おっぱいは失敗のもと
穴山将一と砂川瑞穂の二人を二階へ誘導した橋爪志緒は、肩で息をしていた。
スポーツ万能の美織や樹里亜とは違い、志緒はあまり運動が得意ではない。
その理由はたわわに実った二つのメロンが胸部で暴れているから……という点も勿論あるが、そもそも、志緒は体を動かす事よりも読書や勉強が好きな少女であった。
(流石に……普段から少し運動をしておくべきでしたね……。)
今回企てた志緒の作戦を成功させる為の前提として、兎にも角にも平壮太と二人きりの状態を作り出すために、周りの雌犬共を彼から引き剥がす必要があった。
広い水族館を駆け巡り、言葉巧みに雌犬共を壮太から離れたところへ誘導し、分断する。シンプルだが足を酷使する方法だ。
しっとりと汗ばんだ胸元に匂い立つ色香が、水族館に来ている男性客達のどよめきを生み、その男性客の連れである女性の反感を買うが、志緒には有象無象の声は届かない。
(早く……平くんの待つ三階へ行かなければ……。)
体力的には苦しいところではあるが、志緒には時間が無い。
二階の売店へ誘導した明菜もそろそろ一階へ戻って来ている頃であろうし、二階のカフェに置き去りしてきた美織も自身が謀られた事に直ぐ気が付くであろう。
志緒は三階へ続く階段を目指す。
エレベーターは使えない。何故なら、二階のエレベーターの近くには美織を置き去りにしたカフェがあるからだ。
志緒は将一と瑞穂に気取られぬように、遠回りをしながら階段を目指した。
「――っ!?」
志緒が階段へ差し掛かった時だった。
一階から二階へ続く階段を見知った人物が登ってくる姿が視界に入り、志緒はとっさに身を隠す。登って来たのは迷惑天体女教師こと常石明菜であった。
傍から見て、その様子は水族館内で映画に登場するスパイの如き行動をとっている奇人変人であり、志緒ほどの美少女でも打ち消せないほどの違和感を漂わせていた。
そんな志緒へ、一人の男性が声を掛ける。
「あの……お客様、何かお困りでしょうか?」
この水族館に派遣されてる警備員であった。
志緒は焦った。明菜はもうじき二階へ到達する為、このままでは彼女に見つかってしまう可能性が高い。
「えっ?ちょっと、お客様?!」
突然、背を向けて、ワンピースを翻したと思ったらそのまま走り去って行く志緒の後ろを、ワンテンポ遅れて警備員が追いかける。
(何と、タイミングの悪い……!)
志緒は駆ける。壮太との未来へ向かって。
目当ての志緒が水族館の二階で警備員と壮絶な鬼ごっこをしている事など露知らず、明菜は二階を通り過ぎ、三階へと続く階段を登っていた。
一階の売店で志緒が欲したイルカのキーホルダーは、二階の売店でも売り切れており、それを報告する為に一階の売店へ戻った明菜であったが、そこに志緒の姿は無かった為、志緒を探して三階へ上がってみる事にしたのだ。
エレベーターを使って二階から一階へ降り、一階の売店へ向かった後、階段で一階から三階へと登る。広い水族館の一階と二階を四方八方に歩き回った明菜が消去法で三階を目指す事は、言わば必然であった。
(志緒ちゃん、どこ行っちゃったんだろ?)
自身の理想を体現したかのような、清楚な黒髪美少女である志緒の可憐な姿を思い浮かべて、明菜は頬を弛ませる。
志緒の大きな胸を抱き枕に、彼女と同衾する夢のような光景を想像して、弛んだ頬から涎を滴らせ始めた頃、明菜の足は目的地である三階へと辿り着いていた。
「あら?平くん?」
三階へ上がって直ぐの場所、イルカショーを開催している会場の前で佇んでいた人物、平壮太へ明菜は声を掛けた。
「常石先生?」
明菜に気が付いた壮太が、彼女へと向き直る。
壮太の近くに彼以外の人物がいない事を少し不思議に感じた明菜であったが、その時、ふと先ほどの昼食時に彼に対して抱いた想いが頭をよぎった。
「平くん、君、一人なの?」
「はい。橋爪さんから先に三階へ上がるように言われましたから。」
「そう……。坂梨さんは?」
「ここにいるかと思って来たのですが……。」
そう言って、頬を掻きながらイルカショーの看板へと目線を向けた壮太の横顔を見て、明菜は少し表情を曇らせた。
(また、その瞳……。)
どこか寂しさを感じさせる壮太の瞳を見て、明菜は先日の職員会議を思い出す。
◇ ◇ ◇
『本校の生徒が暴力事件……ですか?」
夏休み中である事にも関らず、先日開かれた緊急の職員会議で、学園の生徒である平壮太が傷害の疑いで警察から事情聴取をされた事を知らされた明菜はひどく驚いた。
普通科では圧倒的な成績を誇り、学業のみならず、スポーツも万能で素行も良好な模範的生徒。それが明菜の抱く、平壮太のイメージであったのだ。
――成績優秀で真面目な生徒である彼が何故?
そう疑問を感じ、教頭の話に耳を傾ける明菜と他の教職員達であったが、教頭が最後に放った言葉が彼らの動揺を生んだ。
『平壮太を退学させる事にした。これは本人も了承済みである。』
その後、表向きは退学という形を取っているだけで、事実上の転校であると付言した教頭へ対して、一人の男性体育教諭が反対の声を上げる。
『いくら、姉妹校への転校をサポートするとは言え、退学処分は重すぎるのではありませんか?!』
体育教諭の言葉に明菜や他の教職員達も頷き、同意を示す。
聞けば、壮太が相手に暴力を振るった理由は、彼の知り合いである小学生を守る為であったとの事だ。
確かに顎骨を複雑骨折させる程の重傷を負わせた事への責任は問われるであろうが、学園側が事情を汲んで恩赦を与えたって良いはずだ。
『私も反対です。平くんは非常に良い生徒です。』
体育教諭に続いて明菜も教頭へ反論をすると、彼女に続き、次々と他の教職員達からも矢継ぎ早に反対の声が上がるが、教頭はそれに困り顔で頭を振るだけであった。
『本人と母親の了承により、もう決定した事なので……。』
教頭の話では学園長から転校の話を持ち掛けられた際、壮太はそれに抵抗する事なく受け入れたと言う。
本人が快諾し、既に決定したとあれば、明菜にはそれを覆す術など無かった。
◇ ◇ ◇
水族館の三階で一人佇む壮太を見て、明菜は考える。
壮太の退学を覆す事は叶わなかったが、教師として、彼に何をしてあげられるかと。
「平くん、イルカショー……一緒に見ようか。」
壮太達が通う学園の体育教諭はネトリストでは無く、熱血教師のようです。笑




