表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
T‐ショック ムーブメント~まだ見ない明日へ  作者: 木柚智弥
③仲秋の火焔
31/51

首魁たちの駆け引き


 要の車で向かった建設会館では、手下を揃えた横浜支部長が直々に玄関口で待ち受けていた。

「やあ。久しぶりだな、高橋オーナー。最近は君の店に顔を出せなくて残念に思っていたところだよ」

 なるほど要が遊び人と称しただけあって、黒川という男は一見、裏社会の幹部には見えない軽やかさがある。隣に控えるガタイのいい角刈りの男(おそらくこれが岡崎だろう)とは好対照だ。しかし拓巳は心の隅に引っかかりを覚えた。

 どこかで見たことがある……?

 暮れなずむ建物の前に立つ姿は、夕日を背にしていて細かい造作まではわからない。が、中肉中背の体躯は洒落たピンストライプの三揃いに包まれて引き締まり、オールバックに整えられた黒髪が豊かにうねりを帯びているさまが充実した男振りを感じさせる外見だ。

 まさか、昔の客じゃないだろうな。

 六十代だと聞いていたが、もう少し若く見える。しかし侮られるような気配は微塵もない。これなら若い頃に要の店の顧客だったこともあるかもしれない。

 警戒心が刺激される中、要が挨拶の口上を述べた。

「今日は突然の申し出を受けていただいて恐縮ですな」

「なんの。君の誘いとなれば私にも楽しみがあるさ」

 まったく恐縮とは思えない要の挨拶にも、後ろでいきり立つ手下とは違ってひょうひょうと受け答える度量があるのは、さすが横浜を牛耳(ぎゅうじ)る頭目といったところか。

「今日はまた、凄いのを連れているじゃないか。それも二人も。さてはまた私の(ふところ)を食いものにする気だろう」

 笑いながら目線をよこす顔には、よく見ると目尻の(しわ)に紛れて幾つかの傷跡がある。

 柔和な外見に騙された相手を何人も(ほふ)ってきた顔だな。

 要の対黒川用接待アドバイス『彼の好みは物静かな美青年だ。おまえはなるべく神妙な顔で黙っていろ』に従って薄い色のサングラスをしたまま伏し目がちに軽く会釈すると、黒川は機嫌よく目線を戻して要を誘導した。

「さあ、急なことでたいしたもてなしはできないが、まずは旧交を温めようじゃないか」

 黒川と要がエントランスからロビーへと歩き出し、岡崎と思われる男に促されて雅俊とそのあとに続くと、大勢の手下たちが周りを囲むようにしてゾロゾロとついてきた。

 チラチラとこちらに目線を投げてきては驚いたように目を剥かれたり、下卑た笑みを浮かべられるのはあまり気持ちのいいものではない。

 正面に臨む両開きの扉の前を通りすぎ、カーペット敷きの廊下を奥へと進んでいくと、とある扉(これも両開きだ)の前に立つダークスーツの男が、二人の手下を従えて黒川に頭を下げた。

「専務、お待ちしておりました。どうぞ中へ」

「やあ、榊。ご苦労だったな」

 これが榊か。

 拓巳と同じくらいの年か、もう少し上か。一家を引き連れて傘下に加わっただけあって、なかなかの面構えだ。しかし今はいかつい顔に神妙な表情を浮かべ、拓巳の前に立つ男を見上げていた。

「岡崎代行はあちらへ。仕度の途中かと思いますんで」

「ご苦労」

 岡崎が横に逸れて廊下を先に進んでいく。拓巳と雅俊はそれに目を留める隙もなく先へと促された。

 扉の中に入ると、建物の内装が一変した。

 ここは……。

 その部屋をひと言で表現するなら、二階建てをぶち抜きにした銀座の高級クラブだろうか。

 高級ホテルの小宴会場ほどはあろうかという空間には、ロフトの二階が桟敷のような形で張り出している。そこから洒落(しゃれ)た手すり壁のついた螺旋階段が一階の壁沿いに伸びていた。

 外観の造りからは想像できない豪華さだ。

 天井からは巨大なシャンデリアが吊るさがり、真下には大人数が使えそうな高級ソファセットがどっしりと(しつら)えられている。今、その中央にある黒檀(こくたん)のローテーブルには、タイトなミニドレスを着た女が左右に膝をつき、摘まみのオードブルが乗る皿の脇にグラスを並べている。こんな場に呼ばれるだけあって、どちらも無駄のない所作をした見映えのいい女だ。

 周囲の壁に据え付けられた窓は嵌め殺しのステンドグラスで、小振りなボックス席があちこちに点在している。しかし今日は手下の黒服が立つだけで、壁際の灯りも落としてあった。

「さあ、かけてくれ」

 黒川のかけ声に、要が四人ほど並べそうなソファの真ん中に座る。拓巳と雅俊がその両脇に落ち着くと、二人の手下が背後に立ち、榊が控えるようにはす向かいのオッドマンに腰かけた。

 同じく向かいのソファに納まった黒川の左右には、女たちがそれぞれ軽く腰をつけるようにして座る。こちらを見た彼女らは一瞬「えっ!」と目を剥いたが、すぐさま黒川に目線を移し、それぞれすまし顔を作って姿勢を整えた。

 拓巳と雅俊の素性に気づいたようだが、教育が行き届いているらしい。

「まずは乾杯だ」

 女たちが「どうぞ」とグラスを差し出し、雅俊が受け取って要に渡す。拓巳も片側の女がよこしたグラスを無言で受け取った。

 複雑なカットを施したバカラグラスから、水割りにしては強いウイスキーの香りが立ちのぼる。あまり酒に強くない拓巳は内心で舌打ちした。

 ダブルか。氷が溶けるまでは用心しないとな。

 そこはかとない緊張が周囲を取り巻く中、黒川が明るく乾杯の声を上げ、要に話しかけながら摘まみに手を伸ばす。そつなく受け答える要もゆったりと構えていて、しばらく腹の探り合いのような雑談が続いた。

「ところで高橋オーナー。君にしては珍しく性急な誘いだったな」

 やがて頃合いと見計らったか、黒川が本題に入ってきた。

「わざわざここで、しかも私でなくてはならない用があるとのことだったが、まさかご自慢の連れを披露したかっただけではあるまい。借りのある君の頼みだったから時間を都合したが、そろそろ話を聞かせてはもらえないか」

「むろん」

 要は上客に店主として挨拶するときのような慇懃(いんぎん)な笑みで答えた。

「あなたの息子たちが私の妻をここに招待したまま留め置いているだろう。身内の者も心配している。そろそろ返すよう諭していただきたい」

 言いながら横目で榊を眺める目が氷のような光を放つ。それを榊も察したか、僅かに肩が揺れた。彼にしてみれば、自分が取り合わなかった相手が上役を連れて来たのだから、さぞかし追い詰められた心地だろう。

「おやおや」

 黒川は大仰に肩を竦めた。

「私の記憶では、君に伴侶はいないと認識していたが。知らなかったな。いつご結婚されていたんだ」

 口調こそ丁寧だが目が笑っていない。交流する相手の身上などはしっかり把握しているのだ。

 要が足を組んで膝に手を重ねた。

「あなたほどではないが私も色々な世界に顔を出している身なので、迂闊に手を伸ばされないよう、大事なものはしまっておく主義です。今回は偶然にもあなたの息子たちの目に留まってしまったらしい」

「ほう。あなたが隠しておいた宝石を、うちの息子どもがうっかり拾い上げてしてしまったと」

「さよう。なまじ巧妙に隠しておいたもので、私の持ち物であることを信じてもらえなかったようです。あなたにご足労願うことになったのは残念なことだ」

「なるほど」

 黒川はゆったりとグラスを傾けつつ、はす向かいに座る榊を見た。

「榊。高橋オーナーはこう述べておられるが、身に覚えはあるか?」

「い、いいえ滅相もない」

 榊はいかつい体を縮めて頭を下げた。

「じ、自分は車の接触事故を起こした部下に成り代わり、被害者のご婦人をもてなしただけでして」

 しどろもどろになりながらも榊は言い募った。

「その際に上司の岡崎代行と懇意になられたので、今回ここにご招待を。ご友人として歓待しておりました」

 ここまできても、すんなりセラを返す気はないらしい。

「聞けば元々ご主人とは内縁関係だったとか。今は自立したキャリア・ウーマンで、独身の一人暮しと伺いましたんで、何か問題が起こっているとは思いもよりませんで」

「ほう、話が大分違うようだ」

 黒川はどこか芝居めいた手振りで要に向き直った。

「あなたの宝石とは違う色をしているようだが。人違いではないだろうか」

「いや、間違いなく私のところのものだ」

 要がチラッと目線をよこし、指先で拓巳の顔を示した。

「この者は妻の縁者で、私の連れというわけではない。普段はあまり接していないのだが、珍しく私に『身内が次々に連れていかれて心配だ』と訴えてきたのでな。こうして連れてきた」

 指先が促すように振られ、拓巳はサングラスを外して顔を向けた。すると「それはどういう」と言いかけた黒川が口を開けたまま黙った。

「――……」 

 あちこちから息を呑むような音がし、女たちの目が釘付けになる。拓巳はそれらを無視して黒川に目線を注いだ。

「……これはまた、なかなか」

 やがてひと息ついた黒川が、口元に笑みを浮かべて要に顔を向けた。息を吐いただけで己を律したのはさすがというべきか。

「連れではないと言ったな。君への断りはいらないわけか」

「ご自由になさるがよろしかろう。しかし彼は今、そういう心境にはないだろうな。まずはここに留め置かれている妻のセラを返していただかないことには始まらんと思うが」

「まてまて。彼の身内が君の宝石なのか」

「そのとおりだ」

続柄(つづきがら)は?」

「これはセラの腹違いの弟。ということになっている」

 黒川は面白そうに首をかしげた。

「実際は違うのだな?」

「そこはご想像に任せる。二人を会わせれば見えるものがあるだろう」

 要が言葉を切ると、黒川が目線を奥へと動かした。

「ちょうどいい。見比べてみるとしよう」

 その声に被るようにして「失礼します」と声がかけられ、岡崎が拓巳たちの背後から回り込むようにして現れた。

「遅れまして申し訳ありません」

 ソファセットの手前できっちりと頭を下げた岡崎の後ろには、ドレス姿のセラが手下に付き添われるようにして立っていた。

 ――あっ。

 思わず心の中で声を上げたのは拓巳だけではあるまい。

 それは普段の彼女とはあまりに違う、けれども()()(かん)を覚える出で立ちだった。

 普段、ひとつにまとめるだけの栗色の巻き毛は、後れ毛を残してゆったりとしたアップにセットされ、額を出した顔には少し濃い色使いのメイクが施されている。そのため普段、影を潜めている華やかさが威力を発揮し、淡い(すみれ)色のハイネックドレスと相まって、とある人物の姿を彷彿(ほうふつ)とさせる外見になっていた。

 そっと目線を雅俊に移すと、彼もこちらを見、すぐに戻した。その言わんとするところは聞くまでもない。

 ――女装したときの俺にそっくりじゃねぇか!

 サイズと色と雰囲気が多少、違うだけだ。

 強張った顔ながらもその身に危害を受けた様子はなく、一応の礼儀が保たれていたことが窺える。拓巳と雅俊が要と一緒に現れたので状況がわからないからだろう、驚きと期待、不安がないまぜになった目でこちらを見ていたが、黒川から興味深そうな眼差しを向けられると、怯えたように目を伏せた。

「岡崎。そちらがおまえと懇意になったというご婦人か」

 黒川が感心した表情で手招きし、次いで左右の女たちに手を振る。彼女たちは名残惜しげな目線を拓巳と雅俊に投げながら座を外し、オッドマンの後ろまで下がった。

 黒川が横にずれ、セラが岡崎に促されて真ん中に座る。

「はじめまして。セラさんとおっしゃったかな?」

 左右を男に挟まれたセラは細い体を縮めて頷いた。

「は、はい」

 黒川はしばしセラに目を留めると、ゆっくりと要に顔を戻した。

「……なるほど。これほど似ているとなると、嫌でも君の主張が正しいと言わざるを得ないな。本当の繋がりはもっと濃いような気がするが、ね」

「ご理解、痛み入る」

 要が軽く頭を下げると、黒川がこちらに目線をよこした。

「そちらの、セラさんの身内である君は、確か『次々に』と訴えたと高橋オーナーが言っていた気がするが」

 質問を振られ、拓巳は役柄を頭に念じて慎重に口を開いた。

「そうです」

「他にもここに誰かいるのかね?」

「ええ。息子です」

 そうして榊を横目で睨むように見ると、彼はギョッとして口をパクパクさせた。その顔が「まさかおまえが」と訴えている。

 直接行くとセイに伝えておいたので、備えてはいただろうが、まさか拓巳がその父親だとは思わなかっただろう。

 まあ、和巳と俺を見て親子だって気づくヤツなんて滅多にいねーけど。

「なんと」

 黒川が大袈裟に驚いた。 

「君も妻帯者なのか。しかも息子までいるとは」

 言いながら要に目線を移していて、要がそれに頷く。さらには雅俊にも真面目な態度で「本当です」とつけ足され、黒川はむぅと唸った。

「そんな坊やがここに招かれていたのか?」

 セラ越しに顔を向けられた岡崎は、困惑した様子で首をかしげた。

「はて。私は存じません。なにか勘違いされているのではないですかね」

 するとセラがふいに顔を上げ、黒川に訴えた。

「お、おりますっ。和巳はここにいるはずです。どうか拓巳にお返しください」

「おっ?」

「あ、あちらの方とセイが知っているはずです。どうか……っ」

 目を潤ませて言葉を詰まらせるセラに黒川が興味深そうな目を向け、要の気配に僅かな揺らぎが滲んだ。

 彼の駆け引きには幾つもの演技が含まれているので、セラの言葉で矛盾が生じてしまう可能性を案じているのだろう。

「ほう。あなたはシュナイダー氏をファーストネームで呼ぶのか」

「えっ、あ……」

 何か含みを感じたか、セラが前のめりの体を引いた。

「こちらの彼は拓巳というのだね。息子が和巳なのか?」

「はい……。あの……」 

「あなたと拓巳はどんな関係なのかね?」

「………」

 さすがに何かを察したか、こちらに目線を投げたセラは俯いて口を閉ざした。

「姉弟だと申し上げただろう」

 要が割って入った。

「そしてここに来ている拓巳の息子は彼女の甥。セラは普段から和巳を可愛がっているのだ」

「ほうほう、なるほど」

 黒川が体を背もたれにつけて横を見た。

「榊。セラさんはおまえをご指名だ。知っているなら説明しなさい」

 榊は必死の形相で答えた。 

「いやっ、確かに、セ……シュナイダー氏がここに若いのを連れてきていますが、それはまったくの別件なんで。やつはその、背の高い青年で、とてもじゃないがそちらのお連れさんの息子さんとは思えません」

 セラが一瞬、顔を上げ、もの言いたげに口を動かした。拓巳はその前に声を発した。

「息子は来年二十歳(はたち)、背は、私と変わりません」

 すると榊が目を逸らしつつも食い下がってきた。

「なんだってそんな嘘を言うんスかね。あんたどっかの手先か。もうちょっとマシな嘘つけや。あの若僧とあんたが親子なわけねぇよ!」

「……っ!」

 このやろう!

 拓巳の我慢に亀裂が入った。しかし「人の息子痛めつけといてバックレてんじゃねぇ!」と立ち上がる前に要の腕が拓巳を制した。

「失礼。彼も息子を返してもらえないせいで苛立っているのでね」

 黒川は面白そうな顔で足を組み替えた。

「この彼にそんな大きな息子さんがいるとは想像もできないが、榊が若い男を連れてきていることは間違いないようだ」

 そして再び榊に顔を向けて問いかけた。

「それで? おまえはなんの用でその若者を連れてきたんだね」

 とっくに把握していることを前提としての演技か、あるいは結果がすべてと割り切って、途中経過には関わらないゆえのリアルな質問か。黒川の態度からはどちらとも判断しかねる。

 さすがは誠竜会のブレーン。おいそれと内情を読ませない。だとしたら観察対象はこいつか。

 他の二人も同じように思ったと見え、同時に榊の方向を向いた。

「実はその、シュナイダー氏とそのわかぞ……青年は知った顔でして。彼が我々の探し物の在りかを知っているらしいと教えてくれまして。最初、青年にそのことを訊ねようとしたら邪魔が入ったんで、隠してるんじゃないかと疑って連れてきまして」

 喋っているうちに調子が出てきたか、榊の口調に淀みがなくなってきた。

「ここに落ち着いてから詳しく説明したら、彼もわかってくれまして。すぐに家にいる父親に頼んで持ってこさせてくれると。で、到着を待っていた次第です」

「なるほど」

 黒川は軽く頷いた。

「つまり、うちの協力会社から派遣されてきたシュナイダー氏とその青年は顔見知りで、誤解を解くためにここへ連れてきて話し合いをした結果、おまえの探し物を青年の父親が持ってくることになったから待っていたと」

「そ、そうです。そうです」

 榊はホッとしたように肩から力を抜いて答え、黒川は顎に手を当てた。

「そうしたら偶然にも青年は、岡崎が懇意になったセラさんの甥っ子だったと。なんとも奇遇なことだな」

「いえ、その、……」

 不可解な様子の黒川に榊が青ざめて俯くと、ふいに横から雅俊の声がした。

「それは逆かと思いますが」

 黒川が雅俊を見た。

「君も関係者なのか。なにか知っているのかね?」

 雅俊は先に(かなめ)を見、次いで黒川に向けて口を開いた。

「私も彼女の身内の一人で、セイとも面識があります。私が聞いた話では、確かそちらの榊さんが和巳のことをセイから聞き、話をするべく追いかけていたところ、部下の方が出先で和巳の乗る車と接触事故を起こして、そこに同乗していたのがセラさんだったと」

「ほう、榊の言った車の事故とはそういうことか」

「はい。ですから彼女がこちらに滞在していると聞き、そのあと和巳まで姿を消したので、てっきり彼を呼び込むためにセラさんが留め置かれたと思い、オーナーにお話ししました。そこでオーナーがこちらに連絡をしたのです」

 相変わらずアドリブで話を作るのがうまい。

 要が合わせるように続けた。

「ところが担当者はもとより責任者の岡崎代行まで知らぬ存ぜぬでね。埒が明かないので黒川専務に連絡した次第。まずは無事を確認できたことについてお礼を申し上げる」

 頭を軽く下げる要を黒川は片手で制した。

「なるほど、君たちは全員がセラさんと関係しているのだね」

「息子ともです」

 すかさずつけ足した拓巳を、しかし黒川はすぐに遮った。

「まあ待ちなさい。それは君たちの解釈だ。なるほど、高橋オーナーが私を誘った理由は理解した。しかし私も大勢を養う身だ。話が食い違うなら息子たちの意見も聞かねばならない」

 そして岡崎に顔を向けた。

「おまえはセラさんが高橋オーナーの内縁の妻と知りながら、彼を無視して無理矢理拘束していたのかね?」

「そんなつもりはありませんでした。専務がお付き合いされているご友人に不快な思いをさせたのなら謝罪します。しかし先ほど榊が伝えましたように、私は彼女から独り身であり、自立した生活をしていると聞いていました。そうでしたな、セラ」

「本当ですか? セラさん」

 左右から畳みかけるように聞かれ、セラはいっそう青ざめて俯いた。

「……はい」

「高橋オーナーとは今は暮らしておらず、迎えなどのお約束もしていなかった。そうですね?」

「は、はい……」

 岡崎が口元で笑い、要が憮然とした顔になる。拓巳はこの時点で不利を悟った。

 やばい。きっと最初に要から連絡が行ったとき、誘導尋問的に確認されてそう答えたんだ。

 それはみんなで自立を支援してきた影響で、駆け引きなどとは無縁なセラが、そのときだけ嘘も方便と割り切って答えるわけがない。

 黒川が首をかしげた。

「おや。だとしたら、あなたがここに滞在なさっていたのはご自分の意思ということなのか。それだと高橋オーナーにお返しするというのもおかしな話になるな」

 するとセラが悲痛な表情を黒川に向けた。

「わっ、私は和巳が、和巳の身が大事ならおとなしく…っ」

 突如、岡崎の手がスッとセラの肩に伸び、払うように叩いた。

「失礼。蚊がとまっていたようでしたので。この季節は油断がならないですな。さ、続きをどうぞ。甥御さんがどうかされましたか」

 岡崎の顔を見たセラは、みるみるうちに青ざめ、ブルーブラウンの瞳に涙を浮かべて首を横に振った。

「い、いえ、なんでもありません。し、失礼しました」

 そして再び肩を縮めて俯いた。けれどもその様子が語った内容は明確だった。

 なるほど状況がわからないセラは、拐われた直後から和巳の安全を天秤にかけられ、岡崎の言いなりに過ごしてきたわけだ。

 それはこちらもある程度予想していたことで、要も雅俊もセラの態度から正確に読み取ったようだった。

 だからこそ、この場での取引が重要になるということだ。

「困ったね。セラさんが何もおっしゃらないとなると、岡崎の言い分にも理があるということになるのだが」

 黒川が肩を竦める。確たる証拠かなければ動かないのは当然だ。

 要が組んでいた足を戻した。

「黒川専務。私の見たところ、セラは自分のことよりも、我が子同然に可愛がってきた甥が気にかかっているようだ」

「そうなのかね?」

 黒川が訊ねると、おそるおそる顔を上げたセラはこちらを見た。拓巳は目に力を込めて訴えた。

 はいと言え。はいと! 大丈夫だ!

 彼女は迷うように拓巳を見、次いで雅俊と要を見つめると、意を決した顔をしてから「はい」と答えた。

 通じたか。

 間髪を入れず、要がセラに問いかける。

「君が私の迎えを断り、ここに留まったというのは、おとなしく待っていればここで和巳に会えると、一緒に帰りたいのなら、彼の用事が済むまで待っているよう言われたからだ。そうだろう?」

 おとなしくのところを強調されて岡崎が嫌そうに口元を歪める。セラは必死の表情で答えた。

「え、ええ。ここに来ていると聞いて、でも、」

「まだ会えていないのだな?」

「そ、……うなんです」

 セラの瞳が再び潤み出す。要は岡崎に目を向けた。

「もてなしてもらっているという割には、いまだ甥と会わせてもらえていないのはなぜだろう。彼女を騙して引き留めていたのか?」

「そ、そんなことはない」

 正面からの眼光を受け、岡崎は僅かにたじろいだ。

「榊の用事が済んだなら、ちゃんと引き合わせるつもりでいましたとも」

 ただ、と彼は榊に目線を投げた。

「まだ用事が済んだとの連絡は受けてないので」

「ほう」

 要は背もたれに体を預けて榊を見た。

「その用事というのは先ほど言っていた『父親が探し物を持ってくる』というやつか」

「そ、そうですが、まだ」

 榊が言い募ろうとするのを要が手で遮った。 

「それは、これのことではないかな」

 要に腕を叩かれ、拓巳が内ポケットから皐月のメモ帳を取り出すと、息を飲んだ榊が喘ぐように言った。

「あ、あんた、どこでそれを……っ」

 まだ拓巳が父親だと信じていないらしい。

 セイから言われて持ってきたに決まってるだろうがっ!

 と喉まで出かかったが、役の性格上、なんとか引っ込めた。

 一旦、喋りだしてしまったら『物静かな美青年』などやってられなくなる。

 まだだ。目的を果たすまでは抑えないと。

 メモ帳を内ポケットに戻し、目だけを要の奥に向けると、こちらを見た雅俊が小さく頷いてから榊に言った。

「それはもちろん、拓巳が自宅から持ってきました。父親なので」

 榊は一瞬、目線を岡崎に投げ、次いで必死の形相になった。

「お、俺は誰にも言わずに父親が一人で持ってくるよう、指示したんだぞ。まさか父親から話を聞き出したのか!」

 雅俊がこめかみに人差し指を当てたまま答えずにいると、榊は激昂(げっこう)して立ち上がった。

「さてはあんたら、父親の仲間だな? 父親はどうした! 約束破ったなら息子は返さねぇぞ!」

 とことん話が噛み合ってない。

 そのへんは無視することにしたのか、雅俊は指先を外して榊に向けた。

「榊さん。あなた、和巳に暴行を加えたでしょう」

 途端、セラが顔を上げ、岡崎を見てから口元を両手で押さえる。話が違うと訴えているようだ。

 それを見た岡崎が苦い顔になり、榊はバツの悪そうな顔でつけ足した。

「……っ、べ、別にたいしたことなんざしてませんや」

 雅俊の黒目勝ちの目が光った。

「先ほどのセイからの電話。まずは和巳を使って呼び出してきましてね。声の調子から、かなり手荒く扱われていることが拓巳にはわかったそうなんですよ。だから不安になって、同じくセラさんを保護しようとしていたオーナーを頼ったんです」

 指示どおりに持っていったとして、果たして和巳を返してもらえるのかと危ぶんでね、と雅俊は続けた。

「だから約束破りと(ののし)るのはお門違いで、これは交渉中に人質を害して信用をなくしたあなたの失態です」

 榊が狼狽(うろた)えたように岡崎を見る。そこには隠し事が暴かれそうな気配に焦る姿が透けて見えた。

 どうやら岡崎はセラへの建前上、人質の扱いを注意していたようだ。

 同じく読み取った雅俊がここぞとばかりに攻勢に出た。

「そうしたらオーナーですら信じてもらえないというじゃありませんか。だったら警察に届けようと彼が言い出しまして」

 榊が今度こそギョッとして雅俊に一歩詰め寄った。

「ば、ばか言っちゃいけねぇ!」

 雅俊がそれを手のひらで制した。

「こっちだってあんまり警察には関わりたくない身なんで、二人がかりで止めましたよ。オーナーが、伝手があるから待てとおっしゃってくださったので、なんとか考え直させました。ですからね、榊さん」

 雅俊は恐ろしい笑みを浮かべた。

「私どもはあなたとは交渉しません。このメモ帳は、黒川様との話し合いに使うために持ってきたんです」

 瞬間、榊の顔がどす黒い赤に染まり、周囲の男たちの空気が険しくなった。

「貴様、誰に向かってものを言ってやがる!」

 いきり立つ榊を筆頭に周囲の男たちが懐や尻ポケットから次々に得物を取り出す。榊の手には黒光りするものが握られていた。

 サイレンサー付きの小型拳銃だ。

「ひっ」

 セラが息を呑む前で、榊はそれを雅俊のこめかみに当てた。

「おい、兄ちゃんよ。生意気な口きくとお綺麗な顔に穴が開くぜ。とっととそっちの優男にブツ渡すよう言えや」

 雅俊は背筋を伸ばして返した。

「お断りですね」

「このやろう……っ!」

 榊が銃身を振り上げる。

「言っておくが」 

 要が軽く手を上げて遮った。

「私の同伴者に手を出す気なら、相応の覚悟はしてもらおうか」

「なんだと?」

「まさかここに来るのになんの備えもしてないなどとは思ってないだろうな」

「なんだと……?」

 要が頷くと、雅俊が内ポケットからサブディスプレイが点滅する黒い携帯を見せた。

「ここでは通話できないと思っていたでしょうが、特注品を借りてきたので今も仲間と繋がっています。メモ帳の後ろから二番目のページ、バックアップは済んでますよ。私どもに何かあったらすぐに仲間が警察へ送る手筈です」

 榊の目に緊張が走る。雅俊は構わずに続けた。

「探し物の件は警察も当たりをつけているようで、担当の刑事が渡せ渡せとうるさくて。せっかく振り切ってここに来たのにつれないんですね。あの刑事の携帯に、メモ帳に書いてあった数字を送信したら大喜びで仕事に取りかかるでしょうよ」

 むろんハッタリである。しかし全くの嘘でもない。松岡警部に情報がいったらそのくらいのことはやるだろう。

「こっ……、のっ!」

 榊が銃を持った腕を震わせる。それを見た要が正面の黒川に向き直った。

「まあ、そんなわけだ。あなたの息子たちはやり方を間違えた。しかしあなたとの付き合いを考えると、私としてはこの情報が警察の手に渡るのは忍びない。そこでだが、彼らを諭した上でセラと和巳を連れ帰らせてくれるなら、メモ帳はあなたに進呈しよう」

 いかがだろう、と投げられた黒川が笑い声を上げた。

「これは一本、取られたな」

 彼は足を組み替えると、岡崎と榊を見てため息をついた。

「青年のほうはさておき、セラさんに嘘をついて留め置いていたのは間違いなさそうだ。岡崎、オーナーに非礼をお詫びしてセラさんを返しなさい」

「専務……っ」

 抗議の眼差しを向けた岡崎を黒川が見返す。そこに何を見たのか、岡崎はビクッと体を揺らし、打たれたように頭を下げた。

「も、申し訳ありませんでした」

 そして要にも同じく頭を下げるとセラを立ち上がらせようとした。

「あのっ、和巳は……!」

 岡崎を振り切る勢いで詰め寄ったセラに、黒川は口の端を上げながら首をかしげた。

「申し訳ないが、甥っ子さんはまだ解放できないな。どうしても、そちらの彼が父親だということが納得できないのでね」

 そして要に告げた。

「ということだ、オーナー。セラさん一人を連れてお帰りの分には構わないよ。しかし青年――和巳と言ったか、彼まで欲しいというならもう少し誠意を見せて欲しいな」

 そのために連れてきたんだろう? と意味深な目線が向けられ、その場の誰もが意味を悟った。

 俺を土産に置いていけってことだ。

 ある意味作戦どおりだ。しかしまだ条件がひとつ足りない。

 拓巳は祐司からの指示を思い浮かべた。

『うまく交渉して、セラと和巳を現場に揃えてくれ。あとは合図をくれればこちらで対処する』

 ここに、なんとしても和巳を呼び出させなければならない。

「あなたの息子が入り用の品で十分、足りるのではないか?」

 要の問いかけに黒川が笑みで答える。

「二人分は欲張りすぎだろう。榊は条件として父親が一人で来るように言い、父親はそれを呑んだはずだ。それを破ったのだから身柄の保証はされなくてもしょうがない。しかも彼が父親なのか、それとも身代わりなのか、私たちには真偽がわからない」

「セイなら知っています」

 雅俊が口を挟んだ。

「セイはどこです。彼に確認させればいいでしょう」

 黒川が榊に目をやると、彼は目を周囲に泳がせてから頭を下げた。

「シュナイダーは……その、現場で連絡待ちでして」

 それを聞いた黒川は「あぁ、そう」と流した。

 現場ってのはあれか、例の麻薬を保管している倉庫とやらのある場所か。

 さすが要の裏情報。やはりあの数字は保管場所の暗証番号か何かで、それを確認次第、商品を回収できるよう、待機しているのだろう。

 雅俊が食い下がった。

「でも間違いなく本人なんです。どうしたら信じていただけるのですか」

「それは困ったねぇ」 

 黒川がのらくらとかわす。拓巳は思い切った素振りで提案した。

「和巳に会わせてください」

「拓巳?」

 雅俊がやや大袈裟に驚く。演技とわかっていての振る舞いだ。

 拓巳は粗っぽくならないよう、声を押さえて訴えた。

「黒川さんはオーナーのご友人。オーナーを騙すことは考えにくい。けれどもそこの人は違う」

 そこの、と指を差された榊の顔が怒りに紅潮する。しかし拓巳が正面から目線を浴びせると、真っ赤な顔のまま固まった。

「無事でちゃんとここにいるのか信用できない。それではメモ帳は置いていけません」

「確認できたら?」

 すかさず黒川が質問し、拓巳は可能な限り(嫌ではあったが)目線を和らげて黒川を見た。

「あなたが和巳の身柄を保証してくださるなら、私も一緒に残ります」

 雅俊が「待って。早まらないほうが」(むろん演技だ)と身を乗り出し、要がその肩を押さえて黒川に告げる。

「これは黒川さん。あなたにも損ではない話だ」

 黒川は興味深そうな眼差しで手を顎に当てた。

 拓巳は表情が崩れないよう気をつけながら心で念じた。  

 早く。早く承諾しやがれ!

 しばらくののち、黒川がようやく榊を見た。 

「……ここに、連れてこれるんだろうな?」

 よしっ!

 思わず表情が動きそうになったが、かろうじて『物静かな青年』をキープし、神妙に会釈する。

「呼んでこい」

「…………」

 黒川を見返す榊の表情には不満と悔しさが滲んでいたが、黒川が再度手を振ると頭を下げ、後ろの手下に指示を出した。

 黒川が背もたれに体を預けると、周囲の男たちの間から困惑と苛立ちの混じった微妙な空気が漂った。

 それを眺めていた要が口を開いた。

「あなたの友人として、ひとつ伝えておきたいことがある」

「ほう、なにかね」

「私は拓巳がここに連れてこられた青年の父親であることを知っているが、青年の外見的遺伝子が彼の伴侶のほうから来ていることも知っている。二人を見比べてもセラと彼とのようにはいかないが、代わりにより重要なものが見抜けるだろう」

 黒川が苦い顔になった。

「それは、言い訳に聞こえなくもないことを承知しての発言だろうな?」

 やはり彼は私を懐柔するための身代わりなのか、との言葉に要は「そうではない」と続けた。

「そのような趣味の世界の話にされ、息子たちからの尊敬を失わせては気の毒だと思ったから伝えるのだ」

「なにを」

「彼の息子は、今は亡き伴侶のほうによく似ている。そしてそれはあなたにも縁があるのではないかと思う」

 そのやり取りを見、拓巳はある意味、感心した。

 さすがは裏社会を相手に接客業を営んできた男。上客はぬかりなくフォローしておくわけか。

 案の定、黒川の眼差しが興味の色を示した。

「ほう。それはまた、どんな縁だろう」

 要はごく真面目な顔で答えた。

「あなたの若かりし頃の武勇伝に触れる、と申し上げおこうか」

「なんだと?」

 黒川の目がやや見開かれたとき、彼の斜め後ろの螺旋(らせん)階段(かいだん)を下る男たちが目の端に映り込み、拓巳の意識は一気にそちらへと逸れることとなった。


 和巳――!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ