磨り減らした幼心
蝉は種類によって鳴く時間が異なるそうだ。
日も傾いた田園風景にはツクツクボウシやヒグラシの鳴く声が響き渡っていた。
「それにしても、どうして芹が角さんの家に?」
隣に座る常石先生が車窓を眺めていた顔をこちらへ向けた。
俺と常石先生はタクシーに乗って角さんの家に向かっている。その理由は「芹ちゃんが大変だ」という角さんの連絡を受けたからなのだが、俺も詳しい経緯までは聞かされていない。
角さんから受けた連絡の内容は、角さんと彼女の祖父母が夕方、自分達の田んぼへ行った際、熱中症になりかけていた芹ちゃんを見つけたという事と、見つけた彼女を角さんの家で預かっているという事。そして――
「角さんの弟、樹里王くんと芹ちゃんは同級生なんですよ。……と言っても、芹ちゃんが角さんの家に運び込まれる事になった経緯は俺にも分かりませんが、彼女……精神的にも参っているようです」
そう。角さんが言うには、芹ちゃんは現在、精神的に不安定になっているらしいのだ。
何故、一人で角家の田んぼに居たのか。何か良くない事でもあったのか。角さんが訊き出そうとしても、芹ちゃんは答えなかったらしい。
俺は奥歯を噛みしめた。
血が滲むくらいに噛みしめても、俺は俺を許せない。……俺はあまりにも愚かだった。
最近、明るくなった芹ちゃんを見て、俺は勝手に“大丈夫”だと判断してしまった。
彼女と母親の仲が上手くいっていない事を察しつつも、“いずれは”と悠長に構えていた。直ぐに俺が母親へ会いに行っていれば、芹ちゃんを追い込まずに済んだかもしれないのに。
初めて芹ちゃんと逢ったあの日、彼女は公園で涙を流した。
寂しそうに笑う彼女を見て、俺は彼女の力になりたいと思った。だが、他人の家庭問題だからと、踏み込む事に躊躇した。
手を差し伸べるのならば、中途半端にすべきではなかった。
例え、傲慢だと罵られようが、自己満足だと諫められようが、俺は行動すべきだったのかもしれない。
他人である俺が下手に口を挟む事で、余計に親子関係が拗れるかもしれないと、小賢しく芋引いた結果がこれなのだから。
◇ ◇ ◇
角家へ到着した俺と先生はタクシーを降り、インターフォンを鳴らした。
角さんの家は農家のようで、家は平屋で庭には大きな納屋があり、その中にはトラクターやその他の農機具が置かれているようだ。
インターフォンを鳴らして暫くすると、横開きの玄関扉がガラリと開き、中からジュリオくんが顔を覗かせた。
「あっ! 平さん、お待ちしてました」
「こちらこそ、ごめんね。ありがとう」
ジュリオくんに案内されて、彼の後ろを歩いて行くと、一つの部屋へ辿り着いた。
部屋の前に立ったジュリオくんが軽く扉をノックすると、部屋の中から「いいよ」と返事が聞こえた。角さんの声だ。
部屋はフローリングの貼られた洋室だった。角家は畳張りの和室が多いので、この部屋だけ新鮮に感じる。
どうやらここは角さんの自室のようで、壁紙や家具などが女の子らしい淡い色で揃えてあった。
「あっ、平……来てくれたんだね」
冷房の効いた部屋の中、ジャージ姿の角さんが座っていた。
ベッドの脇に座る彼女へ挨拶を返し、視線をベッドの上に向けると、そこには芹ちゃんが寝かされていた。
芹ちゃんは頭から布団を被り、顔を見せてくれない。いつもなら「お兄ちゃん」と元気な声を聞かせてくれるのに、明らかに様子がおかしい。
「芹ちゃん?」
俺が声を掛けると、芹ちゃんは布団から少しだけ顔を出す。
「お兄ちゃん……ごめんなさい」
布団から顔を出した芹ちゃんの瞼が腫れていた。泣いていたのだろうか……。
芹ちゃんの泣き腫らした顔を見た瞬間、俺は弾かれた様に彼女へ駆け寄り、そのまま強く抱き締めた。
「お兄……ちゃん……?」
「俺こそ、ごめん。芹ちゃん……」
壊さないように大切に腕に抱きしめた芹ちゃんから体温を感じる。
小さな身体だけど確かに在る命。懸命に生きている彼女が理不尽に傷付けれて良いはずがない。
再び啜り泣き始めた芹ちゃんの背中をあやすように優しく撫でながら、俺は心の中で何度も謝罪の言葉を紡いだ。




