近くて遠い距離
志緒の要求により、席を交代した壮太は瑞穂の隣へと腰を下ろした。
(あ……。)
隣へ座った壮太から微笑みを向けられ、瑞穂は頬を紅く染める。
席を交代して間もなく照明が落された為、その赤ら顔を壮太に悟られずに済んだ事に、瑞穂が安堵の息を漏らすのと時を同じくして、ドーム状の天井へと夏の夜空が投影された。
プラネタリウムの投影時間は約50分間。瑞穂はその間、この星空の下で壮太と過ごす事になるのだ。それを意識した瑞穂は面映ゆさから、つい頬を弛ませてしまう。
腕が触れ合うくらいの距離に壮太を感じ、瑞穂の胸が高鳴る。
膝の上に置いたポーチからハンカチを取り出すフリをして、隣に座る壮太を盗み見れば、七分丈シャツから覗いた、引き締まった彼の前腕に目が留まった。
(私……壮太くんの、この逞しい腕に守られたのね……。)
瑞穂は先日の夏祭りでチャラ男達に襲われた際、彼女を庇って戦った壮太の広い背中を思い出していた。
怖くて立ち上がる事も出来ずに、絶望していた瑞穂をその悪夢から救い出した人物こそが、隣に座る平壮太であった。
全身をボロボロにしながらも、瑞穂達の為、一歩も引かずに戦った壮太へ、彼女が好意を抱く事はある意味、必然であった。
(やっぱり……私、壮太くんの事が……。)
胸がズキリと痛んだ。
現在、瑞穂は将一と恋人関係にあるのだ。瑞穂は自分が彼の親友である壮太へ想いを寄せてはならない立場にある事を十分に理解していた。
それでも、想いは止められなかった。将一と恋人関係にはあるが、瑞穂にとって、壮太は初恋相手でもあったのだから。
将一が悪いわけではない。悪いのは軽率に告白を受け入れた私自身なのだと、瑞穂は自分を責めた。
(もっと早く出逢えていたら……。)
天井へは夏の風物詩、天の川が投影されていた。
嘗て、七夕伝説に登場する織姫と彦星の悲恋を、自業自得であると笑った事のある瑞穂であったが、今の彼女には織姫の心情が痛いほどに理解できた。
(好きな人の側に居たい……他の何を捨ててでも。)
頭に浮かんだ考えを振り払うように瑞穂は頭を振った。
瑞穂は解っているのだ。壮太が友人を裏切るような人間では無い事を。そして、彼が彼女の想いを受け入れはしない事を……。
「白鳥座のデネブとアルビレオはね――
隣から学園の地学教諭である常石明菜が、夏の星座に関するうんちくを囁いてくる事に鬱陶しさを感じながら、志緒は今後の計画を頭の中で練り直していた。
志緒の練った作戦“偶然から始まる恋物語”の概要はこうである。
恋愛関係を急激に進めようとする上で有効な手段の一つとして、偶発的に性的な接触を行うという方法が挙げられる。
勿論、性的な接触がイコールで恋心に結び付くわけではない事を志緒とて理解はしているが、志緒が壮太を攻略する為に参考にしたゲーム……所謂、ギャルゲーや美少女ゲームと呼ばれる類のゲームの中では、しばしば“ラッキースケベ”によりヒロインと主人公が急接近する描写が見受けられる。
つまり、偶然を装って、ラッキースケベイベントを起こす事こそが、今回、志緒が構想した作戦の根幹である。
曲がり角で衝突した少女の胸を偶然揉んでしまう状況や、階段から落っこちてきた少女の股間を顔面に受けたりするような有り得ない状況こそが、非日常を演出し、主人公を日常から逸脱させる要因になるのだ。
(まずは……アレで行きますか。)
後ろから肩を叩き、振り返った相手の頬を突く遊びがあるが、志緒はその遊びを応用する事を思いついた。
志緒の作戦は先ず、壮太の足元へ適当な物、今回はリップクリームを落す事にする。
壮太はそれを拾おうと身を屈めるであろうが、壮太の動きにワンテンポ遅れて、志緒も腰を屈めてリップクリームを拾おうとする。その場合、自身の足元に落ちている物なので、リップクリームを拾い上げるのは当然、壮太の方が早いはずであるが、壮太がリップクリームを拾った際、身を屈めた二人の顔は物理的にかなり近い位置にある事が想定される。
そこで、伝家の宝刀、偽ドジっ子スキルを発動するのだ。
リップクリームを拾い上げ、志緒の方へ向き直った正にその瞬間、壮太の唇へ向かって、都合良く足を滑らせた志緒が顔からダイヴすれば、あら不思議!偶然から始まるファーストキッスの出来上がりである。
ダメ押しとして、頬を染めながら「今のキス、私の初めて……です」と宣えば、さらに演出効果は倍増するであろう。
(ご…ご馳走様です……じゅるり……。)
口元を歪め、瞳に怪しい光を湛えた志緒の手から、リップクリームが滑り落ちる。
(ウフフッ、これで……あっ!?)
志緒の手から離れたリップクリームだが、彼女が予測した落下点である壮太の足元を超えて、瑞穂の足元へと転がり――壮太と瑞穂が同時に動いた。
「「っ……!」」
リップクリームを拾おうと、身を屈めて手を伸ばした壮太と瑞穂の頬が軽く触れ合う。
「ご…ごめん!」
「ごめんなさい!」
壮太と瑞穂の二人は咄嗟に謝罪の言葉を口にし、その後、見つめ合ったまま照れ臭そうに笑い合った。
はにかむ二人を見て、志緒の瞳に憎悪の色が宿る。
(ザ…砂川瑞穂……ッ!またしても……またしても、横取りですかぁあああ!!)
壮太から手渡されたリップクリームを受け取った志緒の胸中では、嵐と共に邪竜が暴れ回っていた。
将一「Zzz……。」




