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T‐ショック ムーブメント~まだ見ない明日へ  作者: 木柚智弥
➃落日の星~最終楽章
46/51

T-ショックの終焉

                ◇◇◇

 

 暗いステージの真ん中に置かれたスタンドマイクの前に立つと、目の前に広がる暗闇はすでに熱気で満ちあふれていた。

 暖房がまったくいらねーわな。

 満員の観客の体温が場内の温度を上げているのだ。

 拓巳の周囲にドライアイスが満ち、バックバンドの前奏音とともにサーチライトが横切り始める。すると正面の空間から「タクミー!」「マース!」「ユージぃ!」と一斉に声が上がった。ファンたちはこれが開演の合図だと知っている。

 次の瞬間、周囲から勢いよく火花が吹き上がり、巨大スピーカーから爆音があふれ出す。祐司のギターが唸りを上げ、最初の曲が始まった。

 出だしの三曲はハード&スピーディー、会場を一気に盛り上げるナンバーだ。

 サングラスを外した目に(まぶ)しいライトの向こう側へ、自分の喉から声が解き放たれる。途端、悲鳴に近い歓声が上がり、観客がうねりだした。

 右の目端に映るのは雅俊のキーボード。小気味良く鍵盤を操る姿はいつにもましてパワフルだ。

 まあ、そうなるか。

 間奏の合間に思い浮かぶのは、スタンバイで袖口に来た拓巳と祐司をギラつくような目で見上げてきた雅俊の表情だ。

『今日は絶対、伝説にしてやろうぜ』

 打ち合った手の薬指には新たな煌めきが宿っていて、他を圧倒するような力を雅俊に与えていた。今、それは遺憾(いかん)なく演奏に昇華され、雅俊を突き動かしている。

 次の曲へと移り、多彩に変化する旋律に前より伸びのある声が重なっていく。セラの柔らかくもピリッと辛みの効いた指導が拓巳の声に進化をもたらしたようだ。

 なんか、声が出しやすい。

 熱に浮かされたような気分で歌い上げると、歓声がぐんと勢いを増した気がした。

 ギターのラストがドラムとともに弾け、一瞬の静寂のあとにまた歓声が上がる。次はハードが続いたあとにちょっとリラックスするような、明るいアップテンポの曲だ。少し落ち着いたこの曲のあとに、最初のMCが入る予定になっている。しかし。

 あれ? なんか騒がしい。

 いつもだったらノリのいいこの手の曲には手拍子が出て場内が一体化するのだが、今日はところどころにバラつきが出ている。そして耳のいい拓巳には、間を縫うようにあちこちから不協和音――男のかけ声のようなものが混じっているのが聞き取れた。

 このやろう、聴け!

 とばかりに声量を上げて手振りを加えると、たちまち黄色い悲鳴とともに手拍子の勢いが増し、不協和音を駆逐(くちく)した。

 ざまぁ。

 気を良くして少し笑みを浮かべながら手拍子に合わせて腕を動かす。そのまま歌い切ると場内が拍手と歓声に包まれた。

 よし。いい雰囲気だ。

 具合よく会場が盛り上がったところで、雅俊がキーボードの縁から生えた枝のようなスタンドマイクを手元に引き寄せた。

『みんな、今日は来てくれてありがとう!』

 対する観客から天井が割れるような歓声が上がった。

『いつもと違う形になっちゃったけど、最高の時間をプレゼントしたい気持ちはいつもと同じだ』

 雅俊の声に違う角度から歓声が上がる。男女が入り乱れた黄色い声は、天使の外見に騙され続ける雅俊のファンだろう。

『またあとで、みんなに伝えたい報告や計画があるんだ。最後まで楽しんでいってくれよな!』

 ここまでのセリフに今までのコンサートとの違いは殆どない。ラストの一曲前に次回の展望を伝えるのはいつものことだ。

 再びの歓声に雅俊が手を振り、凱斗(がいと)がタムを打ち始める。次の曲名を紹介して演奏を再開するのがこのあとの流れになる。

 そのままプログラムが順調に進むかと思われた矢先。

『じゃあ、次に届けるのは三月に発表したマキシシングルから三曲、』

 言いかけた雅俊の声の隙をつき、不思議なほどはっきりとその声は浮き上がった。

「なあっ! 解散ってほんとかよ!」

 ……っ。

 それは瞬く間に他の歓声にかき消され、そこに雅俊のマイクの声が被った。

『――クレシェンド、トロピカルブルー、ラストタイム・ラバー、聴いてくれ』

 バスドラムが打ち鳴らされ、ベースの低音が響き渡る。しかし観客からざわめきが消えない。

 祐司のファンか。

 チラッと横目で左側を見ると、祐司がいつもより険しい顔で一歩前に出ている。

 わかってんだな、祐司も。

 リードギターのフレーズが迫り、祐司の腕が最速で動く。普段より動きを加えたプレイに、ざわめきにさらわれかけた歓声が再び戻った。

 さすが!

 拓巳も負けじと声を張り上げる。

 来たからには聴け! 

 哀調を帯びた主旋律のリードに、セイと雅俊の流れるような細かいキーボードが重なる。そこに連動する地鳴りのようなベース、破裂するハイハット、リズムを刻むフロアタム。

 聴衆の意識がこちらに向かってきては、繋ぎの間奏でまたざわめきに引き戻される。それを何度も繰り返しているうちに三曲目が近づいてきた。

 やばい。『ラストタイム・ラバー』はバラードだ。伴奏の出だしがピアノしかない。

 案の定、歓声が静まるタイミングで始めるのが理想の曲にもかかわらず、二曲目の演奏が終わったあとも場内に落ち着く気配はなく、「こたえろよーっ!」と叫ぶ声を内包した雑音混じりのざわめきが、二階席、三階席へと広がっていくのが感じられた。

 場内の意識が徐々にこちらの手から離れていく。

 おい。バラードって雰囲気じゃねぇぞ。

 どうする気だ、と右側を見ると、もどかしそうな顔をした雅俊が右手で脇腹を押さえ、左手を鍵盤に乗せて音を出すタイミングを計っていた。

 まるで帆の折れたヨットを必死に保ちながら、荒波を渡ろうとするスキッパーのようだ。

 まさか。前に刺されたところが痛みだしてるとか?

 斜め後ろのセイをチラ見すると、涼しげな眼差しが雅俊を注視していて、いつもと違う様子に警戒していることが読み取れる。すると。

「報告って解散のことかよー!」

「マース! どうなんだーっ」

「はっきりしろーっ!」

 雅俊に近い座席の一角で黒い革ジャンを着た男の集団が騒いでいるのが、ライトに(あぶ)られて眩しい拓巳にもはっきりとわかった。

 まずい。

 座席は全席指定だが、今回はいつにもまして争奪戦で選ぶ余地がなかったか、祐司のファンが雅俊の前に固まっているのだ。

 左側の祐司がこちらに向かって動き、気づいた雅俊が「よせ!」とばかりに必死の形相を向ける。

 そのとき、拓巳の脳裏に手を組み合わせて祈る和巳が浮かび上がり、あるものを思い出して足が勝手に動いた。

「拓巳?」

 そして目を見開いた雅俊に近寄ると、キーボードの上にある左手をつかんだ。

 そうだ。これしかねぇ!

 つかんだ左手を宙にかざし、薬指を暗い客席に向けて見せる。

(おいっ、なにするんだ!)

(いいから!)

 すると現場も咄嗟の判断をしたのか、二人にスポットライトが当てられ、エタニティリングのダイヤがキラキラと光を弾いた。

 拓巳はキーボードから伸びたマイクに向けて叫んだ。

『報告ってのは、これだ!』

 瞬間、観客から爆発的な歓声が沸き、あちこちから悲鳴が上がった。

「結婚ーっ⁉」

「マースが結婚っ!」

「タクミとっ⁉」

「やっぱりーっ」

 キャーっと盛り上がられ、本気で声を張り上げる。

『俺じゃねぇっ!』

「「違うのっっ⁉」」

 大合唱だ。

 イヤぁーっ! 相手誰よーっ! と黄色い声があちこちから飛び交う。

『おい。なんか言えよ』

 わざとマイクに入るように声を出すと、ハッとした雅俊は慌てて声を絞り出した。

『ばっ、……かヤロウッ! ここで言うな!』

『ああ、そうかよ』

 拓巳は口の端で笑いながら、棒立ちになっている祐司に向けて言った。

『照れちまうから後でだと!』

 祐司は信じられないような顔でこちらを見ていたが、拓巳の投げかけに気づいて困った風に片手を上げ、観客に向けて肩をすくめた。

 場内が今度は爆笑に包まれる。

「かわいーっ!」

「マース照れてるっ!」

「頑張れーっ!」

 よし、あと一息。

 素早く目の前の耳にささやく。

(おい、腹が痛いのか)

(いや。大丈夫だ)

 嘘をつけ。まだ顔が青いわ。

 バラードが終わればバックバンドと祐司のパフォーマンスタイムだ。雅俊と拓巳は袖に引っ込める。

 拓巳はつかんだ左手を観客に向けてブラブラと振りながら、マイクに顔を寄せて再び声を張った。

『ってなわけなんで、詳しい話はあとだ。次の曲で祝わせてくれ』

 ラストタイム・ラバーは〈これっきり〉と〈恋人〉でわかりやすく〈恋人はあなたが最後〉、即ち結婚相手のことを言う。去年のすれ違いのあと、反省を込めて和巳に捧げられたバラードだ。

 観客の雰囲気がガラリと明るいものに変わり、歓声を上げたあとで静まり始める。後ろを見、セイに手振りで「あんたが弾け」と伝えると、彼は頷いてピアノの音を出し始めた。

 雅俊が体の力を抜くのを感じた拓巳は左腕をキーボードに戻し、自分のスタンドマイクの位置へと戻ってから伴奏に合わせて歌いだした。

 静かになった会場に、セイのピアノと自分の声が重なって響く。そこにドラムとベース、第二ギターと雅俊のキーボードが加わり、最後に祐司のギターが細かい音を刻んでいく。やがて拓巳が手に取ったマイクを客席に向けながら歌うと、場内からも歌声が返ってきて、最後はドラムのリズムに合わせての合唱になった。



 ウェーブの髪に覆われた背中を見ながら舞台袖に下がると、強張った顔の和巳が芳弘と待機していた。

 本来なら雅俊ともどもここで衣装替えだったが。

「和巳。控え室で一旦、休ませろ。着替えは西名に届けさせる」

 雅俊の背を押しやると、受け止めた和巳が泣きそうな顔で頷いた。

「ありがとう、拓巳くん。本当にありがとう」

 二重の感謝の意味は明白だ。

 雅俊が拓巳を振り返った。

「おれは大丈夫だから、」

「うるせえ。早く行け」

「俊くん、行こう」

 和巳が肩を抱くようにして促すと、雅俊もそれ以上は逆らわず、袖の奥へと連れられていった。

「さ、君はこっち」

 芳弘が拓巳の腕を引き、袖の奥に置かれたフィッティングスペースに移動する。そこで次の衣装に着替えて椅子に座ると、すぐにタオルが肩にかけられ、芳弘の指が髪を整え始めた。

「よくやったね。偉かったよ」

 芳弘の労いの言葉に、肩の力を抜いて目を閉じる。

「まあ、なんとか」

「雅俊は大丈夫かな」

「多分」

 脇腹の様子は気になるが、足取りはそんなに悪くなかった。一過性の何かがあったのかもしれない。それへの対処に問題があれば和巳が言ってくるだろう。

 芳弘の指先が額の汗をふき、繊細な動きでメイクを直していく。他の誰にやられても気持ち悪いだけだが、芳弘の手だけは心地いい。

 こればっかりは一生、治らんわな。

 そこまで改善できるほど拓巳のキャパは広くない。

 しばらくすると、雅俊に衣装を届けた西名がミネラルウォーターのペットボトルを手に戻ってきた。

「どうだった」

 椅子にもたれたまま問いかけると、西名は「どうぞ」とボトルを差し出して答えた。

「ファン対応のことで、ずっと緊張していたみたいですね。少し休んで薬も飲むので大事ないそうです」

「そうか」

 自分で振った手前、あれこれ考えて構えているうちに体が根を上げたのだろう。第一関門を切り抜けた今、和巳の顔でも見てリラックスできれば問題はあるまい。

 サンキュ、とペットボトルを受け取ると、姿見(すがたみ)の向こうで芳弘が少し笑った。

「まさか拓巳があの手のアドリブをやる日がくるなんてね。びっくりしちゃったよ」

 拓巳はボトルの(ふた)を力任せに開けた。

「やりたくてやったんじゃねえ」

「そうだよね。咄嗟の判断でしょ? よく気がついたと思って」

「それはまあ」

 ここで崩れたら和巳が泣くかもと想像したら、指輪が目についたのだ。

 それを口にすると、珍しく西名が聞いてきた。

「雅俊さんのあの指輪、やっぱり高橋君が贈ったんですか?」

 拓巳は興味を引かれた。

「気になるか、大学生」

 誰かいるのかと突っ込むと、西名はわざとらしくメガネを直した。

「別にいません」

「ほお」

「拓巳。からかわないの」

 芳弘がたしなめ、次いで西名に説明した。

「和巳はね、中学時代からGプロでバイトしてたから。高校からはちゃんとお給料として稼いでいたよ。で、雅俊に贈るためにずっと貯めてた」

 さあできた、と芳弘は屈んでいた上体を戻した。

「なにしろ相手が相手だから『見あったものを贈りたいんだけど、無理かなぁ』ってずっと気にしてたからね。いい品を贈ることができて良かったんじゃないかな?」

 道具を片付け始めた西名がちょっと青ざめた。

「〈T-ショック〉のマースに見合ったものとなると大変ですね……」

 拓巳はペットボトルの水をあおった。

「別に雅俊はそんなの気にしないんだがな。でも和巳の気持ちもわかるから、綾瀬に相談して予算の範囲で見劣りしないものを作ってもらえたようだな」

 とは表向きの話で、実はあの指輪には、小粒のダイヤに混じって二粒だけ薄紫のダイヤがついている。祐司が手配してこっそり綾瀬に渡し、デザイナーに言い含めて予定のダイヤと入れ換えさせたのだ。

 仕上りの確認で、

「……少し大きめの二粒の色が、前に見せていただいた見本と違うような気がするのですが」

 と和巳に問われたデザイナーは、『む、紫がお好みだと伺いましたので、近い色を使ってみました』と開き直り、お直しもできますがと投げかけて「綺麗なのでいいです」との言葉を引き出したという。拓巳は宝石に興味はないのでピンクパープルダイヤとやらの価値は知らないが、井ノ上の社交場で嵌めていても、誰も文句がつけられないモノになったらしい。

 ま、ようはどこに出しても困らない指輪だってことだ。

 そんな認識ではあったが、和巳が嬉しそうに見せてくれたので、脳裏に『指輪』の存在が刻まれ、それがあの危機のときに和巳の顔からの連想になって、雅俊の指先が目に飛び込んできたわけだ。

「あとで言い訳が必要かもしれんが、まあいいだろ」

「全然よくないわ」

 ふいに後ろから不機嫌な声がして振り向くと、ジャケットを着替えた雅俊が憮然とした顔で戻ってきていた。 

「いきなり晒しやがって。帰りに週刊誌が追っかけてきたらどうしてくれるんだ」

 拓巳はタオルを外して立ち上がった。

「すぐには来ねーよ。それだけ元気が戻ったなら最後までやれるな?」

 雅俊は表情を改めて拓巳を見返した。

「もう大丈夫だ。悪かったな。ちょっと焦ったようだ」

「ならいい」

 芳弘が隣に立った。

「祐司のファンはコアなタイプが多いからね。目と鼻の先で何度も叫ばれたんじゃ、調子が狂っちゃっても仕方ないよ」

 言いながら、手を伸ばしてトップからサイドにかけて編み込んだドレッド風の髪を整える。ふわふわとほつれかけていた髪は、短時間のうちにもとの位置に収まった。

「そろそろ時間です」

 西名が腕時計を確認し、芳弘が一歩下がる。拓巳は蓋を閉めたペットボトルを西名に放り、雅俊と二人で袖際に移動した。

「次は俺たちだけだ。怯むなよ?」

 祐司たちと交代したら、しばらく雅俊のキーボードプレイと歌が続く。

「次にあったら音で黙らせてやるわ」

 かけ声に動揺したのが悔しかったか、雅俊の黒い瞳に闘志が覗く。

「だから拓巳、頼んだぞ」

「了解した」

 片手を軽く上げ、拓巳は再び舞台袖の向こうに出た。


 その後、雅俊の伴奏だけの三曲に問題はなく、 場内も収まって声が届いている感触がつかめた。

 やさしい旋律に乗せる高音が、ホールに反響して気分が高揚する。雅俊の表情も今度はリラックスしていて、時々MCを入れては会場を沸かせた。

 その後はセイを含むバックバンドと祐司が顔を揃え、ハードに攻める二曲に渾身の力を込めて三人の時間を極めた。

 高速の超絶技巧が続く祐司のリードギター。

 二本の手先が舞うように踊る雅俊のキーボード。

 サーチライトとスポットライトが煌めきながら交錯する中を、絶妙なテンポで重なる二人の音に強く高く声を乗せ、一人でも多くの観客に届けと響かせる。

 今、このときの空間は、もう二度と手に入らない。

 そんな思いが拓巳にも湧き上がり、さすがに胸が熱くなった。

 そうして残るのはラスト一曲だけになったとき。

『みんな、今日は来てくれてありがとうー!』

 雅俊がキーボードのスタンドからマイクを外し、喋りながらこちらに歩み寄ってきた。

 連動したように祐司もやや移動し、ステージの中央寄りに立つ。拓巳はスタンドマイクから手を離し、ライトの向こうをぐるりと見渡した。

 三人の名前を呼ぶ観客の声が、木霊のようにあちこちから聞こえてくる。

 ラストの一曲を残してのMC。これもいつもと同じ。観客もわかっているので、かけ声以外は徐々に静まっていく。

 いつもと違うのはこの先だ。

 拓巳がスタンドから右に二歩ほど離れると、入れ替わりで真ん中に来た雅俊が観客に向けて語りだした。

『はじめのMCでも言ったけど、今日はみんなに報告と、伝えたい計画があるんだ』

 すると二階席の手前あたりから声が上がった。

「結婚おめでとうー!」

「どんな人ーっ?」

 途端、場内がドッと沸き、雅俊が困った顔でこめかみを掻いた。

『ありがとう。……誠実で、やさしい人だ。あとはまあ、想像に任せたい』

 えーっ、と黄色い声が抗議する。雅俊が手で抑える仕草をすると、観客はまたおとなしくなった。

『報告というのは、実はもうひとつある。今後のおれたちの活動についてだ』

 観客は一瞬、ざわついたが、すぐにまた静まった。前半の影響が残っていたか少しだけ緊張感が漂う。

 ここでどうまとめるかが正念場だ。

 まあ、でも後半はだいぶ持ち直した。この雰囲気なら、雅俊のトークテクで新バンドに繋げることはできるだろ。

 先ほどより楽な気分で見守る中、雅俊が観客に向けて語り始めた。

『今日、ステージにいつもと違うポジションがあることに気がついただろう』

 言いながら、雅俊の手が斜め後ろのキーボード脇に立つセイを示すと、場内からざわりと動く気配が伝わってきた。

『彼はピアニストのセイ。有名だから知ってる人もいるよな。おれの友人で、音楽学校時代はライバルだった。っていうか先輩だ』

 セイが軽く頭を下げると、場内からどこか安心したような拍手が湧いた。新加入の報告だと受け取ったようだ。

『なぜ彼が今日、ここにいるかというと、おれが頼んだからで…、……』

 そこで雅俊は少しためらうように言葉を切り、額に手を当ててから顔を上げた。そして――。

『理由はこの先、おれが今のようにはキーボードを弾けなくなるからだ』

 その瞬間、息を呑んだように音がなくなり、次いで場内のあちこちがざわめきはじめた。

 拓巳は(多分、祐司もだ)思わず雅俊を見た。

 まさか真っ正直に言うつもりか。

 雅俊は、スッと背を伸ばし、場内の真ん中を――おそらくはカメラを見て続けた。

『今日、いつものように年末コンサートができなかったのもそれが原因だ。みんなには本当に申し訳ない』

 場内からたまりかねたような声が一斉に上がる。(おおむ)ね「どういうことだーっ⁉」「なんで弾けないのっ⁉」「わけを言えよーっ!」と言っているようだった。

 それはそうだろう。

 雅俊が片手を上げ、観客を静めてから言った。

『ごめんな。実は、……少し厄介な病気にかかっちまって、このままほっとくと早晩、ステージに立てなくなるらしい。医者が言うには、ちゃんと治療してコントロールすれば、少しは演奏に参加してもいいってことだった』

 治療してもなお『少し』という文言に、事態の深刻さが伝わる。

 いまだかつて、雅俊がここまで自分の事情を明かしたことがあっただろうか――。

 彼を知る多くのファンもそう思ったのだろう。衝撃を受けたようにあちこちからの声かけが消えた。

 体の特性や自身のエピソードを惜しげもなく晒すさばけた面はあっても、私情は挟まず苦悩は見せず、いつでも強く明るく音楽を語る――それが雅俊の貫く〈T-ショック〉のマースだったのだ。

 それを捨ててまでも、おまえはファンに誠実であるほうを取ったんだな。

 ある意味、雅俊らしい選択であり、しかしリスクを負うやり方でもある。これだと彼のせいで〈T-ショック〉が終了すると取られてあの黒い集団あたりから大ブーイングを食らいかねない。

 そろりとにじり寄る拓巳の前で、雅俊は観客から目を逸らさずに続けた。

『どうやったら続けられるかを考えていたら、話を知ったセイが手伝ってくれることになったんだ。お陰で今日もみんなに今までどおり届けることができた。それはさっきのステージで見てもらえたと思う』

 その言葉で、セイと雅俊が時々パートを交代していたことに気づいた観客がざわめいた。それを敏感に捉えたか、雅俊の声が勢いをつけた。

『途中で聞かれた解散についての質問だが、おれの答えはこうだ。“おれたち三人の、〈T-ショック〉としての時代は今日で終わる。けど新しいメンバーと作る次の時代が明日から始まる”と』

 観客の声が一瞬、途絶え、次いで驚きの声を上げてどよめく。雅俊は審判を受けるように片手を広げて前に出た。  

『これが解散なのかどうか、それはみんなに委ねたい。受け止め方は自由だ。おれたちを愛してくれたみんな、どうか三人の時間がこんな形で終わることを許してほしい。そして新しいバンドをぜひ応援してくれ!』

 祈りにも似た雅俊の言葉が会場に響き渡ると、どよめきがうねるように音を変え、雑音混じりのざわめきに変わった。そして――。

 どうなんだ。肯定か? やっぱブーイングか!

 拓巳が内心で覚悟した瞬間、場内から湧き上がるように拍手が鳴りだした!

「………っ!」

 五千五百人の手から出る拍手の音が、割れんばかりに広がって雅俊に降り注いでいる。それはここにいる観客の全員が、雅俊の選択を支持した証だった。

 呆然として拍手を浴びる雅俊に、拓巳は近寄って背中を軽く叩いた。

「届いたな」

 揺らぐ肩をつかんで支えると、同じくそばに来た祐司も肩に手を置いた。

「よくやった」

 雅俊は拓巳を見上げ、次いで祐司を見ると、マイクを持ったまま両手で顔を覆った。

『ありがとう。みんな、……、……』

 ステージではついぞ見せたことのない姿に観客が一層の歓声を上げる。そして「頑張れーっ!」「待ってるぞーっ!」とのかけ声とともに、いつまでも拍手は鳴りやまなかった。


                ***


 ステージが拍手と声援に包まれた瞬間、モニターの周りから歓声が上がった。

「やった……っ!」

「歓声だ!」

「ファンは受け入れた!」

 やったぜ、よかったぁ、とあちこちで声が上がり、健吾が僕の肩を叩いた。

「よかったなっ……、和巳!」

 僕はなおもモニターの画面を見ながら頷き、あふれ出そうな涙をこらえて口を手で塞いだ。

 今、何かを言葉にしようとしたら、あっという間に嗚咽に取って変わられてしまうだろう。

 健吾にもわかっているのか、僕の肩を抱いたまま並んで画面に目を向けている。液晶ディスプレイの向こうでは、ライトに照らされた三人が観客に手を振っていた。

「ああ、もう大丈夫だね」

 僕の後ろから真嶋さんが言った。

「雅俊はよく立て直したよね。君はどんな魔法で彼を奮い立たせたんだい?」

 周囲からも同意の声が上がり、楽屋に退(しりぞ)いた時間のことだとわかった。

 健吾がもう一度肩を叩いてから手を離す。僕は泣き笑いの顔で後ろを振り返った。

「何も。僕は何もしてません。強いて言えば拓巳くんです」

「拓巳が?」

 真嶋さんが目を見張る。僕は頷いてもう一度モニターを見た。

 抱き込むようにして楽屋へと向かい、ひとまず横にとカーペットの上に座ったとき、僕の肩に頭を預けていた俊くんは苦笑していた。

 それが悔しいとか自嘲とかではなく、本当に『まいったな』という感じだったので、てっきり情けなさに歯噛みしているだろうと予想していた僕は不思議に思って聞いてみたのだ。すると彼はこう答えた。

「悔しいのは確かだし、自分で仕掛けておいて不甲斐ないとも思うんだが、それ以上に衝撃だったというか」

「衝撃?」

「ああ」

 俊くんはそのままくるりと背中を預けて目を閉じ、安心したように力を抜いた。

「あの拓巳が、おれと会場を守るためにマイクでアドリブを入れた。十年前には想像すらできなかったことだ」

「……そうだね」

 それは僕も本当に驚いた。

「このところの拓巳はすごいスピードで成長している。 セラと触れ合って、大学で世界を広げて……なあ、和巳。実を言えば、おれは自分がこうなった今、あいつをこのまま歌わせ続けていいのか迷っていたよ」

 それは軽く口にしたようでいてその実、重い言葉だった。

「歌うこと自体は嫌いじゃない。それはわかってる。けどステージに立つことは拓巳自身の喜びになってない。あいつが大勢の前で歌うのは、自分とおまえを守るための手段がそれしかなかったからだ。そういうあいつに次の場を作って続けさせることに、少しだけためらう気持ちはあった」

 もちろんおまえを守るためならいくらでも続けるだろうが、と俊くんは笑った。

「けどさっきの拓巳なら……いつかきっと歌うことの意味がわかる。人に与えているだけじゃなくて、自分にも大切なものなんだって実感できる日が来る。それが見えたらなんだか気持ちが昂って、会場のことが頭から飛んじまった」

 だから後半は大丈夫だ、と俊くんは体を起こし、少し息をついてから薬を飲んだ。そのときには顔色もだいぶ戻っていたのだ。

 真嶋さんが目を細めた。

「そう。雅俊がそんなことを……。よかった。自分が引き入れた世界だったから、報われた思いで嬉しかったんだね」

「はい。だから西名さんが来たときにはもう自力で復活していて、僕はただ見てただけでした。……ちょっと悔しいですけど、叶いません」

 モニターを見ると、ステージは最後の演奏に移っていた。ラストナンバーに選んだのは、二十周年ツアーでも最後を飾ったミリオンヒットのバラードだ。

 真嶋さんが僕の隣に来た。

「君だけじゃない。僕だってそうだ。ステージは戦場で、あの三人はお互いに命を預けあって戦ってきた。送り出すしかできない僕たちには手の届かない場所で、綱渡りのような時間を乗り越えてきた戦友としての絆だ。そこに入り込むことは誰にもできない」

 それぞれが持つ知識と技術と勘を出し合って、修羅場を生き抜くのが戦友。

 その言葉は、三人を最もよく表している気がした。

 すると真嶋さんが「でもね」と僕の肩に手を置いた。

「彼らが戦うために必要な原動力、その一番の核は君だよ」

「えっ……」

 隣を見上げると、真嶋さんの指がモニターを差した。そこには紫のライトに照らされて熱唱する拓巳くんの横顔が映し出されていた。

「雅俊にも祐司にも目指す高みがあるけど、そこへ行くための決定的な武器を持っているのは拓巳で、拓巳を動かせるのは君だけだ。あの子が自ら歌う喜びを見出だす日が来るまでは、君にしか彼を歌わせることはできない」

「それは、でも……」

 僕自身の努力で成し遂げたことじゃない。

 それを言うと、真嶋さんは「そんなことはないよ」と微笑んだ。

「君が喜ぶのが拓巳の喜びだけど、それはただ息子だったからじゃない。君が一生懸命、拓巳と向き合って、彼の愛情に応えてきたからなんだ。今の拓巳が君を愛し続けていられるのは君の努力の結果。それは君の成長を見守ってきた誰もが証言できるよ」

「そのとおりさ」

 反対隣の健吾が頷いた。

「おまえの受難と苦労と涙ぐましい努力は誰よりも俺が知っている。もし息子がおまえじゃなかったら、拓巳さんは絶対うまくいってない」

「まったくです」

 斜め前の沖田さんも振り返った。

「拓巳君のようなお父さんを、他の誰が今日まで支えてこられたでしょうか。君の尊い献身があったからこそ、彼は今も真っ直ぐに君だけを愛していられるんですよ」

 会話を漏れ聞いていた広田、橘らスタッフからも賛同の声が上がる。なんだか慰められているようで恥ずかしい。

 俯いて赤面する僕に真嶋さんが言った。

「君が背中を押してくれないと、あの三人はそもそも戦場に行けない。すると彼らを後方支援することで生きている僕たちも役に立てなくなるんだ。だから和巳。どうかこれからも僕たちに君の力を貸してください」

「真嶋さん……」

 柔和な細面に真摯な表情が浮かぶ。それは今までのような家族を心配する保護者としてではなく、一個人として願われた初めての言葉だった。

 沖田さんが続いた。

「和巳君。君も僕たちにとっては代わりがきかない人です。苦しいときには精一杯支えますから、どうか彼らの道を切り開く核で居続けてください」

 健吾が笑った。

「一人で抱え込まないように俺も手伝うから。おまえにしかできないサポートを続けていけよ」

「拓巳さんのための特注品とか、入り用なものがあるときはなんでも言ってください」

「あ、俺フットワーク得意っス」

 広田と橘が続き、先輩スタッフが「おまえは足だけだろ」と橘に突っ込む。みんな笑っているけれど、どことなく緊張もしている。新しいバンドを軌道に乗せるための、様々な苦労を予測した顔だ。僕は大きく息を吸ってからみんなに向き合った。

 そうだ。モヤモヤしてる場合じゃない。あのステージからライトが消えたら新しい戦いが始まる。俊くんが僕にくれた時間を無駄にしないよう、全力で向き合わなければ。

「ありがとうございます。精進しますのでどうかよろしくお願いします」

 深く頭を下げ、姿勢を戻したとき、ステージのほうからどよめきと花火が吹き上がる音が響いた。ラストナンバーが終わった合図だ。

「あっ」

「終わった」

 みんなが口々に言い、モニターに目を向けると、三人が客席に手を振りながらステージの真ん中に寄ってきた。僕は真嶋さんとともにモニターを離れ、慌ただしく動き出すスタッフをよけながら舞台袖へと移動した。

 バックバンドが最後の音を鳴らす中、三人が隣り合う手を取って振り上げ、拍子をつけて軽くジャンプする。その足が床に着地した瞬間、音と照明とサーチライトの光が一斉に消えた。

 悲鳴のような歓声が沸き、かけ声が飛び交う。最後のコンサートが終わったのだ。

 暗くなったステージの中を、拓巳くんを先頭にして三人がこちらに引き上げてくる。僕は真嶋さんと並んでそれを出迎え、いつものように笑顔で労った。

「お疲れ様、拓巳くん」

「おう。やり切ったわ」

 珍しく満足げな顔の拓巳くんが少し高揚した声で答える。すると観客席のほうから「〈T-ショック〉ありがとうーっ!」「〈T-ショック〉サイコーッ!」とかけ声が聞こえてきた。それは次第に明るくなる客席全体に広がっていき、最後には「T-ショック! T-ショック!」と拳を突き上げながらの大合唱になった。

 俊くんが舞台袖で足を止め、祐さんに抱き止められながら体を泳がせた。

「みんな、ありがとう……っ!」

 宙に伸ばされた手を見た祐さんが僕に合図をよこす。僕は拓巳くん横をすり抜けて俊くんのそばに立った。

 そろそろ休まないと、これ以上は本当に限界だ。

 ファンのいる空間に伸ばされた手を、僕は後ろからそっと手を添えてつかんだ。

「よかったよ、俊くん」

「ああ、和巳……」

 彼は僕の顔を見ると、夢から引き戻されたような顔になり、アーモンド型の大きな瞳から涙をひとつこぼした。

「終わったんだな……」

 僕は込み上げるものを抑えて笑いかけた。

「うん。そして始まるんだよ」

 彼は一瞬、目を見張り、目尻に涙を溜めたままうっすらと笑った。

「そうか。そうだな――」

 そしてまた客席に顔を向け、次第に数を減らすファンの姿に見入った。

 誘導係がドアを開けて促す中を、観客たちはなおもコールを続けていて、それはドアの向こうに消えるまで続いていた。俊くんはそれを受け止めるようにして、しばらく目を閉じたまま佇んでいた――。



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