人気者な彼の不整合さ
プラネタリウムの投影が終了し、照明が点くと穴山将一は立ち上がり、大きく伸びをした。
(良く寝た……いや、寝てしまった。)
一般的にデート中に寝るという行為は、あまり褒められたものでは無いのだが、天体に全く興味が無かった将一にとって、プラネタリウムは退屈であった。だが、それでも今日のデート先の一つにプラネタリウムを選択したのは、親友である平壮太の体調を慮ってのものであった。
「おい、穴山。」
近寄ってきた壮太から軽く小突かれて、欠伸を噛み殺した将一が頭を掻く。
「わりぃ……壮太。」
「いや、俺は別にいいんだけど、後で砂川さんにフォロー入れとけよ。(小声)」
「お…おう。」
返答を聞き、表情を和らげた親友である壮太の顔を見て、将一はバツの悪い思いを抱いた。
今回のWデートは付き合いたてのカップル、将一とその彼女、砂川瑞穂の仲を進展させる為に壮太が企画したものだ。
自分の為に企画してくれたデートの最中に眠ってしまうという失態をおかしたにも関わらず、責める事もせずに助言をくれる親友の壮太へ、将一は申し訳無さを感じつつ、ふと疑問を抱いた。
(そういや……何で、壮太は誰とも付き合わねーんだろ。)
プラネタリウムを出た頃、時刻は正午を回っていた為、壮太達は次の目的地である水族館へ向かう前に、ファミリーレストランで昼食を取る事にした。
「……それで、何故、常石先生がいらっしゃるのでしょうか?」
うんざりした表情を浮かべた橋爪志緒が隣に座る常石明菜へと眉をヒクつかせながら尋ねた。
「いいじゃない。私の奢りなんだしっ!」
学園で見る時の物静かな雰囲気とは違い、やたらとハイテンションな明菜が志緒のたおやかな手を握り、微笑み掛ける。
握られた手を見て、志緒は深く溜息を吐いた。
これは非常に珍しい事である。
先日の夏祭りの夜、チャラ間男集団に襲われた時ですら、その微笑みの仮面を外さなかった志緒が今は疲弊した顔を覗かせているのだ。それだけ明菜に参っているという事であろう。
事実、プラネタリウムの上映中も明菜は志緒に構い続けた。彼女にとって志緒は自身の理想そのものであり、やっと出逢えた運命の相手であると感じていたのだ。
故に明菜は止まらない。自身が疎ましく思われる可能性などへ、考えが及ばないほどに興奮していた。
(鬱陶しい……鬱陶し過ぎます……。迷惑天体女教師ですね。)
志緒の手が振るえ、氷の入ったグラスがカチャカチャと音を立てる。
注文した料理が運ばれてくるまで、この面倒なやり取りが続くのかと、志緒が再び溜息を吐こうとした瞬間、今まで押し黙っていた将一が不意に口火を切った。
「なぁ、壮太。お前ってさ、何で誰とも付き合わねぇーわけ?」
将一にとっては素朴な疑問に過ぎなかったそれは、この場にいる三人を凍りつかせた。
一人は質問を受けた本人である平壮太。そして、残り二人は橋爪志緒と砂川瑞穂である。
壮太が彼女を積極的に作らない理由。それは、彼が中学生の頃に受けた角膜移植手術の後から度々見るようになった“夢”が関係してるのだが、その内容は食事時……ましてや、年頃の男女の前で話す内容では無く、返答に困った壮太は頬を掻いた。
一方、志緒はそんな壮太がどのような答えを返すのか、一言一句聞き漏らさぬように、瞬きもせずに彼の唇を凝視し、瑞穂も壮太の返答など興味が無いと言わんばかりに、明後日の方向を見つめつつも、しっかりと聞き耳を立てていた。
不意に開いた壮太の唇の動きに、志緒と瑞穂の二人は生唾を飲み込んだ。
「……自信が無いから……かな。」
それを聞いた将一が壮太の回答を冗談だと受け止めて「なんだそりゃ」と笑う中、彼は自身の発した返答に対して、改めて合点がいったかのように深く頷いた。
壮太としても彼女を欲する願望は持っている。
思春期の男子であれば、それは珍しい事では無いであろうが、確かに壮太には自信が無かったのだ。
角膜移植手術以降、壮太が見るようになった“夢”は、まるで自身の“記憶”でもあるかのように現実味のあるものであった。その中で“俺”は“妻”を寝取られて死ぬ。
幸せの象徴である結婚、そのハッピーエンドの向こう側にある地獄を知ってしまった壮太には、もはや永遠の愛という朧げな概念を信じられなくなっていた。
どんなに相手の事を愛していても、相手が同じ気持ちであるとは限らない。
ハッピーエンドの向こう側にも幸せの架け橋が続いているとは限らないのだ。一寸先が絶望である可能性を知ってしまった壮太の足は、その先に進む事へ恐怖を感じ、竦んだままであった。
――信じなければ、愛せない。愛さなければ、愛されない。
当たり前の真理であるそれを壮太も理解している。だが、彼にはそれを実現できる自信が無かった。
心身を鍛え、NTRを研究し尽くしても尚、その恐怖は壮太の純情を蝕んでいたのだ。
「穴山は……スゲェよ。」
壮太の寂しげな呟きが、ファミレス店内の喧騒に溶けた。
壮太の呟きは、正しく彼の本心であった。
自分の気持ちに正直に、先を恐れずに進んで行ける親友を壮太は純粋に凄いと思ったのだ。
瑞穂は壮太の浮かべた儚げな笑みを横目に見ながら、自身の胸を押さえた。彼を励ましてあげたい――そう思ったが、掛ける言葉が見つからず俯く。
それに対して、志緒も壮太へ言葉を掛ける事は無かったが、彼の回答に得心が行ったのか、逆に柔らかい表情を浮かべた。
志緒としても、壮太の言動の整合性の無さに疑問を抱いていたのだ。
客観的に見て、平壮太という人間は非常に優れている人物であると言える。
学業は彼の通う学園の中ではトップクラスの成績であるし、スポーツも万能で精神力も強く、努力家。そして、周りへの細やかな気配りも忘れない好人物でありながら、何故か異常なまでに鈍感なのである。
志緒には壮太が自信を失った理由を知る由もないが、その“自信の無さ”こそが彼の自己評価を低くし、自身へ向けられる好意に対してのみ、異常に鈍感であるというアンバランスな状況を作り出しているのであろうと推察する事ができた。
それは志緒にとって、都合の良い状況であった。だから、彼女は偽りの仮面を外し、心からの笑みを浮かべる。
壮太には自信が無い。それはつまり、彼が自分から異性へアプローチを起こす可能性が限りなく低い事を意味しているのだ。では、ヒロインが主人公を手に入れる為にはどうすべきであろうか?
至極簡単な事である。愛や恋など言った、形の無い曖昧なものでは無く、既成事実を作り、愛し愛される事が法的に義務付けられる状況へ持っていけば良いのだ。
志緒は自身の考えに何も間違いが無かったと確信を得た事へ満足し、その瞳に狂喜の光を宿したまま微笑んだ。
恋に慎重過ぎる壮太と、無心に突き進める穴山……意外とバランスが取れている二人。笑




