そんな瞳で見つめないで
俺に背を預けた芹ちゃんの頭を撫で続けて暫く経った頃、不意に芹ちゃんの体がカクンと傾いた。
熱中症になりかけていた事と、先ほど沢山泣いた事で体力をかなり消耗したのだろう。胸の中からスースーと規則的な寝息が聞こえてくる。
俺は脱力した芹ちゃんを抱え、そっとベッドに横たえた。そして、その額をもう一度、撫でたところではたと気が付く。
(そういえば、さっきから俺、ナチュラルに角さんのベッドへ乗っかってる?! あ…有り得ねーっ!)
今更だが、クラスメイト女子のベッドに入るという、有り得ない所業に及んでいた事に気が付いた俺は恐る恐る角さんへ向き直る。
「ごめん、角さん! 勝手にベッドに入っちゃって……」
「えっ?! あー……うん。全然問題ないっしょ……」
口調の軽さとは裏腹に、顔を真っ赤にして頬を掻く角さん。ホントにすみません!
微妙な空気に、暫く沈黙していた俺達だったが、角さんが突然「そういえば、さっきから気になってたんだけど」と手を叩き、乾いた音を響かせた。
「何で、ここに明ちゃんセンセが居んの?」
角さんの言葉に後ろを振り返れば、ジュリオくんと常石先生が無言で立ち尽くしていた。
(やばい……完全に忘れてた)
これまた今更だが、俺は常石先生の見ている前で、先生の姪である芹ちゃんを抱き竦め、挙句の果てに、ジュリオくんの前で彼女と一緒にベッドイン?したのだ。
確か芹ちゃんはジュリオくんの想い人だったはず。……俺、女児性愛間男確定か?!(白目)
妙な嫌疑を掛けられるのではないかと、ビクつきながら常石先生へ視線を向けると、予想に反して先生は穏やかな表情を浮かべていた。
「もう……角さん、明ちゃん先生は止めてってば。私と芹は親戚で、叔母と姪なの。」
「え~っ?! 明ちゃんセンセと芹ちゃんが!? マジ?」
驚く角さんに「もう……だから」と苦笑いを作った常石先生だったが、ふと居住まいを正し、俺の方へ向き直った。
「平くん、本当にありがとう……今まで貴方が芹を支えてくれていたのね」
「あっ、いや……支えてたなんて大仰なものでは……。まぁ、仲良くはさせてもらってましたが」
「謙遜しなくていいのよ。芹は貴方を凄く信頼しているみたい……それに比べて、私は……」
自嘲の笑みを浮かべた先生が眠る芹ちゃんの傍らに立ち、そっと彼女の額に触れる。
「暫く見ない内に、大きくなったね」
芹ちゃんの髪を優しく撫でながら呟いた先生の声からは、後悔の念が垣間見えた気がした。
しんみりとした空気が漂う中、角さんが雰囲気を変えるように明るい声を出した。
「あ~ぁ! それにしても、平って……やっぱ、そういう系?」
そら来た!角さんなら、絶対に突っ込みを入れてくると思ったぜ。
「アタシが電話したら、大慌て駆けつけて来るあたり、ちょい妬けちゃうなぁ~」
「いや、違うからね? 純粋に心配だっただけだから! ……ジュリオくんも、信じてね?」
「へっ? あ、はい」
突然、話を振られたジュリオくんが、どぎまぎして応えた。
やはり、ネトリスト疑惑を持たれたのだろうか?
俺は無害ですよ~と、アピールするようにジュリオくんに微笑み掛ければ、彼はそっぽを向いてしまった。悲しい……。そして、心なしか彼の頬が紅く染まったような気がするけど、きっと気の所為だろう。
「また二人の世界作ってるし……。平ってホントにそっちもいけんの?」
「あの……角さん、そろそろ勘弁してくだされば」
「どうしようかなぁー……って、そういえば、平さぁ、今日は何処に行ってたの?」
「今日? まぁ、一応デート……かな?」
「はっ?!」
「えっ?!」
ジュリジュリ姉弟の驚いた声が重なる。
「……誰と? ってか、何で?」
ええっ!?何か急に角さんの雰囲気が変わったんだが?!
ジュリオくんまで悲しそうな瞳で俺を見つめくるし……何故に?
威圧するような角さんの視線と寂しげなジュリオくんの視線に気圧された俺は、寄る辺なく目を泳がせながら、最適解を探して脳をフル回転させる。
ここの回答で「橋爪さんと」はNGだろう。
何より、橋爪さんは俺が無理を言って連れ出しただけだ。妙な疑いが掛かり、彼女に迷惑が掛かる事態は避けたい。
砂川さん……は、論外だ。彼女は穴山の彼女だし、そもそも俺はあまり彼女から好かれていないはず。変な噂が立ったら、後が怖い。
何て馬鹿なんだ俺は……。
先ほど揶揄われた事への意趣返しとして「デートかな」なんて、調子に乗って答えなければ良かった……。普通に「穴山と砂川さんのデートに付き合って出掛けてただけ」と答えていれば……というか、何故にジュリジュリ姉弟はこんな瞳で俺を見るんだ?
「志緒ちゃ……橋爪さんよね? 確かに彼女、可愛いもんね。私にとっても理想的な……じゃなくて、平くんと橋爪さんならお似合いじゃない?」
うぉーい!常石先生、何を仰ってやがりますかっ!?
これはマズい流れ……何とかせねば。
「ち…違いますよ? 俺と橋爪さんの間には何もありません」
クッソ情けない台詞だ。まるでBSSされるヘタレ主人公になった気分だ。だが、只でさえ迷惑を掛けている橋爪さんに対して、有らぬ疑いでこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。
俺はジト目で見つめてくる角さんを真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「ごめん、デートは嘘。今日は付き添いで穴山達と遊びに行っていただけさ」
「ホントかなぁ~?」
尚も訝し気な眼差しを向けてくる角さんだが、ここで目を逸らすわけにはいかない。
「ああ。俺が誰かとデートする訳がないだろ?」
角さんの瞳を真っ直ぐに見据えたまま、そう言い切ると、角さんは「あ……うん」と瞳を右往左往させた後、やがて俯いてしまった。
俯いた角さんの頬も、先ほどのジュリオくんと同様に赤みが差しているように見える。もしや、彼女も熱中症気味か?
とりあえずこれで、学園で妙な噂が立って、橋爪さんが嫌な思いをしなければならない事態は避けられるだろう。まぁ、仮に俺と橋爪さんが本当にデートしていたとしても、それを角さんが学園で言い触らすとは思えないが。
「コホン……それで、話は戻るけど、どうして芹が角さん家の田んぼにいたの?」
常石先生の質問に角さんが首を振る。
「アタシも訊いたんだけど、教えてくんなかった――ってか、さっき平が来るまでは、聞き出せる感じじゃなかったし」
「そう……」
目を伏せた常石先生が、次に俺へ視線を向ける。
「平くん……さっきの水族館で貴方が提案してくれた件なんだけど、私からもお願いしていい?」
先生の言う件とは、俺が先生とイルカショーを観ている時に彼女へお願いした件の事だ。
『先生、俺に道野辺家の家庭事情へ首を突っ込む権利を下さい。』
俺は先生にそう、お願いをした。
この際、先生が駄目だと言っても強引に関わるつもりだったが、許可を貰えれば、堂々と口を挟むことができる。
正直……俺は腹に据えかねている。
芹ちゃんの追い詰められた様子から、おそらく家庭で何かが起こったのだろう。翠さんがいくら芹ちゃんの実親だろうが、抗議してやらないと気が収まらないし、芹ちゃんの謂う“本当のパパじゃない人”とやらの事も気になる。
(取り敢えずは……芹ちゃんが目を覚ましてから、話を聴くか)
俺は眠る芹ちゃんの額の汗を拭うと、もう一度優しく髪を撫でた。




