その涙痕に誓う
角さん家に泊まることになった俺達だが、その部屋割りはこう決まった。
俺と芹ちゃんが角さんの部屋。
美織、橋爪さん、砂川さん、角さんが客間。
常石先生は空いている和室。
まだ小学生とはいえ、芹ちゃんも立派な女子。俺と同じ部屋で寝ることに問題があるのではないだろうか――とも思ったが、芹ちゃん本人の強い希望により、俺達は同室となった。
まぁ、俺も芹ちゃんから事情を聴こうと思っていたから好都合ではあるものの、この状況……女性陣から再び○リコン疑惑を持たれたり、ジュリオくん辺りから間男疑惑を持たれたりしないかが心配だ。
「芹ちゃん、どうしたの?」
部屋に入った途端、俺にしがみついたまま離れようとしない芹ちゃん。その頭に手を置き、優しく撫でながら微笑みかけると、彼女は嬉しそうに……そして、少しだけ寂しそうに笑った。
「お兄ちゃん……ごめんなさい」
「……芹ちゃん?」
名残惜しそうに俺から離れた芹ちゃんが、その小さな唇を震わせた。
「お兄ちゃんから貰ったブザー……失くしちゃった」
芹ちゃんの言うブザーとは以前、俺が彼女へ贈った防犯ブザーの事であろう。あれは確か先日のチャラ間男軍団の一人によって何処かへと投げ捨てられたはずだが……。
「今日、ずっと探してたけど、見つけられなかったの……」
まるで自らの罪を告白するように、芹ちゃんが涙声で言葉を紡いでゆく。
芹ちゃんのお父さんが亡くなってから、芹ちゃんとお母さんとの仲がぎこちなくなった事や、時を同じくして家に訪れるようになった“パパじゃない人”の存在。
その男性は定職に就いておらず時折、芹ちゃんのお母さんへと金を無心にやってくるらしい。更には彼女達の家で酒を飲み、酔っ払っては喚き散らす事もあるとか……。
どう考えても、その“パパじゃない人”とやらは、碌な人間ではないだろう。何故、芹ちゃんのお母さんがそのような男性と付き合っているのかは不明だが、今の状況は芹ちゃんの精神面へ明らかな悪影響を与えているように思える。
「そっか、良く頑張ったね。芹ちゃん……」
俺はしゃがみ込み、芹ちゃんと目線を合わせる。
黒曜石のような綺麗な瞳。その瞳は確かに綺麗ではあるが、子供らしい無邪気さを感じさせず、非常に大人びた印象を抱かせた。
芹ちゃんはこの小さな身体で、精神を擦り減らしながらずっとSOSのサインを出していたのかもしれない。声を上げて助けを求められず、深い悲しみをその瞳の奥へ秘めながら。
「ぅ……うぅ……お兄ちゃん……」
「大丈夫、大丈夫だよ。芹ちゃん」
小さな身体をそっと抱きしめると、芹ちゃんの体温を感じた。
これ以上泣かないで、お兄ちゃんは芹ちゃんの味方だから――そう言い聞かせるように、優しく背中を撫でると、堰を切ったように彼女の両目から涙が溢れ出した。
ゆっくり落ち着かせるように背中を撫でていると、芹ちゃんは嗚咽混じりの声で話を続けた。
今朝、芹ちゃんが宿題をやっていると、例の男性が家に上がり込んできて、彼女を撮影した動画を大手動画サイトへ投稿しようとしたらしい。それも、かなり強引に。
どうやらその男性はヨウツーバーを自称しているらしく、芹ちゃんの優れた容姿ならば、高視聴率を獲得でき、更には自身の動画チャンネルも潤うと考えたようだが……ゲスな野郎だ。自己中心的で他人の意思を尊重しないその思考はネトリスト達に通じるものがある。
そして、芹ちゃんの話を聴いて解った事だが……どうやら彼女は俺があげた防犯ブザーを心の拠り所としていたようだ。
人は何か辛い事が遭った時、何かしらの拠り所を求め、それに依存する事がある。例えばそれは宗教だったり、性行為だったりするのだが、芹ちゃんの場合は……俺の贈ったブザーがそうであったようだ。
未だ依存と言えるほど手放せない物ではないかもしれないが、スマホという連絡手段を持たず、相談できる身近な大人もいない状況で、不安になった時に拠り所としたのが、彼女にとって唯一の大人の知り合いである俺から受け取ったプレゼントだったのだろう。まぁ……世間的に見れば、俺もまだまだ子供だが、芹ちゃんくらいの年齢だと、高校生を大人だと感じるのかもしれない。
贈り物を大切にしてくれている事を嬉しく思う反面、俺は芹ちゃんの危うさに気が付いた。このまま成長すれば、きっと彼女は満たされない愛情を“何か”または“誰か”で埋めようとしてしまうだろう。
その対象が趣味だったり、良い人間であれば構わないが、援助交際などの手段へ向ってしまうと非常にマズイ。
ネトラレリスク偏差値を瀑上げさせる危険因子になる事も勿論だが、家庭環境による精神面への悪影響は、芹ちゃんが今後の人生を良い方向へ歩む為に必ず解消しなくてはならない問題だ。
なにより――
(その“パパじゃない人”って奴、絶対に許せないな。そして、俺自身も……許せねぇ)
俺は憤りを感じていた。
今まで芹ちゃんの気持ちに寄り添った気になっていただけの傲慢さに。そして、彼女が時折見せる無邪気な笑顔に影が射している事へ気が付けなかった愚かな自分に。
確かに一介の高校生である俺が他人の家庭へ口出しする行為は、烏滸がましいと言えるかもしれない。だが、もう躊躇うつもりはない。
――これ以上、芹ちゃんを泣かせるわけにはいかない。
泣き疲れて、腕の中で眠りに落ちた芹ちゃんの目尻を拭った。この涙を彼女が流す最後の涙にする為に“お兄ちゃん”である俺がすべき事は、日和る事ではない。
……戦う事だ。
芹ちゃんをベッドへ運び、そっと横たえる。
涙で張り付いた髪の毛を梳き、俺は枕元に用意しておいたそれを置いた。
それは先日、兄貴がアルバイトをしている防犯グッズ専門店で買った新しい防犯ブザー。美織にも選ぶのを手伝ってもらったから、前のよりも可愛いデザインだと思う。
芹ちゃんに渡そうと思い、ずっとバッグに入れていたが、こんな事になるならば、もっと早くに渡しておくべきだったな。
(芹ちゃん。ごめんな……)
俺は明日の朝、道野辺家へ乗り込む覚悟を決めた。
シリアス回が続きましたが、次回はコメディ回にするつもりです。




