粗悪な罠など通用せん
冷房が効いた中で行われる午後の授業は睡魔に誘われる。
その誘惑に抗い、一心不乱に黒板に板書された文字を自分のノートへと書き写していく。
(くそぉ……何で、古文の授業はこんなに眠いんだ?)
正直、眠ってしまいたい。だが、睡魔にも勝てないような男が、間男達から最愛の女性を守りきれるのか?いや、出来まい。
必死で眠気を抑え込む俺の耳には、国語教諭の抑揚の無い声が遠くに聞こえる。念仏のような不思議な心地となって耳に響くそれは、もはや催眠と言っても過言ではない。
(まさか……国語教諭すらもNTR技能持ちだったとは……。催眠系間男か、ちょこざいな!)
催眠や、薬を使って寝取りにくるタイプの間男は厄介だ。異世界NTRものなら魅了魔法などで寝取りにくるタイプもこれにあたる。
以前、俺は快感回路に関する専門書を読んだことがある。
その本には、ラットの脳に電極を刺して、強制的に脳の快感回路を刺激した場合、ラットがとる行動がどう変化するのかといった実験の結果が記されていた。
掻い摘んで説明すると、ラットは餓死する事も厭わないほど、食欲そっちのけで電極から送られてくる快感のみに依存する。それほど快感という刺激は強烈な魔力があるのだ。
その状態をもし、催眠や薬で再現できるとしたら……?人間の理性なら耐えきれるとは限らない。
少なくとも、薬物は人の“心”にまで影響を与える事は判っている。心――精神とは、言わば脳の働きだ。
脳内物質の分泌を過剰に促す薬物を投与すれば、当然、投与された人物の精神活動には何かしらの影響が出てくる。麻薬が典型的な例だが、あれは実に怖ろしいもので、人格すら歪めてしまう危険な薬物だ。
では、催眠や薬、(異世界ものなら)魅了に抗う術はないのだろうか?
正直、現状では難しいと言わざるを得ない。
俺は六戒の一つに「慎重であれ」を掲げている。この戒めは彼女の僅かな変化も見逃さない事で、ネトラレリスクを低下させる事を目標の一つとしているのだが、間男からの寝取り攻撃を未然に防ぐ事は難しい。
催眠や薬を使われた場合には、どうしても後手に回ってしまう事になる事は否めない。
とはいえ、如何に催眠や薬が強力とはいえ、一度の接触で堕とされる事はない……はず。
早期発覚により、完全に寝取れ堕ちする事は防ぐ事ができるのだろうが……彼女を傷物にされてしまったという事実は残る。
この辺りが、今後の課題だな……そう心に誓い、淡々と板書している国語教諭を睨みつけると、俺と目が合った教諭は、ビクッと肩を震わせて目を反らした。
ちなみに、教諭は一見、優しそうな眼鏡紳士だ。体も細く、髪もまだある。
だが、間男教師にはこういう一見無害そうなタイプもいる事を忘れてはならない。体育教師は間男で確定(偏見)だが、それ以外のインテリ教師だって油断できない。
間男教師(断定)の催眠攻撃に打ち勝ち、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
不思議だ。チャイムが鳴った瞬間、睡魔が何処かへ去っていく。さっきまであんなに眠かったのに……やはりあの教諭が……。(以下略)
終礼のホームルームが終わり帰り支度を整える。
今日も図書室で自習して帰ろうと、教室のドアを開いたところで、俺はクラスメイトの一人から呼び止めらた。
「ねぇ、平。ちょっと、付き合ってくんなぃ?」
「ん……?まぁ、いいけど。」
俺を呼び止めたのは、クラスメイトの女子、角樹里亜だった。
金髪に染めた盛り髪に、人工的に焼いた浅黒い肌。やたら露出の高い着崩した制服。……所謂、ギャルだ。
何故、ギャル子が俺を呼び出すんだ?という疑問はあるが、一応、角さんの後ろを着いて歩くと、俺達は使用されていない空き教室へと辿り着いた。
教室へ入ると、クルリと角さんはUターンして俺に向き直り、頬を掻きながら口を開く。
「あの……さぁ、平。今、付き合っている人……いる?」
予想外の台詞に俺は、周りをキョロキョロと見回す。
六戒の一つ、「慎重であれ」がここでも重要になる。何事も慎重に行わなければ、足元を掬われる事になる事を俺は知っているのだ。
例えば……だ。俺に彼女がいたとしよう。
そして、俺は呼び出された角さんとこうやって、人気の無い空き教室で二人きりになる。
だが、これは間男と角さんが仕組んだ罠であり、二人きりの教室で角さんは強引に俺の唇を奪い、その瞬間を間男が密かに写真へ押さえる。
その場合、さしずめ角さんの立場は間男の共謀者“ネトリ・プロッター”と言ったところか。
最近は間男側が徒党を組んでいる場合も多い(当社調べ)ので、こういった謀への警戒も必要不可欠である。
さて……後日、俺の彼女はこの写真を間男に見せられ、誤解しショックを受ける事になるだろう。
その彼女を見て、間男はこう囁くのだ「彼氏が浮気してるんだから、君だってしちゃえよ」と。
最初は否定するが、俺への意趣返しとして、彼女は間男の提案を受け入れる。
そうなったら、もう終わりだ。
彼女は間男の超絶寝取り棒と、その寝取り技能により、快楽の虜となり、一度だけ……のつもりが、やがて泥沼化。
実は俺の浮気が誤解だったと気が付いた時には、彼女の身も心も既に間男のもの……絶望確定。
だが、残念。俺に彼女はいないぜ。
一応、それでも俺はキスを警戒して距離を置きつつ、角さんに対して体を斜め45度にオフセットして構え、質問に答える。
「いや、いないけど?」
「そ……か。じゃあ、アタシと付き合ってみなぃ?」
なんと……普通に告白であったか。
だが待て!断定するのは早い。最近では嘘告白とかって、えげつない遊びが流行っていると聞く。(情報ソース:なろう様)
そして、その場合に狙われるのは大抵、陰キャと呼ばれる闇の眷属達だ。
俺は……平凡な一男子高生だが、陰キャではないつもりだ。かと言って陽キャでもないが。
ここは……少し探りを入れるべきだな。
「いいけど……俺、結構、束縛しちゃうタイプだよ?」
「へぇ~そうなんだ?意がーい。……でも、別にそういうのも嫌いじゃないけど。」
嫌いじゃない……ねぇ。ならば――
「仮に、付き合う場合、お互いのスマホにGPS入れさせてもらう事になるけど……いい?」
「は?何でよ……。」
「だって、不安じゃないか。彼女が何処で誰と何をしているのかが全く解らないって……。だから、せめて場所くらいは把握しておきたいかなってね。」
「いや……まぁ、それはそうかもしれないけどさぁ、流石にそれ、ちょっと無くない?」
ゲヘヘ、動揺しとる、動揺しとる!
やはりな、清廉潔白な人間はGPS如きに恐れる事はない。俺なんて、う〇こ中にトイレのドアを閉めないほどにいつも潔白を証明済みだ。
そう言えばこの前、兄貴から「トイレのドアくらい閉めろよ」と怒鳴られたな。やはり、奴は危険か?
……まぁ、それはともかく。
「心配なんだよ。(NTR的な意味で)」
「心配……?」
俺は「うん」と小さく頷いて話を続ける。
「愛しいからこそ、放っておけない。愛しいからこそ、不安になる。解るだろ?」
「なっ……?!いと……。」
俺はあくまで一般論を言ったつもりだが、何故か角さんは顔を真っ赤にして、金魚のように口をパクつかせている。
まさかと思い、俺は勢いよく背後を振り返るが、後ろには誰もいなかった。
……焦ったぜ。やたらパクパクしてるから、後ろにいる共謀者へサインか何かを送っているのではと思った。
「平ってさぁ……もの凄く嫉妬深い?」
「かもね。」
「……そっか。ごめん、ちょっと時間頂戴……。」
顔を引き攣らせた角さんは、そう言って空き教室から出て行ってしまった。
GPS程度でイモ引くとは……やはり罠、又は嘘告白の類だったようだな。甘いわ!
(それにしても最近、告白多いな。治安の悪い世の中になったもんだ……。)
俺は空き教室で一人、感傷に浸るように夕焼け空を眺めた。
主人公が実は最も将来有望なネトリストだった説。笑