枝と雪
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
へえ、樹齢80000年のポプラたち、か。これらがどうやら、世界最古の長寿な樹と見られているらしいね。
たとえ人が100年生きられたとしても、800代をさかのぼらなくては、始まりを確かめることができないなんて……もう神話か何かのレベルに思えてくるよ。
いまここにあるものの正体を、たくさんの人が語り継いでいく。誰一人、それが生まれた瞬間を知らないままに。その伝えていることが、本当かどうかの確証さえ持てないままに。伝統や伝承はとても不思議なものだよね。
中には途絶えてしまったものも多く、その存在を惜しむ声さえ、たびたび耳にする。
しかし、それは本当に続いた方がいいものだったのだろうか?
最近、僕の地元に伝わる昔話を聞く機会があってさ。良かったらネタにしてみないか?
その時期は数年間、作物のできが悪かったらしい。
当時の僕たちの地元をおさめる国司は、そのような事情を配慮してくれなかったらしくてさ。「ごまかして、蓄財しているんだろ? 足りない分を全部出せ!」とばかりに、催促の役人をよこしてきたのだとか。
実際、村のみんなには蓄えがあった。しかしこれは、命をつないでいくのに必要最低限の量であり、余裕などとは縁遠いものだったとか。
しかし、言い訳は聞いてもらえない。規定の量をきっちり役人たちは持って行ってしまい、人々は肩を落とす。
飢えへ一直線とはいかない。
幸い、山も海も近い立地だったから、そこで獲れるものたちで食いつなぐことはできる。
だがそれも、漁に出ていた者の話では、ここ数年間で明らかに量を減らしていたのだとか。役人に接収されてより、日持ちのする米より生の食料を優先して消費するよう、日々、足を運んでいた。されど、労力に見合う成果が得られるのはまれだったらしい。
このようなとき、多くの人がしてきたように、村人たちもまた神頼みをした。
村のはずれ。先祖代々、踏み固めてきた無数の足により、草がどいて開けた、山奥への道。
その脇にそびえる一本の大樹を、彼らはご神木としてまつっていた。
しめ縄のたぐいは巻かれていない。ご先祖様より伝わっている忠告のためだ。「たとえ悪意なき行いであろうとも、手をくわえるべからず」とね。
ゆえに、人々は距離をあけて神木に向けて、手を合わせて祈るのみ。
長い者、短い者と人によって違うが、そこに込められた思いは同じだったに違いない。
しかし、その望みとは真逆の方向へ事態は急変する。
人々がそろって祈りを捧げた、その日の晩。雪がちらつき始めたんだ。
雪が降ることさえ珍しい地域。降るにしても、これほどまでに早い時期に現れた試しはなかった。
あわただしく、人々が冬着などの準備を整える間も、雪はどんどん降り続けたそうだ。
やむ気配はみじんもなく、それどころか粒はどんどん大きさを増し、村の地面を白く染め始めたんだ。
東の空が白みだすころには、もういくつかの家の屋根はきしみをあげ、雪下ろしにかからなくてはいけないほどになっていたそうな。
大人と子供との別なく、駆り出された雪かき。
いくらか降りの勢いが弱まる昼過ぎには、ようやくひと段落の気配を見せ、子供たちはうずうずし始めた。
大人にとって頭痛のタネの印象が強くとも、子供にとっては物珍しさの伴う、格好の遊び道具。昼間の陽の光もあって、雪がほどよく柔らかくなり出したのも手伝い、子供たちはめいめいで雪玉をこしらえ、投げ合い出したんだ。
家の近くはやめろ、とのお達し。自然と彼らは広い場所へ移動を始めるが、数人の子供は気づいた。
神木の枝たちに積もる雪たち。それは自分たちの家などに詰まったものに比べて、明らかにかさが違ったんだ。
枝の一本一本は、せいぜい杵の柄程度の太さしかない。その幹の上に、大人数人分になろうかという高さの雪が積まれているんだ。とうてい、細枝に支えられそうにはなかった。
更によく見ると、村の家々やその周りでは降りやんだはずの雪が、いまなお樹の上からちらつき続けている。
もっとよく見ようと子供たちが近づいたとき。
ついにご神木の枝の一本が、おじぎするように、ぐらりとかしいだ。その傾きの根元から、不意に光が照り返し、ごく近くにいた子たちは目を覆ってしまう。
茶色い枝の折れかけた根元。そこからは刃物を思わせる、銀色の光がのぞいていたんだ。
樹液などには思えない。もし液体なら、あののぞいた端からたちまち断面に満ち、こぼれ落ちてくるはずだ。なのに光は、幹の中へとどまったまま動こうとしないんだ。
遠目に見ていて、気づいたのだろう。村の大人たちも、手が離せない者以外はぞろぞろと神木のまわりに集まってきた。
その間も、雪はなお積もる。続いて、第二第三のかしぐ枝が現れ出した。そのいずれもが、最初の一本と同じ。曲がりの根元の皮が剥け、銀色の光が顔を見せた。
そうして、4本目にまで至ったとき。
皆が立っていられない強さの、地震が起こった。揺れに足をとられ、村人たちはつい、その場で膝をついてしまう。
けれど、神木はそれ以上。
誰より強く震え、枝に乗っかった雪たちは細い枝の上へとどまることかなわず、落ちていく。人に数倍するかさを持つ、雪の巨体がね。
その下にいる者もいた。彼らはとっさに腕で身体をかばう動きを取るも、受けるはずの衝撃はずっとやってこなかった。
代わりに大量の水が、ばしゃりと一度に彼らを濡らす。
雪は空中で溶けていたんだ。
見ると、枝にとどまらず、神木全体が表皮のそこかしこから、光をあらわにしている。強い熱をともないながら。それが、雪が彼らを埋めるより早く、中空で溶かしたんだ。
銀色の版図は、とどまることを知らない。見ている間にも、たちまち茶色の表皮にとって代わり、神木の色を変えていく。
それに伴い、高まり続けていく熱。それは雪の直撃を免れた人はもちろん、遠巻きに樹を囲んでいた者たちも、揺れの中を這うようにして退避を始めてしまうほど。
やがて樹が完全に銀色に染まったとき。
ずっと、音を立てて樹が地面を離れるとともに、揺れはおさまった。
根とするには、あまりに集中しすぎた下部の塊。それが銀から緑色へ変わったかと思うと、次の瞬間には目の前から神木が消えていたという。
しばらく、神木の不在を憂う村人たちだったが、その日よりほどなく、山や海の獣たちは姿を多く見せるようになり、翌年以降の収穫量もまた、例年通りに戻ったのだそうだ。