暗闇の狙撃手
時を遡り、砂川瑞穂が平壮太から呼び出しを受けた直後の事。
「そ、そそそ壮太くん!?」
「あ、うん。俺だけど……」
一瞬、頭の中に“夜這い”という言葉が思い浮かんだ坂梨美織達4人だったが、瑞穂が一人でいる時ならばいざ知らず、今の状況でそれはないだろうと直ぐに思い直した。……当の瑞穂を除いて。
「ど、ど…どうしようかしら!?」
普段の冷静そうな佇まいはどこへやら、そこにはオロオロと狼狽える一人の少女がいた。
近くにあった手鏡を手に取り、手櫛で髪を整えながら右往左往とする瑞穂だったが、そこで横から水の入ったコップが差し出された。
「どうぞ。取り敢えず、お水でも飲んで落ち着いて下さい」
瑞穂へ水を差し出したのは、微笑みを浮かべた橋爪志緒であった。
「あ…ありがとう。頂くわ」
コップを一気に煽り、一度大きく深呼吸すると、瑞穂は覚悟を決めたようにゆっくりと襖を開け、壮太の待つ廊下へと消えていった。
瑞穂の消えた先を見据えたまま、志緒は歪に口角を上げる。
(……飲みました、ね)
「焦った〜。まさか平がアタシらの部屋を訪ねて来るなんて……ってか、みずにゃんに何の用だろ?」
呆気に取られた表情で角樹里亜が呟いた。
「あ、それはねー……たぶん、穴山くんと別れた件についてだと思うよ?」
「えっ?! みずにゃんと穴山って別れたの?」
驚き目を見開いた樹里亜へ「そうみたいだよ〜」と間延びした声で応えた美織は、そこでスクリと立ち上がり、襖を開けた。
「ん? みおりん、トイレ?」
「うん」
どこか威圧的な笑みを浮かべた美織は小さく頷くと、そのまま暗い廊下へと足を踏み出した。
「……では、私も」
美織が発った直後、続くように志緒も立ち上がる。
「いやいや、しおっち。ウチのトイレは一つしかないけど?」
樹里亜の指摘を意に返さず無言で歩き出す志緒。微笑む彼女の横顔に、何か禍々しいオーラを感じ、樹里亜はハッと息を飲む。
「ご、ごゆっくり〜……」
(ヤバッ! しおっちの笑顔、こっわ!)
◇ ◇ ◇
「いたいた。一体、何を話してるんだろ〜」
台所の勝手口から庭へ出た美織と志緒は、角家の玄関から出た場所で向き合う壮太と瑞穂の姿を視界に捉えた。
「普通に考えて、穴山さん絡みの話でしょうが……油断はできませんね。何せ彼女は悪運が強いので」
「悪運……か。確かにね〜」
闇夜の中、朗らかに笑う美織の白い歯が月明かりを反射してギラリと輝いた。
「それで、橋爪さん。さっき砂川さんに飲ませたお水、あれって何なの?」
「……気が付いてましたか。流石……と言っておきましょう」
志緒が先程、瑞穂へ差し出した水。それは善意から緊張する彼女へ気を利かせたものではなく、寧ろ逆である。
瑞穂という人間は冷静沈着に見えて、その中には情熱が溢れている。その事へ気が付いた志緒は、彼女がその情熱を燃やし、余計な発言をする事がないように手を打ったのだ。
「差し上げた水には、磨り潰した下剤を混ぜさせて頂きました」
「下剤!?」
何かを混入させたであろう事は予測していた美織だが、それは睡眠薬か何かだと思っていた。しかし、志緒が水に混入させたのは下剤。普通の女子校生が持ち歩くような物ではないであろう。
「下剤って……あははっ! 橋爪さんって、お通じ悪いんだ?」
いつも貼り付けたような作り笑いを浮かべている志緒に人間らしさを感じた美織が、どこか安堵したように笑い声を洩らすと、志緒はその能面のような笑みを崩す事なく、ゆっくりと口を開いた。
「いつ、いかなる時、いかなる要求にもお応えできるように、備えているだけです」
「……は?」
志緒が放った言葉の意味を理解しかね、ポカンと口を開けた美織だったが、その言葉を反芻し、意味を理解すると、眉を顰めて瞳に鋭い光を宿した。
「そ…壮太はそんな変な要求しないもん! というか、橋爪さんと何もするわけないじゃん!」
志緒の行動は壮太が基準となっている。もはや彼女の時間は壮太を中心に回っていると言っても過言ではない。
つまり壮太が望めば、志緒は文字通り全てを差し出すつもりなのだ。その為の準備に抜かりはない。
「それは……負けを認めるという事ですか?」
「負け?」
「ええ。私には平くんの全てを受け入れる覚悟があります。例え彼が公にできないような趣味や特殊な性癖を持っていらしゃっても、それに応える所存です」
射抜くような真っ直ぐな瞳。普段は長い前髪に隠されている志緒を顔を改めて見た美織は息を飲んだ。
本気……そう、志緒は冗談を言っている訳ではないのだ。おそらく相手が壮太であれば、暴力を振るわれたとしてもそれを享受するのであろう。
「……負けない。負けてる訳がない。 私が一番、壮太の事を好きなんだからっ!」
美織の瞳に炎が宿る。まるで地獄の業火のように狂気的に爛々と燃える瞳と、凍てつく志緒の視線が交差する。
「そうですか……それは残念です」
ふと志緒が視線を外し、壮太達のいる方向へと向き直った。
それに釣られて美織も視線を移すと、そこには相変わらず向き合う二人がいたが、どうやら瑞穂の様子が少しおかしいようにも見える。
「効果が出てきましたね。坂梨さん、もう少し接近しますよ」
庭というには広すぎる敷地を移動し、二人の死角から様子を伺う美織と志緒。この距離ならば、二人の会話も充分耳に届く。
「坂梨さん、お願いしますよ」(小声)
囁くような声と共に振り返った志緒の手には、小さめの石が載せられていた。
「あ、なるほど。オッケ〜」
その石を見て志緒の意図を理解すると同時に、美織の口角が歪む。
石が夜空を舞った。
満天の星と同化する石。暫くして、それはゆっくりと降りてくる。
(今っ!)
美織の腕が消えた。
手首のスナップを利かせ、高速で振られる腕。
(陰湿根暗女、意外と悪くないトス上げるじゃん)
美織の瞳が再び燃えた。鬼神の如き力強い瞳には、絶対に外さないという意思が伺える。
(当たれぇええええ!!)
打ち出された腕は止まらない。それは的確に石へと振り下ろされる。
刹那。石は方向を変え、重力に抗うように地面と平行に飛んでゆく。それも肉眼で捉えられない速度で。
(ナイスです。性悪幼馴染さん。)
「ぉほぉう――!!?」
石は瑞穂の下半身へ命中した。突然の衝撃にパニックに陷る彼女だったが、今は悠長に状況把握をしている場合ではない。
(な…何なの!? それより、さっきからお腹が……)
突然上げてしまった奇声に「?」を浮かべた壮太の姿が目に入る。
「あ、壮太くん、今のは何でも――ぉぅん!?」
再び衝撃が走った。今度は先程よりも、更に出口へ近い。
「……砂川さん?」
壮太が心配そうに顔を覗き込んでくるが、瑞穂はもう限界であった。そして――
「んひぃ!? ちょっと、待っ――んんぅ?!」
遂にそれはウィークポイントを的確に捉えた。
高速で打ち出される小石は流星の如く煌めき、瑞穂へと直撃する。
志緒が上げるトスを美織がスパイクで放つ。その流れ作業はわずか3回の反復で恐ろしいまでの精度で放たれる狙撃へと変貌していた。
「フフッ……脆弱好鴨女、破れたり……ですね」
「敵将、砂川瑞穂。討ち取ったりぃ〜だねっ! あははっ!」
星空の下、二人の少女が嗤い合った。その瞳に狂気の光を灯しながら。
砂川さんが……!泣
余談ですが、砂川さんが下剤入りの水を飲んだ際、その「苦み」に気が付かなかった理由。それは単にパニクってて味が分からなかった事と、一気に煽った為です。
普通なら気が付かれる可能性が高いので、マネはしないように注意しましょう。笑




