18 簒奪の姫君
18 簒奪の姫君
鏡夜は一刀斎と顔合わせしただけで創造院家の邸宅を後にした。
一刀斎という人物は鏡夜の眼から見て余り信用できないと直感した。
しかし、それも無理からぬこと。血で血を洗う御家騒動の後で生き残った最後の人物。
そして、子供を全て失い、血脈が途絶える事を恐れた彼は顔の良いメイドに手を出し、新たな子を得た。
生まれてきたのは最強クラスの闇の力を得た娘……創造院天姫。
創造院天姫と顔合わせする予定だが、休日に妹とバスケをする約束があった。
守護神としての重圧に苦しむ鏡夜は学校を辞めた。義務教育であるが、問題ないと思った。
闇島での一件から自宅にも帰ってはいない。守護神となった後、鏡夜は両親に説明した。
守護神になった事、闇の力を得て才覚を手にすることが出来た事をアピールしたが信じてもらえなかった。
逆に気が触れたと勘違いされて家を追い出された。
行く当てのない鏡夜は闇島の神の社で暮らす事を余儀なくされた。
案外、悪い生活ではなかった。白狐は献身的に仕えてくれている。
有能な白狐に率いられた神族達には本当に感謝の念が堪えない。
そんな鏡夜であるが、今、鏡花とバスケの練習に励んでいる。
守護神となってバスケをやるのは多少の息抜き故だった。
いつもの高架下のストリートバスケ場。ここには県内のバスケ好きが集まっている。
自動車が往来する活気づいた音と秋空が合わさって本当に雰囲気が抜群に良かった。
鏡夜は神となって抜群の運動神経を手に入れた。今ではダンクシュートすらも華麗に決める。
「鏡花、どんどん動きが良くなっているぞ。見違えた」
シュート練習をする鏡花を褒める。兄に褒められた鏡花は嬉しそうに頷いた。
「うん! 兄さんが練習に付き合ってくれるお蔭だよ!」
鏡花の細い指先から放たれる洗練されたシュート。
鮮やかなフォームで繰り出されたシュートはリングにストンと入る。
鏡花は本当に上達したと、感慨深げに見守っていると、突然、鏡夜の全身に怖気が走る気がした。
突如、強力な闇の気配が、忍び寄るのも感じた。闇の力を失った鏡花も敏感に感じている。
後ろを振り返ると、闇島で若くして散った、霊王院才……彼女にそっくりな少女が立っていた。
薄手のお洒落なブランド物の上着を羽織っている。
才を思い起こされる艶のある長い髪、後ろで結んでいないが、それ以外は才であった。
――才……。
少女を見て思わず、才との思い出が走馬灯のように浮かんでくる。
しかし、目の前にいるのは才ではない。才の面影を残した他人に過ぎない。
「仮面の青年……貴方が噂の守護神様?」
無表情で佇む才に似た少女が、鏡夜の正体を見破った。
間違いない。あの少女こそが創造院家の深窓の令嬢……創造院天姫に違いない。
「ああ、私が日本国の守護神だ。君の事は知っている。創造院天姫だな?」
「ええ、私は創造院天姫……王家の血脈足る創造院家の嫡子よ」
「やはり、そうか」
やっと出会えた。しかし、何という偶然……この状況で才と瓜二つの少女と出会うとは。
鏡夜は平静でいられない程に動揺された。思い起こされる才の記憶。
鏡夜にはあの時の……才の死に際が脳裏に焼き付いて離れない。
何度も夢に見る絶望の記憶。才を失った心の傷は癒えてはいない。
その傷が抉られる衝撃と、この少女への興味が心の奥底で渦を巻いた。
鏡夜は天姫の両目を見る……珍しい紅き瞳。間違いない。闇の力を完全覚醒させている。
すぐにでも闇の女神を祓わなければならないと思った。
才と同じ容姿を持っている少女を救いたいと思う気持ちが先行させる。
「天姫さん、君は闇の力を完全に覚醒させてしまっている。
すぐにでも君の闇の女神を祓わなければならない。そうしなければ近い内、君は確実に死ぬ」
鏡夜はハッキリと言った、果してこの少女は大人しく従うだろうか。
一刀斎の口振りでは天姫は他者との関わりを拒絶する程に孤独を好む少女……。
「別に私は死んでもいいよ。むしろ、早くこのつまらない世界から消えてしまいたい。
うんざり……私に媚を打って来る愚民共が……。
私は最強の力と最強の家柄に恵まれた。だけど、寄ってくる連中はゴミしかいないわ。
だから、私は生きる事を諦めているの。近い内に死ぬのは最早、喜ばしい事だわ」
天姫はどうでもいいとばかりに死を恐れてはいなかった。
鏡夜はその言葉を聞き、いてもたっても居られなかった。
「天姫……君が死んだら悲しむ者は大勢いるだろう?」
「いないわ。私は周囲から、疎まれている。
現当主である父が、身分の低いメイドに産ませた子供だって陰で噂されているのも知っている。
身分の低いメイドの母を持つ卑しい姫君と呼ばれているのよ」
「天姫……」
天姫の抱えている闇は相当に深いものだった。彼女は自らに流れているメイドの血に苦しんでいる。
周囲から疎まれているのも嘘ではないのは分かる。
だが、まだ年若い娘が、生きる事を諦めるのはおかしい。
それに才と瓜二つの少女には死んでほしくはなかった。
「天姫さん、実は私も貴方と同じように闇の力を持っていたの。
今は闇の力を失って、それまで持っていた才覚を全て失ったけど後悔はしていない。
私はそれまで自分の特別な力に驕っていた、だけど、失って本当の自分を取り戻した気がするの。
だから、兄さんに闇を祓ってからでも良いんじゃないですか?」
鏡花が天姫の前に歩み寄り、静かに語り掛けた。
闇の力を持っていたと聞いて、天姫は驚いたように目を見開き、瞑目する。
「へえ、貴女も持っていたのね。確かに闇の力を祓えば、何か変わるかもしれないわね。
良いわよ。払いたければ払えばいい。でも、私にバスケの一対一で勝てたらね。
私は弱い愚民に従う気はないの。王者のプライドよ。この挑戦、守護神様は受けてくれる?」
天姫は唐突にバスケの勝負を挑んできた。深窓の令嬢にバスケなど出来るのが疑問だ。
だが、彼女には闇の力がある。身体能力を底上げするブーストみたいなものがあるのだろうか。
鏡夜にだって最強の闇の力で類まれなバスケセンスを得た。
負ける道理はない。自分は仮にも神なのだ。人間の小娘に負ける事は万に一つもあり得ない。
「良いだろう……本気で掛かって来るがいい」
一触即発の空気の中、二人は構えて相手の動作を注意深く観察する。
先攻は鏡夜。緩急を付けたドリブルで一気に抜き去る。そのまま走る。
走力では鏡夜の方が上かと思われたが、ものすごいスピードで追ってくる。
鏡夜は焦りを感じシュートを決めようとするが、入らず……間違いない。闇の力のお蔭だ。
次は天姫の番。何と天姫はさっき、鏡夜が見せた緩急の付けたドリブルにフェイントを織り交ぜて抜き去った。
そのままゴール下まで走り、レイアップを決める。
「どう? これが私の闇の力。その名も『簒奪の女神』相手の才覚を奪う」
天姫は闇の力の能力を明かした。相手の才覚を奪う力はとても危険だ。
この少女はきっと数多くの天才達の才覚を根こそぎ奪ったのであろう。
しかし、その代償に自らの命が危ぶまれる事態となった。自業自得に近い。
「闇の力のお蔭か……ならばお返しとばかりに神と人間の差がどれほど大きいかを思い知らせてやる」
鏡夜に手渡されたボールは軽くフェイントを織り交ぜ、フリースローラインから勢いよく飛んだ。
そして次元を超えた跳躍を維持しつつダンクシュートを決める。もはや何でもありだった。
天姫は絶望に震えている。無理もない、初めて神の力を知ったからだ。
「これ以上続ける意味が見当たらないけど、続きやる?」
「諦めるわ。貴方の力は人知を超えている。闇を祓うのに力を貸して」
「良いだろう。お前の命の灯火は消えかかっている」
それを告げられて天姫は一瞬、恐怖を募らせたが、彼女はすぐに平静を取り戻した。
普通は命の灯火が消えると言われれば恐怖に怯えて震え続けるのだが、この少女は強気だ。
鏡夜はその場で舞を舞う。その一挙手一投足は才譲りのものである。
ヒラヒラと舞を舞いながら、鏡夜は目頭が熱くなってくる。
脳裏に浮かぶのは才との思い出……鏡夜の眼から涙が落ちていく。
才を救えなかった事は今でも鏡夜の心を蝕んでいる。その贖罪として、この少女を見守っていこう。
天姫の身体からどす黒いオーラが迸り、それが昇華し、消え去っていく。
その瞬間、天姫の両目の紅き瞳が、凡庸な黒の瞳へと変わる。
これで天姫は闇の力を失い、何の力も無い少女へと変わった。
天姫の表情を伺うと険が取れたような表情に鏡夜はホッと一安心する。
彼女を蝕み続けていた簒奪の女神は消え去った。もう彼女を縛るものはない。
それに闇の力で奪った才覚は消えない。そこが彼女の父、創造院一刀斎の思惑だろうが。
鏡夜達三人は流氷が解けるように親睦を深め、夕刻までバスケを楽しんだ。