闇に潜む者達
平壮太達が角家で賑やかな晩餐を楽しんでいた頃、角家の庭で不審な三つの人影が蠢いていた。
「か…痒いっ! 橋爪さん、虫よけスプレー貸してっ!」
「……仕方ありませんね。坂梨さん、今後は蚊への対策くらい考えて来て下さいね」
「あの……そもそも、他家の敷地へ勝手に侵入する事自体が問題ではないのかしら……」
「そう思うのなら、砂川さんだけ先に帰っていただいても構いませんが?」
「あっ! 橋爪さんの脚に蚊が止まったよ!」
「この蚊ビッチィ――成敗! ……いえ、何でもありません」
「…………」
(やっぱり、この二人って普通じゃないわね)
夜闇の中、蠢く人影は坂梨美織、橋爪志緒……そして、砂川瑞穂の三人の美少女であった。群がってくる蚊に悪戦苦闘しながら、彼女達は何を行っているのか?
……それは、只の盗聴である。
壮太のスマートフォンに仕込んだGPSアプリによって、彼の現在地(角家)を特定した美織であったが、アプリを勝手にインストールした事を壮太本人へ黙っている事を条件に、志緒が彼の元へ同行する事を許可したのだった。
その明らかなストーカー行為に瑞穂までが同行しているのは、単に成り行き故……ではなく、やはり彼女も壮太の行方が気になって仕方がなかったからなのだが、根が真面目な瑞穂はその行為に後ろめたさを感じていた。
「何を話しているのか、ハッキリとは聞こえませんが、どうやら食事を始めたようですね」
志緒の言葉に耳を澄ましてみれば、美織と瑞穂の耳にも晩餐を囲む家族の団欒が聞こえてきた。
「普通に晩御飯を食べてるっぽいね」
「そう……ね」
あまりにも普通過ぎる展開に三人は首を傾げる。
突然、明菜と一緒に先に帰ると言い出した壮太。そんな彼が向かった先は美織達とも面識がある、角樹里亜と、その弟である樹里王が住む家だった。
最初は明菜が壮太をホテルに連れ込もうとしているのでは――などと、疑念を抱いていた美織と志緒であったが、壮太の向かった先が彼のクラスメイトの家である事は、更に二人を混乱させた。
「それにしても……どうして、壮太くんと常石先生が角さんの家でご飯を食べているのかしら?」
瑞穂の疑問に志緒が応える。
「実は平くんと常石教諭、又は角さんに血縁関係があるという可能性はどうでしょう」
「それは有り得ないよ。私、壮太の親戚……特に女の子なら全員の住んでいる場所を把握してるから」
透かさず志緒の憶測を否定した美織へ、志緒と瑞穂が冷めた瞳を向ける。
「坂梨さん、ストーカーが過ぎませんか?」
「私もそう思うわ」
二人の辛辣な言葉もどこ吹く風に、美織は「幼馴染なんだから、当然でしょ」と、勝ち誇った笑みを浮かべた。
季節は夏。典型的な日本家屋の角家は風通しの良い網戸になっており、家の中の会話をある程度は盗み聴きする事が可能だ。
虫よけスプレーを全身に振り撒いた美織達三人はじっと物陰に身を潜め、角家の団欒に聞き耳を立てている。
『角さん、すっごく美味しいよ。料理、上手なんだね?』
樹里亜の作ったカンパチの煮付けを絶賛する、壮太の声が聞こえてきた。
「魚の煮付けなら、私だって作れるのに……」
ボソッと呟いた瑞穂の言葉に美織と志緒が反応を示す。
「いや、わ…私だって作れるし……?」
「も…勿論、私も料理は得意としておりますが?」
そんな二人を見て、瑞穂はもっと料理を勉強しようと心に決めた。
『どうだい、平くん。ジュリアは良い嫁になるとは思わないかな?』
そのまま三人が聞き耳を立てていると、不意に聞き捨てならない会話が聞こえてきた。
激しく焦燥する三人を他所に、会話は続いてゆく。
『ほぅ……ほう、ほう! 平くんは農家に興味があるのかね?』
先程の声の主とは違い、年配の男性を思わせる声。
鈍感な壮太は気が付いていないが、美織達三人は確信した。角家が家族ぐるみで壮太を樹里亜の婿として迎え入れようとしている事に。
「――っ! 思わしくない事態ですね。坂梨さん、例のモノ……ありますか?」
「あるよ~! 使っちゃう?」
にこやかな笑みを浮かべながら美織が自身のポーチから取り出した物を見て、瑞穂はギョッとする。
月明りの下、無骨に光るそれは日常生活の中で見る事はまず無い、物騒極まる物であった。
手榴弾型催涙スプレー。以前、夏祭りの晩に熊門という男とその仲間達から襲われた際にも、美織はこれを使用しており、瑞穂も目の当たりにはしていたのだが――
「……どうして、そんなモノを?」
瑞穂の問いに「え? この程度、乙女の嗜みでしょ」と言わんばかりの飄々とした笑みを浮かべ、手榴弾型催涙スプレーをギュッと握り締める美織であったが、不意にその瞳が怪しく光り出した。
(え……何? 本気なの……?)
流石に民家へ催涙スプレーを投げ込むような非常識な行為をおかさないだろうと考えていた瑞穂であったが、美織の瞳を見て言葉を失った。
嫌な予感がした瑞穂がそのまま隣を向くと、そこにはもう一体の魔物がいた。
怜悧な微笑みを湛えたまま、自前のスタンガンを握りしめる志緒の瞳。それは美織の瞳とはまた少し異なるが、同様に禍々しい光を宿していた。
(ど…どうしよう! 止めないと!)
狼狽える瑞穂を他所に、美織と志緒は頷き合う。
「いよいよの時は……よろしいですね? 坂梨さん」
「オッケ~! 壮太の貞操、奪われるわけにはいかないもんねっ」
(全然、よろしく無いって! 嘘でしょ~?!)
砂川さんが闇(病み)に染まりませんように……。