新しいご主人様
芹ちゃんが完全に寝付いた事を確認した俺は、そっと部屋を出て物音を立てないように廊下を歩き出した。
角さんの両親と祖父母はもう就寝したのか、リビングには誰の姿もなかった。
(ウチならまだ誰も寝てない時間だけど……やっぱ、農家は朝が早んだな)
そんな事を考えながら廊下を歩いていくと、目的地である和室の前に辿り着いた。
(もう寝てしまったかな……)
襖をノックしようとした俺だったが、襖の間から光が漏れていない事へ気が付いた。部屋の電気が点いていないという事は、もう寝てしまったという事だろう。
諦めて芹ちゃんが寝ている部屋へ戻ろうと踵を返した時だった。何やら部屋の中から話し声が聞こえてきた。
少し躊躇した後、俺は声を掛けてみる事にした。
「あの……平だけど。砂川さん、寝ちゃったかな……?」
「「「「えっ?」」」」
女の子達の驚くような声が聞こえた。まぁ……こんな時間に女子の部屋を訪ねれば、驚かれるのも無理はないか。
「そ、そそそ壮太くん!?」
「あ、うん。俺だけど……」
ひどく慌てたような砂川さんの声が聞こえる。良かった……まだ寝てなかったみたいだ。
部屋の外で暫く待っていると、そっと襖が開き、中から砂川さんが手櫛で髪を整えながら出て来た。
「あの、壮太くん。えーっと……」
恥ずかしそうに俯いている砂川さん。いつも冷静な印象の彼女だが、やはり突然呼び出されて不安に思っているのかもしれない。
「ゴメン、砂川さん、こんな時間に。ちょっと二人で話せる?」
「ふ、二人で!? え…ええ、大丈夫よ」
一応、俺との会話を了承してくれた砂川さんだが、今度はジャージ(おそらく角さんからの借り物)の胸元を引っ張ったり、自分の両頬に手を当てて何やら揉み始めたり落ち着きがない。
「こんな恰好で恥ずかしい……今日はスキンケアも出来てないし……」(小声)
角さんから蚊取り線香を借り、俺と砂川さんは庭に出た。
「星がメッチャ見えるね」
何となく気不味い空気が流れていた為、それを払拭しようと砂川さんに話を振ってみるが、彼女は「そ、そうね」とだけ答えて、また俯いてしまった。
やっぱり、こんな時間に女子を外へ連れ出すは非常識だったか……。これは早く本題を切り出した方がいいな。
「単刀直入に聞くけど、砂川さん、好きな人いるの?」
「ふぇ!?」
先程まで俯いていた砂川さんだったが、素っ頓狂な声を出して顔をガバッと上げた。
「す、好きな人……! かしら……?」
「あ、うん。答え辛いならいいけど――「いなっ! いえ、いるわっ!」――ぅおう!?」
食い気味に返事をする砂川さんの瞳は、何かを訴えかけるように真っ直ぐに俺を見据えていた。
す…砂川さんって、こんな情熱的な感じの人だっけ……?
「えっと、それは穴山……ではないんだよね?」
「あ……」
砂川さんはハッとした顔をした後、目線を反らしバツの悪そうな表情を浮かべた。
「……将一くんから聞いたのね」
「うん。二人が別れたって」
「そう……」
少し生暖かさを感じる夜風が砂川さんの綺麗な髪を揺らした。その髪の隙間から覗く彼女の瞳はどこか思い詰めたように揺れており、口は固く引き結ばれていた。
「砂川さん、俺は穴山と砂川さんが別れた事を責めるつもりはないんだ。だから、その理由を問い正すつもりなどない、けど……」
その責任が俺にあるのなら謝りたい――そう続けようとして、俺は口を噤んだ。それは砂川さんの両肩が小さく震えていたからだ。
穴山と砂川さんが別れた原因はもしかしたら、俺がWデートに誘った所為かもしれない。一足飛びに二人の関係を縮めようとした結果が逆に破局を招いたとしたのなら……そう考えて、砂川さんからも話を訊きたいと思った俺だったが、彼女の小さな肩を見て、続く言葉を失ってしまった。
ここで俺が独り善がりの謝罪を申し出たとして、穴山には既に新たな彼女がいるし、砂川さんにも別に好きな人がいるらしい。もう以前の関係には戻れないのだ。
ならば、俺がすべき事は砂川さんへ謝罪をし、自分の罪悪感を払拭する事ではなく、彼女の新たな恋を応援する事ではないのか?
俺はできるだけ落ち着いた声色で、砂川さんへと語り掛けた。
「俺は良い事だと思うよ」
「え……?」
「好きな人が別に出来たって良いと思う。確かに俺と穴山は友達だけど、それは砂川さんだって同じだ。だから、俺は砂川さんの気持ちを尊重したいと思う」
「壮太くん……」
「真面目な砂川さんの事だから、穴山との別れはきっと悩み抜いた上での結論だったんだよね? 自分の気持ちに向き合い“ちゃんと傷付く”道を選んだ事。それは凄い事だと思う。少なくとも外野から責められる事じゃない」
俺は砂川さんの瞳を真っ直ぐに見つめて微笑む。
「まぁ、いつも逃げ続けて来た俺が偉そうに言える事じゃないけどなっ」
暫く目を見開き、俺の顔をジッっと見つめていた砂川さんだったが、ふと表情を和らげて上品に笑った。
「貴方が逃げるところなんて、私は見た事ないわよ?」
砂川さんの言葉は素直に嬉しい。だが、俺は間違いなく逃げ続けて来た。
純情を封印した事、かつて片想いをしていた美織を諦めた事、芹ちゃんの家庭問題に口を挟む事を躊躇った事、それはおそらく逃げだ。
リスクを回避した……といえば聞こえはいいが、俺は自分が傷付くことから逃げていたようにも思う。そういう意味では、自分の気持ちに正直に生きている穴山や砂川さんは、俺から見て充分に尊敬に値する人達だ。
「私の好きになった人は……強くて、優しい人。そして少しだけ“悪い男”かしら」
どこか熱っぽい瞳。その黒い瞳に曇りはない。
きっと、砂川さんには後悔はないのだろう。罪悪感を感じながらも、彼女はこれからも真っ直ぐに――
「ぉほぉう――!!?」
「……へ?」
突然、奇怪な叫び声を上げた砂川さんをジッと見つめる。
「あ、壮太くん、今のは何でも――ぉぅん!?」
「……砂川さん?」
「んひぃ!? ちょっと、待っ――んんぅ?!」
額に汗を浮かべながら、走り去ってゆく砂川さんの背中を見送る。
(な…何だ? 何が起こったんだ!?)
会話の途中で突然上げる奇声。挙動不審な行動……は!?
も…もしかして、これって……!?
俺はキョロキョロと周りを見渡すが、周りに人の姿は見えない。
(どこかに間男がいて、遠隔操作で砂川さんに仕込んだアレをアレして……)
「あれ? 平さん、こんなところでどうしたんですか?」
その時、角家の一室にある窓が開き、そこからジュリオくんが顔を出した。
「えっ!? ジュリオくん……?」
「え、はい?」
「な…何でジュリオくんが!?」
「何でって……ちょっと面白いゲームやってたら、夜更かししちゃってて、それで何か外から話し声が聞こえるなー……っと、あ! レイドが……」
「レイド……隷奴か?!」
そうか。そういう事だったのか……。
仮に砂川さんが寝取られていたとしたら、ネトリストは野球部の監督か先輩辺りだろうと思っていたが、まさかジュリオくんが砂川さんのご主人様だったとは……。(白目)
放心状態のままとぼとぼと玄関へ向った俺はもう一度、美織達のいる和室へと向った。
砂川さんに何があったのかは次話で。




