俺、十八才
家には誰も居なかった。今日はホテルのバイトも休みで俺はリビングで寝転がり、英語の教科書を開いていた。高校三年で、三学期を向かえた日だった。二学期にはすでに整備関係の専門学校へAO入学で行くことも決まっていた。クラスメートの殆どはまだ進路も定まらず、アタフタとする中、俺は最後の学園生活を楽しんでいる。後は無事に卒業するだけだ。世の中など上手く泳げば楽勝だ。最後の試験に好成績など残さずとも、欠点だけは取るわけにはいかない。しかし、勉強嫌いな俺にはその欠点をクリアするのが困難なのだ。
(フュー)
口笛のような音が鳴る。俺がスマホのメール着信音に設定している音だ。
スマホを開くと同級生からだった。
勉強中だと返信して、単語の暗記に専念しようと思ったが時計を見ると、午後九時になっていて、晩ごはんを食べていないことを思い出すとお腹が空いてきた。父親は居酒屋をしていて帰りが遅く、母親も仕事から帰っていない。姉はバイトで俺は一人だった。父親の店にご飯を食べに行こうかとも思ったが、家を出るのが邪魔臭く、冷蔵庫を開け、親子丼を作って食べた。英単語、そんなものはまた後で覚えればいい。気楽に生きるのさ。とにかく空腹を満たすのが先決だ。テレビを見ながら親子丼を食べると自分に言い聞かせた。三十分休憩してまた勉強を始めようと思ったが、テレビ番組が面白く、教科書を開いたのは一時間後だった。腹ばいに寝転がり教科書を繰るとき、身体を少し動かすと、股間が床にすれた。
「ん?」
股間を床に擦りつけるとほんの少し、大きくなり変な気持ちになった。
教科書のSIX TIMEの文字がSEX TIMEに見え、悶々すると勉強どころではなくなり、横にあったスマホに手を伸ばした。
セックス画像を検索すると、そそるセックス画像30枚なるサイトの見出しが目についた。俺は彼女もおらず、童貞でセックスなど知らないのだが、目の前に現れたのは、裸の男女が絡み合っている濃厚な画像が幾つもあった。俺はズームした画像何枚も、何枚も繰っていくと、股間がはちきれんばかりに痛くなった。さらに濃厚な画像をと繰っていくと、ENTERをクリックせよとある。この先にもっとすごい画像や動画があるのだと思いクリックすると、あなたは十八歳ですかと質問された。
「うん。俺、十八歳!」
と呟き、画面に触れると、次に現れた画面を見て俺は飛び上がった。
承認しました。ゆっくりお楽しみ下さいとあり、請求金額が九万九千円と表示されている。
俺はうろたえた。なんじゃこりゃ、俺は承認なぞしとらんぞ、何かってに承認しとるんじゃと怒鳴ってみたが、スマホが返事をする訳もない。困ったことになってしまった。俺は何に対して、誰に九万九千円を払わなければならないのだろうか?
「落ち着け、落ち着け、俺、十八歳!」
何処に相談すればいいのだろか? 再びスマホを手にして、悪徳サイトに対する相談所を何件か検索すると、法律事務所が何件か出てきた。無料電話相談とあるが、信用出来なかった。高額な請求をされた先ほどのサイトも無料とあったからだ。画面を繰っていくと、消費者センターのご案内、悪徳商法被害無料相談とあるが、さらに画面をスクロールした。アダルトサイトクーリングオフのすすめとある項目をクリックする。
無料だと思いネットで遊んでいると、いつの間にか有料会員になっていたり、パソコンを起動するたびに代金支払い画面が表示される被害に遭うケースです。アダルトサイトということから、誰にも相談出来ずに支払ってしまうケースが少なくありません。
俺は続きを読む。
業者を特定することが難しい場合が多く、登録後、相手からの電話で個人情報を教えないように注意してください。二次被害として広がる恐れがあります。そのため、被害に遭っていると感じたら、支払いをせずに我々にご相談下さいとあった。まさに今の俺の状況だ。電話しようかと迷っていたが、無料でそんな相談に乗ってくれる人間がいるのだろうかと考えると、やはり公の消費者センターに電話をかけたが、業務時間外のアナウンスだけが流れていた。
どうすればいいのだろうか? 警察に相談しようかと思いついた時、玄関の扉が開いた。母親だ。
「ただいま、ご飯どうしたん?」
「食べた。俺、やってもた……」
「何をやのん?」
母親はカバンを床に置きながら言う。
「いや、変なサイトに入ってもて、クリックしたら、九万九千円請求きとるねん」
「どうせ、やらしいサイトに入ったんやろ」
「そやねん……」
小さく答えると、先ほどの請求画面を見せる。
「そんなん、ほっとき」
「気になって、勉強もでけへんやん」
「あんたが悪いんやんか」
「そやけど、無料って書いてあったし、九万九千円なんか、一月のバイト代でも足れへんし、嫌や、これから警察行くから付き合ってや」
「そんなん嫌やわ、今帰ってきたとこでしんどいし、恥ずかしいやろ」
「そんなん、言わんと一緒に行ってぇな」
「パパに電話してみたら? パパに一緒に行ってもらいいや」
「怒られると違うん?」
「そんなん言うてても仕方ないやろ、私が電話したるわ」
母親がスマホで電話をするのを横で見ていた。
「今、忙しい? バカ息子が、アダルトサイトに入って高額請求がきたんやて、ほっといても大丈夫やなん。警察行く言うてきかへんねん。私そんなん嫌やから、あんたについて行ってもらい言うてんねんけど」
俺は母親のスマホを取った。
「俺、やってもてん。これから警察行くから、ついて行ってや」
「警察、そんなもんほっといたらええんや。まだお客さんおるがな」
向こうか父親とは違う男の声で、警察と言う声が聞えた。
「気になって、勉強もでけへんし、誰かおるん?」
「お客さんやがな」
俺は時折、父親の店にご飯を食べに行くので、客の殆どは顔なじみで、アダルトサイトに入っているのが知られるのが恥ずかしかった。
「絶対、誰にも言わんといてや……、遅なってもええから、警察付き合ってぇや」
「分かった、分かった、せやけどまだ店終わらんぞ」
「終わったら電話して来てえや」
「分かった……」
電話を切ってから、母親と二人っきりでいるのが気まずかった。
「見てみいな、パパもほっといたらええ言うてるやんか」
「あのおっさん、いい加減やからあてにならんし」
一年ほど前だった。俺は亀頭に湿疹が出来て誰にも話すことが出来ずに父親に相談した。
姉と母親はすでに寝ていた。仕事を終えた父親が玄関を開けると階段を駆け降りる。
「なぁなぁ、俺、童貞なんやんか、せやのに、こんなとこにプツプツが……なんか悪い病気やろか? 医者いった方がええ?」
ボクサーパンツをずらし、皮を剥いて亀頭をさらす。
父親はそれを見て失笑した。
「弄い過ぎや……」
俺に言葉はなかった。
「気になるんやったら、病院行ったらええ」
父親は階段を上がっていく。その後を追いかけ、俺はしつこく質問を繰り返した。
「やっぱり、病院いった方がええ?」
「そんなもん、メンソレータム塗ったら治るわい」
「ほんまか? はんまか?」
「俺は昔、そんなもんはメンソレータムで治した」
言い切る父親に、俺は二階に上がると、薬箱を物色し、メンソレータムを探し当てた。
さすがは父親だ。俺より長いこと生きていて何でも知っている。亀の甲より年の功とはこのことを言うのだなと関心した。
「むい……」
俺は呟き、皮を剥いてメンソレータムを亀頭に塗りたくった時、父親が顔を覗かせた。
「あっ、メンソレータム違うわ。オロナインやオロナインH軟膏ぉー」
父親は口ずさみながら背中を向けて行った。
「あー、チンコが、チンコが熱い……」
「メンソレータムなんか塗ったら、熱いに違いないがな、お前はアホか」
「パパがいい加減こというからやないか」
俺は風呂場に駆け込み、石鹸でチンコを洗い流しながら、あの親父には何も相談しないでおこうと思ったものだが、警察署に一人で行くのは恥ずかしく付き添ってほしいと願い出ている。
中々、電話が掛かってこないので、自分から電話をかけた。
「まだ、終わらんのん」
「今、片付け終わったとこや。もうちょっとしたら帰る」
「ふんだら、警察署の近くのコンビニで待ち合わせしょうや」
「うむ」
電話を切って外に出ると小雨が降っていた。傘を差して自転車に跨る。
顔を隠すようにペダルを漕ぎ、コンビニの前で待つ。
歩道の向こうに傘も差さずに自転車を漕ぐ父親が見えた。霧雨が車のライトに照らされ煙のようで、その中から真っ赤なダウンジャケットを着て、濡れている姿が頼もしい。
父親は俺のそばに来ると耳元に顔を近づけた。
「おう、エロちゃんやないか、何しとるんや?」
非常事態にも関わらず、この親父は俺をからかう。
「警察行く言うたやんか」
「俺が一緒に行ってもしゃないがな」
「一人で行くの恥ずかしいがな」
「そんなもんほっといたらええんやがな」
「心配で勉強も出来ひんやん」
「しゃーないな。お前が話せんとあかんで」
「分かってる」
俺はいい加減な父親の判断には納得いかず、警察という公的機関から安全を保証してもらいたい。
駐輪場に自転車を止めると、父親は鍵を掛けようとした。
「パパ、鍵なんか掛けんでも大丈夫やろ。ここ警察やで警察……」
俺がそういうと父親も納得したように鍵を掛けずに玄関に向かった。
警察署に入ると、広い署内に三人の警官がいた。奥に若い警官と中年の男の警官が立っていて、一番手前にはマスクをした若い婦人警官が立っている。
誤算だ。誤算。こんな夜中に婦人警官がいるとは思わず、恥ずかしくなり顔が熱くなった。
父親と二人でカウンターに近づくと、マスクの婦人警官が対応する、その後ろに二人の警官が立っていた。
「変なサイトに入ってしまって、請求金額が九万九千円も」
横に立つ父親が笑いながら話しだす。
「すいません。父親なんですが、高額請求が来て、警察行かな心配や言うもんで……」
後ろに立つ、二人の警官が笑っている。婦人警官はマスクをしていて、表情は分からないが、マスクの上にある二つの目がへの字になっていた。
「どうしたらいいですか?」
俺はそういうのがやっとだった。
若い警官が前に出た。
「何か、名前とか住所は登録しましたか?」
「いいえ」
「なら、大丈夫です。僕もそれよくなりますから」
「大丈夫言うたやろ、お前、もう悪いこと出来へんで、おまわりさんに、エロい少年として顔覚えられてしもうたんやからな、すみません」
父親がそう言い、俺たちは警察署を出た。
並んで自転車を漕いだ。
「めちゃくちゃ、恥ずかしかったわ」
「何も恥ずかしがることないがな。当たり前のことやがな、興味無い方がおかしいんや」
「そやな、あの警察官もようなる言うてたしな。パパもこんなんなったことあるん?」
父親は俺の問いに答えず、ペダルを漕ぐ速度を速めた。
小雨の中で、俺は赤いダウンジャケットを追いかける。
俺、十八歳!
了