろう質問をぶつけてくる。
「あはは、確かに、ここ最近は大学の研究室にずっと引きこもってるからなー。運動不足ですごい太っちゃったよ。でも、こんなに太っているのは俺が今いる世界線の話に過ぎないから、君がこうなりたくないって強く思って生活習慣を整えるようになれば、俺みたいに太ることはなくなるよ。先生からも聞いてはいるかもしれないけど、この面談の目的は、10年後の自分から人生のアドバイスをもらって、人生の指針を決めることなんだからさ」
未来の自分面談。言葉の通り、未来の自分と面談を行うこと。他人が自分の人生の責任をとってくれるわけではないし、自分の人生は結局自分で決めるしかない。自分のことを理解しているのは自分自身だし、一番信用できるのもやはり自分自身。この未来の自分面談が進路指導の一環として採用されたのは、そんな背景があったからだった。
自分の将来を考える時期に差し掛かった学生は、10年後の自分とテレビ通話を行い、そこで自分の将来について相談を行う。10年後の自分は今の自分の状況や今までの経験をもとに、自分自身に対して進路のアドバイスをしてあげる。学生は10年後の自分から受けたアドバイスをもとに自分の進路を決断し、場合によってはその決断によって、自分の未来を変えることができる。ただ、未来が変わったとしても、それは別の世界線が生まれるだけで、面談を行った10年後の自分の人生が変わるわけではない。そこにあるのはただ、たとえ別の世界線であったとしても、自分自身がより良い人生を歩んで欲しいという祈りだった。
「じゃあ、時間も限られてることだし、早速本題に入ろうか。10年前の俺は、一体どんなことを俺に相談したいのかな?」
「はい……。俺は将来、T大学みたいな有名な大学に入って、今僕を馬鹿にしているやつらを見返してやりたいんです。だけど、担任の先生は今の学力だとT大は難しいから、高専に進んだらどうかって勧めてくるんです。でも、自分としては地元の進学校に進んで、T大を目指したいと考えています。でも、そうしたいと思う一方で、正直そんなに頭がいいわけでもないし、死に物狂いで努力できる自信もない。そこで俺に聞きたいんですが、10年後の俺から見て、その夢というか、目標って叶えられるものなんでしょうか?」
俺が少しだけ不安そうな表情を浮かべて問いかけてくる。その自信のない自分の表情を見て、昔の自分の境遇を思い出す。何の取り柄もなく、周囲からは馬鹿にされる毎日。あいつらを見返してやりたい。中学時代に抱えていたのは、そんな鬱屈した気持ち。自分が将来にどれだけ不安を持っているのかを、俺は知っていた。
「俺からアドバイスできることは一つ。君は自分が思っているよりもずっと優秀で才能がある。そのまま志を曲げずにいれば、今の俺と同じようにT大学へ入学して、馬鹿にしてた奴らを見返すことができる。きっとな」
10年前の俺の表情が一瞬で明るくなる。俺はニコリと微笑み返す。しかし、コホンと咳払いをした後で、真剣な表情で、アドバイスを続ける。
「でもね、これは俺からの忠告なんだけど、T大学に入るという目標は絶対に曲げないほうがいい。これだけは言っておく」
「どういうことですか?」
「俺と同じ道を進むことになったら、君は第一志望の進学校には落ち、滑り止めで受験したもう一つの進学校に進むことになるだろう。その高校で君はそれなりに勉強をして、平均以上の学力を身につけることができる。でも、学内の試験で測られる君の成績を見て、馬鹿な教師どもは君にこう囁く。T大は無理そうだから、ランクを一つ、二つ落として、地方の国立大学にしないかと。だけど、そんな助言を聞いてちゃ絶対にダメだ。なぜなら、君はT大に入るだけの才能があるからだ。さらにいえば、今まさに君をいじめている横井という奴がいるだろう? そいつは、少なくとも俺の世界線では、現役でK大に合格した。そいつを見返すためには、絶対にT大じゃなきゃダメで、他のしょうもない大学に入るなんて絶対にダメなんだ」
10年前の俺が無意識のうちに前のめりになる。俺も、その姿に応えるように、言葉に熱がこもっていく。
「いいか、自分を信じて、周りの人間の言葉なんて気にするな。自分の能力を信じろ。周りの大人はお前のためだって言ってくるけど、それは単純に自分達が安心したいからで、君のことを心の底から考えてくれてるわけじゃない。10年後の俺の言葉を忘れず、自分の気持ちを貫いてほしい」
「……ありがとうございます! 俺、頑張ります。T大に入って、今お話ししてる10年後の俺がいる世界線と同じ人生を送ってみせます!」
10年前の俺の言葉に俺は力強く頷く。それから俺たちは残った時間を使って細かい進路の話や、俺の思い出話、それから、話すことができる範囲で10年後がどうなっているのかを教えてあげたりした。面談の終了時間が近づき、アナウンスが入る。俺は10年後の俺に別れの一言を告げ、面談を終了した。
俺は椅子から立ち上がり、部屋の中で大きく背伸びをする。そして、ふと足元に、何ヶ月も開かないで置きっぱなしにしているT大の過去問集の上に、埃が積もっているのが見えた。俺は小さく舌打ちをして、足でそいつをどける。
それから、部屋のドアに耳を当て、廊下に誰もいないことを確認する。そして、音を立てないようにゆっくりと部屋の扉を開け、床に置かれていた晩御飯を部屋の中に引き摺り込み、そのまま再び部屋の扉を閉めた。カーテンを閉め切った暗い部屋の中、俺は冷めた夕飯を食べながら、面談のせいで中断していたオンラインゲームを再開する。部屋の電気もつけない状態で、煌々とひかるディスプレイを見つめながら、俺は先ほどまで会話をしていた10年前の俺の顔を思いだした。
未来の自分面談はよくできた仕組みだと思う。ただ、そこには制度の落とし穴が存在する。それは、未来の自分であれば、過去の自分に対してきちんと親身になる、的確なアドバイスをしてくれるだろうという性善説に乗っかりすぎているということ。多くの場合において、その考え方は正しい。自分のことであれば、たとえ別の世界線に別れてしまうのだとしても、何とか力になってあげたい。そんな優しい性格の人間の方が、きっと世の中には多いのだろう。
もし俺が、自分の学力に見合った大学で妥協しろとアドバイスしたとしたら、きっと俺は聞く耳を持ってくれただろう。だけど、俺はそうしなかった。いや、面談が決まった初めは、ちゃんとアドバイスしてあげようと思っていた。
だが、10年前の、可能性に満ちたあの笑顔を見た瞬間、そんな俺の考えはどこかへ吹き飛んでしまった。俺とは真逆の、いじめられながらも、いろんな選択肢が残されているあの頃の自分を見た瞬間、心の中が薄汚れた嫉妬でいっぱいになり、気がつけば俺は、絶対にT大へ行けという真逆のアドバイスを流暢に喋っていた。
T大に拘り続け、プライドだけがぶくぶくと太り、結局辿り着いたのは、学歴も何もない引きこもりニート。俺のアドバイスは呪いだった。10年前の俺が、今の俺と同じ10年歩むように仕向けるための呪い。そしてそれは。今の俺が10年前に面談で聞いたアドバイスと、全く同じものだった。
きっと俺は、10年後の俺のアドバイスを馬鹿正直に聞くだろう。やっぱり俺は天才なんだと、勘違いしたままプライドだけが膨らんでいき、大した努力もせずに、T大の受験に固執するだろう。自分のことだからわかる。今の歳になってようやくわかったが、例えどんな世界線の俺であっても、T大に合格することは絶対にできない。俺には才能がないだけではなく、それを補うだけの努力をするような人間でもないから。
10年前の俺が、そいつがいる世界線でどのような人生を送ろうが、今の世界線にいる俺には全く関係がない。だが、いくら関係ないといっても、相手が自分自身であったとしても、今の俺よりも幸せな人生を送る自分がいるなんて許せなかった。
俺はパソコンの画面に先ほどまで映っていた10年前の俺の姿を思い出し、口角を上げる。
俺が俺と同じようにクソみたいな人生を送ることを、心の中で願いながら。