地学教諭への間女疑惑
水族館の二階、ウミガメの泳ぐ水槽の前に三人の美少女が集まっていた。
「……それで? どうして、橋爪さんがここに?」
坂梨美織が橋爪志緒へ鋭い視線を向ける。
美織は志緒と話し合いをする為、一緒に二階のカフェへ向かったはずだった。だが突然、志緒が姿を眩ませた為、彼女を探して彷徨っていたところで、美織はウミガメの水槽前で砂川瑞穂と合流。そこへ何故か警備員から追われている志緒が現れた事で、この状況に至る。
「化粧直しへ行っていただけです」
「……警備員さんに追われていたみたいだけど?」
「不幸な勘違いがあったのでしょう。……因果なものですね」
素知らぬ顔で白々しい答えを返す志緒へ憎々し気な視線を送りつつ、美織は思案を巡らせる。
(絶対に嘘。……この陰湿根暗女、狙いは何なの?)
「――それよりも、砂川さん。穴山さんのお姿が見えないようですが?」
あからさまに話を逸らしに掛かった志緒を一瞥し、美織が瑞穂へと向き直ると、彼女は俯いていた顔を上げ、力なく笑った。
「その……」
口籠る瑞穂に首を傾げる美織。その様子を見て、志緒は小さく溜息を吐く。
(穴山将一さん……ご愁傷様です。)
◇ ◇ ◇
「えっ!? 結局、穴山くんと別れちゃったの?」
瑞穂から事の顛末を聴き出した美織は驚きの声を上げた。
美織から見ても、将一と瑞穂のカップルは上手く嚙み合っていない……というより、将一が少々空回りしてるような印象を受けてはいたが、まさか付き合って一ヶ月もしない内に別れるとは思っていなかったのだ。
更に、その理由が「他に好きな人が出来たから」というもの。
クールに見える瑞穂から思い掛けない言葉が出てきた事へ驚く美織と異なり、志緒はその鋭い眼差しを瑞穂へと向ける。
「……好きな男性とは、平くんの事ですね?」
「「えっ!?」」
美織と瑞穂の声が重なった。
自身の問いに動揺を示した瑞穂の様を見て、懸念が当たってしまった事を悟った志緒は溜息を吐いた。
「その……ごめんさない。」
悲痛な面持ちで謝罪を口にした瑞穂へ、美織が言葉を掛けようとした時、彼女のスマートフォンが横やりを入れるように着信音を鳴らせた。
その間の悪さに一瞬、眉間を顰めた美織であったが、スマートフォンのディスプレイに表示された名前を見た瞬間、一転して顔を綻ばせる。
「もしもし、壮太〜?」
「あっ! 美織、ごめん! 俺と常石先生は先に帰るから、穴山達にもそう伝えておいてくれないか?」
「な、えっ?! ……どうして、先生と?」
「どうしてって、一緒にイルカショーを――って、それはいいや。美織、ホントに悪い。急ぐからもう切るなっ」
「ちょっ! 壮太ぁ?!」
暫くスマートフォンを耳に押し当てたまま、通話を終わりを告げる無機質な電子音に耳を傾けていた美織であったが、その瞳が徐々に曇ってゆく。
「……壮太、先に帰るって。」
暗い瞳をした美織の呟きに、志緒は眉を顰める。
「何故……でしょうか?」
「そんなの分かんない!……けど、壮太、先生と二人でイルカショーを観てたって……。」
「なっ?! 常石教諭と二人で……ですか?」
志緒は己の愚かさに頭を抱えた。
彼女の考案した“水も滴る良いおっ〇い作戦”の構想では、壮太の周りを走り回る雌犬達を処理した後、最後にイルカショーへ向かう手筈となっていたのだ。
イルカショーを観賞する志緒と壮太の二人は和やかな雰囲気を纏い、笑い合う。そして、手を繋いだまま二人は“イルカ触れ合いコーナー”へ参加するが、そこでアクシデントが起こる。
イルカから水飛沫を浴びた志緒の白いワンピースは透け、下着を晒してしまうのだ。
羞恥心から腕をかき抱く志緒を、下卑た視線から守る為、そっと彼女を背中に庇う壮太。
濡れた服を着替える為、二人は寄り添うように多目的トイレへ向かうが、そこで二人は既成事実を作り上げる……という予定であったのだが――
(……まさか、常石教諭は私を狙っているように見せかけていた? 出会ってから、これまでの言動全てがフェイクで、この為のブラフだったと謂うのですか……?!)
微笑みを湛えたまま、瞳に憎悪の炎を灯した志緒と、ハイライトを失った瞳で何やらブツブツと呟いている美織の姿を見て、瑞穂の背中に冷たい汗が伝う。
(何を考えいるのかは解らないけれど、この二人って、やっぱり……)
続く言葉を掻き消すように瑞穂が頭を振った時、徐に志緒が口を開いた。
「……このままでは奪われますよ。」
「「――?!」」
志緒の言葉に美織と瑞穂が顔を上げる。
「……どういう事? 橋爪さん」
その問いに志緒は微笑みの仮面を脱ぎ捨て、美織と瑞穂へと怜悧な眼差しを向けた。
「お解りになりませんか? 今、私達は危機的状況に置かれているのですよ?」
狼狽する美織と瑞穂を見据えたまま、志緒は続ける。
「まず……プラネタリウムに常石教諭が現れた事が単なる偶然では無かったと仮定しましょう。その場合、教諭の目的は何だと思いま――
「ちょっと、待って!?」
話を遮り、美織は志緒へと詰め寄る。
「今日って、課外授業だったんじゃないの? 常石先生は最初から、一緒に居たんじゃっ?!」
美織は今日、壮太達がプラネタリウムや水族館へ遊びに来ている理由を課外授業の一環であると考えていた。それは、明菜が壮太達と一緒に居た理由が、地学教諭である彼女が引率の為に同行している為なのだと思い込んだからなのだが、先の発言で、その前提を崩されたのだ。
美織が瞼を鋭く細めた。
「そもそも……今日は、どうして橋爪さんが壮太と一緒に居るの?」
その問いへの回答は端的に言えば「デートだから」なのだが、志緒は口を噤んで逡巡した。その答えは美織を間違いなく激昂させると考えたのだ。
現在の状況で、専ら優先すべき案件は壮太と明菜がどこへ向かい、何をしようとしているかを突き止める事であって、美織に対してマウントを取ることではないはずだ。
無用な敵対心を買うよりも、今は美織をどう利用するかを考えるべきであろう。
「私と平くんは、穴山さんと砂川さんの付き添いで一緒に来ただけです」
志緒の返答を聞いた美織が瑞穂へと視線を向けると、彼女はコクリと頷いた。
「……そう」
訝しげな表情を浮かべながらも、一応は納得した美織が、志緒に話の続きを促す。
「では、続きを……。プラネタリウムへ現れた常石教諭が最初からか、平くん狙いであったと仮定しましょう。そう考えれば、教諭が昼食や水族館まで着いて来た事、水族館での観賞中に突然、姿を眩ませた事も含め、全てが彼女の計画通りの行動だったと謂えるのでは無いでしょうか?」
明菜が水族館で姿を眩ませた原因は間違いなく志緒の思惑によるものなのだが、志緒は自身に疑念が向かぬように、焦点を上手くコントロールしながら話を進めた。
「えっ?! 流石にそんな事は……」
志緒の唱えた仮説へ信じられないという表情を浮かべる瑞穂に対して、美織は考え込むように肘を抱え、ゆっくりと口を開いた。
「有り得る……かも。常石先生って独身のアラサーだし、普段の言動から何となく男性が苦手なのかな〜という感じを受けてたけど、ファミレスでは妙に壮太と距離が近かったというか……」
「さ…流石に、それは疑い過ぎではないかしら?」
尚も否定的な発言をする瑞穂へ、美織と志緒が鋭い視線を向ける。
その瞳の暗さにビクリと肩を竦ませた瑞穂であったが、美織の言葉を反芻して首を傾げた。
「……そもそも、私達がファミレスに居た時、坂梨さんはそこに居なかったわよね?」
「あっ、えっと……それは……」
瑞穂からジトっとした訝しげな瞳で見つめられて、今度は美織が狼狽する。
実はファミレスへ潜伏していて話を盗み聞きし、その後にバス停へ先回りしていたなどと言えるはずも無い為、言い訳を探して口籠もる美織。
志緒はその様を見て確信を得た。
(やはり……性悪幼馴染さんは何かしらの方法で平くんの居場所を突き止められるのでしょうね。最初は単に執拗なストーキングのなせる業かと思いましたが、まさか……平くんのスマートフォンへGPSアプリでも仕込んでいるのでしょうか)
貼り付けたような微笑みを湛えた志緒が、瞳に怪しい光を灯す。
「坂梨さん。平くんの現在地ですが……貴女なら分かりますよね?」
常石先生にネトリテス疑惑が……!汗




