もう一つの終わり
今週は時間があるので、投稿ペースを上げます!
とある水族館の二階のカフェに、一組の男女がテーブルを挟んで座っていた。
テーブルの対面に座り、飲み物に口を付ける男女は正しく恋人同士に違いは無いのだが、男性の方は落ち着き無くそわそわしていた。
男性がチラチラと視線を送る先には、その亜麻色の長い髪先をクルクルと退屈そうに弄る一人の美しい少女が座っていた。平壮太の幼馴染にして、超絶美少女JKである坂梨美織である。
男性の様子に気が付いた、彼の恋人である女性、小夜子は下唇を噛み締める。
彼の視線の先に座る美織と自身を見比べて、圧倒的なまでの劣等感を抱かずにはいられなかったのだ。
「(もう、無理……かな。)」
小夜子が小さく呟く。
小夜子とこの男性とは、付き合い初めて4年になる。
脳科学的な観点から、恋の消費期限は3年程度だと言われているが、実際、二人の関係は交際を始めた頃に比べると、明らかに冷え切ったものとなっていた。
特に男性の方はデートの最中である今も、恋人である小夜子以外の少女へ目を奪われている。
先程、階段ですれ違った、たわわな胸の美少女――橋爪志緒を見かけた時などは、呆けた顔で彼女の揺れる胸元を凝視していたくらいだ。
今日のデートは小夜子が男性との冷え切った関係を修繕する目的で誘ったものであったが、もはや、それは困難だと思われた。
小夜子の年齢は27歳であり、4年前、彼女が23歳の頃にその男性と付き合い始めた。
二人は同じ会社の同期であり、小夜子は大学卒業後の新卒採用で男性は高校卒業後の新卒採用。二人には4歳の歳の差があった。
年下で甘え上手、どこか頼り無い感じすら可愛く思えて、その男性と交際を始めた小夜子であったが、彼女と彼もまた、恋愛に対しての温度差が大き過ぎたのだった。
小夜子が結婚を前提に交際を続けている事に対して、男性はまだ“遊び足りない”と考えていた。
男性はまだ20代前半。結婚願望の強い小夜子を煩わしく感じ始めていたのだ。
「ねぇ……私と一緒にいて楽しい?」
小夜子の質問に、顔を顰めた男性が小さく舌打ちをする。
「いきなり、何だ?」
不機嫌そうに答えた男性の瞳を小夜子は真っ直ぐに見据える。
「私達、付き合いだしてもう4年だよ?」
「またその話かよ……。だから、こうやってデートにも付き合ってんじゃんよ。」
真剣な眼差しで訴えかける小夜子の言葉を男性は煩わしそうに一蹴する。
関係修繕の為に誘われたデートだが、男性としては水族館などという地味な場所に付き合いたくなど無かった。どちらかと言えばアウトドアな趣味を持つ彼とインドア派の小夜子とでは、まるで趣味が異なる。
付き合い始めは気にならなかった趣味の相違だが、それは“恋の魔法”によって、欠点が都合良くフィルタリングされていた結果に過ぎない。恋から醒めた二人の間には、もう魔法の力は作用しないのだ。
男性の視線の先で美しい少女――坂梨美織が立ち上がった。
「……遅い。もしかして、ハメめられた?」
空になった紙コップをグシャリと握りしめて、眉を顰めた美織の瞳に憎悪の光が宿る。
その鬼の如き瞳を見て、得体の知れない恐怖から顔を引き攣らせた男性は、慌てて美織から顔を反らし、再び対面に座る小夜子へと向き直った。
二人が座る横を美織が通り過ぎてゆくと、フローラルな良い香りが鼻腔を擽った。
その残り香を満喫するように一度、鼻をヒクつかせた男性であったが、その後、眼前に座る小夜子の姿を見て、あからさまな溜息を吐いた。
「何かさぁ……俺ら、もう別れても良くね?」
何の感傷も含まない軽率な言葉が、小夜子の胸を抉る。
共に過ごしてきた4年間は、彼にとって簡単に捨てられる程度のものだったのだろうか。
小夜子にはもはや、彼を引き止める気力が失われていた。
「そうね。……お別れ、しようか。」
「了解。じゃあ、俺は帰るぜ。……さいなら。」
「さよなら……。」
あまりにも呆気ない幕引きに、小夜子は泣く事も出来ずに項垂れた。
自分が彼に注いできた4年間の想いが報われる事なく、ゴミのように捨てられてしまったにも関わらず、何故か悲しいという感情は沸き起こらなかった。
去っていく彼の背中をぼんやりと眺めながら、小夜子が溜息を吐いた時、けたたましい音を立てて、視線の先の彼がテーブルと共に転がった。
「うがぁあああ?!」
スマホを片手に歩いていた彼に、一人の少年が勢い良く体当たりをしたのだ。
タンクトップから筋骨隆々の肩を露出させた坊主頭の少年に弾き飛ばされた彼が、無様に地面を転がる。
「すんません!大丈夫っすか?」
慌てて彼に駆け寄る少年の顔に焦燥が浮かんでいる。
「クソッタレ!痛いじゃねー……か……ょ。」
威勢よく少年を罵倒した彼だったが、少年の体格を見て、その声を詰まらせた。
「マジですみませんでした。俺の不注意っす。」
真摯に頭を下げる少年を見て、威勢を取り戻した彼が立ち上がり、少年の後頭部を見下ろす。
「このガキ……すみませんで済むかよ。」
今しがた小夜子と4年に及ぶ交際を終えた、その男性の胸中には様々なコンプレックスが渦巻いていた。
同じ会社に勤める彼と小夜子との学歴の違いは、そのまま出世に著しく影響しており、平社員止まりの彼に比べ、小夜子は若くして係長の地位を得ていた。当然、受け取る給与だって異なる。
付き合い始めた当初は、彼も小夜子が好きであった。
名門女子大出身であり、化粧っ気が無く少し地味ではあるものの、美人であったし、面倒見の良い性格で部下からも慕われていた彼女。
それに比べて、自分はどうだ?
周りからも“逆玉狙い”だと揶揄われ、男性のプライドは傷付いた。そして、植え付けられたコンプレックスは彼の恋愛観を歪ませる事となった。
小夜子より美人。小夜子よりもスタイルが良い。小夜子よりも学歴が上。
小夜子よりも優れた点を持つ女性に目を向けることで、彼は小夜子の存在を矮小化し、自身のプライドを保とうとしたのだ。
その結果、彼の性格は卑屈で不遜なものへと変化していった。
「クリーニング代、寄越せよ。」
男性が坊主頭の少年へクリーニング代金を請求する。
勿論、男性の衣服に大した汚れは見当たらないが、この男性は若く、未来のある少年を虐めて、少しばかりの優越感に浸りたいという歪な思いを抱いたのだった。
「クリーニング代なら、私が出すから。」
困惑する少年の隣に並び、小夜子が自身の財布から一万円札を取り出して、男性へと差し出す。
「……ケッ!」
再び自尊心を傷付けられたと感じた男性が、あからさまな舌打ちをし、小夜子の手を一万円札ごと払って、踵を返した。
男性の背中が見えなくなった頃、小夜子は少年に向き直り、頭を下げた。
「ごめんなさいね。彼、知り合いなの。」
小夜子から頭を下げられた少年は、困惑するように両手を突き出す。
「そ…そんな!こちらこそ、ありがとうございました。あ……俺、穴山将一っす。」
律儀にも名乗って、小夜子へと感謝を伝えた将一であったが、彼女の顔を見て、少し目を見開いた。
将一は小夜子に見覚えがあったのだ。
さて、穴山は小夜子に出会った事があるようなのですが……?




