プロローグ
ここに、一人の青年がいる────
常人では到底辿り着けぬ山の奥の奥に住み、狩りをしては肉を調達し、たった一人で井戸を掘り、正に悠々自適な毎日を過ごしていた。
見た目からは想像出来ぬ頑丈な身体、どのような環境にも直ぐに適応し、怪我も病も負うことはなく、様々な知識を有し、しかも動物と会話出来る彼は、この世界の人間では無い。
彼の名は〝大和武尊〟────
日本神話に出てくる英雄と同じ名を持つ日本人で、横断歩道を渡っていた子供を助け、身代わりに死んでしまった青年である。
この青年の異世界山奥スローライフの物語の始まりは、彼が出勤途中に居眠り運転をしてきたトラックから子供を助け、死んでしまった所から始まる。
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目が覚めるとそこは真っ白な空間────ということは無く、〝ふかふか〟というオノマトペが相応しい雲の上だった。
周囲は雲と美しい青空が広がっており、更に上を見上げれば薄らと宇宙の暗くも綺麗な星空が見えている。
突然の事に脳が処理出来ず混乱していると、目の前に一人の女性が現れた。
その女性は白と赤が特徴の巫女服の様な着物を着ており、その上に更に着物を羽織っていて、頭には太陽を模したような飾りをつけていた。
しかも背中から見える光がやけに眩しくて、手で遮っても直視出来ない程だった。
逆光によるシルエットの形で女性だとうっすら分かるが、光のせいでよく見えない。
そんな俺の前で女性は深々とお辞儀をしたあと、底抜けに明るい声でこう言った。
「パンパカパーン!貴方は将来、日本の難病を治す薬を開発する事になる子供を助けたという功績により、異世界への転生が決まりましたー♪︎」
「あ〜……うん……その前にその光をどうにかしてくださいませんかね?眩しすぎて見えねぇんスけど……」
「あっ!これはこれは気遣いが出来ず申し訳ありません!……これでどうですか?」
女性があたふたしながら手を叩くと、不思議なことに光はその光力を弱め、蛍光灯程の光となった。
どうせなら消せばいいのにと思うが、口に出したら彼女を傷つけてしまいそうだったので、口に出さずに飲み込んだ。
光が弱まった事で女性の姿がハッキリと見え、同時に彼女が人間では無いと理解する。
女性は再びお辞儀をすると、胸に手を当てながら名乗り始めるのだった。
「私は日本神話の主神、天照大神と申します。貴方は日本人なので少なからず聞き覚えがあるのではないでしょうか?」
「あ〜、確か三重県の伊勢神宮内宮に祀られてる神様……だったっけ?」
「よくご存知ですね!」
「いやぁ……俺の名前が日本神話に出てくる皇族と同じだから、それ関連の本はあらかた読んでて」
「そうなんですか?ちょっと待っててくださいね……え〜と……あ、本当ですね!」
広辞苑よりも分厚い本をパラパラと捲り、そこに書かれている文字を指でなぞりながら天照大神は嬉しそうに声を上げていた。
「まさかヤマトタケルだなんて……しかもタケルは同じ〝武尊〟なんですね!まさかこんな偶然があるなんて驚きですよ」
「偶然と言うか、両親が考古学や民俗学を専門としていて、その中でも日本神話が大好きらしくて、だから武尊って名前を付けたって言ってたんですよね。日本武尊のように、将来歴史に名を残す程の人間になって欲しいって事で」
「いいご両親じゃないですか」
「お陰で高校や大学では弄られまくりましたがね!」
忘れもしない……木刀や箒などを持ってこられては〝ほら、草薙の剣だぞ〟と弄られまくった高校や大学時代。
しかも就職先にもその手の事が好きな上司に目をつけられては、あれこれ弄られる日々……。
しかも妹や弟が生まれていたら、同じように日本神話の登場人物と同じ名をつけられていたと思うとゾッとする。
本当に一人っ子で良かった……。
「あっ、しかもご両親、二人目が出来てるじゃないですか!おめでたい事ですね♪︎」
「はい?」
そんな話は聞いたことがない。
いつの間にハッスルしてたのだろうか?
突然の報せに、俺は恐る恐る天照大神にこんな事を質問していた。
「ちなみに……妹ですか?弟ですか?それと名前はなんて言うんですか?」
「え〜と……妹さんですね!あっ、よく見たら双子ですよ!名前は〝木乃花〟と〝咲耶〟ですね。木花咲耶姫を2つに分けて付けたんですねぇ」
死んだ俺としてはもう関係ない話だろうが、またしても日本神話から取って名付けたのかあの親は……。
まぁ俺と違って2つに分けているので、日本神話の木花咲耶姫と関連付ける人はいないだろうな。
その双子の妹達が自らそう言わない限りは。
「おっと……話が脱線しちゃいましたね。それでは本題に戻って……大和武尊さん。この度、貴方はこことは違う世界────つまり異世界への転生が決まりました」
「異世界に転生?」
よもや小説やアニメでしか見ることの無い話に、俺は思わず疑いの目を向けてしまう。
小説とかでは心優しい人間か、はたまた引きこもりとして死に、後悔しまくってる奴がそうなると思っていたのだが、どうやら違うらしいな。
「いやいや、俺は引きこもりでもなければ心優しい人間でもねぇぞ?学生時代は名前のせいで荒れに荒れてたし」
「だから最初に言ったじゃないですか?貴方が死ぬ間際に助けたあの子供は、将来、難病を治す薬を開発する事になる人間だって」
「つまり俺が助けたことで、将来大勢の人間を救う事になるって事か?」
「そういう事です♪︎本当なら生き返らせるか、元の世界で転生させるかになるのですが、申し訳ないことに今はそのどちらも難しくて……」
「だから異世界?」
「はい。ちょうど転生して貰う世界の神様がその為の人を欲しておりまして」
「なんで?」
「本来ならその世界の人間が補うリソースがどうしても足りない状況らしくて……しかし異世界からの転生ならばその世界の人間よりもからなり高いリソースを補うことが出来るのですよ。ですが無理やり異世界に転生させるのは神同士の協定で禁止にされてまして」
なるほど話が見えてきた。
他の世界の神様達がその世界のリソースをどうやって補うか頭を悩ませていて、けれど無理やり違う世界から人間を引っ張ってくるのは協定違反……そんな時にちょうど俺が死んだわけで、そのリソースを補うためにその世界へ転生させたいというわけか。
「もしその世界に転生したとして……俺は何かしなきゃいけないんスか?」
「そんなことありませんよ。好きなように生きていて大丈夫です♪︎転生しただけでリソースは補えますので」
「違う世界で好きなように……か」
思えば前世でも好きなように生きていた。
両親もそれを許してくれていたし、だからと言って好き勝手に生きてきたわけじゃない。
その世界でも俺の生きたいように生きていいのならば、別に転生してもいいかな?
「了解。それじゃあお言葉に甘えて転生させて頂きますよ」
「ありがとうございます!向こうの神様もお喜びになると思います♪︎それではお礼としてチートを与えましょう。何かご希望のチートはありますか?」
「チートか……」
俺は様々な生き方を考察した。
前世では忙しい毎日……転生先では悠々自適に暮らしてみたい。
冒険なんてしなくていいし、争い事も好まない。
そういえば転生先の世界はどんな所なのだろうか?
「転生先の世界ってどんな所なんです?」
「魔法に溢れ、ドラゴンや精霊、エルフやドワーフといった種族が住まう、まさにファンタジーと言える世界ですよ♪︎」
なるほど……ならその世界で生き延びれるものが良さそうだ。
俺は考えに考え、そして思いついたチートを天照大神へと提案した。
「先ずは向こうの世界でも苦労しないように、全ての言葉と文字を理解出来るようにして欲しいですね」
「全ての言語と文字ですね。他にはありますか?」
「え?他にもいいんですか?」
「もちろん!なにせ貴方は未来の世界を救うと同じ功績を残したのです!こちらの感謝の印として、好きなだけ欲しいチートをお願いして頂いても宜しいですよ」
なんと太っ腹な……俺は再度考え込み、そして自分が考えうる限りのチートを天照大神へとお願いした。
「頑丈な身体が欲しい。それこそ病気にならないくらいに。あとは砂漠とか雪山とか過酷な場所に行ったとしても平気なくらいの環境適応能力も欲しいな。あとは向こうの世界の知識も欲しいかな」
「なんかサバイバル生活でも始めようとしてるかのようですね〜」
「未知の世界に行くんだからそのつもりでいた方が何かと楽だろ?あ、それと向こうの世界では15歳くらいがいいかな」
「赤ん坊ではなく……ですか?」
「いやぁ……流石に25歳の精神年齢で赤ん坊からってのは抵抗が……」
「なるほどなるほど。それでは15歳として転生させますね」
「お願いします。あとどこか山奥でスローライフがしたいと思ってるので、その場所に小屋程度でいいんで住める場所をお願いします」
「山奥でスローライフなんて変わってますね……」
「結構忙しい会社で働いてたんで、よくテレビで山奥でののんびりとした暮らしの特集を見てはいつかはしてみたいって思ってたんですよね」
「そういう事だったんですか。分かりました、そのようにしておきますね。ところで魔法とかはどうします?武器なんかも望まれるのであれば用意しますが……」
「あ〜……じゃあ魔法は日常生活で使える程度で、武器は剣道や剣術道場に通ってたんで日本刀でいいですよ」
「でも貴方はその他に弓道とかもしてましたよね?」
本当にあの分厚い本には俺のことを事細かに記してあるんだなぁ……。
「別に弓や矢は頑張れば作れますから」
「う〜ん……ではこちらからのサービスとして、決して矢が尽きない矢筒を差し上げますね」
「いいんですか?」
「いやぁ……ここまで来ちゃうと何かとあげたくなってくるんですよ♪︎……と、一応このくらいですかね?」
「まぁ、そんな感じで」
「分かりました♪︎それでは、貴方の希望に沿うチートを与える事にします」
天照大神はそう言うと俺の頭に手を翳し、何やらブツブツと唱え始めたかと思うと、数秒後にはその手を下ろしてニッコリと笑った。
「はい、これで終わりです♪︎あ、ちなみに向こうの世界には〝職業〟や〝種族〟、また〝称号〟といったものがありまして……それは心の中で〝ステータス〟と念じれば確認することが出来ます。それと貴方は赤ん坊からではなく15歳からの転生となりますので、容姿は貴方が15歳の頃の姿ですが、服装については貴方が望むままに反映されますので、今のうちにイメージしておいた方がいいでしょう」
時間も残り僅かなのか天照大神は早口で捲し立てるようにそう言うと、パンっと1回手を叩いて話を終えた。
「大和武尊さん。貴方の今後の……第二の人生が良きものであるよう祈っております。それでは、お元気で!」
「はい、貴方もお元気────でぇぇぇぇ!??」
別れの挨拶をしようとしたところ突然、俺の足元の雲が円形に消え、俺はそのまま下へと落下した。
猛スピードで遠ざかってゆく雲の……ポッカリと空いた穴から顔をのぞかせる天照大神が慌てた様子で〝転生する際はこのような感じになるって伝えるの忘れてましたーーー!〟という声を聞きながら、俺は渾身の大声で叫んだのだった。
「忘れるんじゃねぇ、そういう事はよぉぉぉぉ!!!!」
こうして俺の第二の人生は雲の上からの落下という窮地から始まったのだった。
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武尊を見送ったあとの天界にて、天照大神はひと仕事を終えたと言わんばかりに吐息を漏らしながら自室へと戻った。
「ふぅ〜……これで向こうの神様との約束も果たせましたし、武尊さんも向こうで楽しく過ごして欲しいですね〜」
天照大神はそんな独り言を呟きながら、給仕が運んできたお茶に口をつける。
しかし何かを思い出したのか、ポンっと手を叩いて何やら調べ物を始めた。
「そう言えば時間もギリギリだったので彼のステータスがどんな風になってるのか確認してなかったですね〜。え〜と、どれどれ……────え?」
天照大神は時間が押しているとはいえ、出来る限り武尊の希望通りのチートを授けた。
故に彼女は知らなかった────武尊のステータスが自身の予想よりも大幅に上回るものになっていた事を……。
それを今、確認した彼女は、社全体に響くような声を上げたのだった。
それもそのはず────
なにせ武尊のステータスというのが……。
〈大和武尊〉
種族:天人族
性別:男性
年齢:15
職業:隠者
体力:9999+
魔力:9999+
攻撃力:9999+
防御力:9999+
〈保有能力〉
・全言語翻訳
・剣術:Lv.100
・弓術:Lv.100
・不撓不屈:即時環境適応、各種ダメージ無効、状態異常無効
・万能
・全世界知識
・気配探知
・魔力探知
・隠形
・神天眼
といった感じであったからだ。
これを見た天照大神は口をわなわなとさせ、血の気が引いたように青ざめた顔をしながらこう呟いたのだった。
「や、やってしまいました〜……」
同時刻、武尊の転生先である世界では、ちょっとした騒動が起こっていた。
……と言うのも、武尊が転生したと同時に、その世界では見たことの無い程の膨大な魔力の存在が出現し、その世界に存在する国々の王達はその正体について畏怖を覚えていたからである。
中には魔王の復活を考える者まで現れていた程であった。
そして丁度、武尊が降り立った山の麓にて、とある冒険者の一行がその存在に気づいていた。
「凄い魔力の塊があの山の中に落ちてったね〜」
「どうする?確認しに行くか?」
「ん〜、それはリーダー次第じゃないかな〜?」
「だってさ。どうする、ヨミ?」
「決まってる……」
四人の男女の前に立ち山を見据える〝ヨミ〟と呼ばれた濡羽色の長い髪の女性は、腰に差した剣を握りながらこう言った。
「あの魔力の塊の正体を暴いて、もし危険なものだったら速やかに排除する」
そうして彼女達は山の中へと入っていった。
こうしてこの物語は動き出した。
人が立ち入ることの無い山奥でひっそりと始まるスローライフが今、幕を開けたのだった。