お悩み相談
常石先生から半ば手を引かれるようにイルカショーの会場へ足を踏み入れた俺は、会場内を見渡した。
(この中に美織は……居なさそうだな。)
パンフレットによると、300人まで収容可能な大きさがあるイルカショーの会場だが、今は閑散としており、50人程度しか観客がいないようだ。
見渡した限り、美織の姿は見当たらない。ここに居ないとなると、何処へ行ったんだ?
ドルフィントレーナーの指示に従い、プールを泳ぐイルカを見て、常石先生が感嘆の声を上げる。
「わぁ……凄いね!」
確かに凄いとは思う。
言語が通じているのでは無いかと思わせる程にシンクロしたイルカの動きは、彼らがかなり高い知能を有していると同時に、人との信頼関係を築いている事の証明でもあると思う。
「凄いですね。」
だから、俺も素直に賞賛の言葉を口にした……が、ぶっちゃけ、意味が解らん。
それは勿論、イルカショーが理解できないという意味ではなく、常石先生が俺をここへ誘った理由が不明であるという意味だ。
単純に俺とイルカショーを見たかったから?
……それは無いだろう。俺と常石先生はあまり接点が無い。
日中を同じ学園で過ごしているので、廊下ですれ違う事や、体育祭や文化祭などの全校行事で絡む事はあるが、その程度の面識しかないはずだ。
俺が二年生に進級する際に選択した理科目は物理だし、一年生の頃は化学が必修科目だったから、授業でお世話になった事もない。
つまり、常石先生が俺をイルカプールへ連れて来た理由が解らない。
(何か……目的があるのか?)
俺が常石先生の横顔を覗き見ようとすると瞳と瞳が合った。先生もこちらを見ていたようだ。
「平くん、何か悩んでるでしょ?」
唐突に振られた問いに、俺は目を見開く。
「はい……?」
素っ頓狂な声を出した俺の手を、常石先生はそっと握る。
「悩みは決して一人で抱え込んでは駄目よ。……手遅れになってしまう事だってあるのだから。」
目を伏せた常石先生。過去に何かあったのか?
何故か唐突に始まったお悩み相談コーナーに困惑しつつも、俺は口を開く。
「特には――」
無い――と、俺が応えようとした時、先生の表情が曇ったように感じた。
実際のところ、先生が言うように、俺にだって悩みはある。
寧ろ、何の悩みもない人の方が少ないのではないだろうか。穴山にだって悩みはあるんだし。(失礼)
それに俺の悩みは言うなれば恋愛についてだ。
穴山のように好きな人と恋愛をしてみたい気持ちはあるが、踏み出せないでいる。
その理由は、角膜移植手術後に見るようになった夢が原因なのだが、それが何なのか医者にすら解らない以上、常石先生へ相談しても意味が無いだろうし、相談されても、荒唐無稽すぎて困るだろう。
ハッピーエンドの先が信じられないから、恋愛が出来ない……そんな悩み、言えねーよ……流石に。
「………。」
俺が応えあぐねている様子を見た常石先生が、ポツリと呟いた。
「退学なんて……辛いよね。」
うん?……退学?
予想外の言葉が出て来た為、動揺する俺を見て確信を得たのか、先生が頭を下げる。
「ごめんなさい。私の力不足で、退学を取り消せなかったの……。」
いや、完全に勘違いなのですが?!
それにしても先生、俺が退学になる事を知ってたのか。まぁ……事が事なだけに、緊急の職員会議でも開かれたのかもな。
「頭を上げて下さい、先生。貴女が謝罪する事なんて何もありませんよ。」
俺が微笑みかけると、ゆっくりと頭を上げた先生と瞳が合う。
「義兄さん……。」
「え?兄さん?」
「あ……ごめんなさい。何でも無いの。」
突然、兄呼ばわりされて驚いた俺だったが、これまでの発言から一つの仮説に思い至った。
唐突なお悩みコーナー、退学への謝罪、兄、手遅れになるという忠告……。
それらの情報から推測するに、常石先生には兄がいて、兄は学業に関しての悩みを抱えていた。だが、兄は悩みを誰にも打ち明けずにいる内に手遅れになってしまった。ま…まさか、自殺っ?!
いや、流石に飛躍しすぎだろう。ならば――
常石先生には仲の良い兄がいた。だが、兄の素行は芳しく無かった為、退学を危ぶまれていた。
そして、退学させられるかもしれないという事実を家族へ打ち明けられずにいた兄は更に荒れてゆく。
兄の様子に異変を感じた常石先生(当時は先生ではなかったはず)は、兄の学校関係者へ相談をするが、そこで一つの提案を持ち掛けられる。
――お前が身体を差し出せば、兄の件は見逃してやる。
常石先生は悩むも、兄を救う為、権威主義的間男の奸計に乗り、自身を犠牲にする……という寝取物語はどうだろうか?
うむ。先ほどの説よりは蓋然性が高いか……?
まぁ、考えすぎだろうと常石先生へ目を向けると、真っ直ぐに見据える瞳と視線が合った。
(えっ?何、この真剣な瞳!?)
先生の瞳の色に狼狽えた俺は、一歩後ろへ下がった。
どちらかと言えば、天然っぽい印象を受ける常石先生から尋常じゃない視線を浴びせられて、俺はどうすべきか悩む。
ぶっちゃけ、退学の件はそんなに悩んでいない。
確かに美織や穴山達と会えなくなる事は少し寂しいが、この時代、直接会えなくても、連絡手段なら豊富にある。
何より、表向きは退学とはいえ、実際には姉妹校への転校だ。しかも、転校先は――
「意外と楽しみですよ、転校。」
「えっ?」
常石先生が驚きの声を漏らした。
「でも、平くんの転校先は……。」
「はい……、分かってますよ。だからこそ、楽しみなんです。毎日、勉強してますし。」
「だったら、良いんだけど……。」
釈然としない表情を浮かべる先生へ、俺が微笑み掛けると、彼女は少し寂しそうに微笑み返した。
どうやら、常石先生は“良い先生”らしい。
只、思い込みが激しいのか、または余程、俺が落ち込んでいるように見えたのか、いずれにせよ先生は俺の“先生”であろうと考えたようだ。
このまま話を打ち切る事も出来るが、折角の好意なので、それは少し忍びないか……。
暫く逡巡した後、俺は口を開いた。
「先生、退学の件とは違いますが、少し相談に乗って貰えますか?」
久しぶりの主人公視点でした。




