焦燥する邪竜
坂梨美織を加えた平壮太一行は、次なる目的地である水族館へと辿り着いた。
「エヘヘッ……そ~う太っ!」
上機嫌の美織は歩きながらも、時折、壮太の頬を突く。
その悪戯は美織から壮太への愛情表現に他ならないのだが、当の壮太は仲の良い友人へのスキンシップだとしか思っておらず、美織のやりたいいようにさせていた。
寧ろ、本当は一人で不安だった美織がそれを紛らわせる為に、あえて悪戯をしてくるのかと思い、頬を突かれたまま、優しく微笑んでいた。
(好き!好き好き好き好き!大好き、壮太っ!!)
美織のテンションは限界を突破していた。先程、壮太の胸に抱かれていたのが、バス停という公衆の面前ではなければ、間違いなく彼女はそのファーストキスを壮太の口にねじ込んでいたであろう。
壮太の逞しい胸板に抱かれながら、制汗剤の香りと彼の微かな汗の臭いを堪能した、あの時間は、美織にとっては正に至福の時間と言えるものであった。
美織はその時間を思い出し、再び頬をだらしなく緩ませた。
「……やっぱ、アイツら出来てんじゃねーの?」
重なり合うように前を歩く、壮太と美織の背中を眺めながら、穴山将一が呟いたその言葉に、彼の隣を歩く砂川瑞穂は顔を伏せた。
「やっぱり、そう……なのかしら。」
「それは違いますよ。穴山さん、砂川さん。」
どこか諦観を感じさせる瑞穂の言葉に応えた者は、将一では無く、橋爪志緒であった。
「平くんと坂梨さんはお付き合いしていません。先程、穴山さんご自身も平くんへ、何故、誰とも付き合わないのかという旨の質問をされていたではありませんか。」
「あ……はい。」
志緒の眼光に押され、将一が口を噤む。
眉目麗しく、大和撫子を絵に描いたような淑やかな少女である志緒。その彼女が一度、微笑み掛ければ、男女ともに忽ち魅了されてしまう事であろう。だが、志緒から微笑み掛けられた将一の顔には、明らかな恐怖が浮かんでいた。
将一はやんわりと微笑む志緒の瞼の隙間から覗く、その冷たい瞳に息を飲む。
(じゃ…邪眼……!?)
無機質で凍てつくような冷たさを感じさせる志緒の眼差しに、将一は得体の知れない恐怖を感じ、後ずさった。彼がその瞳から受けた印象は、まるで邪眼――人を呪い殺すかの如き強烈な意志を宿しているように感じられた。
微笑みを湛えながら、志緒は静かに荒ぶっていた。それは彼女が焦燥を感じていたからだ。
高校から壮太と知り合った志緒とは違い、美織には幼馴染という強力なアドバンテージがある為、壮太の家族からの理解を得やすい立場である上に、将一が美織を彼の恋人であると認識してしまえば、友人や家族という外堀を埋められて行き、例え、実際に交際関係に無くても、壮太と美織が恋人同士であるという事が公然の事実と化す恐れがあるのだ。だから、志緒は将一の発言を許さなかった。
(余計な発言をされては困るのですよ……穴山将一さん。)
気圧されて、すっかり大人しくなった将一から視線を外した志緒は溜息を吐く。
今日のデートは壮太から誘ったもの。それはつまり、自身が彼から選ばれたという事に他ならないと志緒は考えている。
志緒にとって壮太の存在は絶対だ。彼を妄信していると言っても過言ではない。彼女にとって、平壮太という存在は世界と同義なのだ。
(雌犬共……これ以上、私達の世界を侵す事は許しませんよ!)
プラネタリウムでは地学教諭、常石明菜の執拗な妨害に遭い、講じた策は狡猾極まりない砂川瑞穂により乗っ取られた。昼食時には穴山将一がハエの如く場を掻き乱しており、遂には最低最悪の敵、坂梨美織までもが現れてしまった。
(もう……躊躇している場合ではなさそうですね。)
志緒の見開かられた瞳から、漆黒の光が迸った。
さて、またしても策を弄さんとする橋爪さんですが、大体、彼女の企ては……ゲフンゲフン。